狛江市 概要

狛江市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 02:29 UTC 版)

概要

狛江市の街並みを枡形山より望む

多摩地域の南東に位置し、東京都区部と接する。都心とは小田急小田原線首都高速道路で移動でき、交通の便も良い場所にある。そのため住宅都市として発展し、逆に商業や工業などの発展はあまり見られない[4]

人類居住の歴史は古く、縄文時代まで遡る。縄文時代より人が定住しはじめ[5]古墳時代になると亀塚古墳などに代表される権力者が埋葬されたとされる古墳が多く築造された[6][7]。以降、現在の調布や三鷹武蔵野の辺り一帯は狛江郷と呼ばれ、狛江を中心として栄えた[4]。その後一旦は衰退するも、江戸時代には泉龍寺が賑わい[4]武蔵名勝図会などにその記述が見られる。明治時代以降は農村として、農業や多摩川での鮎漁、養蚕業などで発達した[8]。戦後、高度経済成長期に入り1969年に人口は5万人を突破、翌1970年には市制施行により狛江町から狛江市となった。都市化と共に農業や工業は衰退したが、人口はその後も増え続け、現在はベッドタウンとして機能している[4][8][9]

市名の由来

自治体の名称としての「狛江」は、狛江村成立時にこのあたりのかつての地名狛江郷から採られた[10]。その後も町制施行時、市制施行時も改名されることなく現在の市名も「狛江市」となっている[11]。なお市制施行の準備にあたり行われた新市名についてのアンケートでは、狛江の名前を継続させるという回答が最多で73.5%の町民が継続と回答したが[注 1][11]、「こま江市」ないし「こまえ市」に変更し、ひらがな地名とするべきだという回答もあった[11]。この狛江村の由来となった「狛江郷」の名前の由来については、いくつかの説が存在する。

朝鮮に関連するとする説

市が公式に紹介する説はおおよそ3つあり、いずれも朝鮮と関連した内容となっている。

  • 高麗人が住んでいる場所」を意味するという説[9]。高麗人のいる場所を意味する「高麗居」が「駒井」と変化し[12]、それが訛った「狛江」が郷名となったという[13]
  • 百済国王が高麗人を日本に帰化させた地」であることを意味するという説[14][15]。この説はしばしば日本書紀の「7世紀ごろに朝鮮半島から渡って来た渡来人が帰化して武蔵国に移り住んだ」という記述を用いて説明される。狛江はかつて「狛の里」と呼ばれていたが、それが変化して「狛江」になったという説である[14]
  • 狛江は「高麗人が住む入江」を意味するという説[13][14][16]。歴史の節で後述するように、亀塚古墳の発掘調査が行われた当時、その出土品から狛江古墳群は高句麗系の古墳群とされ、この説がこの説の1つの根拠である。しかし後の研究で、狛江古墳群を高句麗系の古墳群とする説はその時期などから否定されている[17]

その他の説

  • 楠原佑介は、駒井の「こま」は「曲流」を意味するという説を主張する[注 2][19]。すなわち駒井という地名は「曲流する川」を意味し、狛江はその駒井が訛って生まれたものだとする[19][20]。特にこの説の支持者である溝手理太郎は、市が公式に紹介している渡来人に関連するという説を「附会」だと断じた[20]
  • 考古学者である寺田良喜は、亀塚古墳の研究などから、駒()のいる入江だったことに由来するという説を主張している[21]

歴史

ここでは、市制施行以前の現在の狛江市域にあたる地域での歴史についてもあわせて述べる。

慨史

有史以前

130万年前、この辺りはであった。そのため、多摩川の河床にある飯室層からは海棲生物やなどの化石が発見される[22][23]。特にここで2006年9月に発掘された、ステラーカイギュウに進化する前の中間種とみられる化石の発見は極めて重要なものであったと評される[24][25]

原始の生活と人の定住

旧石器時代には狛江にヒトが現れたことがわかっている。1987年に現在の狛江弁財天池特別緑地保全地区のあたりで行われた弁財天池遺跡での発掘調査で、黒曜石製の槍先形尖頭石器ナイフ形石器が出土している[26]。しかしこの時代ではまだヒトの定住は確認されず、遊動生活の一部として一時期的に残されたものだと考えられている[27]

縄文時代になると狛江でも竪穴建物が建てられ[28]、縄文時代前期にはヒトの定住が開始されたと考えられる[28]。縄文時代中期以降の遺跡はそれ以前より多く、その一つである弁財天遺跡では敷石建物方形周溝墓陥穽の跡が発掘されている[5][29]。特筆すべきは弥生時代後期に造られたとする方形周溝墓の一辺が18メートルと大きいことで[8][30]、少なくとも弥生時代後期までには指導者的立場の人物の存在とそれに伴う社会が存在していたことが推察される[5][8][31]

1939年に和泉本町一丁目で行われた東京航空計器の工場建設に伴う整地工事で[32]、偶然古墳時代中期(5世紀頃)の竪穴建物跡からなる集落遺跡が発見され、遺跡からは高杯・坩・埦・などの大量の土師器が出土した[33]。これらは遺跡の発掘調査を行なった考古学者の1人である杉原荘介により遺跡は和泉遺跡と、土師器は和泉式土器とそれぞれ命名された[15][34]。特に出土した土器は当時すでに知られていた前野町式土器と鬼高式土器の中間に当たる土師器として初めて発見されたため、関東地方における古墳時代中期の基準資料とされ、その学術的価値は高い[34][35][36]。和泉式土器は轆轤を用いず輪積み法と手捏ね法という技法を用いて成形され[33]、特徴としては文様がないことや、表面がよく磨かれていることなどがある[33]

古墳の造成

畑に囲まれる前原塚古墳。猪方支群に属す円墳である。

前述の和泉遺跡となる建物群が作られた後の5世紀半ばから6世紀半ばまでの約100年間に集中して[33][37][38]、亀塚古墳などに代表される狛江古墳群に属す古墳が多く造成された。かつては狛江百塚とも呼ばれるほど多くの古墳が存在したが[12]、戦後の宅地開発などにより破壊が進み、現在は13基のみが一部現存する[39]。造られた古墳はほぼ全てが円墳で、現在確定している例外は帆立貝形古墳の亀塚古墳のみと少ない[37]

狛江における古墳の存在自体は江戸時代から認知されているが[注 3][37]、初の本格的な調査は1951年から1953年にかけて行われた亀塚古墳の発掘調査である[注 4]。この調査で豪華な鏡や鉄剣、装飾品などが大量に出土したが[37]、特に出土した鏡と装飾品が特徴的で、鏡は「神人歌舞画像鏡」とよばれる中国で造られたとされるものであったことや、また装飾品は「金銅製毛彫金具」とよばれる馬具で、これに朝鮮半島の古墳壁画に似た麒麟などに類似する絵が彫刻されていたことなどから、調査を指揮した國學院大學大場磐雄らは狛江古墳群を高句麗系の古墳群とする学説を発表した[37][41]。しかしながらこの説は現在では否定されていて[17]、前述の弁財天遺跡や和泉遺跡における居住の跡などから、亀塚古墳の被葬者は渡来人ではなく、かつ格式高い鏡である神人歌舞画像鏡[注 5]が出土したことから倭王権などと強い関係を持っていた国内の人物と推定されている[6][7]。亀塚古墳調査後の1960年と1976年には市内全域で古墳分布調査が行われ、多くの古墳が発見された。中でも特筆すべきは土屋塚古墳である。5世紀半ばに造られた土屋塚古墳で出土した円筒埴輪は特殊で[38]、世田谷区の野毛大塚古墳で出土したものに代表される種類のものと、東日本最大の太田天神山古墳でのみ発見された種類のものがほぼ同数出土したことから、埋葬者の権力は絶大なものであったとされる[42]。調査を視察した甘粕健[注 6]埴輪の特徴から、土屋塚古墳には畿内もしくは毛野と関係を持つ豪族が埋葬されていたと推定したうえで、狛江を治めた豪族は周辺地域よりも強い権力を持っていたと結論づけた[42]。これらの狛江古墳群に属す古墳は、6世紀半ばまでに一旦造成が終わった[38][43]

狛江古墳群最後の古墳とされる猪方小川塚古墳横穴式石室

古墳の造成が終わった約100年後の7世紀中期に猪方小川塚古墳が造られたと考えられている[31]。狛江古墳群最後の古墳とされていて、また他の古墳と違い埋葬施設が羨道・前室・玄室で構成される横穴式石室であることが特徴である[44]。この古墳の出土品からもやはり埋葬者の畿内との関係が指摘され、埋葬者は畿内王権の序列に位置付けられた狛江郷の長であるとされている[注 7][21]。これらの狛江古墳群の調査から、この時代は畿内における有力豪族などがこの地を治めていたと考えられている[31][45]

猪方小川塚古墳を最後に、狛江における古墳の造成は終わり、7世紀後期からは地下式墓が造られるようになった[31]

狛江郷の成立

倭名類聚抄』によれば、713年(和銅6年)に、狛江とその周辺地域で構成されるの名前が狛江郷とされたとされる[46]平安時代の869年(貞観11年)に成立した『続日本後紀』には狛江郷についての記述があり、これが史料における狛江郷の初見だとされる[注 8]。その範囲は現在の狛江市、調布市を中心とする地域だと推定されている[47]。『武蔵名勝図会』では「狛江」を井の頭池の古名としていて、「此沼あるゆへに其名を郷名に用ひたる旧池なり」「是全く狛江郷の狛江なり」との記述がある[48]。現在でも井の頭恩賜公園内の井の頭池に架かる橋のひとつに「狛江橋」がある。また、同図会には「すへて此近辺深大寺辺迄四五程の内は狛江郷と号し」とも記されていて、その広大さが窺える[48]。しかしながら現在の岩戸にあたる部分は狛江郷に属さず、東の木田見郷に属していたとされる[49]

古墳の造成の終焉後

奈良時代末期に成立されたとする万葉集には、多摩川で布を洗う女性を詠んだ「多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能児乃 己許太可奈之伎」が収められた[50]。この和歌は狛江周辺で読まれたとされ、これを狛江に渡来した高麗人を詠んだものだと主張する人もいる。この和歌を記念して、後に市内に玉川碑(万葉碑)が建てられた[51](後述)。

続日本後紀』の846年(承和13年)の項に狛江に刑部真刀自咩という人物がいたとの記述がある。刑部氏は畿内と関係を有する家系で、この人物は畿内から移住してきたと推定され[52]、5世紀半ばからあったとされる狛江における畿内との関係は続いていたことが分かる。

889年(寛平元年)、武蔵国国府から大國魂大神を分霊してきて、和泉に六所明神という神社が創建された[53]。この神社は江戸時代に起こった洪水で流失した後遷座し、明治維新の時に伊豆美神社と改称した[53]

武士の世

9世紀になって、律令制が崩壊すると武蔵国には武蔵七党と呼ばれる武士団が生まれた[54]。この武蔵七党のうち西党と狛江の関係は強く、その西党の武士の1人に狛江氏がいた[55]。1208年(承元2年)6月26日には狛江氏の1人であった狛江入道増西が威光寺を50人ほどの悪党を率いて刈田狼藉を行なった[56]。後に鎌倉幕府に呼び出され裁判が行われ、刑罰として100日間の宿直が科せられた[57]

鎌倉幕府の滅亡後、吉良氏が世田谷と狛江に影響を及ぼしたとされる[58]。1336年(建武3年・延元元年)に室町幕府が成立すると吉良貞家は強い影響力をもつようになった[59]

江戸時代

江戸名所図会に描かれた泉龍寺

16世紀初頭に、現在も残る多くの寺社が創られた。具体的には天台宗の尊祐法印による玉泉寺や明静院、岩戸八幡神社[60]、圓住院などである。また、衰退していた泉龍寺も和祝和尚により復興され、旗本石谷清定により寺が整備された[61]

江戸時代に、和泉村、猪方村、岩戸村、駒井村、覚東村、小足立村、上野村[注 9]の7つの村と、多摩川の氾濫によって生まれた宿河原村の飛地が現在の市域に成立していた[62]。7つの村は全て武蔵国多摩郡に属し、彦根藩によって治められた。これらの村のうち、1745年の『泉村鑑』によると和泉村が最も大きい規模を誇っていた[注 10][63]。この時代、産業としては米や野菜などの栽培のほか、多摩川での鮎漁などで栄えた[64]

文化年間、寺子屋の師匠を務めていた平井有三により、猪方村半縄に玉川碑と呼ばれる碑が建てられた[51]。碑には万葉仮名万葉集に収められた東歌である「多麻河泊尓左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能児乃 己許太可奈之伎」が刻まれている[65][66]。この文字は松平定信による揮毫であった[66][67]。しかし、文政12年の洪水で流され、流失した[51][65]

明治維新

1868年(明治元年)、武蔵国の属していた猪方村と岩戸村の2村と、和泉村のうち彦根藩領だった地域が彦根藩によって治められた。これらの地域は、3年後の1871年の8月29日に廃藩置県が行われた影響で、彦根県となり、翌年1872年1月2日に彦根県は長浜県となった。

1869年3月21日、行政官布告により和泉村の大部分と上野村、駒井村、覚東村、小足立村の計6村が品川県に移った[注 11][68]。これらの地域は1872年1月14日に東京府に移管された[注 12][69]

1872年3月3日[注 13]に長浜県に属した3村が、同年5月には東京府に属した駒井村、覚東村、小足立村、大町村の4か村が神奈川県の所管となり、同時に7か村組合会所が置かれた[70]。また同年、明治政府学制を公布したことから、7か村組合のうち大町村を除く村々が協力して泉龍寺境内にあった私塾を併合し[61]、1872年9月25日に現在の狛江市立狛江第一小学校となる公立観聚学舎を設立した[71]

1878年7月22日、郡区町村編成法の施行により、北多摩郡が発足し、現在の狛江市域にあった村は全てこれに属した[70]

狛江村の成立

1889年(明治22年)4月1日、神奈川県における町村制の施行により、7か村組合を廃し駒井村、和泉村、猪方村、岩戸村、小足立村、覚東村の6村が合併し、狛江村となった。村役場は泉龍寺の境内に置かれ[61]、初代村長に小川清平が就いた。このとき大町村は離脱し、のちの神代村の一部となった[70]

狛江村は玉川上流自治体を管轄した神奈川県に属したが、下流自治体のみを管轄した東京府は、玉川上水の汚染によるコレラ等の健康被害の拡大を抑制したいという意図から、多摩地域の府への移管を1873年から国に要求し続けた[72]。その後国が移管に関して議論をし始めると、移管に対し狛江村を含む多摩地域の自治体の多くが反対したが[73]、1893年4月1日、 東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律が施行され、狛江村が属していた北多摩郡が神奈川県から東京府に移管、東京府北多摩郡狛江村となった[74][10]。この東京府への境域変更に対し村は猛烈に反発し、当時村長だった小川清平と助役の石井正義が同年3月4日付で抗議の辞職をした[注 14][76]。その後神奈川県に復帰することはなかったが、東京府に移管された日から30年も経った1923年に帝国議会に多摩地域の神奈川県復帰を目的とした法案が提出されたことからも、移管が多くの混乱をもたらしたことが窺える。なおこの法案は廃案となった[75]

1912年4月1日に 東京府神奈川県境界変更ニ関スル法律が施行され、東京府と神奈川県の府県境が多摩川を境に引き直された。狛江村の多摩川を挟んで対岸にあった飛地橘樹郡稲田村に編入され[77]、稲田村大字宿河原の飛び地が狛江村に編入された。解消された飛地は多摩川の氾濫によって生まれたもので[78]、これによる行政の非効率さを改善する目的で制定された。これにより現在の狛江市域の形がほぼ完成された。法の制定に伴い、堤防の整備についての議論も大きく進展した[79]

再建された玉川碑

1921年(大正10年)に初めて電話が通じた。調布電話局から架線され、玉翠園と東京府会議員だった石井寅三の自宅にそれぞれ電話が通じた。翌年1922年3月、村内の一部に初めて電気が通じた[80]

1922年ごろ、和泉多摩川観光協会の主催で「第1回花火大会」が開催された[81]。狛江の花火大会は、多摩川沿岸の各地で開催される花火大会のうち最古のもので[81]、現在に至るまで最も長く続けられている[81]

1923年、江戸時代に猪方村に建てられ、その後多摩川の氾濫によって流失した玉川碑が渋沢栄一や羽場順承などの尽力によって中和泉に再建された[82][83]。1924年4月13日には除幕式が催され、渋沢が演説した[84]

小田急線の開通

開業当時の多摩川橋梁

この昭和時代初期は数千人であった人口も戦後になってからは大幅に増え、農村から住宅都市に変化していった。狛江村はついに市制を施行するに至り、狛江にとって大きな転換の時代となる。

1927年(昭和2年)4月1日に小田急小田原線が全線開通し、開通と同時に市内では和泉多摩川駅が開業した[85][86]。これに2か月ほど遅れて、5月27日に狛江駅も開業した。当初は狛江駅は設置されない予定であったが、住民の強い要望により駅舎建築費を住民負担とする請願駅として設置が決定された[86][87]

1931年10月1日に村役場に普通電話が通った[80]。同年4月にに新設された砧電話局から架線され、以降村民の家にも順に架線されていったものと考えられている[80]。この際に世田谷区の砧電話局から架線されたため、現在まで狛江市の市外局番は03となっている[80]

戦時期

第二次世界大戦の発生当時、和泉原と呼ばれた現在の和泉本町三丁目にあたる場所には畑があり、その一角に大日本帝国陸軍の高射砲第一一二連隊第三大隊第一四中隊第六分隊が駐屯しており「狛江陣地」と呼ばれた。この部隊はこの陣地で昼夜を徹して照空灯を操作していた[88]。そのほか狛江には、当時東京航空計器などの軍需産業関連工場もいくつか位置していたが、東京都区部を標的とした東京大空襲時にも空襲に遭うことはなく、むしろ都市部から疎開する人を受け入れていた[89]。しかし1945年5月25日20時頃に「狛江空襲」が発生、上空にアメリカ軍B-29が来襲し焼夷弾を投下して狛江全体を焼き払った。狛江における被害としては、家屋十数戸、農業会事務所、作業場、狛江国民学校[注 15][90]が全焼し焼失したと報告された[89][91]。終戦後、市は西河原公園に狛江市戦没者慰霊塔を建て戦没者を供養した[92]

戦争の終結と改革

1946年8月、現在東京都立狛江高等学校が建っている辺りにあった砂利穴から、雌の淡水クラゲ(マミズクラゲ)の集団が発見され[93][94]発見後も発生が続いたため、1951年6月にこの砂利穴が狛江淡水クラゲ発生地として国指定天然記念物に指定された[95]。しかしその3年後にクラゲの発生が途絶えたため、1969年12月に指定解除され穴は埋め立てられた[93]

1947年4月1日、学制改革により、現在の狛江市立狛江第一中学校である狛江村立狛江中学校が設立され、同年4月19日に開校した[96][97]

1949年5月3日、狛江青年文化会により日本初のユネスコ展が狛江村の狛江小学校[注 16]で開催された。当日は国際連合国際連合教育科学文化機関UNESCO、ユネスコ)のポスター展が行われ、午後から『幻灯』の上映と日本国際連合協会常任理事佐藤尚武による講話が行われた[98]

1950年、戦争により中断していた多摩川での花火大会が復活した[81]

戦後の都市化とともに人口増加が続いていき、1951年にはとうとう人口は1,000人を数えた[99]。そこで、村民の中では町制施行に対する機運が高まり、村議会では1950年11月に町制施行特別調査委員会が設置され、動きは加速された。翌年10月18日、村議会で町制施行が議決され、6日後には都議会で承認された[100]。そうしてその1年後にあたる1952年(昭和27年)11月10日町制が施行され、狛江町となった[101]。町制施行の記念式典は、狛江市立狛江第一小学校の創立80周年式典と併せて行われ、同校の校庭で盛大に祝われた[101]

1953年12月12日、初代多摩水道橋が開通した[102]。これにより狛江町内から直接渡し船や鉄道を使わずに神奈川県側へ渡ることができるようになった[103]。同年、登戸の渡しが廃止された[104][105]

このころまでに調布町と神代町の3町で合併する構想があり、協議が進んでいたが、1954年に町長となった飯田敬輔は世田谷区による編入を主張し、ここから10年ほどの世田谷区編入派と調布町合併派との争いが続くことになる[106][107]。結局、町は単独市制を行うこととなったが、2派の争いは激化し、町民生活に影響が出るほどであった[108]後述)。

明治時代からこの頃までは非常設の消防団により町内の消火活動が行われていたが[109]、1962年1月に起きた狛江史上最悪の火災(佐藤病院火災)の反省から、同年8月に町内に常設消防本部が設置され、今日の狛江消防署となった[110][111]

多摩川住宅

1965年7月26日に日本住宅公団により建設された神代団地で入居が開始された。また、翌年の1966年8月には東京都住宅供給公社が手掛けた初の大規模団地である多摩川住宅でも入居が開始され[112][113][114]、多くの住民が狛江に移住し、人口が増える一因となった[112][115]。実際に、1975年の人口は1965年の人口の2倍となった。

1968年5月28日、町長の石井三四郎が在任中に死去した[116]

1968年、花火大会の規模拡大を図るため、花火大会の主催を和泉多摩川観光協会から狛江町観光協会に変更し「第1回多摩川花火大会」として開催[81]。この際に「多摩川花火大会」の名称が使用されるようになった[81]

市制の施行

狛江町は1965年の国勢調査で人口が5万人に達しなかったため、市制を施行できずにいた[11][117]。その後、1970年3月の地方自治法改正によって規定が一時的に緩和され、人口3万人以上であれば、政令で定める期間に申請すれば市制を施行できるとされた。これにより狛江町は市制施行の要件を満たすこととなった。

これを受け、同年4月3月18日には町議会により市制推進特別委員会が設置され、市制施行に向けて準備が行われた[11]。同年8月12日の町議会で同年10月1日に市制施行することが議決され、同年8月19日に東京都議会に申請書を提出、同年9月の都議会で承認された[11][117]。その後も計画は順調に進み、予定通り1970年(昭和45年)10月1日市制を施行し狛江市となった[11][118][119]。初代市長には第4代狛江町長の冨永和作が就任し、同日9時に市議会で市制施行を宣言した[11][119]。同時に花火が打ち上げられた他、狛江第二小学校と狛江第三小学校の児童による鼓笛隊がパレードしたり、狛江第一中学校で記念式典が行われたりし、盛大に祝われた[11][120]

1972年3月31日、東和泉一丁目にあった狛江青果市場が閉場された[121]。当時まだ農業は盛んであったが、流通の近代化などに伴い、新たに世田谷区砧に設置された世田谷市場にその機能が移されたためである[121][122]

1972年10月26日、東京都条例第114号により東京都立狛江高等学校が設置され、翌年4月8日より授業が開始された[123]。当時は学校群制度により通学区域が決まっており、市内の高校生は東京都立神代高等学校東京都立三鷹中等教育学校東京都立立川高等学校東京都立南多摩高等学校東京都立千歳高等学校などの市外の高等学校に通う必要があった。そのため1960年代から市に対し市内にも高等学校を設置してほしい旨の陳情が多く寄せられ、開校することとなった[94]

1973年、市の木「イチョウ」市の花「ツツジ」が制定された[124]

多摩川決壊の碑

1974年9月2日[125]台風16号に伴う豪雨により、猪方地区の堤防が260メートルに渡って決壊し、多摩川水害と呼ばれる大規模な水害が発生した[126][127]

1975年1月1日に住居表示整備事業の第1期として岩戸地区で住居表示を実施された[128]。これにより岩戸地区は世田谷通りを境として岩戸北と岩戸南に分割された。その後も住居表示が各地域で順次行われ、1977年8月1日に東野川と西野川で、1979年10月1日に和泉本町で、1980年12月1日に中和泉と西和泉で、1981年11月1日に元和泉と東和泉で、そして最後に1982年11月1日に駒井町と猪方でも実施され、同日をもって市内の住居表示の整備が終了した[128]

1977年中に野川暗渠化が完了し、同年6月に新たな流路に水が流れた[129]。この工事により野川の氾濫の可能性は激減した。暗渠化された旧野川の地上部分は野川緑地公園として整備された[129]

1977年11月に市町村歌として、狛江市の歌「水と緑のまち」、狛江市の音頭「こまえ音頭」がそれぞれ制定された[130]。また同年11月には市民センターが開設され、それを祝して「狛江市民まつり」が初めて開催された[131]。市民センターの開館と同時に、狛江市立中央図書館が市民センター建設に伴い解体された「いずみ図書室」に代わって開館し、これが市内初の公立図書館の開館となった[132]

1979年3月、公共下水道を完備[118]。日本全国の自治体で4番目の公共下水道完備都市となった[133]

多摩川橋梁を通過する電車。1982年春撮影。

1980年10月1日をもって、狛江市は市制10周年を迎え、記念として市が企画し学研映画が制作した動画作品『わがまち狛江 -水と緑の住宅都市-』が制作された[注 17]。また、1か月後には市役所の新庁舎が完成した[118]

前述の『わがまち狛江 -水と緑の住宅都市-』によれば、市民の休養の地として伊豆城ヶ崎海岸付近に「伊豆こまえ荘」という保養所があったとされるが[134]、現存しない。

1984年に駒井町で行われた、自家用米の収穫のための稲作を最後にして、狛江で田植えをする農家はいなくなった[135][136]。急速に水田が消えた理由として、人口の増加による水田の転用や、1970年12月に岩戸地域産の米から基準値を超えるカドミウムが検出されたことなどが考えられている[注 18][135][137]

現代

1990年(平成2年)、狛江市制20周年を記念して、多摩川で初めて多摩川いかだレースが開催された[138]。開始当時は1回限りの開催とされ、参加チームも集まらず苦労したというが、開催後に翌年以降も継続することを望む声があがり、現在に至るまで毎年7月に開催され続けている[139]

高架化前日の狛江駅

1995年3月26日、小田急線連続立体交差事業により小田急小田原線が高架化された[118]。市は渋滞問題などから積極的に反対派の説得をし、当時計画されていた区間の中で最も早く都市計画を決定した[140]。この事業により市内13か所の踏切が廃止され、渋滞などの原因となっていた開かずの踏切問題が解消した[141]。小田急線高架化に際しては、市は騒音対策として線路両側に側道を設置することを国に強く要望して実現に至った[140]。この道路が現在の「ふれあい側道」である。また同時に市は狛江駅を急行または準急の停車駅とすることも要望したが、当時は実現しなかった[注 19][141]

同年11月、狛江駅北口再開発の一環として開発されていたエコルマホールが開館した[118]。2年後の1997年には和泉多摩川駅前に交通広場が完成し、6月には喜多見駅から和泉多摩川駅間の複々線化工事が完了した[142]。また、狛江駅北口再開発の一連の再開発事業はそのさらに翌年の1998年に全て完了した。

2000年中に狛江市公式ウェブサイトが開設された[注 20][143]

2008年11月24日に狛江市コミュニティバスこまバスの運行が開始された。当日は狛江駅北口ロータリーで出発式典が催された[144][145]。運行開始当時から車体カラーは空色で、車体側面に小さく「絵手紙発祥の地 - 狛江」とプリントされていた[146]。こまバスは運行開始から7年経った2015年に累計乗車人数100万人を達成した[144][145]

2013年9月から10月にかけて、東京多摩地域をメイン会場として開催された第68回国民体育大会(多摩国体)では、バレーボール(少年男子)の会場となり、狛江市民総合体育館で競技が行われた[118]

令和元年東日本台風通過後翌朝の供養塚公園

2019年(令和元年)10月、令和元年東日本台風による豪雨で市内各地で内水氾濫が発生し、狛江市と調布市の市境付近など一部地域が冠水した[147]。多摩川支流の根川は六郷排水樋管周辺で氾濫し、多摩川住宅でも深刻な浸水被害が発生した[148]

年表

  • 1872年03月03日 - 7か村組合会所が置かれた[注 21]
  • 1872年09月25日 - 公立観聚学舎が設立された。
  • 1878年07月22日 - 北多摩郡が発足した。
  • 1889年04月01日 - 6村が合併し狛江村となる。
  • 1893年04月01日 - 狛江村は神奈川県から東京府に移管された。
  • 1927年04月01日 - 小田急線全線開通。
  • 1945年05月25日 - 空襲を受ける。
  • 1947年04月01日 - 初の中学校である狛江村立狛江中学校が開校。
  • 1952年11月10日 - 町制施行。
  • 1953年12月12日 - 初代多摩水道橋の開通。
  • 1965年07月26日 - 神代団地の入居開始。
  • 1970年10月01日 - 市制施行。
  • 1972年10月26日 - 東京都立狛江高等学校が設置される。
  • 1974年09月02日 - 多摩川水害が発生。
  • 1995年03月26日 - 小田急線が高架化。
  • 2000年02月01日 - 公式ウェブサイトを開設[注 20][143]
  • 2008年11月24日 - こまバスが運行開始。
  • 2009年10月01日 - 平和首長会議に参加[149]
  • 2010年09月01日 - 公式Twitterアカウントを開設[150]
  • 2018年12月26日 - 公式Instagramアカウントを開設[151]
  • 2019年10月12日 - 令和元年東日本台風が通過し、甚大な被害を受けた。

市域の変遷

狛江市は、現在の市域にあった6村が合併して誕生したため複雑な歴史をもつ。多摩川の氾濫による流域変更で宿河原村の一部地域が駒井へ編入されたことがあるが、それ以外での大幅な市域変更は少ない。

年表

年代 狛江 編入
村名 猪方 岩戸 和泉 上野 足立 覚東 駒井 稲田
幕末 武蔵国
彦根藩領 彦根藩領 彦根藩領 岩谷領 松下領 幕府領 中川領 伊賀領 幕府領 幕府領 幕府領 宿河原
1868 彦根藩 武蔵国
1869 品川県
1870
1871 彦根県
長浜県 東京府
1872 神奈川県
1878
1878 神奈川県北多摩郡 神奈川橘樹郡
(猪方村) (岩戸と和泉の上野の連合村) (小足立と覚東の連合村) (駒井村)
1878
1881
1881 (岩戸村) (和泉村)
1884 (小足立村) (覚東村)
1889 神奈川県北多摩郡狛江村
(猪方) (岩戸) (和泉) (小足立) (覚東) (駒井)
1893 東京府北多摩郡狛江村 稲田村
(猪方) (岩戸) (和泉) (小足立) (覚東) (駒井)
1912 (駒井)
1943 東京都北多摩郡狛江村
1952 東京都北多摩郡狛江町
1970 東京都狛江市
現在 猪方 岩戸北 岩戸南 和泉本町 中和泉 西和泉 元和泉 東和泉 西野川 東野川 駒井町

合併議論

2022年現在狛江市に合併計画などはないが、過去に合併議論(合併問題)は存在した。

各地では、1953年の町村合併促進法の公布後より町村合併が盛んに議論されるようになったが、かねてより行政区画を超えて経済の発展や都市計画を共にしてきた狛江町調布町神代町の3町はそれ以前から特別委員会が設けられ、議論が進んでいた。そのまま合併は確実なものと思われていたが、1953年に新たに狛江町長の座についた飯田惠輔は世田谷区への編入を主張、3町合併を推進してきた狛江町議会と対立し、計画は暗礁に乗り上げた[106]。飯田町長は議会に住民投票を提案し、1954年3月1日に臨時議会の招集を告示した。しかし、議会審議前夜になり町役場に訪れ、宿直の職員に臨時議会延期の告示を作らせて退庁、さらに公印を持ち出して行方不明になるという異常事態に発展し、結局住民投票案は立ち消えとなり、合併の参加も一旦見送られることとなった。翌年議会は町長に対する不信任案を可決し、飯田は辞任した[107]

しかし、世田谷区編入を公約に掲げた飯田は再選を果たし、議会も世田谷区編入派が多数を占め、世田谷区編入に向けた動きが加速することとなった[107]。町民に世田谷区と合併する際の利益などが書かれたチラシが配布されたが進展はせず、東京都知事から調布市[注 22]との合併するよう勧告書が出されたほか、東京都北多摩地方事務所から調布市との合併によって得られる利益などについてや世田谷区との合併が不可能であることの説明が書かれたチラシ「狛江町の皆様にお知らせ」が配布された[152]。実際、東京都は区部の拡大を認めておらず、世田谷区編入はほぼ不可能であった[106]

東京都は世田谷区長に対し狛江町の調布市合併に協力するよう要請し、町長へは激化する議会との対立から、飯田へ町政運営の是正を要請した。その後議会の承認を経ない専決処分を乱発する町長に対し、反町長派議員らは東京地方裁判所に町議会の解散無効確認の訴訟および専決処分執行停止の仮処分などを申請し受理された。しかしながらその後も街頭放送などを続け、両陣営は街全体を争いに巻き込んでいった[108]

1958年、町長は辞表を提出し、議会の解散命令と専決処分を撤回した[108]。翌月に行われた町長選挙に飯田は立候補したが、石井三四郎が当選し、町を混乱させた原因は合併問題にあると考え、狛江町独自で町制を継続する道を選択し事態の収拾に努めた[108]。その後も世田谷区編入派は独自に合併の可能性を模索したが、具体的な成果は残せず、1962年に活動を終えた[102]




注釈

  1. ^ 回答総数832人。回答期間は1970年4月15日から同年4月20日の6日間。832人のうち764人が新市名を「狛江市」とするべきだと回答した。
  2. ^ 曲流(きょくりゅう)とは、河川が曲がりくねって流れること[18]
  3. ^ 江戸時代にはすでに30基ほどの古墳の存在が確認されていたとされる。1823年の『武蔵名勝図会』には亀塚古墳とその周辺の古墳3基が「和泉村大塚の図」として記載されているほか、経塚古墳が泉龍寺を描いた挿絵に写っている(挿絵は下記)。
  4. ^ この調査は1951年に墳丘の一部が一部切削されているのを発見した周辺住民の有志が主体となって、古墳を保護するために緊急で行なったものである[40]。しかしながらその後住宅の開発などによって徐々に切削は進行し、現在ではほぼ全てが失われた。唯一現存する墳丘の一部と前方部は古墳公園として整備されている[40]
  5. ^ 発掘当時はこの鏡の存在を根拠に狛江古墳群は高句麗系の古墳群と推定されたが、後の研究でこの鏡は後漢の時代の船載鏡をもとに造られたものであることがわかった[21]。さらに、出土した鏡と同一の型から造られた鏡が大阪府の古墳から2枚見つかったことから[21]、この鏡は中国から畿内の有力豪族にもたらされた鏡が、長い年月をかけ亀塚古墳の埋葬者に渡ったとされる[40]。これらから、埋葬者が畿内王権と強い繋がりを持った人物であったと推定された[21]
  6. ^ 日本考古学会元会長で『狛江の古墳1』の編集者の1人[42]
  7. ^ と、されているが狛江郷は後述する通り8世紀初期に成立したと記述があるので、半世紀ほどのずれがあり埋葬者が狛江郷の長であったかには疑問が残る。
  8. ^ 狛江郷の成立時期については、『倭名類聚抄』という平安時代中期の辞書における、「狛江郷」の項から。しかしながらこの倭名類聚抄よりも先に、『続日本後紀』が成立した。
  9. ^ この村は狛江村構成6村には属さない。これは狛江村が成立する前に和泉村と合併したからである。
  10. ^ 和泉村は現在の和泉本町とその周辺にあたり、市役所所在地であるなど現在でも狛江市の中心となっている。なお、そもそもこの村が6村のうち最も広い面積だったため必然とも言える(そのため和泉地域は住居表示実施時にいくつかに分割された)。
  11. ^ この頃まだ彦根県は存在しないことに注意。
  12. ^ これは長浜県が設置された12日後のことである。
  13. ^ 左の日付を含め、以下より記載する日付は特記なきかぎりすべてグレゴリオ暦によるものである。
  14. ^ なお、村長が辞職した後、北多摩郡より派遣された書記官が業務に当たっていたが、小川清平は4月15日に、石井正義は6月7日にそれぞれの職に復帰している[75]
  15. ^ のちの狛江市立狛江第一小学校。当時は狛江駅前に木造の校舎が建っていた。
  16. ^ 現在の狛江市立狛江第一小学校にあたる。
  17. ^ 動画は2020年10月1日に市制50周年を記念してYouTubeで公開された。
  18. ^ カドミウムは重金属で有毒物質として知られる。日本ではカドミウムに公害としてイタイイタイ病が社会問題となった。詳細は当該記事を参照。
  19. ^ この23年後、2018年春のダイヤ改正により狛江駅は準急停車駅となった。
  20. ^ a b 市は市制50周年を特集した『広報こまえ 10月1日号』6面の年表に「2001年10月に公式ホームページを開設」としているが、Wayback Macineを用いて確認すると少なくとも2001年2月1日には開設していることが確認できる。
  21. ^ 日付はグレゴリオ暦による。時期については同年5月だとするものもある。
  22. ^ 狛江町が選挙などで混乱している中、調布町と神代町は合併し調布市となった。
  23. ^ なお、狛江市の市域は一部多摩川南岸の土地を含み、川崎市の土地は一部多摩川北岸の土地を含む。かつての多摩川の流れの名残である。明治時代には多摩川の氾濫によって狛江村の村域が変更されている。歴史駒井町も参照。
  24. ^ 多摩川サイクリングコースの狛江市区間は長らく舗装されておらず、悪路となっていたが、2021年に全ての区間が舗装された[157]
  25. ^ 六郷領は土地が低く、領域内の多摩川から取水しても水が隅々まで流れなかったため、上流の六郷領との高低差が22メートルある和泉村に取水口が設置された[161]
  26. ^ 交差点・水神前付近で取水された水は、かつては現在六郷さくら通り、いちょう通り、世田谷通りとなっている部分の下を通っていた。いちょう通りの東の緑道部分と世田谷通りの南の緑道部分がかつての用水である[163]。なお、いちょう通りから世田谷通りまでの区間は野川の流路と共有していた[165]。また、これらの道路の交差点名「田中橋」「一の橋」「二ノ橋」は全てこの用水に架かっていた橋に由来する名称である[166]。取水口のすぐ近くに鎮座する水神社(すいじんじゃ)には水速女命が祀られているほか、小泉次大夫も合祀されている。祠は1889年に用水の恩恵を受けた13か村により奉納されたもの[167][168]
  27. ^ 市が枝豆を推している理由は、狛江市の土壌が荒木田土と呼ばれる枝豆作りに適している土であることから、枝豆が市内で多く栽培されていて、市の特産品としての地位を持つことにちなむ。[170]
  28. ^ ただし、越水による洪水被害の場合にのみ適用される情報で、浸透侵食等による被害は以下の基準は適用されず、狛江市により都度情報提供や避難情報の発令がなされる[180]
  29. ^ この場合浸水しないとされている場所にはニトリ狛江ショッピングセンター周辺、狛江第一中学校周辺、狛江市民体育館周辺などがあるが、四方全てが浸水するとされているのでこれらの地域は陸の孤島となる[187]
  30. ^ 最新の値はこの記事の先頭の左側に表示されるインフォボックスを参照。
  31. ^ この値は住民基本台帳を参考にした値であり、推計人口ではないことに注意。
  32. ^ 居住者
  33. ^ 市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計
  34. ^ 猪駒通り沿いにあった商店街。2022年現在でもまだ商店がまばらに存在するが、シャッターも目立ち、ほぼ壊滅状態にある。
  35. ^ 現在も狛江駅に不自然に空く2つの穴の東側は、道路を通すために作られたものである。
  36. ^ いずれの町域以外のもの
  37. ^ 和泉小学校に高等科が併置されたため1897年改名。
  38. ^ 1941年4月の国民学校令により改名。なお、関東大震災により校舎が焼失したのは1923年9月1日で、当時狛江尋常高等小学校。戦争による焼夷弾で校舎が全焼したのは改名から4年経った1945年5月25日の空襲の日。
  39. ^ 狛江小学校へは1947年4月改名。
  40. ^ 以降、初出でない学校名は全て狛江村立(町立・市立)の部分を省略して表記する。
  41. ^ KoKoA(ここあ、KoまえのKoどもみんなAつまれ)
  42. ^ 尋常高等学校は現在の中学1年生から2年生にあたる児童を教育していた学校。
  43. ^ 旧制の中学校。現在の高等学校にあたる。
  44. ^ 特に戦後に移住してきた新住民。逆に昔からの住民は、新線開通に伴う地域の発展や地価上昇に期待してそれほど反対活動を行わなかった[328]
  45. ^ 公式ウェブサイトを参考にした。来店した時期について、1998年や1990年、1979年6月の東京サミットの際などいろいろな記述がある。
  46. ^ おやじーずとは狛江市立学校に存在する父母の会のようなもの。
  47. ^ 書き下し文: 起ちて高楼に向かい、暁鐘を撞く
  48. ^ なお、土地を売却した時期について、1993年とする資料と1994年とする記事の2つがあり、よくわかっていない。

出典

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