牧村三枝子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 05:02 UTC 版)
テレビドラマ出演
エピソード
- ポリドールへの移籍が決まった際に、所属していたRCAレコード側から「移籍のときに挨拶に来たのはミーコ(牧村の愛称)が初めて」として喜ばれ、牧村のために祝杯が上げられたと、サンミュージック創業者であった相澤秀禎が後に話している[7]。
- 実父の死をきっかけに、アルコール依存症やストレスからくる重度の肝硬変などに倒れた際には、一時体重が35kgまで激減、肺に水が3リットル溜まる深刻な状況にあった。緊急入院して間もなく担当医から「余命5年」と宣告された際、「あと5年しか生きられないというよりも、こんな状態で5年も生き続けなければならないのか」と絶望に襲われたことを牧村本人が番組[8]などで語っていた。
- 闘病中の牧村に対して、大親友の小林幸子の呼び掛けで北島三郎・山本譲二・細川たかしら演歌歌手仲間による激励メッセージを収録したカセットテープが届けられたことを機に、「病気の克服と歌手としての復帰に対する意欲を取り戻した」と述懐している。病気闘病中は当初極秘だったがスクープ報道されて直ぐにバレてしまったと牧村も後年に語っている。水前寺清子も牧村のデビュー当時から長年にわたって可愛がっており姉妹のようにとても仲が良い。
- 未だ独身を貫いていることに関しては、インタビューで牧村自ら「私が結婚したい男性は、同じレコード会社の先輩でお世話になり『みちづれ』を私に下さった渡さんか、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ。私が21歳の頃にそのお二人と出逢ってからは、他の男性に一切目が行かなくなった」とコメントしていた[9]。
参考文献
- 「オリコン年鑑」1980年版(発行:オリジナル・コンフィデンス、1980年6月)
- 各年度「レコードマンスリー」(発行:日本レコード振興(株))
出典
- ^ 爆報! THE フライデー、2013年6月14日放送「牧村三枝子 極貧生活&酒に依存&肝硬変で余命5年」
- ^ サンミュージック公式プロフィール
- ^ 1975年11月25日に発売(ポリドール DR1999)、オリコン最高55位(オリコン年鑑1980年版に基づく)にランキングされたシングル曲
- ^ 「この日が来るとは…」牧村三枝子が復帰(ZAKZAK)
- ^ “<牧村三枝子>乳がん全摘出を初告白 「誰にも話さないつもりだった」 静岡への移住も明かす 「徹子の部屋」出演(毎日キレイ) - Yahoo!ニュース”. 毎日キレイ (2023年5月15日). 2023年5月15日閲覧。
- ^ “牧村三枝子 「知ってたのは4人だけ」乳がんで両胸全摘出を初告白「凄いショックで泣きました」― スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポーツニッポン新聞社 (2023年5月15日). 2023年8月28日閲覧。
- ^ 相澤秀禎『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091
- ^ テレビ朝日2015年1月8日放送「死の淵から奇跡の生還 壮絶!芸能人闘病記」
- ^ 父の日!初激白SPスタジオトーク
注釈
「牧村三枝子」の続きの解説一覧
- 1 牧村三枝子とは
- 2 牧村三枝子の概要
- 3 ディスコグラフィ
- 4 テレビドラマ出演
- 5 脚注
固有名詞の分類
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