片男波部屋 師匠

片男波部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 18:15 UTC 版)

師匠

  • 12代:片男波太三郎(かたおなみ だいざぶろう、関脇玉乃海大分
  • 13代:片男波大造(かたおなみ だいぞう、関脇・玉ノ富士栃木
  • 14代:片男波良二(かたおなみ りょうじ、関脇・玉春日愛媛

年寄

力士

現役の関取経験力士

横綱・大関

横綱
  • 玉の海正洋 現役中に死去(51代・愛知)12代弟子※二所ノ関部屋から移籍

幕内

関脇
小結
前頭

十両

旧・片男波部屋

歴史上初めて確認できる片男波部屋は1846年(弘化3年)に引退した雷部屋の十両4・温海嶽幸助が興したものである。この片男波部屋は1代で消滅した後、1880年代に玉垣部屋に所属する中ノ関が二枚鑑札で6代片男波を襲名して片男波部屋を再興したが、7代片男波(元三段目・高緑)の代に入ってから片男波部屋は再び閉鎖された。

1939年(昭和14年)に8代片男波(元幕内・開月)が花籠部屋から分家独立する形で片男波部屋を再興したものの、1942年に片男波部屋は再び花籠部屋に吸収された。片男波部屋が閉鎖された後に幕内に昇進した力士に藤田山がいた。6代・7代片男波による片男波部屋と8代片男波による片男波部屋には系統的つながりはない。


注釈

  1. ^ その中に元巨人軍投手西本聖の兄(四股名「玉松山」)がいた。
  2. ^ 当初は、8代二所ノ関はこの4人については片男波部屋への移籍まで2年間待つように主張していた。8代二所ノ関は1964年に実施される日本相撲協会理事長選挙への出馬を目指しており、当時は現役の関取が理事長選挙の投票権を持っていたため、2年後の理事長選挙に備えて関取2人に加えてそれまでに関取になっているだろう幕下力士2人の計4票を確保しておきたかったと言われている。

出典

  1. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p10-11
  2. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.63
  3. ^ 不適切指導の中川親方は2階級降格、部屋閉鎖も発表」『日刊スポーツ』、2020年7月13日。2020年7月13日閲覧。


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