片桐且元
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片桐 且元(かたぎり かつもと)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。
注釈
- ^ 方広寺という寺号は、江戸時代中期以降に自然発生的にそのように称されるようになり定着したもので、江戸時代初期にその寺号はないことから、「方広寺鐘銘事件」は「京都大仏鐘銘事件」と表記されることもある[1]。
- ^ 天正18年(1590年)の小田原征伐では「直倫」の名が使用されている。
- ^ 小田原征伐の陣立書から、この時点での本来の兵役義務で負う動員数を逆算すると、福島正則が5700、石田三成が3000、且元が600の手勢となる[7]。
- ^ 浅利事件の際には、浅利頼平を擁護する前田利家、浅野長政、佐々正孝らの側ではなく、秋田実季を擁護する、長束正家、木村重茲ら奉行側の立場に且元は立って、手を引かせた[8]。
- ^ 近衛信尹に出された、栗東寺の移転が免れたことへの御礼の書状[11]。
- ^ 3月27日の後陽成天皇の譲位、4月12日の後水尾天皇の即位の儀式に立ち会うため。
- ^ 前日に出立し、会見当日に入洛した秀頼は、且元の京都三条屋敷で衣装を整え、隊列を組み直して二条城へ向かい、朝8時頃に到着した。
- ^ 青銅1万7千貫(63.75トン)に対し、鋳物師およそ100人とその棟梁14人、外鋳師およそ3,000人。
- ^ 呪願(祈願者)は三宝院門跡の義演、證誠(証人)は照高院門跡の道澄、天台宗僧500人の引頭は竹内門跡の良尚法親王、真言宗500人の引頭は、随心院門跡の増孝。
- ^ 京都大工頭の従四位下・中井正清により、記名されていないことに対する不服申し立てが、奈良興福寺などの写しを添えて行われた。
- ^ 東福寺の聖澄が「家」「康」の間に文字を入れたこと、建仁寺の慈稽、南禅寺の景洪、天竜寺の令彰4人が、大御所の諱を用いたことを不敬とした。また聖澄と慈稽は、前文の「外施仁政」は、後水尾天皇の諱の「政仁」に障りがあるとした。東福寺の守藤は、天皇の諱は避けるべきだが、前将軍(大御所)の諱を避けるべきかどうかは判らないとした。
- ^ 五山の僧侶たちは、清韓が故意に不祥な語句を作ったと回答したが、五山外の妙心寺の海山のみ、「清韓の文章は世に知られ、至らない者に判決は難しい。凶詞書く人物でもなく、天下泰平を祝し、功徳を著したものに違いない」などと擁護した[34]。
- ^ 右大臣の唐名を用いた「右僕射源朝臣家康」は「源氏の長者である家康を射る」、「君臣豊楽 子孫殷昌」は「豊臣を君として子孫までの繁栄を祈る下心」とした[33]。
- ^ 大野治長は大坂へ報告に戻る。
- ^ 8月下旬に大坂より、大野治長兄弟の母で淀殿の乳母の大蔵卿局が派遣された。正栄尼が随行していた[28]。
- ^ 辻善之助は『片桐且元論』で、こちらの説を採っている。
- ^ 京都の勝重に対面した且元より1日早く帰坂していた大蔵卿局が、家康の不興を重大視していなかったため、その見解の相違から疑惑が生じた[38]。
- ^ 信雄は27日に城を退去。
- ^ 淀殿よりの呼び出しを名目に且元に登城が求められたが、月代を剃り風邪を引いたとしてこれを拒否した[37]。
- ^ 且元は乗り物に乗り、抜き身の刀・弓・火縄のかかった銃を持った侍50名ほどに周りを固められていたという[52]。
- ^ 徳川方の出兵を知らされた後は、徳川軍の使用のために茨木城を明け渡すべきかなどの問い合わせを行っている[28]。
- ^ 18日の秀吉の月命日に秀頼が城内の豊国社に参拝することを予想して砲撃し、淀殿の侍女2人を即死させたとしている[59]。
- ^ 武蔵国多摩川沿岸の六郷で秀忠に謁見。
- ^ 竜田陣屋。在・奈良県生駒郡斑鳩町龍田南。
- ^ これにより法隆寺が放火されたとの噂が各地に流れている[61]。
- ^ 前田利常隊と松平忠直隊の間に布陣。豊臣方が崩れた後は城内に突入している[35]。
- ^ 申告は3千石で実高は5万石だった[64]。
出典
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