火葬場 日本国外の火葬場

火葬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/19 14:45 UTC 版)

日本国外の火葬場

インド

ワーラーナシー

ヒンドゥー教徒が80%を占めるインドではヒンドゥー教の習慣に基づき、火葬が好まれる。火葬場は、河原などの野外に設けられており、薪を積み上げてその上に遺体を置いて点火する、いわゆる「野焼き」が主である。ヒンドゥー教では人々は生まれ変わるつど、苦しみに耐えねばならないとされるが、ワーラーナシー(日本語読みではバラナシ、ベナレスとも)のガンガー近くで死んだ者は、この苦しみの輪廻から解脱できると考えられている。ワーラーナシーは別名「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはない。インド各地から多い日は100体近い遺体があでやかな布にくるまれ運び込まれる。あるいは、死期が近づくとこの地に集まりひたすらを待つ人々もいる。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)で家族に見守られながらひたすらを待つ。ムクティ・バワンでは四六時中絶えることなくヒンズー教の神の名が唱えられる。亡くなる者が最後の瞬間に神の名が聞こえるようにとの配慮である。南北6キロガンジスの岸辺のほぼ中央に位置し、数千年の歴史を持つマニカルニカー(「宝石の耳飾り」の意)・ガートは、沐浴場以外に火葬場としての機能も併せ持ち、死者はここでガンガーに浸されたのちにガートで荼毘に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い者、乳児妊婦に噛まれて死んだ人は火葬されずにそのまま水葬される。町にはハリシュチャンドラ・ガートと呼ばれる、もう1つの火葬場があり、2つの火葬場はドームという同じ一族が取り仕切っており、働く人々も共通で、交代勤務で約650人が働いている。火葬場を見下ろす一角には、2つの火葬場を取り仕切ってきたドーム一族の長の座る場所があり、そこには聖なる火と呼ばれる種火が焚かれ、人々はこの火より火葬にする火種をもらう。火葬場の写真撮影は厳格に禁止されており、万が一見つかった場合は親族に殺されかかる場合や金品を要求されるトラブルもある。火葬場を中心に町には巡礼路が設けられ、インドの多くヒンドゥー教は一生に一度この巡礼路を歩くことを夢みている[41]

かつて、イギリスとインドの価値観(主にヒンドゥー教とキリスト教の死に対するもの)の違いや生理的嫌悪感から、イギリス人による火葬場の郊外への移転が企てられた。ワーラーナシーの人々は強い異議を唱えた。火葬論争は30年にわたって続いた。この際の記録が市公文書館に残されている。「ワーラーナシー市制報告書(1925年)」がそれであるが、ここにはこう記されている。「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」。イギリスが認めざるを得なかった、ワーラーナシーの死の伝統である[42][43]

近年に至り、燃料としての木材伐採が環境破壊につながるとして深刻な問題となっており、また薪が高騰していることもあって、日本の技術を使った「近代的な」火葬炉も設置されている。しかしながら、上記の事情から古来からの伝統的野焼きにこだわる人がまだまだ多く、野焼きが続けられている。

ネパール

パシュパティナート火葬場

ネパールは、インド同様のヒンドゥー教主流の国であり、首都カトマンズにはパシュパティナート(Pashupatinath)というインド亜大陸の4大シヴァ寺院のひとつに数えられるネパール最大のヒンドゥー寺院があり、その裏側にはガンジス川の支流でもあるパグマティ川が流れており、河原のガートでは一日中火葬の煙が絶えることはない。カトマンズの朝霧は、火葬場のといわれるほどである。

上流階級の者ほど上流側のガートで焼かれる。輪廻転生を信じるヒンドゥー教徒はは作らない。焼かれた灰は箒とバケツの水でパグマティ川に無造作に流される。また、火葬の際には、親族の男性は火葬の傍らで髪を剃る習慣がある。

河原では、火葬台の脇で人々が沐浴をしたり、少年が遺体から流された供物を盗もうとして咎められたりする光景が始終見られる。寺院自体はヒンドゥー教徒以外は立ち入れないが、火葬場は有料ながら誰でも見学できる。

フィリピン

キリスト教国のフィリピンは土葬が基本であるが、近年では墓地不足などにより平均年収が約23万ペソの同国において葬儀費用が10万ペソと高額で墓地の維持費用もかかることから、5分の1程度で済む火葬を選択する者や、土葬していた遺体を火葬にする増えており、日本の業者も進出している[44]

欧米

欧米では、火葬場に遺体を預け、後日遺骨を受け取るという流れが多い。また、骨上げという習慣がなく、火葬後の骨は顆粒状に粉砕してさまざまな形をした遺骨入れに収めて引き渡すため、日本と比べると比較的高温で焼くことが多い。骨壷の形も、顆粒状の骨を入れられればいいため形にはあまり制約がなく、故人の趣味などに合わせた多様なものが準備されている。近年[いつ?]は日本にも、欧米流の遺骨を顆粒状に粉砕する装置を備えた火葬場も登場してきている。

韓国

大韓民国では、土葬が主流だったが、2000年代から火葬が増加してきており、2004~2005年にかけて火葬件数が土葬件数を上回るようになった[45]儒教国である韓国では伝統的に火葬は先祖に対する不孝であり禁忌とされ、キリスト教の影響も大きいことから土葬が続いていたが、特にソウル都市圏においての墓地逼迫は社会問題化し、ソウルは元より他の大都市圏においても火葬は一般化しつつある。しかし、2007年段階で火葬場は韓国全土で47ヶ所・220炉程度に過ぎず、火葬場不足が深刻となっている。また、過去に土葬された遺体を改めて火葬するという事例も増えているが、改葬遺骨の火葬についてドラム缶などを使った違法な火葬が跋扈し社会問題となっている。

2012年竣工のソウル市火葬場は、竣工まで近隣住民の反対のため14年を要したが、巨大な美術館のような外観で最新のデザインを取り入れ、実際にミュージアムを併設している。住民の納得を得るためもあって、徹底的に環境問題に配慮し、火葬炉も最新鋭技術によりコンピューター制御され、焼いた骨はロボットが運ぶなど世界でも最新の設備を誇る施設となっている[46]

アイヌ

アイヌは伝統的に土葬であったが、仏教の影響や日本政府の指導により火葬されるようになった。


注釈

  1. ^ 厚生労働省 平成27年度衛生行政報告例[1]、 第4章 生活衛生 「6 埋葬及び火葬の死体・死胎数並びに改葬数」による。これによると、平成27年度の死体取扱数は1,323,473体で、うち火葬は1,323,288体となっている。この割合はこの火葬数/死体取扱数を求めたものである。
  2. ^ 特に新潟県広島県に多く現存している。厚生労働者衛生行政報告例統計、両県の衛生統計資料より
  3. ^ 「オンボウ」については地域や時代によってその実状は大きく異なっており、固定された職業身分呼称である他に、僧侶の身分を有さず寺院雑務を行う者を指していたり、寺院に定住せず葬祭実務全般を請負う事を業とした者を指していた地域もある。中世大阪では寺社奉行支配の一端に属し、火葬埋葬の役に従事しながら変死者や異常屍体を検査して届け出る役目を負っていた例もある。また記述に関しては文献により「煙亡」「煙坊」「隠亡」「隠坊」「御坊」などと一定しておらず、時代変化も大きい。その他に火葬業務従事者を指す呼称としては「聖」(ヒジリ)や「三昧聖」(サンマイヒジリ)を多用していた地域もある。「オンボウ」も「ヒジリ」も身分差別や職業差別の意図を持って称呼された歴史が長く、現代では宗教学、民俗学、歴史学において必要な場合以外の実生活では用いるべきではない。
  4. ^ 梅田、南濱、葭原、蒲生、小橋、千日、鳶田
  5. ^ 栃木県や、栃木から水運の便が良かった埼玉、東京では大谷石を用いた火葬炉や焼却炉、竈が多く見られた。
  6. ^ 明治9年(1876年)、東京府・小塚原火葬場全面改築操業再開。明治11年(1878年)、京都府・東西両本願寺花山火葬場新規開業(各本願寺とも松薪炉14基、計28基)
  7. ^ 大阪・奈良・三重・岐阜・石川・福井・広島・岡山など
  8. ^ 凡そ石川県、岐阜県、三重県より西の地域では、火葬場を有しない土葬用墓地または集落共有墓地を「三眛」と称呼している地域が多数あり、火葬場や墓地に付属する火葬炉と言うよりは、葬送儀礼上の遺体の終着点という意味合いで「三眛」と称呼している地域も多いので「三眛」が火葬場のみを指す呼称でないことに注意が必要
  9. ^ 火葬禁止布告は、警保寮(当時、保健・衛生・墓地埋葬に関する許認可事務・取締は警視庁の前身である警保寮が担当していた)が「東京の深川と千住(小塚原)の火葬場が排出する煤煙と悪臭が付近の市街に蔓延して堪え難き状態かつ健康を害しているので、人家近くの火葬を禁止して、人家に悪臭や煤煙が届かない場所へ火葬場を移転できないか検討して欲しい」と、司法省に伺いを出したことに端を発する。警保寮には宗教的意図は無く、純粋に公衆衛生問題からの伺いであった。伺いを受けた司法省は太政官に上申し、太政官は神道派が主張する「火葬は仏教葬法であり廃止すべき」との主張を採って「火葬禁止を布告したい」と教部省へ諮問したところ、教部省は土葬用墓地の不足を心配して東京府・京都府・大阪府に調査を下命し、東京府・京都府から「土葬用墓地枯渇の虞は低い」、大阪府からは「土葬可能な墓地用地は逼迫しているが火葬が禁止されても40~50日は差し支え無い。引続き調査する」との回答を得られたことから、急ぎ火葬禁止を布告するに至ったものである。
  10. ^ 火葬開始(点火)時刻は20時以降、火葬終了(消火)時限は翌朝5時または8時までとした自治体が多い
  11. ^ 東京府火葬場取締規則(明治20年警察令第5号)は全18条から成る詳細かつ厳しいもので、その条文の一部は「墓地、埋葬等に関する法律」昭和23年法律第48号に引き継がれて、現在も全国に適用されている
  12. ^ 産褥物胞衣とは、胎盤、臍帯、卵膜、悪露およびそれらが付着した衣類など。産汚物とは産婦の排泄物およびそれらが付着した衣類・紙類など。
  13. ^ 火葬場取締規則改正では第一条にて東京の火葬場定数を5から8箇所と増やしており、明治20年7月、新たに許可された日暮里に火葬場を新設開業するために東京博善会社が設立されて、東京博善会社日暮里火葬場として操業開始した。しかし、開業すると同時に近隣住民から激しい苦情を受けるようになり、明治21年(1887年)12月14日・東京市区改正設計(都市計画)委員会決定でも日暮里は否定された事から、明治22年(1889年)に移転命令を受けた。その後、しばらく移転計画は難航して15年後の明治37年(1904年)8月に町屋火葬場の隣地に移転し、町屋で先行操業していた町屋火葬場会社と並んでしばらく操業した後、両社は合併して東京博善町屋斎場となった
  14. ^ 大阪市は明治40年(1907年)に民営の天王寺、長柄、岩崎、浦江の各火葬場を買収、市営化した。
  15. ^ 名古屋市は大正4年(1915年)6月1日に市営八事火葬場を操業開始した
  16. ^ 京都市は昭和6年(1931年)3月に東西両本願寺が経営する花山火葬場を買収して全面改築、昭和7(1932)11月、最新重油炉18基を備える市営花山火葬場を操業開始した
  17. ^ 明治期の簡易木薪炉では6~10時間程度、設計の優れた木薪炉でも4時間程度。初期の重油炉では2時間程度であった。
  18. ^ 昭和初期から中期に建設された重油を燃料とする火葬場では、高さ18~30メートル程度の煙突が多い。昭和47年(1972年)改築の群馬県前橋市営斎場では高さ50メートルの煙突を備えていた。

出典

  1. ^ 平成27年度衛生行政報告例の概況”. 厚生労働省 (2016年11月17日). 2017年5月17日閲覧。
  2. ^ 玉腰芳夫『古代日本のすまい』ナカニシャ出版、昭和55年)178頁
  3. ^ 東京大学史料編纂所編『大日本古記録』小右記、藤原実資著
  4. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)44-45頁、48-50頁
  5. ^ 水藤真『中世の葬送・墓制』(吉川弘文館、平成3年)31頁~
  6. ^ 『続江戸砂子』享保20年(1735年)
  7. ^ 葬送文化研究会『葬送文化論』(古今書院、1993年3月)121-124頁
  8. ^ 八木澤壯一『火葬場及び関連施設に関する建築計画的研究』(昭和57年)38-40頁
  9. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)55-58頁
  10. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)85-86頁
  11. ^ 京都市歴史資料館『史料京都の歴史』第一三巻「南区」
  12. ^ 碓井小三郎『京都坊目誌』大正5年
  13. ^ 宮本又次『大阪の風俗 毎日放送文化双書8』(毎日放送 昭和48年)335頁
  14. ^ 浅香勝輔=八木澤壮一『火葬場』(大明堂、昭和58年)46頁
  15. ^ 谷川章雄『近世火葬墓の考古学的研究』平成17年(2005年)3月、早稲田大学・研究成果報告書7-9頁
  16. ^ 「火葬ノ儀自今禁止候条此旨布告候事」太政官布告第253号 明治6年(1873年)7月18日
  17. ^ 「火葬禁止ノ布告ハ自今廃シ候条此旨布告候事」太政官布告89号 明治8年(1875年)5月23日
  18. ^ 「墓地及び埋葬取締規則」太政官布達第25号 明治17年10月4日
  19. ^ 「墓地及び埋葬取締規則施行方法細目標準」内務省達乙第40号 明治17年(1884年)11月18日
  20. ^ 伝染病予防取締規則・明治21年(1890年)7月
  21. ^ 伝染病予防法(明治30年法律第36号)、廃止・平成11年(1999年)4月1日
  22. ^ 東京府火葬場取締規則・警察令第5号・警視廳警視総監 明治20年(1887年)4月11日(官報第1131号)
  23. ^ 東京都編『東京市史稿』市街篇第五七(東京都、1965年)
  24. ^ 荒川区編『荒川区史』上(荒川区、1989年)
  25. ^ 『読売新聞』電気式火葬場操業開始の記事・大正8年(1919年)4月28日
  26. ^ 『時事新報』無煙無臭重油火葬炉実験成功に関する記事・大正12年(1923年)6月25日
  27. ^ 大正14年(1925年)3月、日新起業株式会社堀之内葬祭場昼間火葬開業。昭和2年(1927年)、東京博善株式会社町屋斎場日中火葬許可
  28. ^ a b 表現文化社「火葬と埋葬―東日本大震災の仮埋葬」
  29. ^ a b c d 「週刊ポスト」(小学館)連載 みうらじゅん「死に方上手」第35回 火葬炉工場へ行ってきた(富士建設工業)
  30. ^ 最近見かけなくなった「宮型霊柩車」どこへ行った?東京スポーツ2014年12月13日9時0分配信
  31. ^ 読売新聞2009年1月19日報道
  32. ^ 【なぜ?】火葬場で棺開け副葬品を勝手にゴミ袋に 葬祭業者怒り「やり直し利かない」市長は謝罪 FNNプライムオンライン 2022年10月5日
  33. ^ 二殯綠建築 燒大體發電大紀元2009年10月6日21時44分11秒
  34. ^ エコ?不謹慎?火葬場の熱を温水プールに再利用AFP通信2011年2月10日12時36分配信
  35. ^ 火葬場の熱を温水プールに再利用する計画、英地元当局が承認ロイター通信2011年2月9日16時31分
  36. ^ ひつぎの数に衝撃 遺体搬送を手伝った宮川さん苫小牧民報2011年3月30日
  37. ^ 火葬場における災害対策と広域火葬について公益財団法人東京市町村自治調査会
  38. ^ 宮城県が遺体の土葬容認…燃料不足で火葬場稼働せずスポーツニッポン2011年3月17日23時18分配信
  39. ^ 知られざる死の記録NHK2014年3月2日放送
  40. ^ (仮称)木更津市火葬場整備運営事業基本計画” (PDF). 千葉県木更津市 (2018年3月). 2020年7月1日閲覧。
  41. ^ 『地球の歩き方 ガイドブック』 D28 インド2013年~2014年版
  42. ^ アジア古都物語 NHKスペシャル
  43. ^ ベナレス市制報告書(1925年)
  44. ^ 【アジア・ユニークビジネス列伝】「火葬ビジネス拡大」「海外展示会を再現」 日本・サービス”. NNA.ASIA. 2022年2月16日閲覧。
  45. ^ 朝鮮日報記事
  46. ^ 一条真也 HEARTFUL BLOG 2012年4月25日 [1]
  47. ^ 富士建設工業株式会社公式サイト
  48. ^ 宮本工業所公式サイト
  49. ^ 太陽築炉工業公式サイト
  50. ^ 高砂炉材工業公式サイト
  51. ^ 株式会社開邦工業公式サイト


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