澤登正朗 選手時代の特徴

澤登正朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 14:40 UTC 版)

選手時代の特徴

精度の高いキックを武器とするゲームメーカー、パサー。足元の技術(蹴る、止める)が高く、得点力と判断力を備え、フリーキックの名手でもあった。 ポジションは主にオフェンシブハーフ(インサイドハーフ、トップ下) 日本代表では、サイドハーフボランチとして出場したことがある。

プレースキック[31] を得意とし、FKCKのキッカーを務めることが多かった。プレースタイルは、精度の高いキックから攻撃を組み立てる司令塔であったが、2列目からの飛び出しでゴールに直結するプレーや、自ら得点を決めることも多かった。高いテクニックを持ち、中盤では安定感のあるプレーを見せたが、自他共に認める負けず嫌いであり、ときには闘志溢れるプレーでゴールを狙い、会場を沸かせ、チームを救った。キャプテンシーとリーダーシップを兼ね備え、チームメイトからの信頼も厚く、五輪代表や、清水ではキャプテンとしてチームを牽引した。

利き足は右であるが、状況に応じて逆足で、セットプレーを蹴ることがあった。

MF登録選手ながら公式戦通算115(リーグ戦85)得点を挙げた。得点パターンは、得意とする直接フリーキックのほか、小柄ながらヘディングシュートもうまく、他選手が放ったフリーキックに合わせるシーンも見られた。更に冷静なグラウンダーシュートや、意表を突くループシュートやミドルシュートなど、多岐にわたる。シュートスピードや飛距離はそれほどではないものの、左右両足、頭からコースやタイミングを図る正確なシュートと、前線への果敢な飛び出しで得点を重ねた。また、リーグ開幕戦に得点を決めることが多く、J1開幕戦ゴールランキング歴代3位[32](MFとしては歴代1位) の記録を持っている。

高い得点力もさることながら、正確かつ多彩なパスやクロスで、多くのアシストをマークした。

清水エスパルス選手時代のキャッチフレーズは「変幻自在のスーパープレー


  1. ^ a b “澤登 正朗”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_sa/masaaki_sawanobori.html 
  2. ^ 契約第1号選手はヤマハから移籍加入した大榎克己。契約第2号選手は日産から移籍加入した長谷川健太
  3. ^ 1996年シーズンから2000年シーズンまで清水エスパルスの三代目キャプテンを務めた。
  4. ^ クラブ沿革2005年”. “ミスターエスパルス”として親しまれた背番号10のプレーヤー人生は、2005年シーズンをもって幕が下ろされた。. 2017年1月13日閲覧。
  5. ^ リーグ戦85得点(同一クラブのみでリーグ戦[J1]13シーズン連続得点。)日本プロサッカーリーグ及び、日本サッカー協会主催試合(公式戦)111得点。アジアサッカー連盟主催試合(公式戦)4得点。(Jリーグ開幕前年の1992年から公式戦14年連続得点)
  6. ^ 2001年シーズンも13得点を挙げ、通算6季の公式戦2桁得点を記録した。
  7. ^ 1994 FIFAワールドカップ・アジア最終予選メンバーの中で唯一の1970年代生まれ。
  8. ^ 『国立ファイナル全国高校サッカー選手権大会 1976年度以降、国立競技場で行なわれた全38の「高校選手権・決勝」を振り返る!』42頁
  9. ^ 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』 51頁
  10. ^ 初出場、無失点優勝は全国高校サッカー選手権において未だ破られていない記録である。
  11. ^ a b c 『国立ファイナル全国高校サッカー選手権大会 1976年度以降、国立競技場で行なわれた全38の「高校選手権・決勝」を振り返る!』43頁
  12. ^ 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』 52頁
  13. ^ 入学する前年前々年(共に準優勝)を合わせると6年連続出場。入学した1988年第37回大会で東海大学が初優勝を飾った。
  14. ^ チーム発足時は1969年1月1日生まれ以降の選手が招集されたが、五輪出場の年齢制限が同年8月1日生まれ以降に変更となると、 同級生であった礒貝洋光森山泰行菊原志郎等がメンバー外となった。
  15. ^ 最終予選では、1次予選で4試合先発出場した藤田俊哉と、1得点をマークした仲村浩二が中盤のメンバーから外れ、新たに永井秀樹名波浩がチームに加った。
  16. ^ 1996年のJリーグカップ決勝では共にアシストを記録し、初優勝に貢献した。
  17. ^ 最終予選では2歳年下(3学年下)の山田隆裕が参加を辞退したため、日本代表(ドーハ組)の最年少選手となった。
  18. ^ “スポーツ報知”. ラモスと武田“ドーハの悲劇”敗戦の原因めぐりバトル. https://www.hochi.co.jp/entertainmen/20180507-OHT1T50207.html 2018年5月8日閲覧。 
  19. ^ 試合詳細レポート・キリンカップサッカー94”. 2017年1月13日閲覧。
  20. ^ 1994年7月に行われたアシックスカップ(2試合)は右ひざ挫傷のため不参加となった。この大会は澤登が不在のため日本代表に背番号10番の選手は居らず、大会終了後のアジア大会のメンバー選考では、怪我の澤登に代わって、6番の岩本輝雄が新たに10番に登録された。澤登は代表に復帰後再びスタメンに名を連ね、岩本が控えに回る試合もあったが、背番号は10番ではなくアジア大会で登録された16番を付けてプレーした。
  21. ^ カタール戦(第2戦)は足痛により欠場した。
  22. ^ 加茂周監督就任後の初合宿では、アジア大会の代表メンバーからは岩本輝雄らと共に招集外となった。
  23. ^ 代表から離れている期間もリーグ戦では活躍し、1995年1997年のJリーグ得点率(MF)は100試合33得点の得点率「0.330」と日本人選手で1位であった。
  24. ^ 1996年から2000年にかけて清水のキャプテンとしてチームを引っ張り、気迫あるプレーでチームを鼓舞。経営破綻によるクラブ消滅危機を乗り越え、チーム最多得点や、タイトル獲得に貢献する等の成績を残し、「ミスター・エスパルス」と称された。
  25. ^ “SANSPO.COM(サンスポ)”. 収穫だった本田1トップ (3/3ページ)私も清水監督時代にMF沢登をトップで起用し、起爆剤になったことがある。. https://www.sanspo.com/soccer/news/20161013/jpn16101308000001-n3.html 2016年10月13日閲覧。 
  26. ^ 最終節のサンフレッチェ広島戦では、ルーキーの岡崎慎司がベンチ入りし、リーグ戦初出場を果たした。
  27. ^ 天皇杯を含めシーズン終了まで練習には参加していた。
  28. ^ J創設からの13年連続ゴールを記録したプレーヤーとしては、他に三浦知良がいるが、三浦は途中で移籍を挟んでおり、また国外移籍によってJリーグに不在の時期がある。また、中山雅史は15年連続ゴールを達成しているが、中山が所属したジュビロ磐田1994年からのJリーグ加盟であり、創設からの連続ゴールではない。移籍を挟み、かつ1994年からの13年連続ゴールとして、他に藤田俊哉がいる。
  29. ^ J創設時から一度も移籍することなく10年以上同じチームでプレイしたのは、澤登以外には鹿島アントラーズ本田泰人浦和レッズ福田正博東京ヴェルディ1969北澤豪横浜F・マリノス永山邦夫がいた。
  30. ^ “澤登正朗氏 サッカー部新監督就任会見が行われました” (プレスリリース), 常葉大学, (2013年1月30日), http://www.tokoha-u.ac.jp/news/130130/index.html 2014年10月18日閲覧。 
  31. ^ J1リーグ戦のプレースキックの得点は20得点(直接CK PK含む)。リーグ戦以外にもカップ戦やチャンピオンシップ等での得点があった。また、Jリーグの公式記録としては残っていないがFKCKから数多くのアシストをマークした。
  32. ^ J1開幕戦ゴールランキング”. 2017年1月13日閲覧。
  33. ^ 「私が選ぶベストイレブン」2013年5月9日付信濃毎日新聞(スポーツ)※記事の漢字表記は「沢登」
  34. ^ “J’s GOALアーカイブ”. 【澤登正朗 引退試合】試合後の出場選手コメント. http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00043509 2017年2月18日閲覧。 
  35. ^ 引退後に出演したTBS、『スーパーサッカープラス』内での発言[出典無効]
  36. ^ J. League Data Site”. 92Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝. 2017年1月13日閲覧。
  37. ^ 【J1データ 背番でGO<10>】沢登380試合 藤田と静岡ワンツー”. スポニチアネックス (2020年6月21日). 2020年6月22日閲覧。
  38. ^ a b c “ライブドアニュース”. 1993~2004年日本最強キッカー史、Jリーグ選定「伝説FKトップ10」. http://news.livedoor.com/article/detail/15213643/ 2018年8月26日閲覧。 
  39. ^ この試合は、Jクロニクルベスト -ベストマッチ第3位に選ばれたほか、「ヒストリー・オブ・エスパルス 1992-2002(オフィシャルDVD)」のサポーターが選んだ 清水エスパルスベストマッチ第1位に選ばれた。
  40. ^ “SPORTS COMMUNICATIONS”. 第1回「FKは空気穴を蹴る」中村俊輔(横浜F・マリノス). https://www.ninomiyasports.com/archives/11785 2009年6月14日閲覧。 
  41. ^ 名波浩(背番号7)も出場予定だったが、実母の死去により欠場した。
  42. ^ オフィシャル発表された背番号は18番であったが、試合当日、ラモスの計らいで「JAPAN ALL STARS」の背番号10番を譲り受ける。また、カズからキャプテンマークも譲り受けた。
  43. ^ 名波と中田は後半ザ・ミイラの選手として出場。
  44. ^ 『サカつくシュート!』レジェンド選手11人発表”. セガネットワークス. 2014年12月26日閲覧。






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