渥美半島 歴史・文化

渥美半島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/21 04:09 UTC 版)

歴史・文化

渥美半島の歴史は古く、今から2.5万年ほど前から多くの人々が行き来していたといわれる。陸路より海路の方が有利であった時代、海を渡って西の紀伊半島などから文化が伝わりやすく、また伊勢神宮と海を挟んで対峙していることから政治・経済・文化の中心地として栄えた。[35]特に伊良湖岬は、その詩情あふれる自然と素朴な人情が旅人を惹きつけ、万葉の時代より歌枕として歌われた。柿本人麻呂西行松尾芭蕉をはじめとする文人たちが訪れて詠んだ歌が現在でも伝わっている。[36]江戸時代においては、田原藩1万2千石の拠点となり、幕末の先覚者渡辺崋山らを輩出した。このような歴史的環境のもと、渥美半島には数多くの文化財および史跡が存在する。[37]

吉胡貝塚史跡公園

吉胡貝塚(国の史跡)

縄文時代後期末・晩期を中心とする、約3,000平方メートルにわたる貝塚。1922・1923年(大正11・12年)に京都大学清野謙次が人骨307体を発掘して有名となり、1951年(昭和26年)国の史跡に指定された。[38]これまでの調査で人骨358体が確認されており、縄文人骨出土数では日本一である。吉胡貝塚は、国が発掘した最初の遺跡であり、日本の人種論の議論の中心となった。また、人骨のほか、貝・土器石器骨角器や丁寧に埋葬された10体以上の犬の骨も出土している[39]。2007年(平成19年)、公園や屋外の展示施設、資料館等が整備された。[40]

秋草文壺

渥美古窯(あつみこよう)

渥美半島全域40キロメートルわたって分布する100群・500基を超える陶器を焼いた窯群の総称で、平安時代の終わりごろから鎌倉時代(12世紀〜14世紀初頭)にかけて営まれた[41][42]。そのうち大アラコ古窯跡伊良湖東大寺瓦窯跡、百々陶器窯跡の3つが国の史跡に指定されている。[43]渥美古窯の窯は斜面に船底状の穴を掘り、壁と床に粘土を貼り、さらに天井をつけた窖窯(あながま)である。[44]主に日常生活で使う山茶碗、小皿などが生産されたが、特注品として焼かれた宗教的色彩の濃いものも出土している。また、神奈川県川崎市1942年(昭和17年)に出土し、中世の焼き物で唯一、美術工芸品として国宝に指定されている「秋草文壺」も焼かれていた[45][9]。これらの製品は海を渡って各所に流通したが、鎌倉時代の終わりごろから瀬戸常滑など他の窯の製品との競争に敗れ、また政治支配の交替も加わって衰退し、やがて姿を消した。[46]

伊良湖東大寺瓦窯跡(いらごとうだいじかわらがまあと)(国の史跡)

渥美古窯のひとつで、奈良東大寺鎌倉再建時の瓦を焼いた窯跡。全長11.3〜11.5メートル、幅は2.5メートルほどで、分焔をともなう船底型の構造をしている。[46]1965年(昭和40年)に地上窯1基、翌年に窖窯3基が発掘され、1967年(昭和42年)に国の史跡に指定された。[47]これまでに出土した「東大寺大佛殿瓦」「大佛殿」「東」などと刻印された軒丸瓦や軒平瓦、平瓦は、田原市渥美郷土資料館の埋蔵文化財室に展示してある。[48]2004年(平成16年)には、窯跡もふくめて初立池公園として、初立池の周りに周囲2キロメートルの散歩道ややすらぎ広場、駐車場などが整備された。[49]

田原城址

1480年(文明12年)頃に戸田宗光により築かれた。築城当時は城のすぐ下まで干潟が迫り、満潮時に海水が城を取り囲む様子が「文(ともえもん)」に似ていることから、巴江城とも呼ばれる。[50]城は、本丸・二の丸・三の丸・出曲輪、藤田丸があり、天守閣は無かった。1547年今川義元人質として送られる松平竹千代(のちの徳川家康)を戸田氏が奪い織田信長に送ったため、今川義元に攻められ落城。今川氏・戸田氏による短い支配を経て1664年(寛文4年)、城主は三宅氏に代わり、明治維新まで12代約200年続いた。現在、本丸には藩主三宅康貞児島高徳をまつる巴江神社、二の丸には田原市博物館・二の丸櫓(再建)、三の丸には、護国神社、出曲輪には崋山会館と崋山神社が建設されている。[51]なお、東京都千代田区にあって、国立劇場最高裁判所の所在地として知られる「三宅坂」の地名は、江戸時代に田原城主・三宅氏の上屋敷があったことに由来する。[52]

池ノ原公園(市指定史跡)

池ノ原公園崋山幽居跡

幕末の蘭学者・画家・政治家として活躍した渡辺崋山が晩年を過ごし、49歳で自ら果てた屋敷跡。1793年(寛政5年)に江戸の田原藩上屋敷で生まれた崋山は、幼少のころから学問や絵に親しみ、40歳で藩の家老職に就いてからは田原藩の繁栄に貢献した。天保の飢饉の際に「報民倉」を設け、一人の餓死者も出さなかったことは有名である。[39]沿海防衛と日本開明のために高野長英らと共に外国事情を研究し、鎖国攘夷の幕府を『慎機論』『鴃舌惑問(げきぜつわくもん)』などを記して批判した。1839年(天保10年)蘭学者弾圧の蛮社の獄によって入牢し、国元の田原で蟄居を命ぜられたが、藩に災いが及ぶのを恐れ自刃した。[53]池ノ原公園内には崋山の幽居跡や銅像、オブジェなどがあり、また公園の一角にある「池ノ原会館」は、茶道・華道・俳句などの文化活動に利用される。[54]

田原市博物館

伊良湖射場

1901年(明治34年)、日本陸軍の大砲の実射試験場として、小中山町から西山地区に設置された施設。正式名称は「陸軍字術研究所伊良湖試験場」で、大砲・弾丸の研究や効力実験、弾道研究、採用検査などが行われた。陸軍が使用する大砲や弾薬のほとんどがここで試験検査を受け、戦地へ配備された。[55]1905年(明治38年)には、その用地拡大のため伊良湖集落全村が現在の場所への移転を余儀なくされ、伊良湖神社もこのとき宮山から骨山の中腹に移された。[56]2005年(平成17年)、移転100周年を記念して、「願はしきものは平和なり」と刻まれた伊良湖集落移転記念碑が建てられた。[57]

田原市博物館

田原城二ノ丸跡に建てられた博物館。渡辺崋山や田原藩に関する作品・資料が多数展示され、学習の場・レクリエーションの場として、田原の歴史を紹介するシンボルとなっている。博物館入口の正面にある二ノ丸櫓では、吉胡貝塚、山崎遺跡、渥美古窯などの考古学資料や田原城関係の資料が展示されている。また、隣接する田原市民俗資料館では、江戸時代以降の庶民の暮らしを中心にした歴史、民俗、生活工芸資料などが展示されている。[37]

田原まつり会館

田原まつり会館

田原の城下町文化を伝える山車や、市の無形民俗文化財の田原凧などを中心に、田原市の主なまつりの情景を再現・紹介する施設。田原祭りで披露される3輌のからくり山車のうち、2輌が常時展示されている。凧祭りに関する資料では、6.55×3.66メートルの大凧「熊金」をはじめ、武者絵・歌舞伎絵などが描かれた初凧や、けんか凧合戦の様子を表したジオラマなどを見学することができる。けんか凧のうなり骨(凧上部の竹でできた骨)を実際に手に取って振り回し、うなり音を出したり、凧糸の製作過程や、糸につけるナンキン(ガラスの粉末)がつくられる様子を見学できるコーナーも備えている。その他、展示品や資料、説明パネルで祭の歴史も紹介している。[58]

田原のからくり山車

田原祭りの主役となる山車は3輌あり、新町(「應神天皇車」)・本町(「神功皇后車」)・萱町(「総代車」)が一輌ずつ保有している。田原の山車は、1757年(宝暦7年)8月に当時の本町内の上り町・横町・中町が申し合わせ、合同で田原藩の浅黄無紋の横幕・天幕を借用し車を仕立てたことが始まりと言われる。山車の種類は二層唐破風屋形(にそうからはふやかた)四輪の名古屋型と呼ばれる。これらのからくり山車は、1988年(昭和63年)田原市の有形民俗文化財に指定され、3輌のうち2輌が常時田原祭り会館に展示されている。[59]

万葉の歌碑

万葉集』巻1に、天武朝(7世紀後半)の皇族麻績王(おみのおおきみ)が罪を犯して伊良湖に流されたとき、土地の人々が気の毒に思って

「打麻を麻績王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります」(麻績王は漁師なのか、漁師でないのに伊良湖の島の海藻を刈っておられる。おいたわしいことだ。)

と詠んだのに、麻績王が感傷して

「うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞の島の玉藻刈り食す」(この命が惜しさに私は波にぬれて、この伊良湖の島の海藻を刈って食べているのです)

とこたえられた歌が載っている。都を追われさすらいの身となった麻績王の嘆きと、それを憐れむ里人の思いやりが潮騒の岬にふさわしい風情を奏でる、万葉集の名歌と言われている。[60]現在伊良湖岬灯台の近くに「うつせみの」の歌碑が建立されている。[61]

椰子の実記念碑

明治時代民俗学者柳田國男が伊良湖に滞在した際拾った椰子の実の話を、親友の島崎藤村に語ったところ、それが素材となって椰子の実の抒情詩「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ…」が生まれた、という逸話を綴った記念碑。藤村の「椰子の実」は、1936年(昭和11年)、NHK国民歌謡(作曲・大仲寅二、唄・東海林太郎)として全国放送され有名となった。[62]のちに柳田國男は、『故郷七十年拾遺』の中で、

「僕が二十一の頃だったか(中略)少し身体を悪くして三河に行って、渥美半島の突っ端の伊良湖に1ヶ月静養していたことがある。海岸を散策すると、椰子の実が流れて来るのを見つけることがある。(中略)東京へ帰ってから、そのころ島崎藤村が近所に住んでいたものだから、帰って来るなり直ぐわたしはその話をした。そしたら、「君、その話を僕に呉れ給えよ、誰にも云わずに呉れ給え」いうことになった。(中略)するとそれが、非常に吟じやすい歌になって、島崎君の新体詩というと、必ずそれが人の口の端に上るというようなことになってしまった」

と、当時の事情を明かしている。[63]1961年(昭和36年)、旧渥美町の文化協会によって日出園地に「椰子の実」の詩碑が建てられた。そして1996年(平成8年)、大中寅二生誕100周年および「椰子の実」作曲60周年を記念して、藤村の詩碑と向かい合う形で大中寅二の「作曲記念碑」が建てられた。[62]

糟谷磯丸(かすやいそまる)

「無筆の歌よみ」として知られる江戸時代末期の漁夫歌人。渥美半島の先端の村、現在の伊良湖町の貧しい漁師の家の長男として生まれた。31歳で父を亡くし、母も長い間病気で、30歳を過ぎるまで読み書きができなかった。しかし、母の病気全快を願い、伊良湖神社に日参するうちに参詣人の詠む和歌の不思議な響きに魅せられ、35歳にして歌の道を志した。[9]磯丸の歌は素直で分かりやすく、[64]“無造作の中に真がこもっている” として庶民の間でもてはやされた。[65]なかでも「まじない歌」は有名で、磯丸に歌を詠んでもらうと願いがかなうという噂が広まり、家内安全・恋愛成就など人々の求めに応じ多くの歌を詠んでいる。恋路ヶ浜から伊良湖岬灯台まで続く遊歩道には磯丸が詠んだこれらの歌の歌碑が数多く建立されている。磯丸は1848年(嘉永元年)、生まれた日と同じ5月3日に85歳で世を去ったが、その死後、磯丸を慕う人々によって「磯丸霊神」の名を与えられ、神様としてまつられた。磯丸の生家に建てられた「磯丸霊神祠」は現在、「糟谷磯丸旧里」と刻まれた石碑と共に伊良湖神社境内に安置されている。[66]


  1. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、6頁
  2. ^ 農業生産額‘全国第一位”. 田原市 (2015年9月18日). 2015年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月18日閲覧。
  3. ^ 小林元男 『渥美半島の植物』 東三林業振興会、2002年9月30日、1頁。
  4. ^ 『田原の文化財ガイドIV 渥美半島の自然を知る』 田原市教育委員会文化生涯学習課(編集・発行)、2015年3月、2頁
  5. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、8頁。
  6. ^ 『愛知県の地名』 有限会社 平凡社地方資料センター(編)、株式会社 平凡社(発行)、1995年5月10日、1077頁。
  7. ^ 『野田史』 野田史編集委員会(編)・野田区自治会(発行)、2002年3月、60-61頁。
  8. ^ 『田原の文化財ガイドI 田原市のはじまり 旧石器、縄文時代のたはら』 田原市教育委員会、2009年3月、1頁。
  9. ^ a b c d e f g h ふるさと統計情報 田原がイチバン 田原のイチバン & 田原の自慢”. 田原市 (2011年7月1日). 2016年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月20日閲覧。
  10. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、141頁。
  11. ^ 『あなたが選んだ日本の灯台50選』 一般社団法人燈光会(編集・発行)、2015年1月30日改訂版、53頁。
  12. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、10頁。
  13. ^ 『三河湾国定公園 渥美』 愛知県渥美町役場/渥美町観光協会、3頁。
  14. ^ 渥美半島観光ビューロー
  15. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、61頁。
  16. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、12頁。
  17. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、63頁。
  18. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、678頁。
  19. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、62頁。
  20. ^ 8-7 田原市 たはらエコ・ガーデンシティ構想”. 国土交通省中部地方整備局三河港湾事務所. 2016年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月26日閲覧。
  21. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、61頁。
  22. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、60頁。
  23. ^ a b 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、13頁。
  24. ^ 小林元男 『渥美半島の植物』 東三林業振興会、2002年9月30日、36頁。
  25. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、290頁。
  26. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、802頁。
  27. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、12頁。
  28. ^ 『田原の文化財ガイドIV 渥美半島の自然を知る』 田原市教育委員会文化生涯学習課(編集・発行)、2015年3月、4頁。
  29. ^ 『田原の文化財ガイドIV 渥美半島の自然を知る』 田原市教育委員会文化生涯学習課(編集・発行)、2015年3月、9頁。
  30. ^ a b 『田原の文化財ガイドIV 渥美半島の自然を知る』 田原市教育委員会文化生涯学習課(編集・発行)、2015年3月、20頁。
  31. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、64頁。
  32. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、90頁。
  33. ^ 『たはらの自然めぐりIII たはらの海辺の博物誌』 田原市(都市整備部公園緑地課)、2008年3月、41頁。
  34. ^ 『たはらの自然めぐりIII たはらの海辺の博物誌』 田原市(都市整備部公園緑地課)、2008年3月、77頁。
  35. ^ 『たはらの自然めぐりIII たはらの海辺の博物誌』 田原市(都市整備部公園緑地課)、2008年3月、32-33頁。
  36. ^ 『三河湾国定公園 渥美』 愛知県渥美町役場/渥美町観光協会、2頁。
  37. ^ a b “田原市博物館 幕末から近代へ、崋山の系譜を見る”(パンフレット). 田原市博物館. 2016年8月23日閲覧。
  38. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、853頁。
  39. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、19頁。
  40. ^ 『田原の文化財ガイドI 田原市のはじまり 旧石器、縄文時代のたはら』 田原市教育委員会、2009年3月、14頁。
  41. ^ 安井俊則、「渥美窯の展開 (特集 第25回 日本福祉大学知多半島総合研究所歴史・民俗部研究集会 シンポジウム「中世渥美・常滑焼をおって」報告)」『知多半島の歴史と現在(16)』 2013年 17巻 p.1-12, 日本福祉大学知多半島総合研究所
  42. ^ 『知多半島の歴史と現在』17号 日本福祉大学知多半島総合研究所 2018年1月24日閲覧
  43. ^ a b 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、95頁。
  44. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、77頁。
  45. ^ 夢見ヶ崎(秋草文壺)”. 川崎市 (2010年12月20日). 2013年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月16日閲覧。
  46. ^ a b “田原市皿焼古窯館”(パンフレット). 田原市教育委員会. 2016年8月23日閲覧.
  47. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、140頁。
  48. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、18頁。
  49. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、76頁。
  50. ^ 『田原の文化財ガイドIII 渥美半島の城館』 田原市教育委員会、2012年3月、8頁。
  51. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、19頁。
  52. ^ “三宅坂”. コトバンク. 2016年9月5日閲覧。
  53. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、875頁。
  54. ^ “田原の歴史”. 田原市、2015年9月4日. 2016年9月6日閲覧。
  55. ^ 『田原の文化財ガイドV 渥美半島の戦争遺跡』 田原市教育委員会・田原市博物館(編集・発行)、2015年7月、6頁。
  56. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、9頁。
  57. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、52頁。
  58. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、92頁。
  59. ^ “田原の山車”(パンフレット). 愛知県田原市観光協会(2005年3月). 2016年8月24日閲覧。
  60. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、93頁。
  61. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、36頁。
  62. ^ a b 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、41頁。
  63. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、106頁。
  64. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、37頁。
  65. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、218-219頁。
  66. ^ 『神様になった海辺の歌人 糟谷磯丸 生誕250年記念』 糟谷磯丸翁生誕250年記念事業実行委員会(編集・発行)、2014年7月10日、4頁。
  67. ^ 『田原市 渥美半島花と野菜の物語』 田原市役所農政課、2014年3月31日、「最終章」。
  68. ^ “田原市の農業”(パンフレット). 田原市市役所 農政課(2012年3月). 2016年8月24日閲覧。
  69. ^ 第2章 田原市の農業の特性と主要課題”. 田原市. 2016年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月20日閲覧。
  70. ^ 『田原市 渥美半島花と野菜の物語』 田原市役所農政課、2014年3月31日、14頁。
  71. ^ 『野田史』 野田史編集委員会(編)・野田区自治会(発行)、2002年3月、228頁。
  72. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、99頁。
  73. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、100頁。
  74. ^ 『田原市 渥美半島花と野菜の物語』 田原市役所農政課、2014年3月31日、13頁。
  75. ^ 田原市の風力発電の状況”. 田原市 (2015年9月4日). 2016年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月20日閲覧。
  76. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、571頁。
  77. ^ 『みんなの豊川用水』 独立行政法人水資源機構豊川用水総合事業部、1-11頁。
  78. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、34頁。
  79. ^ 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、34頁。
  80. ^ a b 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、58頁。
  81. ^ a b 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、59頁。
  82. ^ a b c 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、35頁。
  83. ^ a b c 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、37頁。
  84. ^ “田原まつり会館”(パンフレット). 愛知県田原市役所商工観光課. 2016年8月23日閲覧。
  85. ^ a b 指定文化財一覧(田原市サイト)2019年8月22日閲覧
  86. ^ 『伊良湖集落移転100周年記念誌 伊良湖誌』 伊良湖誌編集委員会(編)、伊良湖自治会、2006年11月23日、43頁。
  87. ^ a b c 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、47頁。
  88. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、48頁。
  89. ^ メロン狩りと3つの道の駅と渥美半島周遊 コース”. 渥美半島観光ビューロー. 2020年6月2日閲覧。
  90. ^ 田原市 渥美半島花と野菜の物語』 田原市役所農政課、2014年3月31日、9頁。
  91. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、78頁。
  92. ^ 渥美半島「伊良湖」は美食の宝庫!絶品グルメ17選”. Find Travel (2014年8月20日). 2014年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月21日閲覧。
  93. ^ 青果・果物類”. 田原市 (2015年9月4日). 2016年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月21日閲覧。
  94. ^ “キャベツ 三河地域特産品”. ネット農業あいち. 2016年9月6日閲覧。
  95. ^ 『愛知百科事典』 中日新聞社開発局(編)、中日新聞本社、1976年10月5日、538頁。
  96. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、77頁。
  97. ^ “渥美の貝”. 貝づくし渥美. 2016年9月6日閲覧。
  98. ^ a b 『ほの国観光ガイド まるごと東三河』 愛知県東三河広域観光協議会、2008年3月31日、76頁。
  99. ^ a b “田原のいちおし土産品 特選16品”(パンフレット). 2016年8月29日閲覧。
  100. ^ “郷自慢 田原市の名産物”. 日本の郷土文化. 2016年9月6日閲覧。
  101. ^ 『渥美半島 郷土理解のための32章』 愛知県立福江高等学校(編集・発行)、2006年3月21日改訂版、64頁。
  102. ^ “渥美半島のブランド牛肉”. ネット農業あいち. 2016年9月6日閲覧。
  103. ^ 渥美半島たはらブランドを認定”. 田原市. 2016年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月21日閲覧。
  104. ^ “たはらトピックス 地域発展と知名度向上へ 「渥美半島たはらブランド」創設”. 広報たはら. 田原市、2016年5月. 2016年9月6日閲覧。
  105. ^ “渥美半島どんぶり街道”. 渥美半島観光ビューロー. 2019年8月22日閲覧。
  106. ^ “地産地消の仕事人 「どんぶり街道」の活動で、地産地消による地域の活性化を!どんぶり街道どん丼おいでん委員会委員長 神谷幸治氏(愛知県田原市)”. 農林水産省. 2013年2月. 2016年9月5日閲覧。
  107. ^ “渥美貝特産品”. 貝づくし渥美. 2016年9月6日閲覧。
  108. ^ “貝づくし渥美とは?”. 貝づくし渥美. 2016年9月6日閲覧。
  109. ^ “渥美商工会平成26年度実績報告の概要”. 2016年9月6日閲覧。
  110. ^ “ゆるきゃらグランプリオフィシャルウェブサイト”. 2016年9月5日閲覧。
  111. ^ “田原ご当地アイドル 「LA 花ノたみ」デビュー!”. あつまるタウン田原. 2013年10月24日. 2016年9月5日閲覧。
  112. ^ “【公式】LA❀花ノたみ”. Twitter. 2016年9月5日閲覧。
  113. ^ 『野田史』 野田史編集委員会(編)・野田区自治会(発行)、2002年3月、198頁。
  114. ^ 『三河田原駅開業90周年企画展 渥美線:渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語』 田原市博物館(編集・発行)、48頁。
  115. ^ 『休暇村 Travel Renaissance 2013-2014』 一般財団法人 休暇村協会 営業企画部広報・メディアプランニング課、17頁。
  116. ^ “伊良湖ビューホテル”(パンフレット). 伊良湖ビューホテル. 2016年8月29日閲覧。
  117. ^ “伊良湖ビューホテル”. 田原市観光ガイド 渥美半島だより、渥美半島観光ビューロー. 2016年8月29日閲覧。
  118. ^ “伊良湖シーパーク&スパ”(パンフレット). HMI ホテルグループ、2014年10月. 2016年9月6日閲覧。






渥美半島と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「渥美半島」の関連用語

渥美半島のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



渥美半島のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの渥美半島 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS