渡瀬恒彦 人物

渡瀬恒彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 03:30 UTC 版)

人物

人柄

  • 遠縁にプロテニスプレイヤーの錦織圭がおり、渡・渡瀬兄弟の祖母と錦織の曽祖父が兄弟だった[80]
    • 2008年、錦織の親戚筋から「石原プロモーション」渡宛てに簡単な家系図を添えて手紙が届いた。当時全く知らず驚いた渡は渡瀬にも連絡を取ったが、渡瀬も全く知らなかった[80] という
  • 渡瀬の人物像を語る上でしばしば登場するのが「芸能界一喧嘩が強い」という逸話である。渡瀬本人が腕っ節の強さを吹聴するようなことは無かったものの、彼を古くから知る芸能関係者らは「渡瀬さんが一番」と口を揃え、その強さを“伝説”として語り継いでいる[81]
  • 早稲田大学はドイツ語文法の1単位が取れず抹籍扱いになった(2002年『徹子の部屋』では自身の早稲田大学抹籍証明書をテレビで披露した)[12]
    • 息子が早稲田大学在籍時に大学側から「卒業生の先輩」として講演を依頼された。しかし、渡瀬はドイツ語の文法の単位が取れず卒業見込みのまま就職した自覚があったため、大学側に確認の問い合わせたところ「抹籍証明書」が戻ってきた[12]
    • 就職してからも3年間、あわせて7年間は大学に授業料を払っている。しかし、もう1年間は払わなかった。大学側からは創立100周年記念時計を送られきて「大学卒業したのかな」という認識があった。当時渡瀬は見込みが甘かったことを認めている[12]
  • 動物好きで有名[82]。特に犬が好き、理由は「朝起こされて、散歩に行って…と生活が律せられるのがいい[35]」『南極物語』で共演した犬のタロとジロを撮影休止のため帰国している間、監督に世話したいと自ら志願。撮影が終わってからも「厳しい環境には戻せない」と自宅に引き取った[83]。自宅近くの公園によく犬を連れて散歩しに来ている姿が目撃されていた[82]。25年以上に渡り、東映のカレンダーには自分の飼っている犬と2ショットで登場していた[84]
    • 「キネマ旬報」1982年10月下旬号で、「南極物語」の撮影を終えた当時の渡瀬をインタビューした映画評論家・野村正昭によれば映画の話になると「ええ」「そうですね」の連続で、全く話が弾まないがタロとジロを含めた犬の話になると「こんなつまらない話してもいいのかなぁ」といいながら、時間を遥かにオーバーしても話が止まらないくらいの「犬好き」だった[85]
  • 井ノ原快彦に1度家族写真を見せ、その際「良い写真は1時間ほどレンズ越しで家族を見つめていたら撮れる」と話していた。
  • 2度目の結婚相手となった妻との間に長男と長女をもうけている。
    • 自分の子供は芸能人にさせたくなかったという。渡瀬曰く「何しろ、この仕事は努力の方向性がわからない。野球なら素振りを100回より1000回やれば上達するかもしれないけど、セリフの練習がそうなるとは限りません」
    • 大変な煩悩だった。「デパートに滑り台を買いに行ったところ見本品ひとつしかなかったために自作した」、「子供たちとシュノーケリングで海に潜っていた[12]」、「厳しく躾したつもりはないが、必ず週に1度は家族揃って食事を取るようにした[86]」、「休みの日はよくキャンプに行っていたよ。父親の威厳を示せる絶好のチャンスでした(笑)[86]」等良き父親であろうとしたことがうかがえる発言が残っている。
  • 長男・暁彦はTBS社員で、テレビドラマのディレクターを務めている。渡瀬は生前いつか息子の担当する作品に出演したいと語っていた[87](ただ息子が当時助監督だった『南極大陸』には出演できた[88])。
    • 暁彦は第3・6話で監督に携わる[89] 2017年4月期「小さな巨人」の宣伝インタビューに登場し父親に対する質問にも堂々と答えた[90]。(父親からの影響は?)「実は個性の話って、僕がこの仕事を始めて、おやじとご飯を食べたり酒を飲んだりして、よく言われたことなんです。おやじは『自分で出したいというのは個性ではなくて、組織のためや、誰かのためにという思いでやって、自分を殺して殺してやって、それでもにじみ出るものが個性だ』と。最近、ようやく分かってきたかも」[90]。(父親との思い出は?)「おやじは僕の関わった作品のすべてにリポート用紙3枚くらいで、細かく感想を書いてくるんですよ。おやじもこの世界、長いですし『あのシーンはお前のこだわりだろ』って、分かってもらえるんです。そういうところはうれしかったです。うまくいかなかったところも部分も見透かしてくるし…。正直、『何言ってんだよ』って思うことも6割くらいありましたけど(笑)、すごく勉強になりました。おやじにほめられたのは『大奥』第8話と『クロコーチ』初回ですね」[90]
  • 読書好き、本をゆっくり読む時間が好きだった。「映画化、ドラマ化できるかな?」と思いながら頭の中でキャスティングして楽しんでいた[35] という。

仕事に対する姿勢

  • デビュー直後に語った「スターに学問はいらない。映画は肉体労働だ」という哲学を貫き、俳優としての地位を築いた。劇団で修行したわけでないからと演技論を展開させることもなかった。事あるごとに「僕は脱サラ俳優だから」と口にしていた[3] という。
  • 渡瀬と共演経験がある荒木一郎によれば「渡瀬は本気でやるだけだからね。芝居っていうことより。土の中に埋まるなら、ほんとに土の中に埋まるし、酒飲んで吐くシーンなら自分でほんとに一所懸命飲んでゲーゲー吐く。芝居っていうことよりもそれをいかにほんとにやるか、みたいな奴[85]」と証言している[91]
  • 松方弘樹タモリ笑っていいとも!に出演した時に「渡瀬は一番後輩なのに先輩を説教するんですよ」と言い、泥酔した菅原文太は「みっともないから帰れ!」と一喝されたと言う。
  • 『タクシードライバーの推理日誌』、『警視庁捜査一課9係』等でプロデューサーとして渡瀬と仕事をしたテレビ朝日松本基弘は「最初の印象は怖かった。でも、それは仕事に対して真摯な姿勢で挑む理不尽な指示に対してとかスタッフに緊張感が無くなっているときに怒るというものだった。とにかく仕事が好きな方でした。僕も様々な企画を持ち込んで、たくさんご一緒させて頂いた。もちろん何でもいいわけではなくて、ご自身がしっかり内容を吟味して決められるので、こちらもしっかりとした企画を持っていきます。脚本に対するアイディアも的確ですし、そういった意味ではプロデューサー的な視点を持っている人でした。本当にテレビ朝日にとっても、自分にとっても宝物のような存在だったんです[41]
  • 2015年出版された「東映スピード・アクション浪漫アルバム」[92] で、1970年代の自分について杉作J太郎と対談という形式でインタビューに応えている。杉作は2002年と2004年、十津川警部シリーズで渡瀬と共演している(シーンは一緒ではなかった)。その際、数々の噂を知っていた杉作は気後れして当時話しかけられなかったが、実際インタビューで会うと「迫力のある方だったがやる気のない兄貴」という感じで例えると安田猛パームボールみたいに抜けた感じの渡瀬も随分見たとのこと[93]
  • スター然した扱いを苦手とした。プロデューサーが煙草に火をつけようとすると、自分でつけるからいいと断った場面を元付き人が目撃している[94]。また現場にたまにしか顔を出さないプロデューサーを非常に嫌ったという[94]
  • 渡瀬自身は「こういうイメージで俳優をやっていこう」という固定観念はなかった[35]
    • 2014年当時のインタビューでは「この人をこういう役で使ったら面白い」と考える専門家(プロデューサー)がいるから自分ではあまり考えません。でも、昔似たような役柄をやっていたから安全パイでキャスティングされることが昨今は多いため、自分の中で固まりかけているイメージを、別の角度から突っついて乗らせてくれるプロデューサーはいいですね[35] と話していた。
  • ベテランのスタッフや共演者には「恒さん」と親しまれ、何度も出演したテレビ朝日系『徹子の部屋』のように慣れた相手には「意外なエピソード」も明かしたが、通常の取材では「小難しい質問」になると顔をこわばらせてしまうところがあった[95]
  • 非常に勉強熱心として知られていた。現場にiPadを持ち込み、わからないことがあるとその場で調べていた[96]
  • 作品毎、最初の仕事は現場のスタッフの名前を覚えることだった。「ADさん!」というより「○○さん!」と呼ばれた方が気持ち良いだろうし、良い仕事してくれるだろうという信念を貫いた。渡瀬は東映の現場に50年弱いたが、昔は下積みやっている人間がどんどん偉くなっていくのを目の当たりにしたことが起因している[35] という。
  • 台詞の覚え方について「30歳ぐらいまでは台本台詞として覚えていた。しかし、2009年現在ではドラマのストーリーを読んで、2回目は演じる役になりきって読んで、3回目は衣装さんやメイクさんなどスタッフがどう動くか想像しながら読んでます。そうして何回か読むと、いつの間にか台詞を覚えてしまうんですよ」[97] とのこと。
  • 「(デビューして)何年経っても、撮影の前夜というのは心地良いものではないですよ..」ドラマでも映画でも撮影初日の前夜は期待や不安で眠れない日があった[97] という。
  • 「演じたい役は?」と問われると渡瀬は必ず「老人と海」の漁師役と答えていた[3] という。

兄・渡哲也

初めて渡哲也が東映京都撮影所に訪れた1972年、弟の思い出として「幼少時代、みんなが止めるのも聞かずに1度に犬4匹を連れて散歩しに行って案の定傷だらけになって帰ってきたこと」を東映・奈村協に話している。やんちゃで責任感があり根性がある弟を一番理解していた[17]。渡瀬曰く子供の頃はケンカはもちろん、勉強もスポーツも渡瀬の方が上回っており、渡は「恒彦の兄」と言われていた。しかし、兄が俳優になると形容詞が逆転し「渡哲也の弟」と言われるようになる[98]。だが、そんな兄の芸能界デビューを後押ししたのは弟だった。予備校時代、浅丘ルリ子主演『執炎』の相手役募集を新聞で読み、青山学院大学の空手部の仲間と共謀して内緒で写真と書類を送った。何も知らない兄はカンカンだったという。また兄のアパートに来る悪友たちとトリスバーに通った。

やがて渡瀬も渡を追って俳優になり、1971年〜1972年NHKドラマ「あまくちからくち」[99] で双子の兄弟役共演、以降は宝酒造「松竹梅」CMで兄弟共演はあったが、映像作品では2011年のTBS「帰郷」まで40年間、2度の別作品オファーを渡が断っている[100]。渡によれば「兄弟でやるのが照れくさかったんです[101]」とのこと。担当プロデューサーによれば、渡瀬に企画を持ちかけ10年前から水面下で進行していたが渡瀬が渡に「我々に残されている時間は少ない。オファーがあるうちにやろう」と電話をかけた事が決め手となった。当時渡は石原プロモーションの社長を退き、演じたい作品に出られる環境になったことも理由のひとつという。2011年当時渡・渡瀬共に「兄弟共演はこれが最後」と公言していた[100]。2011年12月5日制作会見で、渡は「40年前は私もうまくなかったが、私以上に(渡瀬が)うまくなかったので、心配してた思いがある」と40年前を回顧し茶化しながらも「自分を遥かに超えるいい俳優になった」と渡瀬を称えた[102]。2009年当時のインタビューで、渡瀬は「兄は俳優という範疇を超えている。石原裕次郎さんもそうだけど、努力なんかで追いつけない他の人にはない何かを持っている」と渡を称えており[98]、2011年にはお互いを尊敬する兄弟になっていた。しかし、最後の兄弟共演発言から「またチャンスがあったら共演したい」と翻意するほど渡瀬は前向きだったが渡は「遠慮させて頂きます」とやんわりと断っている[102]

そんな渡瀬に「十津川警部シリーズ」第1作目から全作品に携わった森下和清プロデューサーから10作目付近から構想し続けた兄弟共演を50作目記念で実現させたい旨を明かされる。「難しいよ、2度とないって言っていたし兄貴は頑固だから」と言いながら渡に電話。渡は「世間的に(共演は2011年が)最後って言っちゃっているからまずいよ」と固辞。それでも渡瀬は諦めず渡の自宅に1ヶ月以上足を運び、渡の首を縦に振らせた。渡は「50作目に力を貸してほしいと恒彦に言われ、引き受けました。20年以上続くのは素晴らしいこと。伊東四朗さんと恒彦と他の出演者の方々、スタッフのたゆまぬ努力があったことと思います」とコメントした[103]

2作品の共演を経て、2014年渡瀬は渡と距離が密に戻ってきた[104] と話している。また「警視庁捜査一課9係」に「兄貴(渡)を特別ゲストで呼びますか」とも発言していた[45]。渡瀬と親友の間柄だった江藤潤も「若い頃は渡瀬の口から渡の話を聞くことはなかったが、ここ数年渡のことを話すようになった[96]」と証言している。

2015年以降渡は急性心筋梗塞で入院のちリハビリを続け、渡瀬が2015年夏から胆のう癌で闘病生活に入ってからも渡瀬はたまに渡の自宅を訪れお互いの体調を気遣い励ましあっていた[105]。しかし、渡瀬の死で兄弟は永遠の別れを迎える。渡は悲しみをこらえ、生前渡瀬が出演へ執念を燃やした「警視庁捜査一課9係 season12」に出演できない無念を代弁した[65]

なお渡瀬は渡が率いた石原プロモーションと一緒に阪神・淡路大震災当時の炊き出しにも参加している[8]。渡瀬は兄率いる石原プロモーションと合流し、故郷の淡路島や芦屋市に駆けつけて炊き出しを実施。カレーや焼きそばを振る舞って被災者を元気づけた[106]。96年、神戸復興チャリティイベントにも兄弟で参加[107]

また、1991年渡が直腸がん手術後渡瀬はマスコミ200人以上を前に記者会見を行い、あらゆる質問に毅然と答えた[95]。渡と親交があるビートたけしが渡瀬の死を悼んで、渡のがん手術当時のことを回想し「渡さんが大腸がんになったときに、渡さんが『人工肛門になるんだったら、おれは手術しないで死ぬ』と言ったら、それを渡瀬さんが『手術しろ。恥ずかしくない。生きるべきだ!』って説得したんだ。それを渡瀬さんが先に死んじゃうなんてね。ヤクザとけんかするほど暴れん坊だったのにな[108]。」

結婚

渡瀬は生前2回結婚している。1度目は大原麗子(1973年〜1978年)[29]。1970年6月公開の『三匹の牝蜂』での初共演がきっかけで[29]、渡瀬が「最初の第一印象で気が合った感じ」とすぐにデートを重ね、1971年11月に渡瀬が岡田東映社長宅を訪れ、結婚の決意を報告した[29]。1972年2月14日に東京プリンスホテルで行われた婚約発表では、報道陣からの「お互いどこに惹かれたか」の質問に対して、渡瀬は「全部が好き」と答えたが、大原は「イチかバチかといった冒険的なところに魅力を感じた」と話した[29]。悪ぶっていたデビュー当時の渡瀬に、ある俳優仲間が“大原麗子クラスのスター女優に言うことを聞かせるぐらいじゃないとダメだ”と吹き込んだことがあった[7]。そのため『鉄砲玉の美学』や『狂った野獣』でタッグを組んだ中島貞夫が住んでいる京都の家へ大原麗子を伴って現れ、「結婚するので嵯峨野に家を探している」と相談されて中島は大変驚いた。当時、渡瀬はピラニア軍団の親分的立場とはいえ、トップスターの大原麗子とは明らかに「格差婚」だった[109] という。また大原が姉と慕っていた浅丘ルリ子の元にも2人は挨拶へ出向いている[110]。大原麗子の実弟によれば「お互い一目惚れだが、特に大原麗子が渡瀬を好きになった」という。結婚当時姉の運転手をしていたが、完全に2人の世界に入り込み、車の中で渡瀬は膝の上に大原を乗せて甘えていた[7] という。また子宮外妊娠で手術を受け、大原は渡瀬から輸血されたこともあった[111]

渡瀬の実父が死去し、渡瀬が母を引き取ったことでいわゆる嫁姑問題が生まれ、渡瀬が売れっ子になり自宅にあまり帰らなくなったことで夫婦に溝が生まれ口喧嘩が増えていった。離婚の1年前、夫婦関係の亀裂は深まり、大原は渡瀬の浮気を疑ったとされている。実際、渡瀬は浮気をしていなかったが大原はセックスを拒否するまで疑心暗鬼は深まった。欲求不満になった渡瀬は家政婦にも言い寄った[7][注釈 4] という。1978年離婚、渡瀬の親友だった江藤潤は傷心の渡瀬を支え「直後はショックが手に取るように分かった。当時、一緒に飲みに行くと、いつもどっぷりと落ち込みながら痛飲していた」といい、めったにやらないカラオケにも付き合った[109]

離婚後、仕事では円熟期を迎えていた渡瀬だが、大原は少しずつ時代に必要とされなくなり仕事の本数が減っていく[112]。そんな折、(当時)十津川シリーズ・プロデューサー森下和清が「(2004年シリーズ33本目で)大原に出てもらいたい」旨を渡瀬へ伝えた。すると渡瀬は「俺はいいけど、奥さんに聞いてみるわ」と答え、妻は「そんな小さいこと忘れているからいいわよ」と答えてくれたのが後押しになった[113]。また渡瀬は仕事が減少していく大原を気遣ってオファーしたともいわれている[112]。常々、大原は「(渡瀬とは)嫌いになって別れたわけではない」と話していたのでオファーを喜んで受けた[112] という。撮影中、渡瀬は自分の出番がなくてもマネージャーのように大原へずっとついて[113]、撮影も順調に終わった。だが、オンエアを見て大原の表情が変わった。「(2つ年上の渡瀬と並んで)私のほうが老けて見える。悔しい!」大原は十津川が映像作品の最後の仕事になった[112]

大原は、2000年過ぎから心身のバランスを崩し、色々な人へ時かまわず一方的な迷惑電話をするようになり、浅丘ルリ子など仲の良い人は大原と絶交してしまう[110] が、渡瀬は大原から電話がかかってきても拒絶せず話を聞いたという。

2度目は結婚当時元OLの一般人女性(1979年〜2017年)。渡瀬が公に語ることは少なかったが、渡瀬逝去後の2017年6月7日『徹子の部屋』に出演した井ノ原快彦によれば子供2人が独立して巣立った後、妻と2人きりになり「二度目の恋だな」と井ノ原に妻への愛情の一端を語っていたことを紹介していた。1994年、脳梗塞を患ったことをきっかけに健康維持のため始めた散歩に付き添っていたことなどを生前の渡瀬が明かしている。特に晩年、がんになってからは治療法について周囲と相談したり、がんで体力が落ちる渡瀬を気遣い、食欲が減退する渡瀬のために食べやすく栄養が取れる食事を作るなどして、渡瀬を支え続けた。そんな献身ぶりに渡瀬は「なぜコイツと一緒になったかわかった」と愛情と感謝を口にしていた[105] とされる。

交友

  • 実社会に出てから一番の出会いと映画の世界の恩師は深作欣二という。「作さんみたいに人間としても奥行きがあり包容力がある人は一生に1人か2人しか出会えない」と絶賛、生きていたら「(インタビューを受けていた2009年当時の)自分のやり方が合っているかチェックしてほしい」といい、そして深作に生きていてほしかったと話している[97][注釈 5]
  • 映画にクレジットされることもない大部屋役者たちと、東映のやくざ映画やアクション映画などに出演した際に親交を深めた室田日出男志賀勝川谷拓三片桐竜次野口貴史岩尾正隆小林稔侍らが17名で結成した「ピラニア軍団」の発起人となったことでも知られている。「無類の酒好きなのに、忘年会などどこからも声がかからないから自分たちで飲み会をやろう」というのが結成のきっかけだった[55] という。破天荒な役者たちをおもしろがり、村長役を買って出たのが深作欣二、中島貞夫、倉本聰[55]
    • そのピラニア軍団の成瀬正孝はプライベートでも親友の間柄で、普段から「俺、お前」と言い合うほどの付き合いであった。成瀬は(最後に渡瀬と会った)2016年初夏、成瀬から見ても渡瀬は具合が悪そうだったがホテルに戻らず「せっかくだからご飯を食べに行こう」と時間を作ってくれたことを明かし、昔から現場のスタッフにも「腹減ってないか」「疲れてないか」と気を配る渡瀬の人柄を偲んだ。独身時代、渡瀬の運転で伊豆戸田の海で素潜りしながらタコや魚を取り、若い時は2人でよく遊んでいたことばかりを思い出しますと述懐した[114]
    • 1975年に放映された「影同心」の共演で井上茂は渡瀬と出会った[55]。初対面の挨拶時、当時チャンバラトリオで人気を博していた兄の名前を出し「ゆうき哲也の弟の井上茂です」と名乗った。すると「それは違う、あなたは井上茂でしょ」と一蹴。渡瀬は井上に対し「誰かの弟ではなく、あなたはあなた自身」と諭した[55] という。井上曰くピラニア軍団をこう振り返った。「とにかく酒豪揃いなので、酒を飲むにしても豪快で、氷を入れるアイスペールになみなみと酒を注ぎ、それを回し飲みするのです。渡瀬さんはお酒を飲まれない方なのですが、自分にまわって来たら、生来の負けず嫌いが顔を出し、飲み干します。それでいて酒に飲まれない。翌朝どんなに早く撮影があっても、普段通り整然とスタンバイされていました。よく焼酎の牛乳割を飲まれていたのを思い出します」[55]。当時のピラニア軍団は血気盛んで喧嘩が絶えなかった。ある日、井上が大喧嘩をしていると渡瀬がすごい剣幕で割って入り「どっちが悪いんだ」と問いただしたという。渡瀬の筋を通す「男気」はピラニア軍団の強者たちも一目置いていた[55]。また渡瀬は井上が俳優で活躍できるよう深作欣二と引き合わせ「やくざの墓場 くちなしの花」(1976年)に出演、石原プロにも井上を紹介し、「大都会Ⅱ」の「17番ホールの標的」(1977年)にメインゲスト扱いで出演できた[55]
  • 成田三樹夫遺稿句集「鯨の目」[115] に成田を紹介する文章を寄せている[116]
    • 共有できた時間は短かったのに、どうして気になる存在だったのかを考えて、渡瀬は自らこう答える。「私は成田三樹夫さんのファンだったのです。古武士を思わせる風貌と失われつつある日本人の原点を持っていた成田三樹夫さんに魅了されてしまった一ファンだったのです。先輩として見たこともなく、同業者として見たこともなく、いつもファンという立場で、成田三樹夫さんのことを見ていたのです」[117]
  • 「南極物語」や「戦国自衛隊」で共演した俳優の江藤潤は40年来の親友であり、家族ぐるみで交流を続けていた。そんな江藤にとって渡瀬は「酒と煙草と仲間を愛した人」だったという[96]
  • ガッツ石松は兄貴分として渡瀬と40年来の親交があった[118]
    • 映画『極悪拳法』(1974年)で初共演。2004年には『つぐない』でも共演。ガッツ石松曰く渡瀬は「大先輩なのに、ウマが合って仲良くさせてもらった。聞き上手な方でいつもニコニコしていた」という。ガッツ石松自ら企画・製作総指揮を執り、監督・脚本・主演した自費映画「カンバック」(1990年)に友情出演したのが渡瀬だった。ガッツ曰く「構想を伝えたら『協力するよ』と。約束を守ってくれた」という。1996年、ガッツ石松が選挙に出た時も渡瀬は応援した[118]
  • 渡瀬が46歳当時1990年から2年ほど、渡瀬の付き人をしていた俳優・永井なおきは付き人を辞めてからも年に2回渡瀬の自宅へ出向き、近況報告を続けていた。偶然胆のう癌告知翌日に近況報告が重なった時も、笑顔で永井の話を聞いていたという[94]
    • 永井が付き人になった当時、周囲の人たちは渡瀬を「丸くなった」と評していたが安岡力也から『お前、恒さんを怒らせちゃダメだぞ。俺がどれだけ怖い思いをしたか知ってるか?』と脅された[119]
    • 渡瀬の付き人になるにあたり、先輩の付き人から申し送られたことは「渡瀬がプロデューサーにキレそうになったら、先に殴られて阻止しろ」[94]
  • 1977年『かあさん堂々』での共演から親交があり、俳優の傍ら東日本大震災における社会貢献活動をしている堀内正美へ東日本大震災の被災者に心を寄せた内容の直筆メッセージを託しており、渡瀬の死をきっかけにTwitter上で公開した[120]
  • 1970年代アウトロー映画で渡瀬の飛躍を支えた盟友の中島貞夫は、2011年渋谷シネマヴェーラで行われた東映60周年記念のトークショーで渡瀬と共演した。企画の段階から「監督、なんかやるんだって?」と何度も聞いてきた[21] という。
  • 『警視庁捜査一課9係』で10年間共演した井ノ原快彦は「結婚しますとか、子供が生まれますとか、個人的にいいことがあったら、まず渡瀬さんにお伝えしています」と渡瀬を家族のように慕い、渡瀬も愛称の「イノッチ」と呼び可愛がっていた[45]
  • 映画『セーラー服と機関銃』以降、角川映画の常連だったが、角川春樹が監督した『愛情物語』に出演する際は、「角川とケンカにならないように」と書いたお守りを持参し、幸いケンカにはならず、以降は食事を共にする仲になった。角川へは年賀状を毎年のように送り、死去する3カ月前には「賀春 素敵な一年でありますように」という文面をしたためて、癌で余命いくばくもない状況を一切見せなかったという[121]

没後、共演者・スタッフの追悼

『十津川警部シリーズ』(1992年-2015年)
  • 伊東四朗が3月16日所属事務所を通じてコメントを発表
    • 「私よりずっと若い渡瀬さんが亡くなったことにショックを受けてます。来月ドラマでご一緒するはずでした。『おはようございます』ではなく『お帰りなさい』と言うつもりでしたのに『さようなら』になるとは…。十津川シリーズの五十四本は忘れられない財産です。お世話になりました[122]
  • 山村紅葉が3月16日所属事務所を通じてコメント発表、3月18日ブログ[123] を更新
    • 「『十津川警部シリーズ』などで、25年間、あちこちの断崖絶壁で、その土地の美味しいお料理をご馳走になり、いろんなお話を伺わせていただき、心から尊敬申し上げておりました。突然のことに、悲しみが深すぎて、気の利いたお別れの言葉も見つからず申し訳ございません…[124]
『タクシードライバーの推理日誌』(1992年-2016年・2017年初夏にパート40の撮影予定があったが叶わずに終わった[125]
  • 風見しんごが3月16日フジテレビ『ノンストップ!』を通じてコメントを発表
    • 「まだ信じていません。僕にとっても大きな大きな方。『くじけるなよ』って何度も肩をぐっと握ってくださった。暖かくなったらまたご一緒させていただいて撮影に入りたい」[126](風見は2007年当時娘を交通事故で失い、翌年長男死産という憂き目にあう。そんな風見を渡瀬は励まし支え続けた。当時のエピソードが風見の著書『さくらのとんねる』に記されている[127]
  • 佐藤二朗が3月16日自身のTwitterでコメントを発表[128]
    • 「TVで見た日本アカデミー賞の中継と記憶している。候補者一人一人のインタビューで今の気分を聞かれ「(賞を)取りたいに決まってるでしょ」と答えたその人を凄く格好いいと小学生の僕は思った。何度もご一緒したのにそれを言えなかったのが悔やまれる。渡瀬さんの背中は永遠に遠い[129][注釈 6]
『ちりとてちん』(2007年)
  • 桂吉弥が3月16日所属事務所を通じてコメント発表、17日独演会取材会の席上で思い出を振り返った。
    • 桂吉弥の師匠桂吉朝は『ちりとてちん』の2年前に50歳で急逝している。『ちりとてちん』を通じて、吉弥は渡瀬を師匠の吉朝と重ねていたといい、(ドラマの中で)師匠と別れる病室のシーンでは、吉朝へ伝えられなかったことを言えたような気がしたものです[130] と振り返った。
    • 渡瀬のクランクアップで桂吉弥と貫地谷しほりが名残惜しんでいると「はよ(次の準備)せえ」と叱った。後に理由を聞くと、渡瀬さんは「スタッフさんはこの後、セット替えもある、今(吉弥らが)着ている衣装のアイロンがけとかたくさん、やることはあるんだ」と話したという。スタッフを思い、共演者を叱る「優しさ」と「厳しさ」を吉弥は渡瀬から教わった[131]
    • ある日、桂吉弥は渡瀬が収録後のカメラテストを確認してないことに気づき、渡瀬へ質問すると「(東映時代の若き日)いきがっていたのか、今のは気に食わないと10回撮り直していた」と振り返り、話し始めた。「その後、監督に呼ばれて、試写室で自分がNGを告げた場面だけを流された。自分が何でNG出したのか、分からん場面ばかりで恥ずかしく、それから監督が『OK』と言えば信じることにした」と教えてくれた[131]
  • 貫地谷しほりが3月18日「SmaSTATION!!」出演(渡瀬恒彦#没後3月18日参照)、3月19日渡瀬への気持ちをブログ[132] に記した。
『劇場版釣りキチ三平』(2009年)[注釈 7]
  • 土屋太鳳が3月16日ブログ[133] で思い出を語った
    • 当時渡瀬から「お前は演技はヘタだけど、飯の食い方はいい!きれいに食う!」と大きな笑顔で褒められた[134] という。
    • 当時、土屋が芸能界入りを志すきっかけになった『セーラー服と機関銃』に出演していた渡瀬へ憧れの作品だった気持ちをぶつけた。すると、渡瀬は当時の貴重なエピソードや薬師丸ひろ子の様子などを詳しく土屋に話して聞かせ、感激した土屋は台本の隅にたくさんメモをした[134]
『北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼』(2001年-2009年)
  • 髙嶋政宏が16日所属事務所を通じてコメントを発表した。
    • 渡瀬は現場でどうあるべきか全てを教えてくださった巨星。「お前、スタッフは名前で覚えろよ」とか、あるシーンの芝居で悩んでいると「お前そんなに考えて疲れない?」と優しく言ってくれたり、「お前どっちでやるんだ?!早く決めろ!」と叱咤してくれたりした。数年経った頃「あいつも色々、考えてるからよ。俺が考えたラストシーン、高嶋に、まず読ませてやってくれよ」とプロデューサーに言ってくれた時は嬉しかった。とにかく厳しく優しく、現場で台本を持たない、常にそのシーンをどうやったら面白くなるかを考え続けた方でした[135]
  • 当時のプロデューサー・森田昇が2017年GWにBSジャパンで同作品が追悼一挙再放送されることに伴い4月28日コメント発表
    • 「渡瀬さんが撮影現場に入ると、そのプロ意識の高さによって良い意味でスタッフ・キャストに緊張感がみなぎり、段取りや演技などがより良くなりました。常に仕事に厳しく、芝居はピカイチでした」[136]
    • 「山岳救助隊シリーズ」の醍醐味は、ラストの山頂でのシーン。森田によれば「渡瀬さんのせりふが少なくても、そのシーンを渡瀬さんが全て持って行ってしまうのが印象的でした。それほどの存在感と説得力がありました」[136]
    • 思い出深いエピソードとして「映画でスタントマンなしでアクションシーンを撮るという渡瀬さんの噂通り、かなり標高の高い山の上にもざくざくと進み撮影に臨んでいました。天気の変わりやすい山頂の撮影で、撮影シーンの順番が目まぐるしく変更になっても、素早い対応でこなされていました。撮影の合間には、映画時代の驚くようなお話や、南極など世界中の極地での撮影エピソードなど興味深いお話をたくさん聞かせていただきました」[136]
『おみやさん』(2002年-2016年)
  • 2006年と2012年にゲスト出演した原田龍二が3月16日ブログを通じてコメントを発表した[126][137]
    • 「京都の撮影所ではよくお会いし、ダンディーと鋭さが同居している魅力的な大先輩として拝見していました。共演した際も、暖かく厳しい目で僕の芝居を受け止めてくださり、嬉しかったことを思い出します[138]。」(原田の他に川岡大次郎遊井亮子含め[137] スタッフ・レギュラー・ゲスト出演総勢20名以上がSNS上で渡瀬の思い出に触れながら追悼した〔参照:おみやさんの登場人物#鳥居勘三郎を演じた渡瀬恒彦への追悼〕。「おみやさん」のみならずあらゆる作品で渡瀬を支えてきた。)
  • 名取裕子は自身のレギュラーラジオ番組「オールナイトニッポン MUSIC10」2017年3月21日放送分で、渡瀬の死を悼み、共演経験が多かった名取の心中を思いやるリスナーメールを紹介。名取は涙声に詰まりながらも渡瀬の人柄と思い出を偲び「一人ひとりの心の中で、ずっと思っている限り、渡瀬さんはいてくれる。」と語り、リクエスト小田和正さよならは 言わない」をかけた[139]
    • 名取と渡瀬は映画やテレビでたくさん共演作があるが、木曜ミステリー枠を長く主演作で支え、2012年『おみやさん第9シリーズ』第1話で名取演じる鶴丸あやが、『京都地検の女第8シリーズ』第1話で渡瀬演じる鳥居勘三郎がそれぞれ特別出演したのが最後の共演になった。
その他
  • 中江有里は『奇跡の山 さよなら名犬平治』(1992年)で渡瀬と共演した。
    • 中江はTwitterで「ご一緒した際、ご自身を鍋将軍と称してすき焼きをふるまってくださったことが思い出深いです。優しくてかっこいい『お父さん』でした[126][140]」と偲んだ。
  • 安達祐実のデビュー作『REX 恐竜物語』(1993年)では父親役の渡瀬と共演。
    • 安達は出演ドラマ会見場で「子供の頃でしたけれど、あいさつの仕方や食事の仕方など人としての基本的なことを教えていただきました。大人になってからも、食事をする機会などで渡瀬さんに言っていただいたことを思い出します[141]。」安達が成人以降、渡瀬と共演した際は「私が体調の悪い時があって、マネジャーづてに番号を聞いて電話をくださって“健康には気をつけなきゃダメだよ”と言ってくださった。いつも強い、お父さんのような存在でした」と唇をかみしめた[141]
  • 草刈正雄は『真田太平記』(1985年)で共演。渡瀬が真田信之を演じ草刈が弟の真田幸村を演じた。
    • 草刈は所属事務所を通じてコメントを発表。「役者として、男として、人として、格好良かった。僕の目標でした。残念です」[142]
『警視庁捜査一課9係』(渡瀬の出演は2006-2016年まで、以降は映像での出演)
  • 羽田美智子が3月16日所属事務所を通じてコメントを発表、あわせて3月21日ブログを更新。渡瀬の訃報が報道された3月16日撮影が中止され、吹越満の発案で小さなお店にキャストが集まって肩を寄せ合いたくさん話をした様子が紹介[143]。なお、3月31日のブログには羽田含めた9係の全キャストが渡瀬の自宅に弔問へ行った様子が書かれた[144]
    • 「長年ともに過ごさせていただいた『9係』の現場で、渡瀬さんのいすを見詰めながら戻っていらっしゃることを信じて、待ちわびていました。『渡瀬さんの不在はやっぱり寂しいです』と手紙を書こうとしていた矢先の突然の訃報。信じがたいです。たくさんお話したいことがあったのに、、、」[145]

注釈

  1. ^ 高田は当時喫茶店で仲間たちとヒロポンを吸っている渡瀬を目撃している
  2. ^ ニッポン放送薬師丸ひろ子 ハート・デリバリー」2017年4月2日放送分でも触れられたエピソード
  3. ^ 津川は渡瀬を「ちゃん」付けで、かつ自分が亡くなった時に葬儀を仕切ってもらいたくブログで「渡瀬ちゃんは僕の裏方の葬儀取り締まり」と公言する程信頼していた。あわせて渡瀬が2009年公開『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』を映画館で見て感動、津川に連絡してきた様子を2009年2月13日更新津川のブログに残している。津川雅彦 (2009年2月13日). “『旭山動物園物語』大化けか?”. 津川雅彦オフィシャルブログ「サンタの隠れ家より」. 2017年4月19日閲覧。
  4. ^ 「当時の家政婦が渡瀬に言い寄られたと言った。」と証言したのは大原麗子の実弟
  5. ^ 「徹子の部屋」2011年4月28日出演分でも同じ話をしている
  6. ^ 直接渡瀬の名前は出してないが、佐藤は4月10日渡瀬の自宅へ弔問に行ったと思われるツィートを残している佐藤二朗のツィート(2017年4月10日)- X(旧Twitter)
  7. ^ 「劇場版釣りキチ三平」に出演した須賀健太も渡瀬へ感謝のTwitterを残している須賀健太のツィート(2017年3月15日)- X(旧Twitter)
  8. ^ 兄弟揃って出演した唯一のCM

出典

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