渡哲也 来歴

渡哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 22:17 UTC 版)

来歴

島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ[4][5]。父親は日立に勤務[6]広島県呉市の軍需工場などを転々として、日立の安来工場に勤務していた時、当地出身の渡の母と結婚していた[4][5]。戦時中の1943年[6]、父親は任地の日立呉工場を退職し[6]、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻り洋品店を開業、小学校一年生途中から淡路島で育った[4]。出身を淡路島にしているのは、日活に入ったとき石原が神戸市生まれなので、淡路島の方がイメージ的にいい、という判断で決めたからだという[4][5]。終戦後の物資不足で長男と四男は亡くなった[6]。淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)[7]青山学院大学経済学部卒業。大学在学中は空手道部(流派は日本空手協会松濤館流)に在籍し、青山学院大学・空手道部OB会長・渡瀬道彦の札もかかっていた。空手弐段柔道初段

大学へ通うため上京。弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していたが、在学中に日活浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集していた。弟の渡瀬や所属していた空手部の仲間が内緒で応募したため、本人は激怒するが、就職を希望した日本航空の整備士社員の採用試験で不合格になり、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」と友人から言われ、日活撮影所を訪問した。その時にスカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社した[8]

既に斜陽期に差し掛かってた日活では高橋英樹に続くスター候補として、デビュー前の記者会見では破格の扱いを受け “映画界待望久し!日活に驚異の新星!渡哲也!!” の横断幕(実は模造紙)で大々的に売り出された。記者会見の場で瓦割りを披露し、翌日のスポーツ紙やニュース映像でも大きく取り上げられた。

1965年(昭和40年)3月『あばれ騎士道』で宍戸錠とのW主演でデビューし、この作品で、エランドール賞新人賞を受賞し、2作目の『青春の裁き』で単独主演しオープニングクレジット映像では空手の型・約束組手を披露し、本編での複数相手の乱闘シーンでは飛び蹴りや二段蹴りを連発し正拳突きで止めを刺すなど空手部キャプテンの実績を生かした作品になっている。ただし殺陣師から「そんなに腰を落としちゃスクリーンでの見栄えが悪い」として腰高に直され不本意な空手になってしまった、と述懐していた。同期で活躍しているのは太田雅子(後の梶芽衣子)。

1965年(昭和40年)12月『赤い谷間の決斗』で石原裕次郎と初共演[9]

1966年には監督鈴木清順 脚本川内康範東京流れ者』に主演し主題歌「東京流れ者」も歌っている。

吉永小百合との初共演映画の『愛と死の記録』で第17回ブルーリボン賞新人賞を獲得。

また「裕次郎2世」と言われたことから、リバイバル版の『嵐を呼ぶ男』に主演。

1968年(昭和43年)舛田利雄監督による『無頼より・大幹部』から始まる『無頼』シリーズ6作品は渡の日活時代の代表作となった。

渡は『東京流れ者』や『無頼シリーズ』などで、一躍日活ニューアクション時代のスターとなったが、1971年、日活のロマンポルノ路線への転換にともない、1971年(昭和46年)7月封切の『関東破門状』を最後に日活を退社した[10]

その後、東映など映画会社数社から渡の引き合いがあるものの、石原への尊敬の念などから、渡は1971年(昭和46年)、借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社[11][10][12][13]

1971年(昭和46年)9月封切の『さらば掟』を手始めに『ゴキブリ刑事』、『野良犬』などの松竹東宝の作品に主演、準主演で出演した。また連続テレビドラマにも出演する中、1972年(昭和47年)、テレビ時代劇『忍法かけろう斬り』収録中に肋膜炎を発症し入院。第20話で降板となり、第21話から最終話(第26話)まで渡瀬恒彦が代役を務めた。その後、1974年(昭和49年)大河ドラマ勝海舟』の主演に抜擢される。しかし収録中に高熱が続き入院。第9話で途中降板となる[9]。風邪をこじらせた後、急性肝機能不全症を併発し、入院は9か月に及んだ(その後、膠原病であったことが判明)[14][15]。なお代役には松方弘樹が抜擢された[9][14][16]。一方で前年1973年8月にリリースした「くちなしの花」が年明けからヒットチャートを上昇し、1974年の年間シングルチャートで7位を記録[17][18]オリコンセールス:77.4万枚[19]、累計150万枚を売り上げ[20]全日本有線放送大賞金賞も獲得し渡の代表曲となった。渡の体調も秋には回復し、年末の第25回NHK紅白歌合戦に初出場し、テレビで初めて生歌唱した[18]

1974年(昭和49年)再び映画各社の間で激しい争奪戦が起こり[12][17][21]、特に弟・恒彦をスカウトした[22]岡田茂東映社長(当時)が[17]高倉健の次の東映の看板スターにしたい」と熱心に誘い[9][10][17][21][23]、渡自身も「アクション映画をやりたい、自分のキャラクターを活かしてくれるのは東映を置いて他にない」と強く東映入りを希望したとされたため[17][21]、1975年(昭和50年)に渡は東映入りと報道もされた[21]。当時の東映は俊藤浩滋が高倉らを伴い独立しようとしたお家騒動があり[17][21][24][25][26]、岡田は渡を高倉の後釜に据えようと画策していた[9][10]。もともと1973年の『仁義なき戦い』で菅原文太をスターダムに押し上げた広能昌三役も最初にキャスティングされたのは渡であったが[13][27][28]、この時期、渡は体調が優れず実現に至らなかった[4][24][27]。1974年暮れ『脱獄広島殺人囚』「新仁義なき戦いシリーズ」とも渡は出演要請を受けたが[21][29][30][31]、体調がまだ万全ではなく断った[17][21]。岡田からの東映移籍の誘いは「私は石原裕次郎に恩義があります。石原裕次郎を裏切ることはできません」とキッパリ断った[9][10][12][23][32]。但し、東映の映画出演については了承したため[10][21]、1975年2月、東映実録ヤクザ路線極北といわれる『仁義の墓場[33]でようやく東映初出演、初主演した[9]。同作公開後、岡田社長は「今年はわが陣営に引き込んだ渡哲也君の"渡路線"を確立することだ」とぶち上げ[32]、この年4月の『大脱獄』で高倉健と[34][35]、5月の『県警対組織暴力』で菅原文太と競演させ[36]、6月の『スーパー・アクション/強奪』(『資金源強奪』として映画化)と8月の『日本暴力列島・北九州電撃戦』(映画化されず)で主演させ、"東映スター渡"をイメージ付けようとしたが『仁義の墓場』撮影後、再び病に倒れた[34][37][38]。先の『大脱獄』は、最初は高倉健、渡哲也、五木ひろしの三大共演を予定していたが[24][39]、五木がギャラ問題で降り、代わりに抜擢されたのが菅原文太で[24][39][40]、高倉、渡、菅原という三大共演の可能性もあり、実際に3人の名前の書かれたポスターも製作された[41]。しかし渡が前年に続き長期入院したため三大共演はおろか、渡と高倉、渡と菅原[注釈 1]の共演も永遠に実現することはなかった[32][35][39]。この1975年は、東宝系の芸苑社製作で今井正監督の水上勉原作『その橋まで』の映画化の主演も受けていたがこれも流れた[32][42]。入院は延べ2年半に及んだ[4]。病み上がりで撮影中に体調が急激に悪化した『仁義の墓場』は[43]点滴を打ちながら演じる渡の負のエネルギーが、石川力夫の怨念が乗り移ったかのような迫力を持ち評価が高い[28][37]キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」日本映画編(1999年版)では、日本映画歴代38位に選出されている。1976年(昭和51年)『やくざの墓場 くちなしの花』の主演で第19回ブルーリボン賞主演男優賞を獲得。渡はこの後石原プロのテレビドラマに専念するため映画出演は一時的に撤退した。しかし岡田茂との付き合いはその後も続き[44]、1996年に岡田から「もう映画を演ってもいいんじゃないか」と促され[45]、『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』の宮沢賢治の父・政次郎役で20年ぶりに映画界に本格復帰した[45][46]。本作でこの年の各映画賞助演男優賞を独占している。

石原プロは会社再建と経営安定のため、テレビドラマへ本格進出[12][47]。渡にとって復帰第1作及び主演ドラマ『大都会 闘いの日々』は『大都会 PARTII』『大都会 PARTIII』とシリーズ化、続いて主演した『西部警察』もシリーズ化され、5年間放映された。

これら刑事ドラマでの「角刈りにサングラス」というスタイルは渡のトレードマークとなった。

同時期に放送されていたTBSクイズ100人に聞きました』では「サングラスと言えば誰?」の問題で渡哲也が圧倒的人数で第1位を獲得した。ちなみに第2位が「ルビーの指環」でメガヒットを飛ばした寺尾聰で第3位が藤竜也であった。

渡は石原プロ再建に貢献し、石原の下で副社長も兼務していた。

1987年(昭和62年)7月17日に石原裕次郎が肝細胞癌のため、52歳で死去。10月、渡が石原プロの二代目社長に就任した。

1989年(平成元年)3月、渡が社長となって初の石原プロ制作作品『ゴリラ・警視庁捜査第8班』の第5話を撮影中、渡扮する倉本班長がヘリから降りて全力疾走するシーンで、ヘリから着地した際、左足に激痛が走ったが「ただの捻挫だろう」と、痛みを感じつつも撮影を続行した。しかし痛みは増すばかりで翌日、病院で診察を受けたところ、全治1か月半の「腓腹筋断裂」と診断された。これは、ヘリから着地した際の腓腹筋の捻挫が、その後の撮影続行で更にひどくなり、遂に断裂したのが原因だった。しかし渡は、撮影に穴を開けるわけにはいかないと、撮影続行を宣言。報道陣の前で「アクションと怪我は紙一重、やるっきゃありません」と、石原プロ社長としての責任感の強さをのぞかせた。その後、このケガが原因で、足をひきずって歩く後遺症が残った。

翌年放映された、時代劇スペシャル『大激闘! 四匹の用心棒』では、足を引きずって歩く主人公の浪人「かかしの半兵衛」こと金子半兵衛役を演じている。

1991年(平成3年)に自ら直腸癌であると発表。柏木純一の著書『渡哲也 俺』に壮絶な闘病記が記されている。これにより、オストメイト人工肛門使用者)であることを明らかにしている。

1996年(平成8年)に大河ドラマ秀吉』に出演。劇中では、主人公の秀吉(演・竹中直人)の主君である織田信長を演じ、退場回に放送された本能寺の変でのシーンは大きな反響を呼んだ。大河ドラマへの出演は、1974年(昭和49年)に病のため途中降板した『勝海舟』で主演をした時以来である。その後は2005年(平成17年)放送の『義経』に出演。劇中では、主人公の源義経(演・滝沢秀明)の物語上における父のような存在である平清盛を演じた。

2003年(平成15年)8月、テレビ朝日系『西部警察2003』のロケーションで、石原プロ所属俳優の自動車運転ミスにより、見物客5人が重軽傷を負う事故が発生。名古屋市内で会見した渡は、予定していた連続ドラマの制作、放送中止を明らかにした[48]。その後、第1弾として制作されたスペシャル版については紆余曲折を経て『西部警察 SPECIAL』のタイトルで、翌年2004年10月31日に放送された。

2005年(平成17年)に紫綬褒章を受章した。

2011年(平成23年)5月11日2009年(平成21年)の石原裕次郎23回忌を終えたことの区切りや、自らの健康上のこと、社長在籍期間が裕次郎の社長在籍期間と同じ24年目を迎え「それを越えるわけにはいかない」などの理由から、3月28日付をもって石原プロモーション社長を退任したことを発表した[49]。12月23日放送のTBSの年末スペシャルドラマ『帰郷』では、弟の恒彦と約40年ぶりの共演を果たした。1971年(昭和46年)4月から1972年(昭和47年)3月に放送のNHKの連続ドラマ『あまくちからくち』以来のことで、その時と同じく兄弟役で共演した[50][51]。その後恒彦とは、十津川警部シリーズ50「消えたタンカー」で再び共演、渡は犯人役で出演した。

2015年(平成27年)6月10日急性心筋梗塞で緊急入院、手術を受けていたことが、7月17日に明らかになる[52]。約1か月で退院。11月10日宝酒造「松竹梅」のCM撮影で仕事復帰(前年8月の同CM発表会見以来、1年3か月ぶり)[53]

2017年(平成29年)3月14日、弟・恒彦が胆嚢癌による多臓器不全のため72歳で死去[54]4月1日、石原プロモーションの経営陣に復帰[55]。「相談取締役」の肩書きで相談役取締役を兼任する。

2020年(令和2年)8月10日午後6時30分、肺炎のため死去[2][3]。78歳没。渡の遺志により直後の発表はされず、石原プロ関係者には8月12日に死去が知らされ、一般への公表は家族葬が終了した8月14日に行われた。お別れの会なども、渡の遺志により行われない[56]




注釈

  1. ^ 渡と菅原は2002年に公開された『修羅の群れ 第三部 完結編 大抗争列島!!』で2人が絡むシーンはないが出演している。
  2. ^ 財産は結局、石原裕次郎は気持ちだけ受け取ったという。このエピソードはドラマ『』でも触れられている。
  3. ^ 「テツ」というのは、公的な場以外で渡を呼ぶ際に石原が使う愛称で、この呼び方で渡を呼ぶのは石原だけであり、他の人間がその名で呼ぶことがはばかられていることは同番組にて舘など石原プロモーションの面々から証言されている。
  4. ^ 子供の頃、近所の浜辺で友達らと一緒によく魚介類を獲り、そのまま焚き火をして食べた思い出に原点があるとのこと[59]
  5. ^ 深作自身、キャストをその2人で構想を練っていたそうである[要出典]
  6. ^ 渡がマグロを釣り上げた話題は、スポーツ紙の芸能面でも記事になった[要出典]
  7. ^ デビュー曲。日活映画『真紅な海が呼んでるぜ』主題歌。
  8. ^ 片面は、小林旭&坂芳子の「かけ橋音頭」。
  9. ^ 坂芳子とのデュエット。
  10. ^ 日活映画『海は真赤な恋の色』主題歌。
  11. ^ 日活映画『あの娘のために死ぬんだぜ』主題歌。
  12. ^ 石原裕次郎のカバー。
  13. ^ 初のオリコンランクイン。最高位65位。
  14. ^ 150万枚の大ヒット。オリコン最高位4位。全日本有線放送大賞金賞受賞。
  15. ^ 日本テレビ系『大都会PARTII』挿入歌。50万枚の大ヒット。
  16. ^ 日本テレビ系『大都会PARTIII』主題歌。当時で15万枚ほど、最終的には「ひとり」の半分くらいの売上に留まる。
  17. ^ 多岐川裕美とのデュエット。
  18. ^ いしだあゆみとのデュエット。
  19. ^ 松坂慶子とのデュエット。
  20. ^ カシオ計算機「VALERIE」CMソング。
  21. ^ 宝酒造「松竹梅」CMソング。
  22. ^ ANB系ドラマ『代表取締役刑事』エンディング・テーマ。
  23. ^ ANB系ドラマ『用心棒かかし半兵衛』主題歌。

出典

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