活字 歴史

活字

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 03:31 UTC 版)

歴史

中国・朝鮮

現存最古の活字印刷物:『仏説観無量寿仏経』(1103年)残頁

活字は中国で発明された。漢字の数の膨大さは活版印刷をおこなう上で常に障壁となり、後々までも小規模な設備で印刷をおこなうことを困難たらしめた。このため、活字印刷の淵源は中国にあるが、漢字は最も印刷に向かない表記法でもあった。

夢渓筆談』に記録が残っている畢昇膠泥活字(こうでいかつじ)が知られている最古の活字である[5]。同書によれば、粘土(膠泥)の一字一字の駒に文字を彫り、焼いて活字を得た。必要に応じて数十個まで作られた活字は、韻によって木箱に分納された。陶を使ったのは、木では彼の考案した印刷法に向かないためという。温州市の白象塔から発見された北宋崇寧年間(1102-1106年)印刷(膠泥活字)の『観無量寿経[6]が、知られている現存最古の印刷物である。その他、12世紀半ばから13世紀初頭に西夏で印刷されたと見られる、内モンゴル自治区エジン旗から発見された西夏文字による仏典や武威市で出土した維摩詰所説経が現存している。

1300年代には王禎木活字を作った。王禎は、韻書にそって字を選び、能書家に字を書かせ、それを板木に裏返しにのり付けし、工人に彫らせたと記録している[7]。木活字版はおもに仏典や学術書などの開版に使われた。木活字は欧州へも伝播した。

13世紀には朝鮮半島や日本へも金属活字や木版が伝わったとみられる。高麗では1234年に青銅製の活字が作られ(銅活字と呼ばれる)実用化したといわれている。高麗末の14世紀後半に印刷された直指心体要節が現存する世界最古の金属活字本であるといわれている。高麗においては発達せず、李氏朝鮮に至って本格化した。永楽元年(1403年)に李成桂の命により活字鋳造がはじめられた。この時の字は癸未活字という。その後数回の改刻を経たらしいが、現存していない。

文禄・慶長の役戦中の1593年柳成龍の提言により戦術訓練・首都防衛の目的で訓錬都監が設立された。ここで将兵向け兵書の出版が企図されたが、銅製活字が日本軍の戦利品として持ち去られたこと、迅速な出版が求められたことから、木製活字が製作され、兵書以外にも資金調達のため一般書籍の出版に流用された。これらを訓錬都監活字本という。1610年に出版された武芸諸譜翻訳続集両班階級ではない兵卒への武術教本のため、ハングル活字が使用され漢字ハングル交じり文で出版された。これは17世紀李氏朝鮮におけるハングル文字の受容と、ハングル文法の実例としても貴重な資料となっている[8][9]

ヨーロッパ

近代活版印刷技術はヨハネス・グーテンベルクによって1445年頃、ドイツのマインツで一応の完成をみた。すなわち、

  1. 鋳造しやすい鉛合金(活字合金)の活字材料
  2. 正確で生産性の高い活字鋳造技術
  3. 金属活字に適した印刷インキ
  4. 葡萄絞り機を元にした平圧印刷機

の開発である。この技術はまたたく間にヨーロッパ中に広がった。

グーテンベルクは本というものの新しい概念を追求したのではなく写本の再現につとめたため、彼の作った活字は、ブラックレターとかゴシック体と分類される、写本に使われる黒みの強い書体であった。『グーテンベルク聖書』を誤って写本として分類した図書館も存在する。

やがて単なる手書きの再現ではなく、印刷の特性に合わせた書体が生み出されるようになり、イタリアでニコラス・ジャンソンによってローマン体が作られるなど、さまざまな活字書体が生み出された。

グーテンベルク活字の改良

日本

キリシタン版・古活字版

日本にヨーロッパ式の活字および印刷術が伝来したのは1590年(天正18年)のことである[2]イエズス会がグーテンベルク系の印刷機を日本に持ち込み、教育や福音伝道に用いる書物を印刷した(これは「キリシタン版」と呼ばれている)。また、豊臣秀吉が1593年文禄2年)に朝鮮へ出兵した際に朝鮮の金属活字を日本に持ち込み、後陽成天皇に献上したとされるが、これで印刷されたものは知られていない。いずれにせよ、これらの環境によって、木活字による印行を活発にし、古活字版と通称される書籍群を生み、出版文化の基礎を築いた。その代表例が、慶長勅版(慶長2-4年)、伏見版(慶長6-11年)などである。伏見版で使われた木活字の一部は、開版の地であった円光寺に今もって保存されている(重要文化財)。古活字版は市場に対応できず、整版に譲って、印行部数も少なく写本と同じ扱いであった。キリシタン版及び嵯峨版は、連綿させた複数の字で一つの活字のブロックを作ったもの(連綿活字)を多用しているが、それ以降は散見されるのみであった。[10]

江戸時代

江戸初期には盛行した木活字印刷であるが、その後、版本の主流は、活字ではなく版木による整版印刷本に移り変わる。これは、漢字を多用する日本語表記が、印刷に際して組み直しの時間と手間が掛かり増刷の度に校正を伴うなど、利便性とコストにおいて劣勢であったことに起因する。一方の整版印刷は、刻工の手で板木を彫るにはコストと手間がかかっても増刷が容易であり、版木を蔵する(蔵版する)ことによって、版権も容易に維持できるなどのメリットが大きかった。

ただし、そのような状況の中でも、幕末までの間、木活字による印刷出版は主流とはならなかったものの継続された。そのような木活字本を、江戸初期の木活字版と区別するために、近世木活字本と呼びならわしている。また、幕末には、この近世木活字版による出版は、個々の出版部数は百部以下と少数であったが、一部では非常に盛行した。その理由は、今日の私家版自費出版に相当するような印刷物を出版するのに、木活字版が適していたことによる。

増刷を行なわない場合に限れば活字版は経済的であり、また整版に比べて多少歪な文字の並びになったり、凹凸によって文字ごとの濃淡ができたとしても、小部数の出版には木活字版は適していた。当然それらの版本は、一般の書肆が関与した町版とは異なり、写本と同様の流通をしていた。また、その特徴として、小部数の発行であったことから、幕府公儀の許可を得なくても出版することが可能であった。そのため、堂々と書肆の手を経て出版できない類いの思想性を帯びた図書などが、木活字版として出版された。一方、このような形態で出版されたため、公儀の許可を得るための奥付も附されていないのが、近世木活字本の特徴となっている。それ故、「無届内証」による板行という呼び方もされていた。

近代

幕末期、鎖国下の日本では、外国との交流の気運が高まり、さまざま形で西ヨーロッパの技術を移入しようという試みがなされた。活字もまた同様で、大鳥圭介島霞谷本木昌造らが試行し、一定の成果を得た。ヨーロッパにおける東洋学のなかで、日本語活字が製造されもしている。

ジェームス・カーティス・ヘボンは和英辞典の出版を考えたが、日本では印刷できずに中国上海に渡り美華書館で印刷した(『和英語林集成』1867年出版)。そのとき、岸田吟香の字をもとにして片仮名活字が作られた。

本木昌造は、しかし、欧文活字をわずかに鋳造するのに成功したのみで日本語活字はできていなかった。そこで、フルベッキの紹介にあずかり、当時上海にいたウィリアム・ギャンブル(日本ではガンブルと表記されることが多い)を招聘し、文字の細部まで高い再現性を持つ電胎母型法などを教授された。初期の本木らの活字はギャンブルが将来した美華書館の明朝体活字をそのまま複製したものに過ぎなかった。本木らのグループは、日本語を印行するために仮名文字を整備し、やがて築地活版製造所として会社組織を組みしていき、活字市場を覇することとなった。

その後、築地活版の活字を購入し、そこから自らの活字にしていく動きが出た。その主たるものが秀英舎(現在の大日本印刷)の活字であり、これは築地体と並んで金属活字の二大源流と呼ばれるようになっていく。

東京築地活版製造所」 鉛製活字製造の始祖である本木昌造(1824 - 75)の高弟、平野富二(1846 - 92)が、師の許諾を得て明治6年(1873)に創業した活版製造印刷所。その製造活字は「築地の文字」と称せられ、全国の印刷所に普及。36年(1903)には、9ポイント活字を始めて紹介した。金属版の絵あり。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「東京築地活版製造所」より抜粋[11]
日本語文字の活字は膨大な数になる

現代

写真植字(写植)とDTP(デスクトップ・パブリッシング)化などの時代の流れは、活字の衰退に決定的なものとなった。デジタル製版が可能になり、1990年代は活版印刷が激減した時期であり、多くの会社や店舗が撤退し、ごく一部の会社のみDTPや近代的な印刷会社へと転業した。現在の日本では、活版印刷は絶滅に近い存在であり、名刺はがきなど、おもに活版の風合いを好む顧客からの注文により印刷する印刷業者はあるものの、本1冊分の印刷を行うような印刷会社はほとんどない。

金属活字が摩耗、破損、もしくは紛失した際に、それを鋳造で作る金属活字の母型も、母型を作る職人がほとんど途絶えたため新規に作ることが出来ず、普段は金庫に厳重に管理され、大変に貴重、かつ高価な存在となっている。


  1. ^ デジタル大辞泉
  2. ^ a b c d 『ブリタニカ国際大百科事典』「活字」
  3. ^ a b 『日本大百科全書』(ニッポニカ)、「活字」
  4. ^ a b c 『マイペディア』「活字」
  5. ^ カーター: 162-164
  6. ^ 漆侠編『遼宋西夏金代通史 四』第四章四
  7. ^ カーター: 166-7。
  8. ^ 天理大学附属天理図書館『分類補註李太白詩文集』
  9. ^ 韓国国立中央博物館『武芸諸譜翻訳続集』
  10. ^ 堀川,2010,pp. 149-158
  11. ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「東京築地活版製造所」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧
  12. ^ スバルにおける 「椋鳥通信」 - 山口徹、早稲田大学教育学部学術研究第53号、2005年






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