泥のモスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 04:40 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchモスクは、ニジェール川が運んできた泥を原料にした日干しレンガを積み上げ、その上にさらに泥を塗って仕上げている。モスクの内部には、畳1畳分の太さがある柱がおよそ100本あり、これらも泥でつくられている[1]。
背景
ジェンネは2000年以上にわたって居住の見られる古都であり、サハラ砂漠の北からガオやトンブクトゥでニジェール川の河船に乗せかえられてやってきた岩塩や織物と、南の森林地帯から河船に乗ってやってきた金やコーラの実とが交換される、一大交易拠点として栄えてきた都市である。なかでも13世紀から14世紀にかけてのマリ帝国の時代、および15世紀後半から16世紀のソンガイ帝国の時代には最盛期を迎えた。
建築様式
泥のモスクはイスラームの影響で建てられたが、イスラーム建築の様式よりスーダン・サヘル様式に近い。モスクはほとんど泥で建てられた為、「泥のモスク」と呼ばれている。
最初のモスクは13世紀に建てられたが、現在のモスクはフランスの植民地政府によって1907年に建築されたものである[2]。19世紀前半、「フルベの聖戦」によりジェンネを含むニジェール川中流域に成立したマシナ帝国は、泥のモスクを遺棄すべきものとした[2]。泥のモスクは、19世紀後半、トゥクロール帝国がジェンネを支配した後も廃墟になっていたが、20世紀に入ってフランス植民地政府が再建を決定した[2]。
その他
様々な国から見学にやってくる観光客がいるが、マリの首都バマコからバスで10時間以上かかるうえ、モスクの中にはイスラム教信者しか入ることができない。
また、ユネスコ世界遺産の中で「100年後には見られない可能性が一番高い世界遺産」にも選定されている。
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 泥のモスクのページへのリンク