法学教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/13 20:05 UTC 版)
日本
日本においては、明治政府が1877年に(旧)東京大学法学部を開設した(1886年に帝国大学に改組)。東京大学への入学資格は、10年ないし15年の義務教育過程を修了した者に与えられた。すなわち、少数のエリートのみが入学可能であった。東大法学部の卒業生は政治的にも信頼され、行政府のエリートコースである高等文官や判検事に任官した。
1880年代には私立の法律学校も開設された。東京大学には与えられた政府資金による援助がなかったため、教育の品質は遅れていた。入学には単発の入学試験に合格すれば足りたため、入学者の中には中等教育を修了していない者もいた。卒業生は公職の就任には不適格とみなされたため、その多くは在野法曹となった。
1887年には、東京帝国大学法学部に多くの私立法律学校を監督する権限が与えられ、1920年代までには、基礎的な6つの法分野(六法)からなるカリキュラムを策定された。すなわち、憲法、民法、商法、民事訴訟法、刑法および刑事訴訟法である。日本では、この分類に基づいた法学教育が21世紀初頭まで続いている[1]。
2004年に法科大学院制度が導入されるまで、日本の法学教育は学校教育よりも試験が重要であった。司法試験の合格率は3%台が続いており、複数回の受験が当たり前であった。複数の受験予備校が司法試験対策を提供しており、2022年現在でも続いている。法曹資格取得のためには、司法試験の合格後に、最高裁判所司法研修所において行われる司法修習を修了することが必要である。司法修習においては訴訟実務に関する訓練が中心となる。司法修習においては、「見込みがある」とみなされた司法修習生が裁判官に「選抜」され、その他の者が検察官や弁護士となる。
2004年には、日本の国会は法務博士(修士相当)の学位授与権を有する法科大学院の創設するための法律を可決した。2006年には日本の歴史上初めて法科大学院の卒業を受験資格とする司法試験(新司法試験)が行われた。それ以前では、司法試験の受験資格に学歴による制限はなかったが、合格書の多くは東京大学、京都大学または一橋大学などのエリート大学の学部卒業生であった。法科大学院制度のもと、新司法試験の合格率は40-50パーセント程度が上限と定められた。2022年現在、受験生は初回の受験から5年以内に合格しなければならない。司法試験の合格率は上昇したが、約半数の法科大学院卒業生は法曹資格を取得できずに終わる。新制度により司法修習の期間も短縮され、約1年となった[2]。
日本には法曹以外の法律関連資格(隣接士業)も存在する。例えば弁理士、税理士、司法書士等である。これらの資格を取得するには、司法試験ではない個別の試験の合格が必要である。なお、日本の弁護士は、追加の試験を受けることなく特許出願業務や税理士業務[注釈 1]を自動的になしうるが、その逆は認められていない。
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