河村たかし 経歴

河村たかし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 21:52 UTC 版)

経歴

生い立ち

名古屋市東区古出来で河村鈊男(かねお)の長男として出生(現住所は同市東区古出来二丁目)[1]。出生時の名前は河村隆之(たかし)[2]。のちに戸籍名を変えて「河村たかし」となった。父・鈊男は、第二次世界大戦時には大日本帝国陸軍第101師団歩兵第101旅団指令部伍長として中国大陸に滞在。1945年(昭和20年)の終戦直後から南京市栖霞寺に滞在し、1946年(昭和21年)帰国。1948年(昭和23年)に河村紙業合資会社を設立し、初代社長となった[3]

大学卒業後、家業に従事

名古屋市立桜丘中学校を経て、1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。高校ではバドミントン部に在籍。1年間の浪人を経て、1968年(昭和43年)一橋大学商学部入学、1972年(昭和47年)に卒業。大学1年次の途中まで一橋大学硬式野球部に所属。大学時代は第二外国語ロシア語Kクラスで山内進(法学者・一橋大学学長)、増田悦佐(エコノミスト)と同級生だった。のちに河村支援団体の連合体「ネットワーク河村市長」の代表を務めた鈴木望維新の党衆議院議員・元磐田市長・元厚生省課長)は大学の1年後輩[4][5][6]

一橋大卒業後は家業の古紙回収業・卸売業の河村商事株式会社に入社(家業からは2002年平成14年)に退き長男が継ぐ)。河村商事株式会社は、河村入社当時従業員5名だったが、リサイクルブームの追い風を受け成長[7]、2017年現在従業員90名の中小企業である[8]

河村商事では専務を務め、営業やトラックの運転手等を行った。ちり紙交換業者に頭を下げて回り、古紙の回収先では、古紙回収業者が弱い立場にあるため、あごで使われ雑用も行わされた。また、業界でさきがけてプレス機を導入するなど、家業の拡張を図ろうとしたが、新工場の建設を「同業者の仕事を奪うことになる」と父に反対され頓挫した。大学で学んだ労務管理などの学問は役に立たなかった。そのような中で次第に業者のギルド的体質への反発を持つようになり、検察官への転身を志すようになる[9]

司法試験で挫折

大学時代に知り合った妻と1975年に結婚。その後、1977年(昭和52年)ころから検事を志すようになる。昼間は家族を養うため家業に従事しつつ、商学部出身であり法律の勉強をしたことがなかったため、仕事後に地元の法律学校(中京法律専門学校)の夜学に通って法解釈学及び行政学を10年間勉強し、旧司法試験を9回受験、当時合格率が10%から15%程度だった[10]第二次試験短答式試験には初受験で合格するなど計4回合格し[11]受験指導予備校での成績も良好だったものの、第二次試験論文式試験でいずれも不合格となり断念[12]。人生再チャレンジをできる社会を実現するため政治家を志すようになり、民社党委員長春日一幸の秘書となったが、春日の逆鱗に触れたため、民社党を除名となった。

政界入り

1983年(昭和58年)に愛知県議会議員選挙に立候補するも落選。

1985年(昭和60年)2月22日に「500円集めて作ろう庶民の名古屋の会(略称500円庶民の会)」を結成し、名古屋市長選挙に出馬表明するも、うまくいかず同年3月18日に市長選挙への出馬を断念。

河村商事株式会社専務等を務める一方、政治家を志して自由民主党に入党する。1990年(平成2年)2月18日第39回衆議院議員総選挙旧愛知1区から、自民党の公認を得られないまま保守無所属宏池会(宮澤派)新人候補として、当時の本名「河村隆之」の名で立候補するも落選。

1992年(平成4年)に自民党を離党し、翌1993年(平成5年)7月18日第40回衆議院議員総選挙日本新党公認で旧愛知1区から立候補し初当選した(同区で春日事務所時代の同僚で同じく民社党を除名された青木宏之も初当選)。同年8月の党役員人事で山田宏立法調整委員長(国会対策委員長に相当)の下で立法調整副委員長に就任した。

1994年(平成6年)12月、日本新党の新進党への合流に伴い新進党入り。

新進党ではNPOパートナーズ(1995年3月)の座長を務め、新進党NPO法案作成の実質的主導者として1998年(平成10年)3月19日の「特定非営利活動促進法」成立に尽力。なお、NPOの財政基盤強化のため必要不可欠な寄付控除を認める税制改正は、与党の反対で実現できなかった。

1996年(平成8年)10月20日第41回衆議院議員総選挙では、愛知1区に新進党公認で出馬し再選。

1998年(平成10年)1月6日、新進党が分党して結成された自由党に参加。同年3月19日の「特定非営利活動促進法」成立を区切りとし、4月に離党。無所属(院内会派無所属の会」)となった。同年12月、民主党に参加。

2000年(平成12年)6月25日第42回衆議院議員総選挙で愛知1区から民主党公認で3選。

2002年(平成14年)9月民主党代表選挙では、菅直人鳩山由紀夫の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため野田佳彦前原誠司松沢成文らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成した。

2003年(平成15年)11月9日第43回衆議院議員総選挙で愛知1区で4選。

2005年(平成17年)4月、名古屋市長選挙に出馬を表明したが断念した。

2005年(平成17年)9月11日第44回衆議院議員総選挙では、民主党劣勢の中、自民党候補などを大差で下し5選。

名古屋市長

2016年10月21日、総理大臣官邸にて内閣総理大臣安倍晋三(右)、愛知県知事大村秀章(中央)と







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