沢庵宗彭 逸話

沢庵宗彭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 16:10 UTC 版)

逸話

史実での逸話

  • 隠棲時、豊臣家[注釈 6]や様々な大名家(細川忠興[注釈 7]浅野幸長[注釈 8]黒田長政[注釈 9]など)から招かれたが、これらの招きを全て拒否した[5][注釈 10]。その他、高松宮好仁親王が弟子入りのために自ら投淵軒を訪れた際も決して会おうとしなかったという[5]
  • 大悟後、かつての師である春屋と問答をした際、その受け答えが当意即妙だったため、「伶牙利舌(れいがりぜつ)の漢」と称賛された。またこれを聞いた師の一凍は「真の跨竈児(こそうじ)」と賞賛したという(沢庵大和尚行状)。
  • 細川忠興に茶に招かれた際、かけられていた大燈国師(宗峰妙超)の墨蹟を一目で贋作だと見破った。これにより、贋作偽造を行った大徳寺の松岳紹長が破門されている[5]
  • 元和6年(1620年)頃、鬱病になったことがあるという(「東海百首」末尾)。
  • 紫衣事件の時、幕府に提出した抗弁書は自分一人が書いたものであり、処罰は自分一人にして欲しいと述べた。この態度に感銘を受けた天海は、沢庵を賞賛し、刑の軽減を主張している(細川家記)。
  • 柳生三厳(十兵衛)が最初に書いた伝書を父・宗矩に「焼き捨てよ」と命じられた際、十兵衛にその真意を教え諭し、伝書に一筆加えて宗矩へ取り成したことで、十兵衛は柳生新陰流の印可を得ることができたという(「昔、飛衛といふ者あり」(柳生十兵衛伝書))
  • 寛永19年(1642年)、日蓮宗と浄土宗の宗論に立ち合い、家光に「何故両宗は仲が悪いのか」と尋ねられた際、「両宗とも末法の世に教えを説くために仏法を分かりやすく引き下げてしまったため、引き下げた教えに食い違いが生じそれ故に宗論が自宗の正しさを示すものになるためです。他宗の場合は同じところに教えがあるので、そうはならないのです」と答え、家光も納得したという[2]
  • 家光から屋敷や寺を与えると言われても頑なに断り続け、最終的に柳生宗矩に説得され、ようやく東海寺住持となることを引き受けたという(沢庵和尚書簡集)。
  • 家光が東海寺を訪れた際、「東海寺ト言ヘト海近シ」と問われた時、即座に「大君ト言ヘト将軍ト称スルカコトシ」と返したという(徳川実紀

真偽が明らかではない逸話

  • 見張っていないとすぐに外に出て行ってしまうので、東海寺では「沢庵番」と呼ばれる見張りを立てたという。
  • 家光の命により虎をなでるように言われた際、虎の檻にするりと入って、たちまちのうちに虎を手懐けてしまったという[2]

注釈

  1. ^ 後の正保元年(1644年)、土岐頼行は東海寺に上山の春雨庵を模した塔中を沢庵のために建立している。
  2. ^ 「大徳寺難儀に及び申し候時は、柳生殿と堀丹州両人の外に、さまで笑止とも申す人はこれ無し候。我身を大事に皆々存じて、其の時分はのがれぬ人達も、よそに見ており申し候」」
  3. ^ 「両寺の衆侶、積年の愁眉一時にひらけ、喜ぶことかぎりなし。和尚富貴に親して栄幸あるを謗るもの有りしかど、ここに至って前言を恥じるもの少なからずとか」[2]
  4. ^ なお、『不動智神妙録』の原本は現存せず、沢庵から柳生宗矩に書き贈ったという事実を証する史料はないが、沢庵の作であり、しかも柳生宗矩のために書いたということは当時から認められていたようであり、今日では定説となっている(同書)。
  5. ^ 「上方よりの知音にて候。紫野(大徳寺)の昔から参徒にて、内縁ふかき人」
  6. ^ 慶長16年(1611年)の豊臣秀頼からの招きを断っている[5]
  7. ^ 慶長16年、細川忠興から自らが立てた寺の住職になることを依頼されたが、これを拒否している[5]
  8. ^ 慶長17年、浅野幸長が面会しに来た時は裏口から逃げて対面しなかったという[5]
  9. ^ 元和3年(1617年)に黒田長政から父黒田如水の供養のために博多に移した崇福寺の開眼供養に招かれた時も拒否している[5]
  10. ^ これを以って、佐和山城での縁により、沢庵が石田三成に好意を持っており、三成を見捨てた豊臣家や、敵対した豊臣系東軍大名との交流を拒絶したからではないかとする説もある[6]

出典

  1. ^ 寛永13年2月25日 小河九右衛門宛書簡[注釈 2]
  2. ^ a b c 『万松祖録』
  3. ^ 今村嘉雄『大和柳生一族』[注釈 4]
  4. ^ 寛永13年2月25日 小河九右衛門宛書簡[注釈 5]
  5. ^ a b c d e f g 『東海和尚紀年録』
  6. ^ 白川亨「石田三成とその一族」、三池純正「敗者から見た関ヶ原合戦」
  7. ^ 『随筆宮本武蔵』


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