決闘 ヨーロッパ以外の決闘

決闘

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ヨーロッパ以外の決闘

アメリカピューリタンの国であり、反ピューリタン的行為とされていた決闘が生まれる下地は本来なかったが、独立後にニュー・イングランドに住む商業成金がエリート主義からヨーロッパ貴族文化に強い関心を示し、息子たちをヨーロッパに留学させたりしたことでヨーロッパの決闘文化が輸入されるようになった。ただ決闘の精神まで輸入されたとは言い難く、名誉回復よりも個人的復讐や野心が前面に出ていることが多かったといい、19世紀の歴史家A・スタインメッツは「ヤンキーたちによって採用されたアメリカの決闘はまるで滅茶苦茶であり、フェアではない。厳密に名誉を重視し、紳士の精神に基づくイギリス人の決闘とはきわめて対照的である」と述べている[48]西部開拓時代には西部劇に見られるようなアウトローの決闘があった。とりわけ1849年から10年間、ゴールドラッシュによって荒くれ者が集まったカルフォルニア州は決闘の中心地になった。しかし西部の決闘はヨーロッパにおける決闘のように格式に則ることは少なかった。当事者双方の同意はあることが多かったが、理由は名誉回復などより金鉱の権利争い、酒場の女争い、ギャンブルをめぐる争いなどが多く、単に退屈だからという理由で行われることもあった。介添人を出すといった決闘の作法も遵守されず、ヨーロッパにおいては決闘とは見なされない性質の物が多かった[14]南北戦争後には法的規制が厳しくなってきて西部においても決闘は下火になっていく[15]

日本では、戦国時代から江戸時代にかけて武士の間で行われた果たし合いが決闘に該当するが、後年には侠客博徒の間で流行していた[2]。しかし1889年明治22年)12月30日に「決闘罪ニ関スル件」(法律第34号)が制定されて刑法に規定される「傷害の罪」の特別罪として決闘罪が設けられた。1888年(明治21年)に起きた犬養毅(当時新聞記者)に対する決闘申込事件を契機に制定されたもので、決闘を申し込むこと、決闘に応じること、決闘すること、他人の決闘の立会人になったり、決闘場所を貸与・供用することなどを広く処罰対象にしている。決闘によって人を殺傷した場合は、刑法の各本条と比較して重いほうで処罰される。判例は「決闘」について「当事者間の合意により相互に身体又は生命を害すべき暴行をもって争闘する行為」と定義している[49]。適用例は少ないが、暴走族間の抗争等で同法が適用された判例があり[49]、近年にも2019年に東京都の高校生2名がSNSで「タイマン」を示し合わせたうえで殴り合いを行った事件について警視庁は「決闘罪ニ関スル件」違反容疑で両名を逮捕している[16]

決闘は19世紀後半以降は大半の国で禁止されているが、稀有な事例としてウルグアイは1920年8月6日に制定された第7253番法の38条と200条から205条において一定の条件下において決闘を認めている。3人のメンバーからなる名誉裁判所が決闘に値するほどの侮辱があったかどうかの判断を下し、その判決次第で決闘が認められる。ウルグアイで特に反響を呼んだ決闘は1960年代末に行われた当時商工相だったフリオ・マリア・サンギネッティ(後のウルグアイ大統領)と政治家フロール・モラの決闘である。サンギネッティが敗れて腕を二度負傷して闘いを放棄している[50]。決闘を禁止しようという動きもあるが、1999年時においては手続きを踏んだ決闘は合法である[50]


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  104. ^  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Tierney, George". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
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