殺陣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 06:21 UTC 版)
名称の由来
新国劇の座長沢田正二郎が、公演の演目を決める際に冗談で 「殺人」として座付きの作家行友李風に相談したところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案したことが「殺陣」の語源と言われている[2][3]。この演目は1921年に初めて演じられたが、読みは「さつじん」であった。1936年の沢田の七回忌記念公演で『殺陣田村』として演じられた時から「たて」と読まれるようになった[4]。ただ「タテ(たて)」自体はそれ以前から存在し、歌舞伎の立ち回り(激しい格闘場面とは限らない)の略とされる[5]。なお「さつじん」でも誤りではなく、そう読ませる場合もある[6]。
なお、「技斗」は日活撮影所の殺陣師・高瀬将敏の造語で、時代劇の「殺陣」の名称を現代劇の格闘振り付けの名称として用いるのは先人に失礼と考えて考案された[7]。1954年(昭和29年)に製作された『俺の拳銃は素早い』(野口博志監督)で初めてクレジットに使用された[7]。類語の「擬闘」は新劇から発生した舞台用語で、時代・現代劇を問わず用いられる。
尚、殺陣の「殺」という字が現代において忌む場面もあるとして『演陣』と書いて『タテ』と読む事を室町大助(殺陣師/演陣師)が提唱している。
歴史
殺陣の歴史的展開は、草創期、展開期、定型化期、殺陣の革新・ポスト黒澤期の5つに分けられる[8]。
草創期は映画が日本に導入された1896年~1920年代前半までを指す。時代劇映画の出発点は歌舞伎の舞台の引き写しであり、殺陣も歌舞伎の「殺陣の型」を模倣したものであった[8]。そんな中で、尾上松之助は歌舞伎から離れたテンポで殺陣を加え、多くの観客の心をつかんだ[8]。
展開期は1920年代~1945年までを指す[8]。この時期には、真剣を使わずにスピード感やリアリティがある新国劇の殺陣や垂直方向や水平方向に移動するアクロバティックな動きをする外国映画、ダンス的コレオグラフィーの導入などの影響を受けた[8]。
定型化期は東映時代劇全盛期の1950年代を指す。東映全盛期のスターの半分は、戦前からのスターであり、歌舞伎的舞踊的な動きを身につけていたため、殺陣にも自然と舞踊的要素が濃厚になった[8]。この風潮を一変させたのが黒澤明の時代劇で、黒澤は斬れば音が出て血が流れるリアリティのある殺陣を生み出した[8]。
ポスト黒澤期は1962年以降を指すが、基本的に黒澤の行った殺陣の革新を繰り返すに留まる[8]。
殺陣は劇団の研究所で俳優の正式科目として採用されているが、これまでは指導・育成する団体は少なく、日本では1960年代以前、俳優の代わりに吹き替えで対応されることが多かった。戦闘シーンで相手役がおらず不都合が生じていた千葉真一は1970年にJACを設立し、吹き替えでなく演じることのできる俳優を育成し始めている[9][10][11](#団体・人物・商品を参照)。
演劇上の意義
クレジットタイトルなど、一般的には時代劇のものを殺陣 / 演陣、現代劇のものを技斗・擬闘・擬斗という[1]。また一般的に殺陣は刀等を用いたアクションなのに対し、技斗はそれらを用いない素手のアクションが中心である[12]。なお、技斗は現代殺陣ともいう[12]。またチャンバラを剣殺陣ということもある[12]。
難度が高く危険の大きいシーンはスタントマンが演じることもあるが、これらのシーンも可能であれば俳優本人が演じたほうが作品の満足度は上がる[12]。
俳優へ指導や人選をする者を殺陣師 / 演陣師(たてし)[13]または技斗(擬斗・擬闘)スタッフと呼ぶ。殺陣師の上に位置する役職にアクション監督がある[13]。アクション監督は殺陣師と違い、カメラアングルなどに関する権限も有する[13]。日本のアクション監督に相応するのは、セカンドユニットの監督であるとされる[15]。
ハリウッド映画では「アクションスーパーバイザー」と呼ばれており[16]、格闘専門の指導スタッフは殺陣の振付師(ファイト・コレオグラファー)と呼ばれる[14]。
- ^ a b c d 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.12 2013年
- ^ なにわ人物伝 -光彩を放つ-沢田正二郎 ―さわだ しょうじろう―
- ^ 小川順子『殺陣という文化-チャンバラ時代劇映画を探る』世界思想社、2007年、15-16、31-32頁
- ^ 殺陣 語源由来辞典
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「殺陣」
- ^ 東映1964年の大殺陣は「だいさつじん」(岡田茂 (東映)#「うちで当てたやつのタイトル、ほとんどつけた」)。なお同作に出演している大友柳太朗や河原崎長一郎が属する新国劇では「さつじん」と言う模様(チャンバラ#概要)。
- ^ a b c d e 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.13 2013年
- ^ a b c d e f g h 小川順子「チャンバラ時代劇映画における「殺陣」の変遷」『日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要』第24巻、国際日本文化研究センター、37-54頁、doi:10.15055/00000685。
- ^ “インタビュー <日曜のヒーロー> 第355回 千葉真一”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2003年3月30日). オリジナルの2011年12月24日時点におけるアーカイブ。 2009年6月26日閲覧。
- ^ 黒田邦雄「ザ・インタビュー 千葉真一」『KINEJUN キネマ旬報』第1655巻第841号、キネマ旬報社、1982年8月1日、130 - 133頁。
- ^ 橋本与志夫「出演者陣の“酔いどれ講釈”」(パンフレット)『第IV回JACミュージカル 酔いどれ公爵』、新宿コマ・スタジアム、1985年4月1日、32頁。
- ^ a b c d e 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.15 2013年
- ^ a b c 坂本浩一 1996, pp. 161–163, 日本のアクション監督.
- ^ a b 坂本浩一 1996, pp. 163–169, アメリカのアクション監督.
- ^ セカンドユニットは主演俳優の映らないシーンを撮影し、スタントシーンも担当するため[14]
- ^ 殺陣師・アクションスーパーバイザー 13歳のハローワーク
- ^ a b 中村カタブツ『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』ぴいぷる社、1999年、172 - 186頁。ISBN 4893741373。
- ^ あの人に会いたい File No.369 夏八木勲(なつやぎ いさお)1939~2013 - ウェイバックマシン(2013年10月12日アーカイブ分)NHKアーカイブス
- ^ a b 春日太一「夏八木勲さん 五社監督と「刀を当てる」殺陣の流儀を貫いた」『週刊ポスト』2013年4月26日号、NEWSポストセブン、2013年5月13日、 オリジナルの2013年7月14日時点におけるアーカイブ、2013年7月14日閲覧。
- ^ ステージ・コンバット デラルテ舎、2019年1月6日閲覧。
- ^ a b 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 pp.12-13 2013年
- ^ a b 高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.14 2013年
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