武蔵丸光洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:00 UTC 版)
主な成績
通算成績
- 通算成績:779勝294敗115休 勝率.726
- 幕内成績:706勝267敗115休 勝率.726(幕内勝利数は歴代8位、外国出身力士としては歴代3位)
- 横綱成績:216勝67敗115休 勝率.763
- 大関成績:353勝127敗 勝率.735
- 幕内成績:706勝267敗115休 勝率.726(幕内勝利数は歴代8位、外国出身力士としては歴代3位)
- 現役在位:86場所
- 幕内在位:73場所
- 横綱在位:27場所
- 大関在位:32場所(横綱昇進者では琴櫻と並び、歴代最長在位記録)
- 三役在位:11場所(関脇9場所、小結2場所)
- 幕内在位:73場所
- 連勝記録:22(2001年5月場所4日目-2001年7月場所10日目)
- 年間最多勝:1999年(70勝20敗)、2001年(73勝17敗)
- 連続6場所勝利:76勝(2000年9月場所〜2001年7月場所)
- 通算連続勝ち越し記録:55場所(歴代1位、1990年11月場所〜1999年11月場所)
- 幕内連続勝ち越し記録:49場所(白鵬の51場所・北の湖の50場所に次いで歴代3位、1991年11月場所〜1999年11月場所)
- 幕内連続2桁勝利記録:10場所(1994年5月場所〜1995年11月場所)
- 幕内連続12勝以上勝利:5場所(1994年11月場所〜1995年7月場所、1999年3月場所〜1999年11月場所)
各段優勝
- 幕内最高優勝:12回(1994年7月場所、1996年11月場所、1998年1月場所、1999年3月場所、1999年5月場所、1999年9月場所、1999年11月場所、2000年9月場所、2001年11月場所、2002年3月場所、2002年5月場所、2002年9月場所)
- 十両優勝:1回(1991年7月場所)
- 三段目優勝:1回(1990年5月場所)
- 序ノ口優勝:1回(1989年11月場所)
三賞・金星
- 三賞:4回
- 殊勲賞:1回(1993年11月場所)
- 敢闘賞:1回(1991年11月場所)
- 技能賞:2回(1992年7月場所、1994年1月場所)
- 金星:なし
- 武蔵丸の入幕当時、在位していた北勝海・旭富士が現役晩年だったことと、二人共に対戦前に休場・引退により、平幕時代に横綱と対戦が一度も無かった。横綱初挑戦は関脇時代の対曙戦。ちなみに、同時入幕だった貴ノ浪も同様で、現役時代後半とはいえ、自身が大関から平幕に落ちた後、本割で実現した横綱戦はライバル・武蔵丸との対戦だった。
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
1989年 (平成元年) |
x | x | x | x | (前相撲) | 西序ノ口41枚目 優勝 7–0 |
1990年 (平成2年) |
東序二段56枚目 6–1 |
西三段目94枚目 6–1 |
東三段目40枚目 優勝 7–0 |
東幕下25枚目 5–2 |
西幕下11枚目 2–5 |
西幕下24枚目 6–1 |
1991年 (平成3年) |
東幕下9枚目 4–3 |
西幕下4枚目 4–3 |
東幕下筆頭 5–2 |
東十両11枚目 優勝 11–4 |
東十両3枚目 10–5 |
東前頭12枚目 11–4 敢 |
1992年 (平成4年) |
東前頭3枚目 9–6 |
西前頭筆頭 9–6 |
西張出小結 8–7 |
東小結 11–4 技 |
西関脇 10–5 |
東関脇 9–6 |
1993年 (平成5年) |
東張出関脇 10–5 |
東関脇 10–5 |
東関脇 9–6 |
西関脇 8–7 |
東関脇 8–7 |
西張出関脇 13–2[注釈 21] 殊 |
1994年 (平成6年) |
東関脇 12–3 技 |
西張出大関 9–6 |
東張出大関 12–3 |
西大関1 15–0 |
東大関1 11–4 |
西大関2 12–3 |
1995年 (平成7年) |
西大関1 13–2[注釈 22] |
東大関1 12–3 |
東大関1 12–3 |
東大関1 12–3 |
東大関1 10–5 |
東大関1 10–5 |
1996年 (平成8年) |
西大関1 9–6 |
西大関1 9–6 |
東大関2 9–6 |
東大関2 10–5 |
東大関2 11–4 |
西大関1 11–4[注釈 23] |
1997年 (平成9年) |
西大関1 12–3 |
西大関1 12–3[注釈 24] |
東大関1 9–6 |
西大関1 10–5 |
東大関1 13–2[注釈 22] |
東大関1 12–3 |
1998年 (平成10年) |
西大関1 12–3 |
東大関1 8–7 |
西大関1 10–5 |
西大関1 12–3 |
東大関1 11–4 |
東大関1 11–4 |
1999年 (平成11年) |
東大関1 8–7 |
東大関1 13–2 |
東大関1 13–2 |
西横綱 12–3 |
西横綱 12–3 |
東横綱 12–3 |
2000年 (平成12年) |
東横綱 2–2–11[注釈 25] |
東横綱2 11–4 |
東横綱2 休場[注釈 26] 0–0–15 |
東横綱2 10–5 |
西横綱 14–1 |
東横綱 11–4 |
2001年 (平成13年) |
西横綱 14–1[注釈 22] |
西横綱 12–3 |
西横綱 13–2[注釈 22] |
西横綱 12–3 |
東横綱 9–6 |
東横綱 13–2 |
2002年 (平成14年) |
東横綱 1–3–11[注釈 27] |
東横綱 13–2 |
東横綱 13–2 |
東横綱 10–5 |
東横綱 13–2 |
東横綱 4–2–9[注釈 28] |
2003年 (平成15年) |
東横綱 休場[注釈 29] 0–0–15 |
東横綱 休場[注釈 29] 0–0–15 |
西横綱 休場[注釈 29] 0–0–15 |
西横綱 2–4–9[注釈 30] |
西横綱 休場[注釈 31] 0–0–15 |
西横綱 引退 3–5–0 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
主な力士との幕内対戦成績
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
蒼樹山 | 10 | 0 | 安芸乃島 | 32(1) | 11 | 曙 | 16* | 22** | 朝乃翔 | 5 | 0 |
朝乃若 | 3 | 0 | 旭豊 | 7 | 2 | 安美錦 | 2 | 1 | 岩木山 | 0 | 1(1) |
皇司 | 2 | 0 | 大若松 | 1 | 0 | 小城錦 | 11 | 2 | 小城ノ花 | 1 | 0 |
魁皇 | 26 | 20 | 海鵬 | 3 | 3(1) | 春日富士 | 1 | 0 | 巌雄 | 4 | 0 |
北勝鬨 | 6 | 0 | 旭鷲山 | 17 | 2 | 旭天鵬 | 10 | 1 | 旭道山 | 8 | 2 |
鬼雷砲 | 4 | 1 | 霧島 | 6 | 2 | 久島海 | 7 | 1 | 剣晃 | 12 | 2 |
五城楼 | 1 | 0 | 琴稲妻 | 7 | 0 | 琴ヶ梅 | 1 | 0 | 琴錦 | 26 | 18 |
琴ノ若 | 29 | 13(1) | 琴富士 | 3 | 1 | 琴別府 | 4 | 2 | 琴光喜 | 7 | 3 |
琴龍 | 6 | 1 | 小錦 | 8 | 7 | 敷島 | 4 | 0 | 霜鳳 | 1 | 1 |
大至 | 1 | 1 | 大翔鳳 | 5 | 4 | 大翔山 | 3 | 1 | 大善 | 6 | 2 |
貴闘力 | 37 | 8 | 貴ノ浪 | 37* | 21 | 貴乃花 | 19 | 29**** | 隆乃若 | 9 | 2(1) |
高見盛 | 4 | 1 | 隆三杉 | 4 | 0 | 玉春日 | 14 | 3 | 玉乃島 | 5 | 2(1) |
千代大海 | 11 | 9 | 千代天山 | 6 | 3 | 寺尾 | 14 | 3 | 闘牙 | 15 | 0 |
時津海 | 4 | 0 | 時津洋 | 1 | 0 | 土佐ノ海 | 28 | 6 | 栃東 | 16 | 8 |
栃栄 | 2 | 0 | 栃乃洋 | 17 | 4 | 栃乃花 | 2 | 0 | 栃乃和歌 | 23 | 0 |
巴富士 | 4 | 2 | 智乃花 | 4 | 1 | 豊ノ海 | 3 | 0 | 浪之花 | 6 | 0 |
濱ノ嶋 | 8 | 0 | 追風海 | 6(1) | 0 | 肥後ノ海 | 11 | 2 | 北勝力 | 2 | 0 |
舞の海 | 5 | 1 | 三杉里 | 18 | 2 | 水戸泉 | 10 | 3 | 湊富士 | 8 | 1 |
両国 | 0 | 1 | 若翔洋 | 7 | 5 | 若瀬川 | 1 | 0 | 若の里 | 10 | 5 |
若乃花 | 24* | 14 |
- 他に優勝決定戦(巴戦も含む)で、若乃花・貴ノ浪に各1勝、曙に1勝2敗、貴乃花に4敗がある。
- 貴乃花とは48回対戦している。対戦成績は19勝29敗と大きく負け越しているが、横綱昇進後は7勝1敗と勝ち越している。
注釈
- ^ 初土俵から2場所目の昭和62年11月場所において、序ノ口で全勝優勝を果たしているが、その次の場所には引退。後に武蔵川親方は、「素質はあいつの方が上だったはずだ」と語っている。
- ^ このテスト期間から「ノーベルト、プッシュ、プッシュ」と突き押しの相撲を徹底的に仕込まれた。
- ^ 大関同時昇進は1977年1月場所後の若三杉・魁傑(再)以来。但し二人共新大関だと1972年9月場所後の輪島・貴ノ花以来となる。
- ^ 本人は「地元じゃモテないのに、日本だと西郷隆盛に似ているって、チヤホヤされるんだよ」と戸惑ったという。
- ^ もっとも西郷本人の写真は、写真嫌いもあって一枚も残っておらず、武蔵丸に似ているとされるよく知られる肖像画や銅像は後世の画家や彫刻家が親族の顔や証言を参照して想像で作ったため、本当に似ているかどうかは現在においては定かではない。ただし体格については、大男ぞろいであった西郷家歴代の男たちと比しても劣らぬ立派なものであった。
- ^ 化粧回しも贈られている。
- ^ 但し当時武蔵丸の地位は大関だった為「現役横綱の水入り」は平成以降皆無である。
- ^ それから19年後の2018年(平成30年)7月場所でも、稀勢の里・白鵬・鶴竜の3横綱が、当場所6日から全員休場と成っている。
- ^ それから16年後の2015年(平成27年)7月場所で白鵬も連続勝ち越し記録が51場所となり、北の湖を超える(通算2位・幕内1位)記録となった。
- ^ 横綱昇進者で同じく大関負越・角番無しでの史上2位は、旭富士の17場所。
- ^ この酒は「横綱になるまでは飲まない」という理由で封印していたため、横綱昇進を果たしたことで開封できるようになった。
- ^ この場所千秋楽結びの一番で武蔵丸は若乃花に勝利しての優勝だったが、若乃花はこれで7勝8敗となり一場所15日制になって以降大乃国以来2度目の横綱皆勤負け越しの屈辱を味わってしまう。尚もし武蔵丸が若乃花に負ければ、11勝4敗同士の最低成績での優勝決定戦へ2度出場する珍記録となる所だった。また、この場所においては次点の力士(11勝)が安芸ノ島ただ一人という混戦ぶりだった。
- ^ 貴乃花が上下真っ逆さまの体勢になるほどの豪快な掬い投げであり、ちょうど空穂づけの定義を満たしているが、現在では空穂づけは決まり手として採用されていない。
- ^ それから16年後、2017年11月場所の第72代横綱・稀勢の里も、武蔵丸と並び1場所5個金星供給のワーストタイ記録を喫している(稀勢の里は当場所10日目より途中休場)。
- ^ なお年6場所制(1958年)以降では、72代横綱・稀勢の里の8場所連続(2017年5月場所~2018年7月場所)、65代横綱・貴乃花の7場所連続(2001年7月~2002年7月場所・すべて全休)に次ぎ、ほか47代横綱・柏戸と55代横綱・北の湖と並ぶワーストタイ記録となる。
- ^ 引退から数年後に雑誌『相撲』で「たまたま首の防具を付けずに試合に出たら負傷して選手生命を断たれた」と具体的に証言したことがある。
- ^ 首の後遺症によって、現役時代はダンベルを右手で20kgのものを持てたのに対し、左手では6kgがやっとであった。
- ^ 武蔵丸自身が有力な後援者を持たなかったことや、武蔵川部屋で確保した年寄名跡は武双山や出島ら学生相撲出身者に優先的に割り振られた事情があった。
- ^ 年寄・武蔵丸時代は委員待遇の平年寄だったため、給料は委員と同じであり、序列は平年寄の最上位だった。それが持ち株で襲名している平年寄よりも格下とされ、しかも借り株で襲名の平年寄の序列は襲名期間によって決まるため、序列最下位に置かれた。
- ^ これは見栄え(肉体の張り具合や左右のバランス)を考慮したもので、共に最高位大関で当時現役の出島と雅山を起用した方がバランスがよいと判断したため、と思われる(還暦土俵入りでは、太刀持ちが元横綱、露払いが元大関以下という組み合わせが元旭富士の伊勢ケ濱親方までなかった)。太刀持ちが武蔵丸では、露払いを務める部屋の他の力士は最高位が大関であるため、綱を張れない(例として、元武双山の藤島親方)。
- ^ 曙と優勝決定戦
- ^ a b c d 貴乃花と優勝決定戦
- ^ 曙・3代若乃花・貴ノ浪・魁皇と優勝決定戦
- ^ 貴乃花・曙・魁皇と優勝決定戦
- ^ 左尺骨手根伸筋附着部炎により4日目から途中休場
- ^ 左膝関節捻挫により全休
- ^ 左手関節三角線維軟骨複合体損傷により4日目から途中休場
- ^ 左手関節三角線維軟骨複合体損傷(陳旧性靱帯剥離骨折)により6日目から途中休場
- ^ a b c 左手関節三角線維軟骨複合体損傷(陳旧性靱帯剥離骨折)術後により全休
- ^ 左手関節挫傷により6日目から途中休場
- ^ 左手関節挫傷により全休
- ^ 「偉」は、先々代武蔵川から受け継がれた通字(先々代は「喜偉」、先代は「晃偉」)。先代までと同様「ひで」と読むが、日本相撲協会公式サイト英語版では当初「Mitsuhiro」と誤植されてしまい、後に訂正された。
出典
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- ^ “ご意見番”武蔵丸の苦言「横綱・照ノ富士とそれ以外で“力の差”があり過ぎ」「ボクの息子は琴ノ若ファン、負けると機嫌が悪いんだ」(1/3ページ) Number Web 2024/01/31 17:05 (2024年2月1日閲覧)
- ^ “ご意見番”武蔵丸が絶賛する若手2人「尊富士の相撲はココがいい!」“4人の大関”には苦言「地元ファンもため息…ガッカリしてたぞ」 (1/3ページ) Number Web 2024/03/28 11:01 (2024年3月30日閲覧)
- ^ “ご意見番”武蔵丸が絶賛する若手2人「尊富士の相撲はココがいい!」“4人の大関”には苦言「地元ファンもため息…ガッカリしてたぞ」 (2/3ページ) Number Web 2024/03/28 11:01 (2024年3月30日閲覧)
- ^ “ご意見番”武蔵丸が絶賛する若手2人「尊富士の相撲はココがいい!」“4人の大関”には苦言「地元ファンもため息…ガッカリしてたぞ」 (3/3ページ) Number Web 2024/03/28 11:01 (2024年3月30日閲覧)
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