正岡子規 人物

正岡子規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 10:32 UTC 版)

人物

  • 英語が苦手だった。試験の際にカンニングをしたことがある。"judicature" の意味がわからなかった子規が隣の男に意味を聞いたところ、「ほうかん」と言われた。本当は「法官」という意味だったが、「幇間」だと思って解答用紙に書いてしまった。ちなみに、子規はこの試験に合格したが、その「隣の男」は不合格になったという[4]
  • 松山に漱石がいたときに鰻丼を奢ると言って、その代金を漱石に払わせた。
  • 子規が東京帝国大学入学後哲学専攻をやめたのには理由がある。夏目漱石の親友[5][6]に米山保三郎[注釈 4][7][8]がおり、会話をして驚嘆して諦めたという。「哲学というのはわけがわかんらんぞなもし。わしには手に負えん」と言ったという[9]
  • 本来、毎月や月ごとなどを意味する「月並み」という言葉が、「陳腐、平凡」という意味も含んだのは、正岡子規がありふれた俳句や短歌を「月並み調」と批判したことが始まりとされる[10]。当時和歌や発句は「月並み句会」と呼ばれる月例の句会で詠み合わせをすることが多かった。
  • 同郷の言語学者・小川尚義は、松山中学、一高、帝大の後輩にあたり、一高時代から交友があった。小川が帝大を卒業した1896年7月に一時帰省する際、「十年の汗を道後のゆに洗へ」の句を贈った(道後温泉「椿の湯」湯釜にも刻印されているが、そこでは「ゆ」が「温泉」となっている)。
  • 「柿くへば・・」の名句は、療養生活の世話や奈良旅行を工面してくれた漱石作「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」の句への返礼の句である。
  • 子規没後の正岡家が描かれる後日談的な作品に『ひとびとの跫音』がある。



注釈

  1. ^ 天田愚庵が自由民権の思想を伝えたという。また、松山市立子規記念博物館には「子規の国会開設に関する演説」という資料があるという[1]
  2. ^ 森鴎外などとの交際は、「遼東五友の交わり」と称された。その五友とは、鴎外、『新聞 日本』の中村不折、『読売新聞』の河東銓(かわひがし せん。俳人河東碧梧桐の兄)、久松定謨、子規の5人である[2]。なお、子規と鴎外の交際は、没するまでつづいた[要出典]
  3. ^ 中国の故事「杜鵑の吐血」にちなむ。長江流域に(秦以前にあった)という傾いた国があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀がによって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。 =帰ることが出来ない)と鳴きながら血を吐いた、と言い、ホトトギスのくちばしが赤いのはそのためだ、と言われるようになった。
  4. ^ 明治2年1月金沢生まれ。明治26年東京帝国大学卒業後大学院在学中の明治30年3月29日腹膜炎で死亡。
  5. ^ 子規記念博物館の展示でも確認できる。

出典

  1. ^ (中村政則 2010)
  2. ^ 佐谷眞木人『日清戦争』 講談社〈講談社現代新書〉、2009年、54頁。
  3. ^ a b 『水戸紀行』[要文献特定詳細情報]。国立国会図書館デジタルライブラリー等で閲覧可能。
  4. ^ 正岡子規, 『墨汁一滴』, 春陽堂, 1932年.
  5. ^ 処女作追懐談 夏目漱石青空文庫
  6. ^ 漱石と自分 狩野亨吉青空文庫
  7. ^ 上田正行「「哲学雑誌」と漱石」『金沢大学文学部論集 文学科篇』第8号、金沢大学、1988年2月、 1-37頁、 ISSN 02856530NAID 110000976302
  8. ^ 「哲学雑誌」124号、125号
  9. ^ 伊集院静 「それがどうした 男たちの流儀 第264回」『週刊現代』2015年5月23日号、講談社、pp.68-69。
  10. ^ 熱血!平成教育学院」(フジテレビ
  11. ^ 城井(1996年) pp.118-119
  12. ^ 城井(1996年) p.102
  13. ^ 君島(1972年) p.75
  14. ^ a b 殿堂入りリスト公益財団法人野球殿堂博物館、2020年10月13日閲覧
  15. ^ 正岡子規, 『香雪紫雲』, 春陽堂, 1932年.
  16. ^ 末延芳晴「従軍記者正岡子規」愛媛新聞 2010年2月7日付。のち『正岡子規、従軍す』平凡社
  17. ^ 『筆まかせ』 95頁。
  18. ^ 『筆まかせ』 97頁。
  19. ^ a b c d e f g h 『差別用語』(汐文社、1975年)p.76-77
  20. ^ 司馬遼太郎 『ひとびとの跫音』[要文献特定詳細情報]





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