橋本龍太郎 人物

橋本龍太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/20 15:00 UTC 版)

人物

人物像

身長165cm、体重66kg。

1990年にベストドレッサー賞を受賞している。座右の銘は「誠」、「初心忘るべからず」。趣味は、剣道、登山、写真など多彩。特に剣道は政界きっての腕前である。全日本剣道連盟顧問、全日本剣道道場連盟会長、日本美術刀剣保存協会会長を務めた。また山中寅文ともに名誉森林インストラクターの称号を持つ。

一般には整髪剤は「ポマードべったり」と受け取られているが、実際には水性のヘアクリームを使っていたと本人が語っている。学生時代から通していたという[53]。ある時鈴木宗男が橋本に隠れて「あのポマード野郎」と悪口を話していた所、偶然後ろに橋本がいたため鈴木は顔面蒼白になったが、当の本人は「鈴木君、これはムースだよ」と言って快活に笑ったと言う。橋本の人柄を表す逸話として鈴木本人がよく語っている。

高校生時代からの喫煙者で[54]、生前「私は煙草をやめない」と断言している。チェリーを愛飲していた。親友の安部譲二ピースを勧められても、頑なにチェリーを吸い続けていたという。

橋本は内閣総理大臣在任中も、高知県知事になって東京から離れた腹違いの異母弟・大二郎に代わって、しばしば公務の合間に入院中だった義母を見舞った。

弟の大二郎がNHK記者だった頃、恋人と結婚したいという相談を兄の龍太郎にした。諸々の事情から龍太郎は、母が結婚しないほうが良い、と助言した。だが、大二郎が二の句を継がせずに結婚したい意志を伝えると、龍太郎は「よしわかった、俺に任せてくれ」と言ってその場を引き取り、時間を要して母を説得して、大二郎の結婚の承諾を得たという。その説得の過程では、龍太郎の苦労と母の涙があったという(2014年4月28日放送『徹子の部屋』より本人談)。

女性関係を指摘されることが多く、そのために首相になり損ねたことがあったらしい。宇野の退陣後に就任した海部が回顧録で、金丸信から首相就任を持ち掛けられた際、橋本はこれ(右手の小指)があるから駄目だと言われたために、その後橋本に直接質したところ「残念ながら、おれにはあるんだ」と答えたと回想している[55][注釈 3]。もっとも久美子夫人の立ち振る舞いもあってか、政治的スキャンダルに発展することはなかった。

1990年に銀座ホステスとの関係が週刊誌で「橋本龍太郎の一夜妻」として取り上げられ、総理在任中の1996年に当人が暴露本を出版しマスコミを賑わせた。

諸君!」1998年6月号で、加藤昭は橋本が総理在任中に中華人民共和国の女性官僚と関係があったと報じた。女性は中国側のスパイとみられていたが、これについて橋本側は、女性は中国大使館に勤務する通訳であり、職務上接点があっただけと釈明した。なお、橋本は日中友好団体の日本国際貿易促進協会会長を務めており、中国へのODA事業などを積極的に進めていた。

文藝春秋」2008年9月特別号で米原万里に橋本から関係を迫られたと聞いたとする佐藤優の記事が掲載された。米原は橋本が総理在任中のモスクワ外遊時に通訳を務めていた。佐藤は後に自著『インテリジェンス人間論』においても同様の記述をしている。両者とも故人のため、コメントは得られていない。

1994年の週刊文春阿川佐和子との対談で「政界の杉良太郎」と呼ばれていますねと問われ「光栄です」と笑い、ご婦人層の人気の秘密はと聞かれ、「まだ、大人になりきってないからじゃないんですか」と答えている[56]

登山家として

日本山岳会の会員でもあり、日本山岳ガイド協会の会長を長きにわたり務めた。1973年第2次RCCエベレスト南壁(現・南西壁)の遠征隊の総隊長を務めた。この他にも、多くの海外遠征登山隊の総隊長に就任したり、あるいは総指揮を担当した。

登山家の野口健とも親しい。2000年にエベレストの清掃登山を行っていた野口健は、12年前に同じく登頂を果たした橋本総隊長のJPNテレビ登山隊(日中ネパール合同隊)が置いていった酸素ボンベを発見し、帰国後橋本の議員会館事務所を訪れて酸素ボンベを届けた。当初橋本龍太郎は野口を失礼な人間だと感じたが、これが切っ掛けで2人は親しくなり野口は橋本を父親の様に慕っていたという。2006年正月に野口は橋本から「自分はもう登山は無理だから、これを持って行け。」と橋本愛用のピッケルを渡されたという。山をこよなく愛したことから、青山墓地にある一家の墓とは別にエベレストを望むネパールのタンポチェ村に慰霊碑がある。野口はヒマラヤ登山の度に訪れている。慰霊碑は2007年に完成し、同年3月30日に、日本からの関係者も出席して式典が営まれた[注釈 4]

橋本との縁で橋本没後、野口事務所には橋本龍太郎の当時公設秘書だった藤村健が環境アドバイザー・マネージャーとして入所している[注釈 5]

内閣総理大臣在任中の1997年に発生したペルー早稲田大学探検部員殺害事件の報に接して、1997年12月28日に記者団の前で「ペルーはMRTAだけでなくほかにもテロ組織があって、当然、政府軍との間でピリピリしている。十分事前に準備して最小限にとどめる必要がある。十分事前に準備をできていたのか、冒険好きの僕からみると疑問に思う」と述べた[57]。ただし、実際に殺害したのはペルーの正規軍兵士で、金銭目当ての犯行だった。橋本の発言に対し、早稲田大学探検部OBの船戸与一が厳しく反論し、探検部OB会有志47人の連名で、「内閣総理大臣・橋本龍太郎にたいする糾弾文」(原文ママ)を1998年1月26日発売の『週刊ポスト』183ページに意見広告として掲載した[58]

政治家としての評価

「見識はあるが、人望はない」が党内での一般的な評価。政界随一の政策通として知られ、いささかの揶揄を込めて「課長補佐」などといわれるほど、各政策部門の細かな部分まで精通していたが、何かわからないことを聞いたりすると「おや、そんなこともおわかりにならない?」、「あなたが知らないことを、どうして私が知っていると思うのです?」などと必ず嫌味な返答をしたとされる。花街で最も嫌われている政治家という不名誉なもあった。また、派閥と子分の面倒を見たことがほとんどなく、前述の自民党総裁選で橋本擁立に奔走した小渕派の幹部からも「橋本さんは水耕栽培だから」と揶揄された。橋本の兄貴分である竹下登は「怒る、威張る、拗ねるが橋本になければ、とっくの昔にアイツは総理になっていた」と評した。田中角栄は「橋龍は、こまっちゃくれた風切り小僧だ。備前長船の出身。切れそうだけど、あの手は人様に好かれない。親父の龍伍は切れ味抜群だったが、仲間がいなかった」と評した。梶山静六は「橋龍というのは遠くで見ている富士山」と評したことがある。つまり近くに寄って接していくと理論に走りすぎたり、白黒をはっきりさせないと気のすまない性格で欠点ばかりが目立つというのである[59]小沢一郎は「龍ちゃんは一人で遊ぶ。だから友達ができない」と述べている[60]。この性格に関して当選前の龍太郎の猛勉強ぶりとその後の行動をみていた俵孝太郎は、父の龍伍が障害者だったことから、健常者に負けないという障害者を抱えた家族特有の気負いが強かったことが生意気と言われながらも、シャイで涙もろい要因だったのではと著書で分析している[61]

橋本の総理大臣時代に幹事長代理として仕えた野中広務は「橋本さんは当選1回、2回の議員との接触がほとんどなかった。若手議員の面倒を見てやれず、(2001年の)総裁選敗北になったのではないか」と著書で語っている。田中派、竹下派と最強派閥に属していた割には、閥務に関心を示さなかった背景に、「自分は本来佐藤栄作の弟子であり、田中角栄は師匠というより組織の中における上司、竹下登は同じ佐藤の弟子の中における兄貴分であって、腹心ではあるが子分ではない。」という意識だったのではと分析がある[62]

政界で唯一の友人と言えるのは同期当選で同学年の小渕恵三で、お互い「龍ちゃん」「恵ちゃん」と呼び合う仲で「当選以来お互い騙し騙された事の無い仲だった」と語っている[注釈 6]。また、橋本を取り巻く数少ない側近には、斎藤十朗山東昭子藤井孝男熊代昭彦[注釈 7]らがいた。河井克行は橋本を師と仰いでおり河井と河井案里の結婚式の仲人は橋本が務めたが、のちに夫妻ともに公職選挙法違反で逮捕された[63]

政治評論家の浅川博忠は、橋本が初当選の頃の後藤田正晴を「後藤田君」と呼んでいたという逸話を紹介している。後藤田は当選回数では橋本より下だが、23歳年長で警察庁長官内閣官房副長官を経験していた[64]。また田勢康弘は、水俣病問題への対応の末に自死した山内豊徳(環境庁企画調整局長)の遺族に心のこもった手紙を宛てたエピソードなどを紹介しつつ、「橋本には『使用説明書(取扱説明書)』が必要だと常々思っている」と評している。この手紙の内容を知った佐高信は「(生意気、キザと思っていた)橋本に対する見方が変わった」という [65]

田中秀征は橋本内閣の経済企画庁長官時代に普天間基地返還問題に関して橋本が、「戦中も戦後もわれわれのために大きな苦難を担ってくれた沖縄の人たちに、できる限りのことをするのは当然だ。」と発言したことに身震いするような感動を受け、それまでキザなイメージが強かった橋本への人物感を改め尊敬するようになったという[66]

久美子夫人はインタビューで「実はわりと涙もろい人なんです」と橋本を評している。結婚するとき夫人は橋本に映画「愛情物語」を観ようと誘い、映画の主人公を自らに重ね合わせていたという[67]。橋本は、95年の総裁選で総裁に選出された際、うっすら涙を浮かべていた。通商産業大臣に就任した塚原俊平は、橋本に会の報告に行った際の様子について、「ただ『有難う』といって、『僕も疲れたよ』とそんな感じでした。でもその後聞いたら、我々が帰った後で涙を流して喜んだということでした。おかしな人ですね。それなら私たちの目の前で喜べばいいのに。それが彼のシャイなところというか、パフォーマンスが下手な人ですね。」と述べている[68]。最後に総裁選に出馬したころは、テレビ座談会で司会の久米宏に「睨まないでくださいよ」と言われて「睨んでないですよ。優しい眼差しを投げかけているんじゃないですか」と切り返す余裕も備わっていた。

早くから自民党および田中派のエースと目され、重要ポストを歴任し首相に就任したが、退任後は派閥の会長に就任し総裁選に再度出馬も落選、スキャンダルで引退を余儀なくされそのまま翌年死去と、華々しいキャリアの割にはいささか寂しい晩年であった。

マスコミからは「芝居上手」ともいわれていた。芝居がかった喋り方などの特徴から「橋龍さんは非常に芝居が上手い」等ともいわれていた。首相時代に自民党のCMにも出演していた際にもその様子が窺える。




注釈

  1. ^ 日本の法人税は1990年度以降は37.5%であったが、1998年度に削減されて34.5%となった。1999年度にはさらに引き下げられ、30%になっている。財務省:法人税の推移
  2. ^ 高鳥は「野中さんだと派閥が分裂する」として橋本に総裁選出馬を進言した
  3. ^ なお、ここで海部は「河野(洋平)にもあった」と余計な発言をしている
  4. ^ 「橋本龍太郎氏の慰霊碑」『野口健ブログ』
  5. ^ また首相在任中に行われた党首討論(日本記者クラブで各党首による公開討論)で日本共産党委員長の不破哲三が「北方領土が日本固有の領土という点においては、なぜか自民党と一致している」と発言したのに対して、「山登りも同じだよ」と混ぜっ返して会場を和ませた。不破もまた登山を趣味としていた。
  6. ^ 橋本の父・龍伍と小渕の父・光平第24回衆議院議員総選挙の当選同期であり、同じ吉田茂派に在籍していた
  7. ^ 同じ岡山県出身で、橋本に見いだされて政界入りした
  8. ^ なお龍太郎本人は東京生まれの東京育ちであるが、岡山を選挙区として政治活動を始めてからは“岡山県総社市出身”と称した。本籍東京都渋谷区(『人事興信録』より)。昭和43年(1968年岡山県総社市を建てた(橋本久美子『夫 橋本龍太郎 - もう一度「龍」と呼ばせて 』48頁より)

出典

  1. ^ 総社市
  2. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』12頁
  3. ^ 『橋本龍太郎・全人像』98-100頁
  4. ^ 『橋本龍太郎・全人像』108頁
  5. ^ a b 安倍譲二署「塀の中の懲りない面々」より
  6. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』31、32頁
  7. ^ 『橋本龍太郎・全人像』116頁
  8. ^ 『橋本龍太郎・全人像』118頁
  9. ^ 『自由 第44巻、第507~510号』2002年
  10. ^ 『橋本龍太郎・全人像』118頁
  11. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』35頁
  12. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』39頁
  13. ^ 『橋本龍太郎・全人像』123頁
  14. ^ 『小説 角栄学校』83頁
  15. ^ 俵孝太郎『日本の政治家 父と子の肖像』父親龍伍に学んだ橋本龍太郎の真骨頂 1997年
  16. ^ 俵孝太郎『政治家の風景』1994年
  17. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』 47-48頁
  18. ^ 『橋本龍太郎・全人像』128頁
  19. ^ 物語・介護保険第59話 訪問看護から政治へ、"女は度胸"2014年5月10日閲覧
  20. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』30頁
  21. ^ 『西日本新聞』 ワードBOX
  22. ^ 『橋本龍太郎・全人像』148頁
  23. ^ 『私の後藤田正晴』編纂委員会, ed (2007). 私の後藤田正晴. 講談社. p. 128 
  24. ^ 『自民党幹事長室の30年』 pp.227-232
  25. ^ 『実録・橋本龍太郎』岩見隆夫
  26. ^ 『小説 角栄学校』 pp.209
  27. ^ 『小説 池田学校』 pp263-265
  28. ^ 『小説 角栄学校』 pp266-pp.227
  29. ^ 『劇録!総理への道』大下英治著 pp.665-666
  30. ^ 『新進党vs自民党』大下英治著 pp.412-442
  31. ^ 『激録!総理への道』 pp671-687
  32. ^ 『自民党ナンバー2の研究』pp.280-281
  33. ^ 『激録!総理への道』pp.687-695
  34. ^ 『小沢一郎の日本をぶっ壊す』 pp389-390
  35. ^ 『激録!総理への道』 pp695-699
  36. ^ 『激録!総理への道』 pp.707-723
  37. ^ 『激録!総理への道』 pp.723-730
  38. ^ 『激録!総理への道』 pp.723-740
  39. ^ 『小説 角栄学校』 pp.280-283
  40. ^ 田村秀男 (2010年6月15日). “【経済が告げる】編集委員・田村秀男 カンノミクスの勘違い (1/3ページ)” (日本語). 産経新聞 (産経新聞社). オリジナルの2010年6月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100616112438/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100615/plc1006150300003-n1.htm 2012年4月9日閲覧。 
  41. ^ 岩本沙弓『バブルの死角 日本が損するカラクリ』(2013年、集英社新書)p.83
  42. ^ 【アベノ断(中)】「平成9年のトラウマ」 終止符打てるか+ (1/4ページ)MSN産経ニュース 2013年10月3日
  43. ^ 財務省:所得税の税率構造の推移
  44. ^ 日本共産党・用語解説
  45. ^ 田村秀男『財務省「オオカミ少年」論』
  46. ^ 『蠢く野中広務』 pp.316-319
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  49. ^ 俵孝太郎『日本の政治家 父と子の肖像』父親龍伍に学んだ橋本龍太郎の真骨頂 1997年
  50. ^ 『激録!総理への道』pp.670-671 pp.699-707
  51. ^ 田中秀征「平成史への証言 政治はなぜ劣化したか」P250~251
  52. ^ 俵孝太郎『日本の政治家 父と子の肖像』父親龍伍に学んだ橋本龍太郎の真骨頂 1997年
  53. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』199頁
  54. ^ 厚生族のドン元厚生大臣 橋本元首相死去 たばこ好きとしても知られ、1995年10月の麻布高校創立100周年記念祝賀会で「高校の屋上でたばこを吸い始めて以来、ヘビースモーカーになってしまった」と、あいさつで触れるほどだった。
  55. ^ http://www3.grips.ac.jp/~oralreport/view?item=100025 海部俊樹『海部俊樹オーラルヒストリー(下)』p.168
  56. ^ 切れ者で正直すぎる政治家 橋本龍太郎 文春写真館
  57. ^ “特集ワイド 早大探検部員殺害事件”. 毎日新聞(東京夕刊) (東京): pp. 2. (1998年1月30日) 
  58. ^ 「内閣総理大臣・橋本龍太郎にたいする糾弾文」『週刊ポスト』第30巻第5号、小学館、1998年2月6日、 183頁。
  59. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』138頁
  60. ^ 仕事師と呼ばれた男 橋本龍太郎』93頁
  61. ^ 俵孝太郎『日本の政治家 父と子の肖像』父親龍伍に学んだ橋本龍太郎の真骨頂 1997年
  62. ^ 俵孝太郎『日本の政治家 父と子の肖像』父親龍伍に学んだ橋本龍太郎の真骨頂 1997年
  63. ^ 週刊文春2019年11月7日号、23頁
  64. ^ 浅川博忠『自民党・ナンバー2の研究』講談社文庫、258頁
  65. ^ 田勢康弘『だれが日本を救うのか』新潮文庫、249頁
  66. ^ 2015年4月20日中日新聞
  67. ^ 橋本久美子『夫橋本龍太郎』2007年
  68. ^ 小説 角栄学校 267-268頁
  69. ^ 『衆議院会議録情報 第042回国会 本会議 第1号』
  70. ^ a b 『人事興信録. 5版』(大正7年)は八五
  71. ^ 石光真清著『城下の人』
  72. ^ 橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』112頁によれば、「二男・宙二は海軍大佐」である
  73. ^ 広瀬隆著『私物国家 日本の黒幕の系図』287頁





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