橋本雅邦 橋本雅邦の概要

橋本雅邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 05:59 UTC 版)

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橋本雅邦
生誕 (1835-08-21) 1835年8月21日
日本江戸木挽町(現東京都中央区銀座
死没 (1908-01-13) 1908年1月13日(72歳没)
日本東京府
国籍 日本
教育 狩野雅信
著名な実績 日本画
後援者 山崎豊

生涯

雅邦の父の橋本養邦(はしもとおさくに)は武蔵国(埼玉県)川越藩御用絵師であり、木挽町狩野家当主晴川院養信(せいせんいん おさのぶ)の高弟として同家の邸内に一家を構えていた。このため雅邦は天保6年にこの木挽町狩野家の邸内に生まれている。

慣習に従い5歳の頃から実父より狩野派のてほどきを受け、12歳の時正式に父と同じく養信に入門する。ただし養信はこの一月後に没したため、実際にはその後継者である勝川院雅信(しょうせんいん ただのぶ)を師としたと見てよい。この一年前に狩野芳崖も入門しており、7歳年下で穏和な人柄の雅邦と、激情家の芳崖と性格は正反対であったが、共に現状の狩野派への不満と独創的表現への意欲を共有し、生涯の親友となる。両者は早くも頭角をあらわし、安政4年(1857年)23歳で塾頭となる。芳崖、狩野勝玉、木村立嶽と共に勝川院門下の四天王と称され、特に芳崖とは「勝川院の二神足」「勝川院の竜虎」と呼ばれ、塾内の絵合わせでは共に源平の組頭を務めた。

安政7年(1860年雅邦の号をもらって絵師として独立を許され、池田播磨守の家臣高田藤左衛門の娘・とめ子と結婚する。しかし当時既に絵画の需要は少なく、また明治維新の動乱に際しては一時藩主のいる川越に避難することになる。更に明治3年(1870年)に木挽町狩野家は火災で焼失、雅邦も財産のほとんどを焼失してしまう。妻は発狂し、雅邦は病妻を亡くなるまで世話した[1]。翌年には出仕していた川越藩も廃止され、兵部省海軍兵学校において図係学係として製図を行うようになった。この後狩野派の絵師としての活動はほとんど出来なくなり、一時は油絵を描くことさえ余儀なくされた[2]

白雲紅樹(1890年)

転機となったのはアーネスト・フェノロサによる伝統絵画の復興運動であり、フェノロサの庇護を受けていた芳崖と共に新しい表現技法を模索するようになる。明治15年(1882年)の第一回内国絵画共進会では、『琴棋書画図』(MOA美術館蔵)が銀印主席を取り、同じく出品した『竹に鳩』(三の丸尚蔵館蔵)が宮内省の御用となっている。明治17年(1884年)にフェノロサが鑑画会を発足すると早い時期から参加し、盛んに制作を行うようになった。

明治19年(1886年)には海軍兵学校を辞し、文部省の絵画取調所に出仕するようになった。こうしてフェノロサ・岡倉天心の指揮下で芳崖と共に東京美術学校の発足に向けて準備を進めるが、開校を目前にした明治22年(1889年)に芳崖は死去、その絶筆である《悲母観音》の仕上げを任された。このため明治23年(1890年)の東京美術学校開校に際しては、芳崖の代わりに絵画科の主任となった。さらに同年に帝室技芸員制度が発足すると10月2日に第一次のメンバーに選ばれ[3]、これにより名実ともに当時の絵画界の最高位に登り詰めた。

東京美術学校では雅邦四天王と呼ばれた下村観山横山大観菱田春草西郷孤月の他、川合玉堂寺崎広業、橋本静水らを指導しており、その指導が近代美術に及ぼした影響は大きい。しかし明治31年(1898年)には天心が罷免され(美術学校騒動)、雅邦も職を辞し日本美術院の創立に参加した。

以後、雅邦は在野でありながらも画壇の重鎮として重んじられ、美術院の活動の傍ら後続の指導などを行っている。

明治41年(1908年)に胃癌のため死去した。法名は謙徳院勝園雅邦操居士。墓所は江東区平野にある、元浄心寺の塔頭・玉泉院(江東区登録文化財)。なお次男・橋本永邦、三男・橋本秀邦も日本画家になっている。

画業

雅邦は同門の狩野芳崖ともに、日本画の「近世」と「近代」を橋渡しする位置にいる画家で、芳崖と共に狩野派の描法を基礎としつつも洋画の遠近法等の技法を取り入れ、明治期の日本画の革新に貢献した。雅邦の代表作の一つである『白雲紅樹』では、従来の山水画を基にしながら、月の光と空気の透明性を微妙な色彩で表現している。

竜虎図 (左隻)
(同右隻)

  1. ^ 『岡倉天心』松本清張、河出文庫、p169
  2. ^ 水雷命中之図」(東京国立博物館蔵や「豫譲」(川越市立美術館蔵)などの油彩作品が残っている。
  3. ^ 『官報』第2191号、明治23年10月16日。
  4. ^ C0084618 水雷命中之図 - 東京国立博物館 画像検索
  5. ^ 財団法人 水野美術館編集・発行 『水野美術館名品集』 2005年1月、第1-5図、pp.196-197。
  6. ^ [ID_2604] 四季花鳥図 : 作品情報 _ 収蔵品データベース _ 島根県立美術館
  7. ^ a b 田中純一朗 「橋本雅邦と狩野派 ―「四季花鳥図」「春秋山水中士農図」の紹介を兼ねて―」『LOTUS』第38号、2018年3月30日、pp.77-85。
  8. ^ Philadelphia Museum of Art - Collections Object _ Bishamonten Pursuing an Oni
  9. ^ Philadelphia Museum of Art - Collections Object _ Fish-Basket Kannon
  10. ^ Bodhidharma seated in meditation _ Freer_Sackler
  11. ^ Philadelphia Museum of Art - Collections Object _ Landscape
  12. ^ The Chinese Taoist Immortals, Han-shan and Shih-te (Kanzan and Jittoku) _ Freer_Sackler
  13. ^ Benzaiten, the Goddess of Music and Good Fortune, on a Dragon – Results – Advanced Search Objects – Museum of Fine Arts, Boston
  14. ^ [ID_1881] 白雲紅樹 : 収蔵品情報 _ 収蔵品データベース _ 東京藝術大学大学美術館 The University Art Museum, Tokyo University of the Arts
  15. ^ a b c d e 岡山県立美術館編集 『山陽新聞創刊一四〇周年記念・岡山県立美術館開館三〇周年記念特別展 江戸の奇跡・明治の輝き―日本絵画の二〇〇年』 江戸絵画の奇跡・明治の輝き展実行委員会、2019年3月15日、第139-143図。
  16. ^ 笠岡市立竹喬美術館編集・発行 『艶美の競艶 ―東西の美しき女性 木原文庫より―』 2014年、第58図。
  17. ^ ふくやま美術館編集・発行 『近代日本画の世界 地域に秘蔵された名品を公開』 1989年、 第7図。
  18. ^ 館蔵品検索|コレクション|静岡県立美術館|日本平のふもと、緑に囲まれた美術館
  19. ^ 静嘉堂文庫美術館 | 橋本雅邦筆 龍虎図屏風
  20. ^ 『橋本雅邦―その人と芸術―』第27図。
  21. ^ さいたま市/文化財紹介 絹本着色長江晴楼図 橋本雅邦筆
  22. ^ E0043900 竹林猫 - 東京国立博物館 画像検索
  23. ^ C0024328 狙公 - 東京国立博物館 画像検索
  24. ^ [ID_2605] 蓮池図 : 作品情報 _ 収蔵品データベース _ 島根県立美術館
  25. ^ The Immortal Zhang Guolao Releasing His Mule from a Gourd, Hashimoto Gahō _ Mia
  26. ^ C0032633 龍虎図 - 東京国立博物館 画像検索
  27. ^ 小林忠監修 岡田美術館編集・発行 『開館一周年記念展 大観・春草・御舟と日本美術院の画家たち』 2014年10月3日、第2図。
  28. ^ Philadelphia Museum of Art - Collections Object _ Landscape
  29. ^ Philadelphia Museum of Art - Collections Object _ Landscape
  30. ^ 村上尚子 「(財)前田育徳会蔵『四季山水図襖』をめぐって -〈本郷邸〉〈行幸〉〈橋本雅邦〉〈山水〉をキーワードに-」『石川県立美術館紀要』第12号、2002年3月31日、pp.1-15。
  31. ^ 春秋山水|橋本雅邦〔天保6年(1835)~明治41年(1908)〕  明治37年頃(ca.1904) 紙本墨画 六曲一双 各縦157.4㎝ 横386.2㎝|泉屋博古館 住友コレクション
  32. ^ C0067292 瀟湘八景図 - 東京国立博物館 画像検索


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