橋本真也 エピソード

橋本真也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 03:47 UTC 版)

エピソード

師匠であるアントニオ猪木

中学時代に猪木対ウィリー・ウィリアムス戦を見て猪木の魅力にひかれ[10]、その卒業文集には「尊敬する人 アントニオ猪木」と書くほど猪木に心酔した。やがて新日本に入門した橋本は猪木の闘魂哲学を徹底的に叩き込まれ、試合用ガウンには「闘魂伝承」の文言を入れるほど猪木イズムの伝承者として活躍。IWGP王座を通算20回防衛するなど1990年代の新日本を名実共に引っ張る大スターへと成長した。

小川直也との抗争

1997年(平成9年)、元柔道世界王者でバルセロナオリンピック銀メダリストの小川直也がプロ格闘家として猪木に弟子入りしたことで、2人の師弟関係に亀裂が入った。小川のデビュー戦の相手を務めた橋本だったが裸絞めでKO負けを喫すると言う番狂わせが起きた。1か月後に橋本はリベンジを果たしたが、1999年(平成11年)1月4日の3度目の対戦では、プロレスルールを無視した小川の突然の暴走ファイトに橋本はなす術なく、試合は無効試合となったが、ノックアウトされ事実上の敗北だった。試合後の会見で橋本は「絶対許さない」「何がアントニオ猪木だ」と黒幕・猪木への怒りを表した。同年10月、4度目の対戦が行われるがここでも小川に橋本は敗れた。

2000年(平成12年)4月の5度目の対戦でも小川は橋本を破った[11]。だが、この試合に引退を賭け、男の生き様を見せ付けた橋本に猪木は、「引退は早い」と歩み寄りを見せるようになった。橋本はファンの後押しを受け同年10月に引退を撤回して復帰する。翌2001年(平成13年)にZERO-ONEを旗揚げした橋本に猪木は「馬鹿になれ!」のメッセージを送り、最大の理解者として橋本の行動を陰で支え、合わせるように小川も橋本と和解し、以降2人で「OH砲」としてタッグを組むようになった。

ところが2000年(平成12年)6月、当時PRIDEに参戦していたマーク・ケアーの「ZERO-ONE真撃」への参戦問題[12]に端を発し、橋本と猪木は再び袂を分かった。

小川との一連の抗争引退劇があったためか、この年母校の中京高等学校が甲子園出場を決めたが出場校紹介のOB欄に橋本の名前が記載された[13]

2005年(平成17年)、橋本は死去した。猪木は橋本を赤シャツで追悼し、一部に物議を醸した。

なお、橋本は2005年(平成17年)のプロレスゲームのインタビューで「尊敬するレスラーは?」との質問に「アントニオ猪木」と即答している。

対プロレス四天王

橋本が新日本在籍時代、夢のカードとして全日本プロレス・三沢光晴との「ミスターIWGP vs ミスター三冠」対決や、川田利明との「キック対決」を望んでいた。だが橋本自身は全日本で一番戦いたい相手として、雑誌やトークショーで常々小橋建太の名を挙げていた。三沢とはZERO-ONE旗揚げ後タッグで対戦し、川田とはタッグ、三冠をかけて対戦し、ハッスルではタッグを組むほど絡んでいたが小橋、田上明との対戦は叶わなかった。

人物

  • 橋本は型破りな人柄で、風変わりな言動も少なからずあった。橋本の関係者が橋本を語る際には、常識外れのハチャメチャな言動をする人間を指すプロレス用語「トンパチ」(トンボハチマキの意味)が用いられることが多い。(新日のトンパチ伝説は「ドン荒川」→「前田日明」→「橋本真也」へと受け継がれていく)
  • 坂口征二の付き人時代、坂口の持つ高価な水虫の薬の瓶を割る、坂口が自分用に購入した高価な栄養剤を飲んでしまう、興行収益の入ったアタッシュケースを旅館に忘れる、それを外で開いて札束を風でばらまいてしまう等、大きなミスを連発したため野上彰が「付き人の付き人」として橋本に付いた。
  • 若手時代、アントニオ猪木対アブドーラ・ザ・ブッチャーのシングルマッチのセコンドについていた際、ブッチャーの度重なる反則攻撃に激怒し、猪木を救うべく、場外に出たブッチャーにキックを見舞ったことがある(勝俣州和に語ったエピソードより)。「エース級レスラーの試合に、アドリブで格下の新人が加わる」という重大なタブーを犯したため、橋本はしばらく試合から干されてしまった[14]
  • ジャパンプロレス分裂後の長州軍団新日Uターンの際、出戻りを快く思っていなかった橋本は地方巡業で対戦相手のヒロ斎藤に激しい攻撃を加え負傷させたため、試合後に控室で長州力マサ斎藤らから「制裁」を受けた[15]
  • 1990年(平成2年)2月、東京ドーム大会でアントニオ猪木坂口征二組とのタッグ対決の直前、控え室でピリピリしたムードの中、テレビ朝日の佐々木正洋アナウンサー(当時)が橋本にインタビューを行った。このとき橋本が「時は来た!」とやや芝居がかった口調で大真面目に言って、横目で蝶野にアイコンタクトを取った。しかし蝶野がノーリアクションであったので「それだけだ……」とボソッと付け加えたため、横にいたタッグパートナーの蝶野が思わず吹き出しそうになり、顔を手で押さえごまかした。蝶野は「俺は笑ってない!」と釈明したが、後日「でも控え室は爆笑だったんじゃない?」と、この発言の面白さを認めている。この発言は、橋本が大の時代劇好きでそこから引用したものらしい。この映像は2012年にPlayStation 3のCMに使用された(問いかけのセリフはCM用に変更されている)。また同じ試合の際には猪木が「出る前に負けること考えるバカいるかよ」というセリフを発しているが、こちらは同時期にPlayStation VitaのCMに使用された。こちらはCM用に猪木のセリフも変更されている。
  • 猪木以外にもタイガーマスクこと佐山聡にも憧れており、若手時代はタイガーの四次元プロレスの真似ばかりしていたという。元々はジュニアヘビー級のトップを目指していたとのこと。
  • バットマンの大ファンでもある。「橋本が自分用のバットマンのコスチュームを特注し、それを着たまま外をねり歩いた」という噂の真相を雑誌のインタビューで尋ねられた際、それが事実であることを橋本本人が認めている。なお着用したバットスーツは「少しきつくてピチピチだった」とのこと。
  • 海外遠征時、テネシー州にあるエルヴィス・プレスリーの記念館に行ったことをきっかけにプレスリーのファンになり、その後しばらくプレスリーの様な服を着ていたという。アメリカ出身のレスラーからは「ファット・エルヴィス」というあだ名で呼ばれていた。それ以来、エルヴィス風にもみ上げを伸ばし始めるようになった。
  • 小島聡が虫が苦手ということを知り、公園でセミを大量に捕まえて小島の部屋に放った。小島に知られずセミを捕まえて部屋に放つ機会を得るために橋本は演技で小島を怒って用事を言いつけて部屋から出し、小島が戻った時も怒ったふりをして「話をするからお前から部屋に入れ!」と誘導した[16]
  • 空気銃で撃ったスズメを付き人時代の天山広吉に食べさせた。天山はその後体重が10kgも落ち、保健所に電話し「伝染病とかは大丈夫なんでしょうか」と聞いたという。その他にも、もう一人の付き人である西村修ら、若手レスラーを引き連れて起こした「遊び」は数々の逸話を残し、天山はそれらのイタズラの最大の被害者であった。
  • とても料理上手であった。天山に雀を食べさせたエピソードも雀を水に付けて羽根を取り、自ら包丁で捌き、茹で、調理してから天山を騙して食べさせたという。橋本と同じ寮生で仲が良かった獣神サンダー・ライガーの証言によると寮でもその料理は凝っており、ある日「豆腐を作る」と言い出し、苦汁や大豆を買い出しに行き、自ら豆腐を作ったが食材に拘りすぎるあまり、豆腐一丁に1万円ほどかかってしまった。また、ラーメンなども自分で出汁をとる本格派であったという。
  • 橋本は付き人をよく可愛がり、巡業でも食事を積極的に驕り、食後はコンビニで何万円もの買い物をして食べたいものを何でも食べさせ、体が大きくなるように協力した。また、長州力を揄う替え歌を長州のいないところで一緒に付け人と歌って憂さを晴らした[17]
息子の橋本大地
  • 離婚歴があり、前妻との間に一男二女がいる。その後、交際相手が故・冬木弘道の妻であった。[18]前妻との息子の橋本大地は、2008年(平成20年)7月13日に開催されたZERO1-MAXの追悼興業で父親の後を継ぎ、プロレスラーを志していることを明かした[19]。2011年(平成23年)3月のZERO1両国大会で、蝶野を相手にデビューを果たした。2016年からは地元神奈川県を拠点とする団体・大日本プロレスに所属し活動している。
  • 1990年(平成2年)の闘魂三銃士で売り出しかけの頃に中国へ渡り、自らのファイトスタイルであるキックを中心とした武術の修行に行く。その後はその時の影響か、試合前の控え室を出る瞬間やリングに上がる直前に必ずを結び、気合を入れるポーズを見せていた。
  • よくZERO-ONEの時代にマイクで言い放った「こんなので辛いなんてまだ序ノ口だ。“地獄の一丁目”だぞ」は口癖である。
  • 2000年(平成12年)4月に試合中の事故で死亡した福田雅一の最期を巡業中だった新日本のレスラーの中で唯一看取った。「最後は脳死状態になっちゃって…。右脳が潰れ、左脳が潰れ、延髄まで至って…。でも脈は動いてて。あいつは血の一滴になるまで戦った」と語り、号泣した。
  • 勝俣州和とはテレビ番組での共演をきっかけに知り合い、1997年4月の小川直也戦で敗れた橋本を勝俣が毎日電話などで励まし続けたことを機に、自ら「バカ兄弟」と名乗るほどの親友になった。年齢は勝俣のほうが橋本より上であるが、勝俣曰く「ドラえもんのジャイアンとスネ夫のようなもので、精神的には橋本のほうが兄だった」という[20]
  • 生涯最後のバラエティ出演となったロンドンハーツでは、長州小力を懲らしめるため橋本に扮した田村淳ロンドンブーツ1号2号)の呼び込みにより、テーマソング『爆勝宣言』にのって西口プロレスのリングにあがった。放送前に橋本が急逝したため当初番組スタッフは放送中止を検討したが、橋本の遺族と関係者から「(橋本本人が)本日の放送を楽しみにしていた」ということを聞き、橋本本人の供養も兼ねてそのまま放送された。番組の中で橋本から小力に「自分の物真似もやってくれるか?」と問いかけたところ小力は快く応じていたが、橋本の急逝の影響もあってか今日まで公開されておらず、また、それまで行っていた「橋本を捜すネタ」も封印している。



  1. ^ a b 『THE WRESTLER BEST 1000』P147(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ Memphis Wrestling History 1989”. Memphis Wrestling History. 2010年8月23日閲覧。
  3. ^ The History of Wrestling at the Mid-South Coliseum”. Pro Wrestling History.com. 2010年8月23日閲覧。
  4. ^ いきなり!フライデーナイト藤波辰巳がゲストで出演した際に当時「戦う渡辺徹」と呼ばれていた若手時代の橋本が同行しており、渡辺と橋本の2ショット写真が撮られ、それがプロレス雑誌に記載された。ちなみに、当時は橋本より、渡辺の方が肥満体の巨漢だった
  5. ^ 同期でライバルの武藤や蝶野にも似た傾向が見られる[要出典]
  6. ^ 橋本真也 vs 小川直也 THE 死闘 VHS版
  7. ^ 佐山聡が明かす橋本vs小川、セメントマッチの真実 スポーツナビ、2008年(平成20年)1月11日
  8. ^ 体格ゆえ、棺には蓋ができず、代わりに中京商業高校柔道部の旗が被せられた。
  9. ^ 韓国では2004年上映
  10. ^ 金澤克彦によると、次の日学校にウィリーが入場時に頭に巻いていたバンダナを真似して登校したところ、タイガー・ジェット・シンが頭に巻いているターバンと勘違いされたらしい
  11. ^ 小川は猪木から「橋本を殺せ」とのメッセージを受けていたという
  12. ^ DSE側のコメントによると「PRIDEのためにDSEの費用で来日したケアーに、橋本が許可無く会って、ZERO-ONE参戦の交渉をした」というもの
  13. ^ 日刊スポーツ2000年8月1日号
  14. ^ 当時レフェリー兼マッチメイク担当(レスラーの対戦予定などを決める)で、橋本を干した本人だったミスター高橋によれば、橋本は大先輩の星野勘太郎に相談し二人で詫びを入れに来たという
  15. ^ これが橋本と長州の確執の発端となった
  16. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.134
  17. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.85 p.135-136
  18. ^ 冬木の復帰試合を橋本が企画した事もあり交際発覚から死去までの間「彼の交際は仁義にもとる」と存在そのものがタブーとして業界から完全に干され、リハビリや死去までの記録は残っていない。
  19. ^ 笑い満載の橋本真也追悼興行 橋本ファミリー、千羽鶴兄弟ら来場=ZERO1-MAX スポーツナビ 2008年(平成20年)7月13日
  20. ^ 2005年8月20日深夜放送「リングの魂 橋本真也スペシャル」より。追悼番組であるが橋本の人柄に鑑み、明るく楽しく橋本を偲ぶ構成となっていた。
  21. ^ Frankie Goes To Hollywood『Welcome To The Pleasuredome (Into Battle Mix)』(映画『トイズ』サウンドトラック収録、トレヴァー・ホーンによるリミックス)


「橋本真也」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橋本真也」の関連用語

橋本真也のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



橋本真也のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橋本真也 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2020 Weblio RSS