横綱 横綱をめぐる議論

横綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 08:36 UTC 版)

横綱をめぐる議論

横綱制度をめぐる議論は、横綱不在となったり、そのおそれがあるような時、あるいは逆に横綱力士が揃って不調である様な時、しばしば提起される。ただし、多くは好角家の間での議論に留まる。過去には協会内部で横綱制度の見直しが論じられたこともあり、1951年(昭和26年)には一度は横綱降格制度を検討したが、この時は見送られた。以降は制度の抜本的な見直しではなく、制度の柔軟な運用でケースバイケースの対応をするというのが、相撲協会の基本的な姿勢である。

横綱の存在それ自体についても、かつてのような名誉称号でなく地位であるとするならば、その昇進に運不運の不公平があろうとも、大関等と同じく常時東西に1名ずつ常設すべきなのではないか、という意見もある一方、寧ろ名誉称号に戻すべきだとする意見もある。

横綱降格制度の是非は、その地位を陥落することがないことを特権と見るかどうかによって、正反対の視点から論じられる。つまり、どれだけ負けても休んでもその地位を保障されるのは、近代スポーツとしては余りに不合理であるという点からの主張と、その地位を降りることが出来ないために若くして引退に追い込まれる横綱もあり、大関への降格やその位置から再起する選択肢も与えるべきではないかという点からの主張である。

昇進基準

横綱昇進の内規については、古くから論議を呼んでいる(具体的内容は横綱審議委員会#横綱推薦の内規を参照)。

横綱審議委員会及び内規ができる以前はある程度幅のある対応がなされていた。連続優勝で昇進を見送られたのは第32代・玉錦三右エ門(年4場所で3連覇)と第41代・千代の山雅信(年3場所で2連覇)がいるが、いずれも後に(ともに連覇ではなかったが)横綱に昇進している。なお、優勝制度確立後に年2場所で大関の地位で2場所連続優勝を決めたのは第22代・太刀山峯右エ門、第27代・栃木山守也、第35代・双葉山定次の3人がいるがいずれも場所後に横綱に昇進しているため、年2場所では皆無という事になる。

横審の内規が制定されたのは、本場所が年6場所制になった1958年(昭和33年)1月6日である。その第2項で「大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする。」としながらも、これ以降「大関で2場所連続優勝」で横綱昇進したのは昭和期では大鵬北の富士琴櫻の3人のみである[注 3]。多くの場合は第3項「第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。」を適用して、多分に興行上の必要性もあって[8]、連続優勝を果たさなくても横綱に昇進する例が続いた。もっとも大鵬の場合であっても「連続優勝でありさえすれば星の内容はどうでもかまわぬとするのか、それとも13勝以上の星を希望しているのか(中略)「力量抜群」とある文句に「12勝3敗での優勝」が当てはまると解釈されるか、この二つをめぐって議論が出るかも知れない。」[9]として、「優勝」という結果を最も重視する姿勢には当初から議論がある。

1987年(昭和62年)12月に、一度も優勝経験が無い第60代横綱・双羽黒光司が、当時の師匠(立浪親方・元関脇・安念山)らとのトラブルが原因で突如廃業したことにより、横綱の「粗製濫造」との批判が高まった。[要出典]以降、第63代横綱・旭富士正也が何度も横綱推薦の諮問を見送られた末に、大関で2場所連続優勝を果たして横綱に昇進したことから、内規を審判部が厳格に解釈する傾向が強くなり、結果的に旭富士から第70代横綱日馬富士公平までの8横綱は全員、「大関で2場所連続優勝」で昇進している[10][11]。なお、横審と相撲協会は双羽黒の廃業騒動を受けての昇進基準の厳格化には何も言及していない[12]

多くの場合、千秋楽終了後から翌日の横審の定例会までの間に、当該力士の横綱昇進の可否をかなり的確に判断できる。具体的には、

  • 内規に該当しているかどうか。
  • 千秋楽終了後の報道陣の取材に対し審判部長が理事長に当該力士の横綱昇進を審議する臨時理事会開催を要請するという趣旨の回答をするかどうか。
  • 理事長が審判部長の要請を受け臨時理事会開催の意向を示すかどうか。
  • 横審への諮問があった場合、報道陣が行う審議出席予定の横審委員への取材で、多くの委員が当該力士の昇進に関して肯定的な見解を回答するかどうか。

といったことなどを基準にしている。

しかし、このような前例に基づく横綱昇進予想は正しい予想が多いとはいえても、確実に正しいとまではいえない。例えば、1994年(平成6年)9月場所で全勝優勝を果した貴乃花の横綱昇進について理事長から横審への諮問が行われ、新聞各紙も1969年11月場所直後に北の富士の横綱昇進に関する理事長からの諮問で横審が否定の答申をした事例以降は理事長からの諮問で横審が長年昇進を見送らず横綱推薦してきた例から横綱昇進確実と報じたが、昇進が見送られた例がある。

2009年(平成21年)7月14日時点において横綱昇進確実条件と目される「大関での2場所連続優勝」という条件も見直されつつある。例えば、2009年5月場所において14勝1敗で優勝し、次の7月場所で綱とりに挑む大関・日馬富士の横綱昇進についても、同場所千秋楽翌日の5月25日に行われた横審で、近年の相撲内容や昇進直前約3場所までの成績をあまり重視せず、2場所連続優勝の昇進内規を形式的に適用して横綱昇進を判断してきたことへの批判があったためか、横綱昇進の話題がほとんど上がらず、鶴田卓彦委員長は「いきなり綱獲りを論じるのは早い。(5月場所の)稀勢の里戦のような立合いの変化は評価できない。綱取りには今場所以上の成績も求められる」と述べ、無条件での横綱昇進を却下した[13]

また、内館牧子委員も「綱獲りは全く話題にならなかったし、特に稀勢の里戦の変化は非常にガッカリした。『大関で2場所連続で優勝すれば横綱』というのなら横審なんて全く必要無い」と発言し、「2場所連覇」で無条件に横綱昇進を決めることに対して、否定的な見解を示した[14]。これ以降は横綱昇進対象となる力士の成績や相撲内容が悪ければ大関で2場所連続優勝を達成しても横綱昇進が見送られる可能性があるのは否定できない。

以上のように、横審の答申前に横綱昇進見送りの前例がないことや少ないことを根拠として横綱昇進の可否を判断するのは、多くの場合正しいとはいえても、確実に正しいとまではいえない。あくまで、横綱昇進の可否の確定は横審の答申を受けて行われる理事会及び番付編成会議の結果である。

具体的なケース

  • 旭富士正也は、1988年(昭和63年)1月場所を14勝で優勝、続く3月場所と5月場所を各12勝した。さらに1989年平成元年)には、1月場所から5月場所までの3場所を14勝(優勝同点)・13勝(次点)・13勝(同点)の合計40勝と極めて高いレベルで安定した成績を残した[注 4]。昭和時代ならば当然横綱昇進する事が可能な成績だったが、理事長は成績よりも相撲内容の点を指摘してことごとく横審への諮問を行わなかったため、昇進出来なかった。1990年(平成2年)5月場所、7月場所を連続優勝して批判を封じる形で横綱昇進を果たしたが、昇進が遅過ぎたためか横綱在位は僅か9場所(うち皆勤は6場所)、在位中の優勝は1回に留まった。
  • 小錦八十吉は、1991年(平成3年)5月場所と7月場所を14勝(同点)・12勝(次点)、また同年11月場所から1992年(平成4年)3月場所までの3場所を13勝(優勝)・12勝・13勝(優勝)と極めて安定した成績を残したにもかかわらず、横審への諮問がなく昇進できなかった。1992年(平成4年)3月場所後の横審定例会で約半数の委員から小錦への横綱昇進の諮問があってよいのではないかという意見があったが、結局諮問はなかった(後世から見れば「連続優勝がなかった」という結論で落ち着くが、当時は横綱昇進の厳格化を掲げながらも「連続優勝」を求める声は必ずしも多くなかった)。また、同定例会で外国人であることが横綱昇進に何ら障害とならないという考えが確認されたが、ニューヨーク・タイムズ紙、日本経済新聞「小錦が横綱になれないのは人種差別のせいだ」といった趣旨の記事が掲載され、史上初の外国人横綱を誕生させることへの抵抗の有無が取り沙汰された。しかし小錦は以後失速、終盤まで優勝争いに絡む事が無くなった。さらに1993年(平成5年)11月場所では、大関で2場所連続負越した為に関脇の地位へ陥落が決定、横綱昇進の気運は完全に消滅した。
  • 貴乃花光司は、1993年(平成5年)5月場所と7月場所を14勝(優勝)・13勝(同点)としたが、理事長から横審への諮問がなく昇進はならなかった。翌1994年(平成6年)は1月場所から9月場所までの5場所中3場所で優勝、うち9月場所では全勝を果たし(14・11・14・11・15勝)、9月場所後には理事長から横審への諮問が行われた。理事長の諮問がありながら横審が否定の答申をした例は、1969年11月場所直後の北の富士以降長年の間なく、新聞各紙も横綱昇進確実と報じたが[15]、25年ぶりに昇進を見送られた。横審が否定の答申をした理由は、2場所連続優勝でないこと、特に7月場所の11勝で貴乃花の綱獲りは白紙に戻ったとしながら、次の9月場所中に出羽海理事長が横審に「内規の見直し」を要望し、明らかに貴乃花を意識した中で横審がこの見直しを受け入れるか決定する前に諮問を強行したことに対する横審の一部委員の反発などが大きな要因だった[16]。横審委員11名の中では貴乃花の昇進に賛成する者が6名と過半数、反対が5名だったが、内規に定められた「出席委員の3分の2以上の賛成」には達しなかった。それでも貴乃花は翌11月場所も15戦全勝し大関の地位で30連勝、大関の地位「2場所連続全勝優勝」という双葉山以来(のちに第70代横綱・日馬富士公平も達成)の非の打ち所のない成績で、ようやく横綱昇進を果たした。
  • 武蔵丸光洋は、1994年(平成6年)5月場所と7月場所を12勝(次点)、15勝(全勝優勝)という成績だったが、7月場所後の横審には諮問がなかった。3場所前(新大関)の同年3月場所が9勝と1桁勝ち星だった事[注 5]や、5月場所が大関昇進後初の2桁勝利であった。しかも優勝次点とはいえ優勝の貴乃花には2点の差が有り、7月場所に武蔵丸の綱獲りのムードはそもそもなかった。翌9月場所に初の綱獲りに挑むも11勝に終わり、この場所を全勝優勝した貴乃花と直前2場所の星取りが全く逆となったが、貴乃花と異なり横綱昇進の話は出なかった[16]
  • 若乃花勝は、1996年(平成8年)11月場所と1997年(平成9年)1月場所を11勝(同点)、14勝(優勝)と2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績を残しながらも、理事長から横審への諮問がなかった。優勝を逃しての11勝は優秀な成績とはいえないとの見方もあり、この頃には「綱獲りは原則的に優勝する事が起点」という相撲協会の態度が定まっていた。翌3月場所は横綱昇進を賭けて挑んだが、初日から3連勝しながらも3日目に右足を大けが、4日目から途中休場した。
  • 魁皇博之は、2004年(平成16年)9月場所と11月場所を13勝(優勝)、12勝(次点)の成績を残しながらも理事長から横審への諮問がなかった。11月場所は初日黒星後に朝青龍と並ぶことが無く、14日目で優勝を許したのが大きかった。千秋楽に朝青龍を下し12勝、翌2005年(平成17年)1月場所も綱獲りの可能性を繋いだが、左肩腱板炎で途中休場と失敗に終わる。それ以降も魁皇は2011年(平成23年)7月場所迄、大関在位65場所と長期間務めたが、終盤戦迄優勝争いに加わる事は殆ど無く、横綱昇進への機会は巡らなかった。
  • 白鵬翔は、2006年(平成18年)5月場所と7月場所を14勝(優勝)、13勝(次点)の成績を残しながらも、朝青龍に独走を許したのがマイナス要因となり理事長から横審への諮問がなかった。新大関から2場所での横綱昇進は年6場所制で初めてとなるため、特に高いレベルでの連覇が求められたためもある。関脇時代の1月場所からの4場所連続13勝以上は、考慮されなかった。翌9月場所は再び昇進のチャンスだったが8勝7敗の成績不振で綱取りは振り出しになった。2007年(平成19年)3月場所は13勝(優勝)したが、優勝決定戦の内容が立合いの変化であったため印象が悪く翌5月場所は十分な内容が求められた。その5月場所で自身初の全勝優勝という文句なしの成績を残し、横綱昇進を果たした。
  • 逆のパターンとして、第63代・旭富士正也は1990年(平成2年)3月場所にギリギリ勝ち越しの8勝の後、同年5月と7月場所を各14勝の連続優勝で昇進。第64代・曙太郎は、1992年(平成4年)7月場所の新大関場所で全休し翌9月場所に9勝と一桁勝利の後、同年11月と翌1993年(平成5年)1月場所を14勝と13勝の連続優勝で昇進。第66代・若乃花勝は、直前場所の1998年(平成10年)5月場所は12勝の低レベル優勝ながらも、同年3月と5月場所を14勝と12勝の連続優勝で昇進。第67代・武蔵丸光洋は1999年(平成11年)1月場所が千秋楽で辛うじて勝ち越しの8勝の後に、同年3月と5月場所を各13勝の連続優勝で昇進。第70代・日馬富士公平も、2012年(平成24年)5月場所が千秋楽で勝ち越した8勝7敗の後、同年7月と9月場所を各15戦全勝で連続優勝により昇進などの例がある。
    • 特に若乃花勝の場合、相撲協会内には「もう1場所様子をみるべき」という意見が有った程である。それでも「若乃花は2場所連続優勝しており、内規をクリアーしている。」という理由により、貴乃花光司の2場所連続全勝優勝という完璧な成績での横綱審議で10分掛かったにも拘わらず、横審では僅か7分で若乃花の横綱昇進を全会一致で決めた。しかし横綱昇進後の若乃花は優勝を1度も果たせず、さらに横綱皆勤負け越しなどの不名誉な記録を残したまま、横綱在位は11場所(内皆勤は5場所)で早々引退してしまった。その後、理事長職を務めた北の湖(第55代・一代年寄)が在任中に「優勝の成績は13勝以上」とよく注文を付けていた事も、結果的に若乃花の甘かった横綱昇進の例と関係が有るのではないか?との声がある。
  • 鶴竜力三郎は2013年11月場所は9勝6敗に終わったが、2014年1月場所は白鵬と千秋楽まで優勝を争った。優勝決定戦で白鵬に敗れたものの、14勝1敗の優勝同点の成績で2014年3月場所に綱獲りを懸けることとなった(但し鶴竜は当時幕内優勝経験が無く、大関11場所中7場所が9勝以下だったため角界内部の一部に慎重論も出ていたが、北の湖理事長と及び内山斉横審委員長は二人共に「綱獲りの場所だが13勝以上の優勝が必要」と公言している[17])。結果鶴竜は同3月場所を14勝1敗の幕内初優勝を果たし、場所後に第71代横綱に推挙。これで第62代・大乃国以来27年ぶりに大関連覇無しでの横綱昇進となった。
  • 稀勢の里寛は2016年11月場所で12勝3敗で、14勝1敗で優勝した鶴竜力三郎に星の差2つで優勝を逃し、2017年1月場所に14勝1敗で初優勝するまで優勝が1回も無かったが、前年に史上初の優勝無しでの年間最多賞を獲得し、直前六場所の勝率(8割2分)が平成の大横綱である朝青龍や白鵬が横綱昇進を果たした直前六場所の勝率を上回るなど成績が安定しており、それが「準ずる成績」に値するとされ同場所後に横綱昇進を果たした。
  • 貴景勝光信は2020年11月場所で13勝2敗で優勝をし綱取りとなるが、2020年に入り横綱が休場による不在のためレベルの高い優勝の場合のみで『大関で二場所連続優勝』のみが昇進条件で『準ずる成績』での昇進はないとの認識をした。結果は10日目に怪我による休場により綱取りから一転角番となった。
  • 照ノ富士春雄は2021年3月場所で関脇で優勝(12勝3敗)、5月場所を大関で優勝(12勝3敗)と連覇をしたこと、再入幕[注 6]してから1年を通して2桁勝利が5回、優勝3回と安定した成績を残しているため、2021年7月場所では優勝に準ずる成績で横綱昇進を審判長が公言。その7月場所では14日目まで全勝し千秋楽に全勝相星決戦で白鵬に敗れ優勝は逃したものの優勝に準ずる成績での昇進条件の成績を残したため場所後に横綱昇進を果たした。


このように、かつて「『大関で二場所連続優勝』が絶対条件」という基準だけに固執する弊害を指摘する声も少なくなく、そもそも番付編成上は優勝と全く公平に扱われている優勝同点の価値が、横綱昇進時に低く扱われることが問題視されていた(なお第56代・二代若乃花や第57代・三重ノ海など直前3場所中一度も優勝を果たせなかったが、優勝次点・優勝同点の好成績を評価され昇進した例もある)。大関昇進は直前3場所の成績(合計33勝以上が目安)で決まるが、それより高い成績を求める横綱昇進が直前2場所のみで決まるのは問題有りとして、横綱昇進の内規についても「直前3場所の成績で決めるよう改めるべき」との声も少なくない。しかしこれには、横綱になるには先ず大関にならなければならない以上「『大関で連続優勝』の条文はその条件を既に内包している」となっており、貴景勝が2020年の11月場所で優勝した際に必ずしも翌場所優勝で横綱昇進とならないと審判部で言っている。

また、勝ち星が内規にないことも問題とする意見もある。今後は、横綱昇進内規を直前3場所の成績に改めるだけでなく、勝ち星についても具体的に付け加えるべきとの声もある。

  • 1958年(昭和33年)に年6場所制が施行されてから、負け越した(全休含む)場所後の2場所で横綱に昇進した例は皆無である。前述で横綱昇進の際に3場所の成績で見るべきということについて、特に3場所前が負け越し(全休含む)の場合は、2場所合計29勝以上の超ハイレベルな連続優勝が求められるべきとの声が多い。事実、2008年(平成20年)5月場所に角番で14勝1敗の優勝だった琴欧洲勝紀の綱獲り条件が全勝優勝のみだった。横綱なら長期安定こそ望ましいということで、やはり負け越しの後では成績が不安定だから昇進のハードルを高くすべきだと思われよう。
  • 一方で本来、横綱とは数字に表れる強さに加えて力士としての品格・態度が評価されて(「品格」は内規にも明示されている)免許されていたものであり、勝率などで一律に昇進基準を定めてしまっては、その本質を損なうとの反論もある。柏鵬時代を築いた第47代横綱・柏戸剛などは、横綱昇進前3場所で優勝が1回もない33勝12敗の成績で、大関推挙の目安としてもギリギリとされるラインの勝ち星に留まっていたにも係わらずに横綱昇進を果たした。[注 7]

注釈

  1. ^ 例外としては1951年に元前田山の高砂親方がアメリカ巡業の際に土俵入りを行っている
  2. ^ 貴乃花光司は2001年(平成13年)7月場所から2002年(平成14年)7月場所まで連続7場所全休した記録があり、横綱の連続全休の記録としては史上最長である。また、稀勢の里寛は途中休場の場所を含めて2017年(平成29年)5月場所から2018年(平成30年)7月場所まで連続8場所休場した記録がある。#連続休場記録参照。
  3. ^ ただし、年6場所制になって以降連覇せずに横綱になった力士のうち若乃花佐田の山玉の海輪島北の湖三重ノ海千代の富士隆の里鶴竜稀勢の里の10人は、横綱昇進後に連覇を達成している。この内、隆の里と稀勢の里のみ横綱昇進をまたぐ形での連続優勝である。
  4. ^ この6場所中5場所で横綱大乃国よりも好成績であった。
  5. ^ 年6場所制定着以降、2014年3月場所後に昇進した鶴竜以前に「昇進直前3場所前が1ケタ白星でありながら連覇無しで綱取りを果たした横綱」は1人もいなかった。
  6. ^ 照ノ富士は2017年9月場所まで14場所在位を続けていた大関から陥落後、怪我や病気による不振や休場で2019年3月場所では西序二段48枚目まで陥落するも現役を続行、その後持ち直して2020年1月場所で十両、同年7月場所で幕内に復帰していた。
  7. ^ 1960年11月場所から翌年3月場所までの間に11勝-13勝(優勝)-12勝(1差次点)を記録しており、1961年3月場所後に昇進を見送られたもののこの時すでに綱取りに相応しい成績を残していた。
  8. ^ 13例目と14例目は、千代の富士と北勝海(九重部屋)が、15例目は貴乃花と若乃花(二子山部屋)が同部屋だったため、本割で対戦が組まれることは無かった。
  9. ^ だが、2004年3月場所で千代大海龍二魁皇博之の2大関が13勝2敗と、共に優勝次点(優勝は15戦全勝の横綱・朝青龍)の成績を挙げた際、翌場所の成績いかんによって両者横綱昇進も在り得るとされ、複数力士の同時横綱昇進の可能性も完全否定するものではない。
  10. ^ このうち、双羽黒は横綱昇進前を含めても幕内最高優勝を一度も果たせなかった。逆に三代若乃花は横綱昇進前に5度、男女ノ川は2度幕内最高優勝を経験。他の4人はいずれも横綱昇進前に1度だけ幕内最高優勝を経験している。
  11. ^ 戦後本場所開催が不定期だった期間を含む。
  12. ^ 基本的に肩透かし猫だまし、八艘飛び等の奇襲戦法やトリックプレー、はたき込み等の相手をいなす形、それに伴い呼び水となる突っ張り張り手は横綱の取る相撲としては好ましくないとされている。(これは相手の格下力士も同様であり横綱相手に打撃技は使わず組み合うよう促している)珍しい所では2004年7月場所中日で横綱朝青龍(現:実業家・タレント)が、相手の琴ノ若の上手投げで朝青龍が仰向けになりながらもブリッジ状態でなお廻しを離さなかった行為にマスコミ等では「驚異の身体能力」「最後まで諦めない勝負への執念」と紹介されたが協会側からは「投げられたと思ったら潔く敗けを認めるべきだった。」と注文相撲を受けた。

出典

  1. ^ 池田雅雄「歴代横綱正伝(38)」(『相撲』1974年3月号、ベースボールマガジン社)
  2. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号53頁
  3. ^ 京都大関で五条家横綱の磯風音次郎は1890年(明治23年)5月 吉田司家より横綱免許の記録有りとする文献有り- 読売新聞社 古今大相撲辞典 1980年(昭和55年)2月1日発行
  4. ^ 横綱宮城山、源氏山とともに 頭山満写真集
  5. ^ 力士給与18年ぶり増額 横綱で月額300万円毎日新聞
  6. ^ 3年ぶり『横綱会』開催、初参加の稀勢「一緒にいるだけで勉強になる」SANSPO.COM 2017年11月3日付
  7. ^ 角界の名物行事「横綱会」が消滅危機2年連続で見送り東スポWeb 2016年11月10日付
  8. ^ 朝日新聞1959年3月26日付朝刊では朝潮の横綱昇進を「興行政策と見るのが常識だろう。」と断じ、同紙1961年9月27日付朝刊社会面では柏戸の横綱昇進を「"柏鵬ムード”に便乗して新しいブームを作ろうとする興行的なねらいが第一といえないだろうか。」と述べている。
  9. ^ 朝日新聞1961年9月25日付朝刊
  10. ^ またも勝負弱さ見せた大関・稀勢の里に北の湖理事長が大甘発言 リアルライブ 2013年5月27日
  11. ^ 大関・稀勢の里が再度“疑惑の綱獲り”へ 懸念される安易な横綱昇進 リアルライブ 2013年11月25日
  12. ^ アプリスタイル『スポーツ報知 大相撲ジャーナル』2020年1月号 61頁
  13. ^ " どこまで厳しくなる?横綱昇進条件 " - 大相撲 2009年7月号 p64  読売新聞社
  14. ^ " 【大相撲】横審、日馬富士「来場所の綱取りは厳しい」 " - 産経ニュース(web) 2009.5.25
  15. ^ 朝日新聞1994年9月26日付朝刊スポーツ面では、「来場所の予想番付」の欄で貴乃花を東の横綱としている。
  16. ^ a b 朝日新聞1994年9月26日付朝刊スポーツ面
  17. ^ 稀勢の里のおかげ?鶴竜来場所Vなら横綱へ 東スポWeb 2014年1月28日16時00分
  18. ^ 横綱・鶴竜が初場所休場 4場所連続、一層厳しい立場に日本経済新聞(2021年1月8日記事)
  19. ^ 鶴竜休場、春場所に進退 4場所連続19度目―大相撲JIJI.COM(2021年1月8日記事)
  20. ^ 優勝者番付上位の正当性(タマローのコラム2001)
  21. ^ 大横綱
  22. ^ " 郷土見守る大横綱 " - 内館牧子 読売新聞 2005年1月26日[リンク切れ]
  23. ^ " 第4代横綱 谷風梶之助 " - 大相撲星取クイズ 綱の系譜
  24. ^ 鶴竜、昇進後初優勝も横審で賛否両論「立ち合いで変化好ましくない」-スポーツ報知[リンク切れ]
  25. ^ [1]-r25 相撲で「立会い変化」が問題視されるのはナゼ?][リンク切れ]
  26. ^ 「横綱相撲」はどんな相撲か 【スポーツの言葉】(1) 時事通信 2020年05月02日09時11分(2020年5月2日閲覧)






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