桑島正美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 19:34 UTC 版)
桑島正美 Masami Kuwashima | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 同・埼玉県熊谷市 |
生年月日 | 1950年9月14日(73歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1976 |
所属チーム | '76 ウィリアムズ |
出走回数 | 1 (0スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1976年日本GP |
最終戦 | 1976年日本GP |
略歴
レース活動
1969年、不動産業を営む父親の支援を受け、富士フレッシュマンレースにデビュー。黒いヘルメットで黒塗りのフェアレディZ432に乗り、ワークスマシンを食う走りをみせ、トニー・ザイラーの映画にちなんで「黒い稲妻」と呼ばれる。
1970年、柳田春人とともに招待選手としてブラジル・インテルラゴスでのレースに出場した(優勝者はエマーソン・フィッティパルディ)。これ以後、海外レース挑戦を志望する。1972年にイギリスに渡り、プライベートチームを結成。イギリスF3選手権に参戦し、シルバーストンのレースで優勝する。1973年はイギリスだけでなくフランスF3選手権にも参戦。モナコGPの前座F3レースでは一時3位を走行した。イギリスF3で順位を争った選手にはトム・プライス、アラン・ジョーンズ、ロジャー・ウィリアムソン、ジェームス・ハント、ブライアン・ヘントンなどのちにF1世界選手権にデビューする選手が多くいた。
1974年にはヨーロッパF2選手権にステップアップし、パトリック・デパイエ、ハンス=ヨアヒム・スタック、ジャック・ラフィーらと競い合った(最高4位、年間14位)。この年富士スピードウェイで行われたF1デモンストレーション走行では、ブラバムに乗る機会を得た[2]。
1975年半ば、活動資金が苦しくなりヨーロッパでの活動を終え、以後は日本国内の富士グランチャンピオンレースや全日本F2000選手権、全日本F2選手権に参戦する。甘いマスクで人気を博し、芸能人との交遊関係もあった。岩城滉一主演映画『爆発! 暴走遊戯[3]』(1976年)への出演やレコード吹込みなど芸能活動も行った。
1976年、日本初開催のF1世界選手権イン・ジャパンへの出場を計画し、ウィンライターの支援を得る。RAMからブラバムのマシンをレンタルしようと交渉し、その後ウィリアムズからスポット参戦することになる[4]。予選初日に走行したが、チームに支払うスポンサーマネーが持ち逃げされるというトラブルにより、予選2日目にシートを失う。ともにヨーロッパで戦った生沢徹、風戸裕と同じく、念願のF1デビューは果たせなかった[5]。
1979年、覚醒剤取引きに関与したとして摘発され、競技ライセンス3年停止処分を受け、レース界から去った。事件の真相については、芸能界に顔が利くようになっていた桑島が知人から「覚醒剤の売りさばき先を見つけてくれ」と依頼され、会社経営者を紹介して見本を渡した[6]。桑島は後に「自分は仲介役だけだったが、有名人になっていたので大きな事件にされてしまった[6]」と述べている。
引退後
元トヨタワークスの大坪善男やビクトリーサークルクラブ (VICIC) の本田耕介らが桑島のレース界復帰を後援しようとしたが[7]、桑島自身が覚醒剤中毒になって療養施設へ入院したり、タクシー運転手への暴力沙汰を起こすなど、私生活のトラブルにより実現しなかった[7]。その後は家庭を持って更生し、調理師免許の取得や、いくつかの事業に関わったりした。
2012年6月、大磯ロングビーチ駐車場にて行われた「第47回SHCC大磯ミーティング」にゲストとして招かれ、クラシック・チーム・ロータス・ジャパンが所有するロータス・78をドライブした[8]。レーシングカーに乗るのは33年ぶり、F1マシンに触れるのは1976年以来という久々の走行となった。また、同年11月のJAFグランプリ 富士スプリントカップで行われたレジェンドカップに参加した。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
BRSCC Lomberd North Central Formula 3 Championship
年 | チーム | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972年 | GRSインターナショナル | GRD・372 | フォード | BRH | SNE 11 |
RUF | 7位 | 17 | ||||||||||
Reystan Racing | OUL DNS |
THR 8 |
BRH | BRH Ret |
MAL 5 |
BRH 5 |
OUL 3 |
SIL 1 |
CAD | BRH | ||||||||
1973年 | フォード・TC | BRH 7 |
SIL 8 |
SNE 6 |
11位 | 7 | ||||||||||||
マーチ・733 | BRH | SIL | SNE Ret |
MAL Ret |
OUL | MAL | SIL 5 |
OUL 3 |
BRH |
BRSCC Formula 3 Championship
年 | チーム | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972年 | GRSインターナショナル | GRD・372 | フォード | BRH | OUL Ret |
MAL | NC | 0 | |||||||||||
Reystan Racing | SIL DNQ |
ZAN | MON | MAL DNQ |
AND | BRH Ret |
LEC | OUL 9 |
MAL Ret |
SNE DNQ |
BRH DNQ | ||||||||
1973年 | フォード・TC | SIL 5 |
OUL 3 |
OUL Ret |
6位 | 76 | |||||||||||||
マーチ・733 | MAL DNQ |
ZAN 2 |
MON Ret |
LEC 3 |
SIL 6 |
BRH DNQ |
LEC 5 |
BRH Ret |
OUL 2 |
MAL Ret |
BRH Ret |
※1972年のシリーズ名称はShellシリーズ、1973年はJohn Playerシリーズ。
BARC Forward Trust Formula 3 Championship
年 | チーム | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | Pts |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1972年 | Reystan Racing | GRD・372 | フォード | MAL | SIL | SIL 5 |
SIL | THR 6 |
CAD | THR | THR 10 |
PAL | THR Ret |
THR Ret |
19位 | 3 | |||
1973年 | THR 4 |
SNE Ret |
MAL | BRH | SIL Ret |
10位 | 11 | ||||||||||||
マーチ・733 | THR 3 |
CAD C |
THR 8 |
CRO | BRH | CAS | SIL 4 |
THR DNS |
THR |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
年 | チーム | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973年 | Reystan Racing | マーチ・732 | BMW M12/6 | MAL | HOC | THR | NÜR | PAU | KIN | NIV | HOC | ROU | MNZ | MAN DNS |
KAR | PER | SAL | NOR | ALB | VLL |
NC | - |
1974年 | マサミ・クワシマ・レーシング | マーチ・742 | BAR 9 |
HOC Ret |
PAU 8 |
ZOL Ret |
HOC Ret |
MUG 11 |
KAR 4 |
PER Ret |
HOC 13 |
VLL | 14位 | 4 | ||||||||
1975年 | マーチ・752 | EST DNS |
THR Ret |
HOC Ret |
NÜR | PAU | HOC | SAL | ROU | MUG | PER | NC | 0 | |||||||||
Fred Opert Racing | シェブロン・B29 | コスワース | SIL DNS |
|||||||||||||||||||
プロジェクトスリー・レーシング | マーチ・752 | BMW・M12/6 | SIL 12 |
ZOL | NOG | VLL |
フォーミュラ1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1976年 | ウィリアムズ/ウルフ | FW05 | BRA | RSA | USW | ESP | BEL | MON | SWE | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | CAN | USA | JPN DNS |
NC | 0 |
(key)
全日本F2選手権
年 | 所属チーム | 使用車両 | エンジン | タイヤ | 車番 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974年 | SANYO マーチ クワシマ | マーチ・742 | BMW M12/6 | B | 10 | SUZ | SUZ | SUZ | SUZ 2 |
3位 | 12 | ||||
1975年 | エレクトロラックス クワシマレーシング | マーチ・742 | B | 8 | FSW |
SUZ |
FSW |
SUZ 2 |
SUZ 2 |
4位 | 30 | ||||
1976年 | エレクトロラックス 酒井レーシング | マーチ・752 | BMW M12/7 | B | 6 | FSW | SUZ 4 |
FSW | SUZ | SUZ | 11位 | 8 | |||
1977年 | スリーボンド 酒井レーシング | ノバ・522 | B | 12 | SUZ 5 |
SUZ 2 |
NIS | SUZ 13 |
FSW Ret |
FSW 4 |
SUZ 8 |
SUZ 3 |
5位 | 46 | |
1978年 | ワールドモーターSPL 酒井レーシング | ラルト・RT1 | B | 66 | SUZ Ret |
FSW 8 |
SUZ | 11位 | 11 | ||||||
シェブロン・B40 | SUZ Ret |
SUZ 5 |
|||||||||||||
ノバ・532P | SUZ 11 |
||||||||||||||
1979年 | ウォルター・ウルフ・レーシング | マーチ・782 | D | 66 | SUZ | NIS | SUZ 6 |
FSW | SUZ Ret |
SUZ | SUZ 10 |
12位 | 11 |
- ^ JAF 国内競技検索 ドライバー詳細(カテゴリ別) - 2011年10月13日閲覧
- ^ 原富治雄 ヘルメットに描いた挑戦の証 STINGER blog(2012年8月11日)2012年12月5日閲覧。
- ^ 爆発! 暴走遊戯(Movie Walker)
- ^ F3時代の1973年にもウィリアムズからテスト参加を誘われたが、この時は当時のウィリアムズの窮状を知る知人からの助言で断った。
- ^ F1では決勝出走しなければ公式戦デビュー扱いとならない。
- ^ a b 井出耕也 『むかし、狼が走った サーキットの青春群像60's〜70's』、双葉社、2000年、230-231頁。
- ^ a b 「ノスタルジックピープル第7回 桑島正美 PART2」『ノスタルジックヒーロー 2002年4月号』 芸文社、2002年、108頁。
- ^ 第47回SHCC大磯ミーティング 3rd JUN.2012 - CLASSIC TEAM LOTUS(2012年7月2日閲覧)
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