柳宗悦
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外部リンク
- 『柳宗悦』 - コトバンク
- 柳 宗悦:作家別作品リスト - 青空文庫
- 思想家紹介 柳宗悦 - 京都大学文学部日本哲学史専修ホームページ
- 柳宗悦|近代日本人の肖像 - 国立国会図書館
- 日本民藝館
- 白樺文学館ホームページ
- 我孫子市白樺文学館
- 柳宗悦「仏教に帰る」『柳宗悦 妙好人論集』(岩波書店。1991年) - ARCHIVE(西洋文化の偏重から東洋文化への転換にいたった経緯が記されている)。
注釈
- ^ 「宗悦」の読みは「むねよし」が正しいが、「そうえつ」と音読みされることが多く、本人自身、英文の解説ではYanagi Soetsuとクレジットしていた。公式サイトの英文表記も Soetsu となっている[2]。
- ^ 柳の誕生当時、父楢悦は海軍少将で退役、元老院議官であった[5]。
- ^ 逝去後に勤行が行われ、一旦病理解剖のために飯田橋警察病院に運ばれ、その日のうちに日本民藝館に戻った[37]。
- ^ 1919年5月11日に執筆され読売新聞に掲載された「朝鮮人を想ふ」が最初の朝鮮に関する言及(『柳宗悦全集』第六巻収録)
- ^ 柳宗悦から鈴木大拙へ先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。 — 柳宗悦、「かけがえのない人」<コレクション1>ちくま学芸文庫、2010年12月 ISBN 9784480093318
- ^ 鈴木大拙から柳宗悦へ(弔辞)君は天才の人であった。独創の見に富んでいた。それはこの民藝館の形の上でのみ見るべきでない。日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない、実に世界的なものがある。まだまだ生きていて、大成されることを期待したのであったが、世の中は、そう思うようには行かぬ。大きな思想家、大きな愛で包まれている人、このような人格は、普通に死んだといっても、実は死んでいないと、自分はいつも今日のような場合に感ずるのである。不生不死ということは、寞寞寂寂ということではない。無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である。これを忘れてはならぬ。これは逝けるものを弔うの言葉でなくて、実は参会の方々と共に自分を励ます言葉である。 — 鈴木大拙、「柳君を憶ふ」『民藝』1961年6月号。2013年10月号で再掲
- ^ p367「1938年12月27日~1939年 1月13日」p369「1939(昭和 14)年3月~4月、同年12月~1940(昭和15)年1月、同年7月~8月」並松信久2016『柳宗悦と沖縄文化』京都産業大学論集人文科学系列第49号
- ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。刊行書目は、第1篇 柳の「民藝とは何か」、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶器」、第5篇 本山桂川「満洲の民藝」、第6篇 外村吉之介「岡山県の民藝」(戦後刊)
- ^ 単行判表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。
出典
- ^ "柳宗悦". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年1月21日閲覧。
- ^ “About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
- ^ 水尾 2004, p. 13.
- ^ a b c “思想家紹介 柳宗悦”. 京都大学大学院文学研究科・文学部. 2019年6月11日閲覧。
- ^ a b 中見 2013, p. 16-17.
- ^ a b 中見 2013, p. 17.
- ^ a b 中見 2013, p. 19.
- ^ 中見 2013, pp. 19–20.
- ^ a b c 中見 2013, p. 20.
- ^ “官報. 1910年04月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月21日閲覧。
- ^ 中見 2013, pp. 21–22.
- ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 246.
- ^ a b c d e 中見 2013, p. 21.
- ^ a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展、日本民藝館学芸員・月森俊文氏インタビューの”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
- ^ a b 水尾 2004, p. 54.
- ^ a b 水尾 2004, p. 55.
- ^ 水尾 2004, p. 55-56.
- ^ 水尾 2004, p. 56.
- ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
- ^ a b c d 中見 2013, p. 23.
- ^ a b c d e f “民藝運動の父、柳宗悦”. 日本民藝協会. 2017年2月10日閲覧。
- ^ a b 水尾 2004, p. 76.
- ^ 水尾 2004, p. 85.
- ^ “白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
- ^ a b c d “柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
- ^ 水尾 2004, p. 87.
- ^ a b 水尾 2004, p. 88.
- ^ 中見 2013, p. 25.
- ^ 中見 2013, pp. 25–26.
- ^ 中見 2013, p. 26.
- ^ a b c 柳宗悦 - 東文研アーカイブデータベース
- ^ 同志社人物誌 94 柳宗悦
- ^ “沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
- ^ “民藝協会のあゆみ 昭和20年〜昭和39年(1945年~1964年)”. 日本民藝協会サイト. 2023年9月30日閲覧。
- ^ a b 中見 2013, p. 40.
- ^ 水尾 2004, pp. 462–465.
- ^ 水尾 2004, p. 465.
- ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 250.
- ^ 他の電子出版は「工芸の道」「手仕事の日本」「工芸文化」「沖縄の人文」。
- ^ 故柳宗悦に韓国文化勲章 - 東京文化財研究所、2021年1月30日閲覧。
- ^ 日本人民藝運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈 中央日報日本語版 2013.06.06
- ^ 『民藝』第102号(1961年6月)「柳君を憶ふ / 鈴木大拙」 p4
- ^ 『季刊 新沖縄文学 80号 特集 沖縄と柳宗悦』(沖縄タイムス社、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]
- ^ 1997年に榕樹社から榕樹書林に社名変更。
- ^ 没後半世紀経て版権が切れ、大半の刊行著作がAmazon Kindle版で電子出版化(全16作品、新字新かな表記)されている。
- ^ 英文版「JAPANESE FOLK CRAFTS 柳宗悦コレクション」(マイケル・ブレーズ英訳、出版文化産業振興財団、2020年)が出版
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