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柳宗悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 20:42 UTC 版)

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注釈

  1. ^ 「宗悦」の読みは「むねよし」が正しいが、「そうえつ」と音読みされることが多く、本人自身、英文の解説ではYanagi Soetsuとクレジットしていた。公式サイトの英文表記も Soetsu となっている[2]
  2. ^ 柳の誕生当時、父楢悦は海軍少将で退役、元老院議官であった[5]
  3. ^ 逝去後に勤行が行われ、一旦病理解剖のために飯田橋警察病院に運ばれ、その日のうちに日本民藝館に戻った[37]
  4. ^ 1919年5月11日に執筆され読売新聞に掲載された「朝鮮人を想ふ」が最初の朝鮮に関する言及(『柳宗悦全集』第六巻収録)
  5. ^ 柳宗悦から鈴木大拙へ
    先生は、絶えず希望を持ち計画を立て、いつも何か新しい仕事を企てられているが、九十歳の老齢で、この旺盛な意欲を持たれ前進して行かれるのは驚くほかはない。恐らくこれがまた、先生をして長寿を保たせているその秘訣かと思われるが、嘗てブライスが私に言ったように全くirreplacable-man(かけがえのない人)という評が大いに当たっていよう。 — 柳宗悦、「かけがえのない人」<コレクション1>ちくま学芸文庫、2010年12月 ISBN 9784480093318
  6. ^ 鈴木大拙から柳宗悦へ(弔辞)
    君は天才の人であった。独創の見に富んでいた。それはこの民藝館の形の上でのみ見るべきでない。日本は大なる東洋的「美の法門」の開拓者を失った。これは日本だけの損失でない、実に世界的なものがある。まだまだ生きていて、大成されることを期待したのであったが、世の中は、そう思うようには行かぬ。大きな思想家、大きな愛で包まれている人、このような人格は、普通に死んだといっても、実は死んでいないと、自分はいつも今日のような場合に感ずるのである。不生不死ということは、寞寞寂寂ということではない。無限の創造力がそこに潜在し、現成しつつあるとの義である。これを忘れてはならぬ。これは逝けるものを弔うの言葉でなくて、実は参会の方々と共に自分を励ます言葉である。 — 鈴木大拙、「柳君を憶ふ」『民藝』1961年6月号。2013年10月号で再掲
  7. ^ p367「1938年12月27日~1939年 1月13日」p369「1939(昭和 14)年3月~4月、同年12月~1940(昭和15)年1月、同年7月~8月」並松信久2016『柳宗悦と沖縄文化』京都産業大学論集人文科学系列第49号
  8. ^ 初刊は、昭和書房〈民藝叢書〉全6巻(1941-43年・52年)、芹沢銈介装幀。刊行書目は、第1篇 柳の「民藝とは何か」、第2篇「琉球の文化」、第3篇「現在の日本民窯」(式場と共編)、第4篇「琉球の陶器」、第5篇 本山桂川「満洲の民藝」、第6篇 外村吉之介「岡山県の民藝」(戦後刊)
  9. ^ 単行判表記は「南無阿彌陀佛」。特製版(限定千部)も刊行。

出典

  1. ^ "柳宗悦". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年1月21日閲覧
  2. ^ About the Museum”. 日本民藝館. 2019年6月11日閲覧。
  3. ^ 水尾 2004, p. 13.
  4. ^ a b c 思想家紹介 柳宗悦”. 京都大学大学院文学研究科・文学部. 2019年6月11日閲覧。
  5. ^ a b 中見 2013, p. 16-17.
  6. ^ a b 中見 2013, p. 17.
  7. ^ a b 中見 2013, p. 19.
  8. ^ 中見 2013, pp. 19–20.
  9. ^ a b c 中見 2013, p. 20.
  10. ^ 官報. 1910年04月05日 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年1月21日閲覧。
  11. ^ 中見 2013, pp. 21–22.
  12. ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 246.
  13. ^ a b c d e 中見 2013, p. 21.
  14. ^ a b c d 増田穂 (2017年2月10日). “「直観」で見る「美」――『柳宗悦と民藝運動の作家たち』展、日本民藝館学芸員・月森俊文氏インタビューの”. シノドス. 2017年2月10日閲覧。
  15. ^ a b 水尾 2004, p. 54.
  16. ^ a b 水尾 2004, p. 55.
  17. ^ 水尾 2004, p. 55-56.
  18. ^ 水尾 2004, p. 56.
  19. ^ 『官報』第286号、大正2年7月12日、p.312
  20. ^ a b c d 中見 2013, p. 23.
  21. ^ a b c d e f 民藝運動の父、柳宗悦”. 日本民藝協会. 2017年2月10日閲覧。
  22. ^ a b 水尾 2004, p. 76.
  23. ^ 水尾 2004, p. 85.
  24. ^ 白樺文学館の沿革、我孫子市白樺文学館”. 我孫子市ホームページ. 2017年2月10日閲覧。
  25. ^ a b c d 柳宗悦と日本民藝館”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  26. ^ 水尾 2004, p. 87.
  27. ^ a b 水尾 2004, p. 88.
  28. ^ 中見 2013, p. 25.
  29. ^ 中見 2013, pp. 25–26.
  30. ^ 中見 2013, p. 26.
  31. ^ a b c 柳宗悦 - 東文研アーカイブデータベース
  32. ^ 同志社人物誌 94 柳宗悦
  33. ^ 沿革”. 日本民藝館. 2017年2月10日閲覧。
  34. ^ 民藝協会のあゆみ 昭和20年〜昭和39年(1945年~1964年)”. 日本民藝協会サイト. 2023年9月30日閲覧。
  35. ^ a b 中見 2013, p. 40.
  36. ^ 水尾 2004, pp. 462–465.
  37. ^ 水尾 2004, p. 465.
  38. ^ 東京国立近代美術館編 2021, p. 250.
  39. ^ 他の電子出版は「工芸の道」「手仕事の日本」「工芸文化」「沖縄の人文」。
  40. ^ 故柳宗悦に韓国文化勲章 - 東京文化財研究所、2021年1月30日閲覧。
  41. ^ 日本人民藝運動家の『柳宗悦』展が韓国で…工芸運動の観点から再解釈 中央日報日本語版 2013.06.06
  42. ^ 『民藝』第102号(1961年6月)「柳君を憶ふ / 鈴木大拙」 p4
  43. ^ 『季刊 新沖縄文学 80号 特集 沖縄と柳宗悦』(沖縄タイムス社、1989年)に詳しい[要文献特定詳細情報]
  44. ^ 1997年に榕樹社から榕樹書林に社名変更。
  45. ^ 没後半世紀経て版権が切れ、大半の刊行著作がAmazon Kindle版で電子出版化(全16作品、新字新かな表記)されている。
  46. ^ 英文版「JAPANESE FOLK CRAFTS 柳宗悦コレクション」(マイケル・ブレーズ英訳、出版文化産業振興財団、2020年)が出版






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