松方弘樹 経歴

松方弘樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 06:52 UTC 版)

経歴

役者として

元々は歌手志望で、作曲家上原げんとの下で五木ひろしらと席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くし、父と同じ俳優の道に入った[8][9][10]。17歳で『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年東映)で主演デビュー[11][12][13]。同学年の北大路欣也とはライバル関係で[9][14]、松方は東映専属だった北大路とは違い、企画制作担当重役だった岡田茂の個人預かり(フリー)であった[15][16]。映画『893愚連隊』の主演[17]、「昭和残侠伝シリーズ」の助演、『人形佐七捕物帳』(NHK)の主演など、主に時代劇ヤクザ映画に出演。中でも佐七は松方の当たり役になり、その後に制作されたテレビ朝日の『人形佐七捕物帳』でも再び主演した。

北大路に差を付けられ不遇をかこっていた1969年(昭和44年)、岡田茂から「大映へ行け。今は勝新しかおらん。大映ならテッペンを取れるで」と大映へレンタルされ[18][19]、亡くなった市川雷蔵の穴埋めを期待され雷蔵の当たり役を演じた[9][20][21]。大映は松方を移籍させようと画策したが[22]、岡田が「松方は絶対に大映にトレードさせん!」とツルの一声を発し移籍話は潰れた[22]1970年(昭和45年)春、ダイニチ映配設立に反対して大映社長の永田雅一の逆鱗に触れて、半年出演を拒否された。

大映の倒産直前の1971年(昭和46年)春に東映へ復帰し[14]1972年の四カ国合作映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、1973年(昭和48年)の『仁義なき戦いシリーズ』などで敵役悪役で芸域の幅を広げた[11][17][23][24]。『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のソウルロケでは、バスジャックを演じる松方を韓国軍が本物と思い込み、バスに乗り込まれカービン銃を構えられた[25]。「仁義なき戦いシリーズ五部作」では、三役を演じ分ける怪演を見せた[10][14][20][26][27]。それまで東映の大量生産の煽りで撮影の連続[5][28]、演技に厳しい父が一度も褒めてくれず、役者を辞めて遠洋のマグロ漁船に乗ろうなどと考えていたとき、本シリーズに巡り合い、演じることの醍醐味を味わい、役者に開眼したと話している[28][29]

1974年(昭和49年)大河ドラマ勝海舟』にて病気降板した渡哲也から主役を引き継いで兄妹役で共演した仁科明子と不倫関係となりマスメディアを賑わせた[30]。同年の映画『脱獄広島殺人囚』は『暴動島根刑務所』『強盗放火殺人囚』と合わせて「世界最強の脱獄アクター」「松方弘樹東映脱獄三部作」と評されている[31]

ヤクザ映画ポルノ映画を柱とする"東映不良性感度路線"を標榜していた岡田茂[32]、大河ドラマで全国区の知名度を得た松方を、次世代東映の担い手として東映的な「不良性」で染め上げようと画策[32]。自身のブレーンだったスポーツニッポンの映画記者・脇田巧彦と組み1975年(昭和49年)、『週刊ポスト』で連載「松方弘樹の突撃対談」を始めさせた[32]。内容は松方が毎回女性ゲストに酒を勧めて、対談中にともにボトルを1、2本空けて、セクハラ発言を繰り返すもので、松方が連発する「キツーイ一発」というフレーズは1975年に流行語になり、瞬く間にスポーツ新聞、男性女性週刊誌の見出しを席巻した[32]。この連載から抄録したものが『きつい一発 松方弘樹の言いたい放談』(1975年、八曜社)として出版されている。それまではスターが遊ぶのは藝の肥やしと、結婚、離婚のときしかマスコミは黙認して記事にしなかったが[32]、サラリーマン向け週刊誌やスポーツ新聞の部数が伸びてきた70年代中盤から艶福家ということを記事にし始めた[32]。松方は艶福家として取り上げられるようになった最初のスターの一人で、自身も積極的に乗った[32]

ここから70年代中盤の東映実録ヤクザ路線を全力疾走[33]、『県警対組織暴力』や『暴力金脈』『実録外伝 大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』や、現在進行中の抗争事件を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなった組長が殺害された『北陸代理戦争[10][34][35] などで強烈な個性を発揮した[12][14]。『修羅の群れ』の主役を張って一本立ちした[13][24][36]

1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』で時代劇映画に復帰。それ以降は仁侠映画と共に活動の二分となった。テレビドラマでは大河ドラマ勝海舟』や時代劇『大江戸捜査網』の主役を務め、三英傑織田信長豊臣秀吉徳川家康)をすべて演じたほか真田幸村を映画・テレビドラマで計二度演じた。

バラエティ番組への出演

俳優業の一方で、1985年(昭和60年)に始まるバラエティ番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!』ではそれまでのイメージを覆し、冗談好きで笑い上戸な一面をみせ、以後バラエティ番組にも顔を出すようになる[9][13][14][37]1990年代までは、ドラマ・バラエティともにレイバンの度入りのサングラスをかけながら出演し、それがトレードマークにもなっていたが、2000年以降はレーシック手術で視力を回復したため、メガネを外して出演していた。

晩年・闘病・死去

2016年(平成28年)2月23日、「脳腫瘍の疑いがあり長期療養するので出演予定である3月1日から6月8日までの歌謡ショーを降板し6月からの舞台も中止する」と発表[38][39]。検査の結果「脳リンパ腫」との確定診断を受けたことが公表された[40]抗がん剤の投薬治療を行う[41] も、合間に脳梗塞を併発し、急激に体力も衰えていった。

2017年(平成29年)1月21日午前11時26分、弟の目黒と3人の事務所関係者に看取られ、脳リンパ腫のため東京都内の病院にて、74歳で死去。[14][42][43][44]

2017年(平成29年)1月23日午後6時頃、メディアを通じて、松方の訃報が公式に発表され、その夜に弟の目黒祐樹が涙をこらえながら、闘病生活とその最後と葬儀をごく親しい近親者だけで行ったことを公表すると共に、生前において松方に関わった関係各位や応援してくれた者達に対して、感謝の意を述べた。また、葬儀に参列した梅宮辰夫らが追悼コメントを発表した。松方の葬儀が近親者などによるものであったため、彼を知る友人・知人たちから「最後のお別れを言いたい」と希望する声が寄せられたこともあり、同年6月6日に東京プリンスホテルにてお別れの会を開催することになった[45]

2017年6月6日、東京プリンスホテルでお別れ会が行われた。梅宮辰夫里見浩太朗五木ひろし森喜朗高橋英樹中尾彬大和田伸也北島三郎小松政夫白竜デヴィ・スカルノ錦野旦南野陽子モト冬樹山本リンダ千葉真一高橋克典岩城滉一浜田雅功太田光代水谷八重子松本明子徳光和夫テリー伊藤堀田眞三三田佳子十朱幸代らが参列した。




注釈

  1. ^ 実写の松方が写り込んだフィッシングゲームだが、海釣りの難易度が高く、中々当たりが来ないリアル志向のゲーム。[要出典]退屈にも思えるゲーム性から、ゲームライターの中には「メインは(松方と一緒に写り込んだ)水着の女性」と述べる者もいる[54]

出典

  1. ^ a b 松方弘樹”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年1月12日閲覧。
  2. ^ 松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」”. スポーツニッポン新聞社 (2017年1月23日). 2017年1月23日閲覧。
  3. ^ a b プロフィール”. 株式会社マーレ. 2017年1月12日閲覧。
  4. ^ 松方弘樹 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2017年1月12日閲覧。
  5. ^ a b c d 【追悼】松方弘樹「気がついたら青春映画の主演やっていました」〜役者一族の人間力”. 日刊大衆 (2017年1月23日). 2019年7月4日閲覧。
  6. ^ 松方弘樹、「立ち回りができなかった」新人時代「だからこそ必死になれた」”. ORICON NEWS. オリコン (2015年4月21日). 2019年7月4日閲覧。
  7. ^ 『読売年鑑』2016年版、読売新聞東京本社、2016年、559頁。ISBN 978-4643160017
  8. ^ “松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念”. スポーツ報知. (2017年1月24日). オリジナルの2017年1月24日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170124044755/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170124-OHT1T50029.html 2019年7月5日閲覧。 
  9. ^ a b c d e f g h i “松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った”. 日刊スポーツ. (2017年1月24日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1769386.html 2019年7月5日閲覧。 
  10. ^ a b c “今はちょっと切ないです”松方弘樹の映画への思い”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2015年2月27日). 2019年7月5日閲覧。
  11. ^ a b “俳優 松方弘樹さんが死去”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2017年1月23日). オリジナルの2017年1月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170123093330/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170123/k10010849971000.html 2017年1月24日閲覧。 
  12. ^ a b c “さらば松方弘樹/「仁義なき戦い」など写真特集”. 日刊スポーツ. (2017年1月25). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1769307.html 2019年7月5日閲覧。 
  13. ^ a b c d “松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった…”. 東スポWeb. (2017年1月25日). http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/643994/ 2019年7月5日閲覧。 
  14. ^ a b c d e f “俳優の松方弘樹さん死去 74歳、「遠山の金さん」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年1月23日). オリジナルの2017年1月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170123115107/http://www.asahi.com/articles/ASK1R62KMK1RUCLV01K.html 2017年1月24日閲覧。 
  15. ^ 由原木七朗「スター随想 役者・松方弘樹」『近代映画』1970年(昭和45年)4月号、近代映画社、 178頁。
  16. ^ “コラム 『最後の映画スター』”. 合同通信オンライン (合同通信社). (2017年). オリジナルの2017年3月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170327074359/https://godotsushin.net/column/123/ 2019年2月10日閲覧。 
  17. ^ a b c d “松方弘樹さん死去=74歳、「仁義なき戦い」”. 時事ドットコム (時事通信社). (2017年1月23日). オリジナルの2017年2月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170202015847/http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012300652&g=obt 2019年7月5日閲覧。 
  18. ^ 週刊ダイヤモンド編集部 (2017年4月11日). “松方弘樹、逆境のオンパレードを乗り越えた役者人生”. ダイヤモンドオンライン. ダイヤモンド社. p. 4. 2017年6月20日閲覧。
  19. ^ 「グラフ もう一度見たい松方弘樹」『週刊大衆』2017年6月26日号、双葉社、 37-39頁。
  20. ^ a b 春日太一 (2014年8月23日). “『仁義なき戦い』撮影時の松方弘樹 2か月寝なかった熱い時代”. NEWSポストセブン. 小学館. 2019年7月5日閲覧。
  21. ^ 春日太一 (2017年2月14日). “非情な忍者の世界でも輝く松方弘樹の生命感! 『忍びの衆』”. 文春オンライン. 文藝春秋. 2017年6月20日閲覧。
  22. ^ a b 「大映にねらわれた松方弘樹 ―『薄桜記』で期待の初出演―」『週刊明星』1969年(昭和44年)5月4日号、集英社、 134頁。
  23. ^ 「仁義なき戦い」上映作品詳細 - 第二回 新・午前十時の映画祭山守さん、弾はまだはまだ残っとるがよう……映画「仁義なき戦い」: 新おとな総研 旅 名言巡礼 広島県呉市- 読売新聞”. 読売新聞 (2014年8月11日). 2017年2月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年1月28日閲覧。「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方「弾はまだ残っとるがよう」色あせない名セリフ数々が40周年で再びスクリーンに| ニュースウォーカー
  24. ^ a b 松方弘樹 公式ブログ/恩人・岡田茂の薫陶 - GREE
  25. ^ 松方・伊藤 2017, pp. 101-102.
  26. ^ a b c d 希代の俳優 松方弘樹さんが語っていた“酒と女と役者バカ” | 日刊ゲンダイ
  27. ^ ETVスペシャル「仁義なき戦い」を作った男たち NHK、2003年5月3日放送、松方弘樹が明かす「仁義なき戦い」秘話 「おまえそれ面白いなぁ」 スポニチ追悼 松方弘樹氏時事通信
  28. ^ a b 『週刊現代』、2008年2月2日号、184頁。
  29. ^ “よみうり寸評”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 2. (2017年1月24日). http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170124-118-OYTPT50290/list_YOMIURISUNPYO 2017年1月25日閲覧。 
  30. ^ 病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第1回・松方弘樹」(2)弘樹のイメチェンを図れ!
  31. ^ INTRO | ラピュタ阿佐ヶ谷レイトショー『脱獄大作戦 娑婆ダバ! スタローン&シュワルツェネッガーも魅了?脱走映画に名作多し!−映画秘宝2014年2月号東映チャンネル共同企画「傑作任侠劇場」|日本映画・邦画を見るなら
  32. ^ a b c d e f g 松方・伊藤 2017, pp. 150-153.
  33. ^ 松方・伊藤 2017, pp. 153-155.
  34. ^ 実録が現実を喰う!『映画の奈落』 北陸代理戦争の仁義なき場外戦ヤクザと交友を深めた東映の俳優・制作陣たち【特別対談・杉作J太郎×坪内祐三】特別対談・杉作J太郎×坪内祐三 | 日刊SPA!
  35. ^ 伊藤彰彦『映画の奈落 北陸代理戦争事件』国書刊行会、2014年5月、287頁。ISBN 978-4336058102
  36. ^ 松方弘樹亡き父へ果たし状…近衛十四郎代表作に挑む - ZAKZAK俺は釣りキチ松方弘樹だ、これが人生だ『松方弘樹の世界を釣った日々』
  37. ^ テリー伊藤氏、松方弘樹さんをバラエティー起用した経緯語る(スポーツ報知)
  38. ^ “松方弘樹、脳腫瘍の疑い 長期療養のため公演降板・中止へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年2月23日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/23/kiji/K20160223012092940.html 2016年2月23日閲覧。 
  39. ^ 松方弘樹、脳腫瘍の疑い「治療に専念」 公演降板&舞台中止”. ORICON STYLE (2016年2月23日). 2016年2月24日閲覧。
  40. ^ “長期療養中の松方弘樹 「脳リンパ腫」だった 完全復帰目指し闘病生活へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年3月2日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/03/02/kiji/K20160302012140270.html 2016年3月2日閲覧。 
  41. ^ “松方弘樹、病名は脳リンパ腫…手術せず抗がん剤治療「頑張るしかない」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2016年3月3日). http://www.sanspo.com/geino/news/20160303/geo16030305050011-n1.html 2016年3月3日閲覧。 
  42. ^ “目黒祐樹、兄・松方弘樹さんを偲ぶ「思い浮かぶのは底抜けの笑顔」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2017年1月23日). http://www.sanspo.com/geino/news/20170123/geo17012323260046-n1.html 2017年1月23日閲覧。 
  43. ^ “梅宮辰夫 松方さんとの強い絆 病床に届け続けた「辰兄の作る弁当」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月24日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/24/kiji/20170124s00041000100000c.html 2017年1月24日閲覧。 
  44. ^ “梅宮辰夫、悲痛…盟友・松方さんの密葬に参列「骨だけがバラバラに出てきて…」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月24日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/24/kiji/20170124s00041000095000c.html 2017年1月24日閲覧。 
  45. ^ “松方弘樹さん6月6日にお別れ会 梅宮辰夫ら発起人”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2017年4月16日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1808446.html 2017年4月16日閲覧。 
  46. ^ a b 松方弘樹さん、お騒がせ私生活 隠し子騒動、パイプカット告白…離婚も2度
  47. ^ a b c 松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴 - 東スポWeb
  48. ^ 仁科亜季子ら家族にみとられ…岩井半四郎さん死去 ― スポニチ
  49. ^ 『昭和名優のダンディズム』梅宮辰夫編 東京スポーツ 2016年6月23日付18面
  50. ^ 松方さんが特大マグロ釣る 山口県沖で325キロ『共同通信』2009年11月22日
  51. ^ 京都中に人脈「全部俺につけて」電話/松方さん悼む - 日刊スポーツ小倉キャスター、松方弘樹さん悼む「初めて会った時に殺されると思った」
  52. ^ *番組エピソード 大河ドラマ『勝海舟』 -NHKアーカイブス
  53. ^ キャラクター”. 十五少年漂流記〜海賊島DE!大冒険〜公式サイト. 2014年5月6日閲覧。
  54. ^ 『プレイステーションクソゲー番付』 株式会社QBQ編、マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 9784865118346 45頁。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松方弘樹」の関連用語

松方弘樹のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



松方弘樹のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松方弘樹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2019 Weblio RSS