松岡利勝 松岡利勝の概要

松岡利勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 07:18 UTC 版)

松岡 利勝
まつおか としかつ
内閣広報室より公表された肖像
2006年撮影)
生年月日 1945年2月25日
出生地 日本 熊本県阿蘇市
没年月日 (2007-05-28) 2007年5月28日(62歳没)
死没地 日本 東京都新宿区
出身校 鳥取大学農学部林学科
前職 林野庁林政部林政課広報官
所属政党無所属→)
自由民主党伊吹派
称号 農学士(鳥取大学)
親族 景山俊太郎長男義父

内閣 第1次安倍内閣
在任期間 2006年9月26日 - 2007年5月28日[注 1]

選挙区旧熊本1区→)
熊本3区→)
比例九州ブロック→)
熊本3区
当選回数 6回
在任期間 1990年2月19日 - 2007年5月28日
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戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である[注 2]

来歴・人物

生い立ち

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した[1]

父は日中戦争支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという[1]家庭内暴力)。父は非常に厳格な人物で、自身の気に入らないことがあると感情的になり怒鳴り散らすなど気性の荒い性格もあり、周囲から怖れられたという[1]

学生時代

中学卒業後、熊本県立済々黌高等学校に進学し、空手部に入部[1]。親元を離れて下宿生活を送る[1]。高校2年生の時の修学旅行で東京都を訪れた際に、単身で赤尾敏大日本愛国党元総裁)を訪問し、活動への参加を志願している[1]。結果は拒絶されたものの、「保守思想への傾倒」は松岡にとって大きな転機になった[1]。その後一時、防衛大学校を目指すが失敗し、2浪ののち鳥取大学農学部林学科に進学する[1]

農林水産省勤務時代

国家公務員採用上級甲種試験に林学区分で最終合格[2]、林学技官として官僚人生のスタートを切り、政治の世界への足掛かりを掴んでいく[3]

大臣官房企画課、天塩営林署長、国土庁(当時)地方振興局山村豪雪地帯振興課長補佐などを務めた。1988年(昭和63年)、林野庁林政部林政課広報官を最後に退官し、地元熊本に帰郷した。

政治家として

1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に旧熊本1区から無所属で立候補。当初は泡沫候補と見られていたが、北口博松野頼三らを下し最下位ながらも初当選、以降連続6回当選(当選同期に岡田克也佐田玄一郎亀井久興森英介福田康夫石原伸晃河村建夫小林興起塩谷立古屋圭司細田博之小坂憲次山本拓赤城徳彦簗瀬進山本有二など)。議員一期目に、三塚派の先輩である小泉純一郎石原慎太郎に同調して小選挙区導入に猛反対し、同じ三塚派所属の一年生議員らと共に党中枢と敵対した。他にもコメの輸入自由化に反対して国会前で座り込みをしたり、1994年(平成6年)11月の熊本市長選挙で魚住汎英と乱闘を起こすなど、武闘派として知られるようになる。一方で、選挙で対立候補を支援した建設会社に対して、その後公共事業の発注を行わせないようにするなどの一面もあった。

1995年(平成7年)8月8日村山改造内閣で農林水産政務次官(翌年1月11日まで)、1999年(平成11年)10月29日、衆議院農林水産委員長(翌年6月2日まで)、2000年(平成12年)12月6日第2次森改造内閣で農林水産総括政務次官となる。2001年(平成13年)1月6日、初代農林水産副大臣となり、WTO交渉等に精力的に取り組む(同年4月26日まで)。

党内では、安倍晋太郎派→三塚博派→亀井グループを経て1998年(平成10年)に江藤・亀井派結成に参加していた。当初は小泉改革に反対する立場だったが、衆議院予算委員会理事、衆議院郵政民営化に関する特別委員会理事を経て、小泉を積極的に支持する姿勢に転換、郵政国会を機に長年仕えてきた亀井静香平沼赳夫らと事実上訣別した。同年の通常国会では、2003年(平成15年)に解党された自由党政党交付金を同党の党首を務めていた小沢一郎が着服したとされる疑惑を追及した。また、同年8月に郵政関連法案が参議院で否決されたことにより当時の小泉首相は衆議院の解散を決断するが、同日に小泉と改革への決意を首相官邸で語っていた人物は松岡である。他方、これまでの主張であったコメの輸入自由化・FTAへの頑強なまでの反対姿勢を一転させたことは、従来の支持基盤だった農家からの激しい反発を招いた。

2006年(平成18年)9月26日、松岡は第1次安倍内閣農林水産大臣に就任した。松岡は早い段階で安倍晋三の支持を表明し、松岡が地盤とする熊本県での安倍晋三の党員得票率は75%を記録した。しかしその後、松岡の事務所費問題、光熱水費問題、献金問題等数々の疑惑が浮上し大きな批判を受け、マスコミは連日のように松岡の不祥事を報道した。

自殺、死去

2007年(平成19年)5月28日、松岡は衆議院議員宿舎(新赤坂宿舎)で首を吊っているところを警護官らに発見され、警視庁本部指示の下、救急車で高度救急医療に対応している慶應義塾大学病院に運ばれたが、すでに心肺停止状態であり死亡が確認された。満62歳没。

戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目の現職国務大臣の自殺であり、日本国憲法下の日本では初めてのことであった[注 2]

政策

日本食の認証制度

海外の日本食レストランに対する認証制度の導入を発案。2006年11月に「海外日本食レストランへの信頼度を高め、農林水産物の輸出促進を図るとともに、日本の正しい食文化の普及や我が国食品産業の海外進出を後押しすること等を目的」[4]として、農林水産省「海外における日本食レストランの認証制度を創設するための有識者会議」を立ち上げた[注 3]

松岡は同会議の設置に際し、この制度の導入について「海外在留邦人の日本食への理解の向上」「日本文化への関心の向上」「農林水産物や加工食品の輸出促進」「食品産業の国外進出推進」「日本への外国人観光客の増加」といったメリットを指摘した[5]

攻めの農政

アメリカ合衆国農務長官マイク・ジョハンズ(右)との記者会見(2007年1月11日)

第1次安倍内閣発足時の記者会見で松岡は「私は日本の農業には未来があると考えています。そのためには、日本の農産物の輸出を促進するべきだと。これまでは『工業が攻め、農業は守り』だったんですが、これからはそれではいけない」と強調し、従来の政策からの転換を表明。日本の農林水産物の対外輸出促進、バイオマス利用の加速、担い手主体の経営構造の実現などを謳った「攻めの農政」を政策として掲げ[6]、農林水産大臣として精力的に活動した。2007年1月に訪米し、ジョージ・W・ブッシュ大統領政権下のアメリカ合衆国農務長官マイク・ジョハンズと会談、世界貿易機関(WTO)交渉などに関する意見交換を行った。松岡が最終的に実現しようとした政策目標は「農家所得倍増計画」であった[7]。政治家としての松岡は、池田勇人政権の「所得倍増計画」及び池田内閣の下での1961年(昭和36年)制定の「農業基本法」が掲げた「農工間の所得格差是正」という目標を一貫して参考にしていた[7]


注釈

  1. ^ 在職のまま自殺。
  2. ^ a b c 大日本帝国憲法下の1945年(昭和20年)8月15日、時の鈴木貫太郎内閣鈴木貫太郎首相)の陸軍大臣阿南惟幾が敗戦を機に自決しており、これが日本の内閣制度が始まって以降最初の現職大臣の自殺であった。その後の現職閣僚が自殺した例は、2012年9月10日松下忠洋金融担当大臣(当時)の例がある。
  3. ^ 農林水産大臣就任後、外遊時に現地の日本食レストランで出された料理が日本食とは名ばかりの料理だったため、衝撃を受けた松岡が認証制度を発案し、松岡の肝煎りで上記会議が設置された。
  4. ^ それによれば、菊陽町にある主たる事務所の家賃は月額20万円、他の3か所はさらに安いといい、事務所費がなぜ高額になるのかわからないという。
  5. ^ 浄水器等で生成される「アルカリイオン水」を指していると思われる。2007年(平成19年)ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされた。
  6. ^ 松岡の自殺を受けての安倍首相(当時)のコメントは「慙愧(ざんき)に耐えない」であった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 『週刊文春 8月16日・23日 夏の特大号(2007年)』178頁
  2. ^ 昭和43年9月12日付『官報』第12525号、19頁。
  3. ^ 『週刊文春 8月16日・23日 夏の特大号(2007年)』 178-179頁
  4. ^ 海外日本食レストラン認証有識者会議の設置について」農林水産省、2006年11月2日。
  5. ^ 松岡利勝「日本食のファンを世界に拡めたい〜海外における日本食レストランの認証〜」『安倍内閣メールマガジン 第10号 ~40年ぶりの給食(2006/12/14)~内閣官房内閣広報室、2006年12月14日。
  6. ^ 松岡利勝「大臣就任挨拶」『安倍内閣メールマガジン 創刊号 ~北朝鮮に対する厳格な措置決定/首脳外交スタート(2006/10/12)~内閣官房内閣広報室、2006年10月12日。
  7. ^ a b 山下一仁『「亡国農政」の終焉』KKベストセラーズ〈ベスト新書257〉、2009年、179-181頁。ISBN 978-4-584-12257-0 
  8. ^ 山田宏太郎・青島顕「松岡農相事務所費『4000万円は法外』05年収支元地元関係者、証言」『毎日新聞』47071号、毎日新聞社東京本社、2007年1月28日、31面。
  9. ^ 参議院インターネット審議中継”. 参議院 (2007年3月). 2007年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年3月14日閲覧。
  10. ^ a b 参議院予算委員会平成19年3月5日会議録(国会会議録検索システム(国会図書館)にて閲覧可能)。
  11. ^ “参・予算審議始まる 民主は松岡農水相追及”. 日テレNEWS24. (2007年3月5日). オリジナルの2012年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120920010134/http://www.news24.jp/articles/2007/03/05/0478683.html 2016年1月27日閲覧。 
  12. ^ a b c 参議院予算委員会平成19年3月7日会議録(国会会議録検索システム(国会図書館)にて閲覧可能)。
  13. ^ a b c d 「松岡事務所謎の光熱費――同僚事務所『かかるわけない』――05年は507万円?」『朝日新聞』43428号、朝日新聞社東京本社、2007年3月8日、39面。
  14. ^ 日刊ゲンダイ本紙が直撃松岡農水相疑惑. 『ゲンダイネット』日刊現代. (2007年3月6日). http://gendai.net/?m=view&c=010&no=18983 2007年3月6日閲覧。. 
  15. ^ 「松岡疑惑に『5,000円の水』会社が怒った」『週刊新潮』52巻11号、新潮社、2007年3月22日、151頁。
  16. ^ サンデープロジェクトテレビ朝日2001年10月28日。松岡、猪瀬、栗原博久(自民党衆院議員)、田原総一朗の論戦内で、松岡は「あんたはタリバンだ」、「なんでこんな関係ないやつがここにいるんだ」などと発言している。
  17. ^ ワイド!スクランブルテレビ朝日2007年3月8日
  18. ^ 松岡利勝に対する告発状 政治資金オンブズマン 2007年4月1日
  19. ^ “パーティー券収入記載せず 松岡農相の資金管理団体”. 共同通信社. 47NEWS. (2006年9月29日). https://web.archive.org/web/20140227120312/http://www.47news.jp/CN/200609/CN2006092901000250.html 2014年2月24日閲覧。 
  20. ^ 鈴木毅「安倍政権のアキレス腱に新疑惑謎のインド友好団体と松岡農水相」『週刊朝日』112巻18号、朝日新聞社、2007年4月6日、18-21頁。
  21. ^ 「コーヒー1杯でなんと2万円也!疑惑噴出が止まらない松岡農水相『1,000万円“集金”パーティ』は『大臣規範』違反ではないのか」『週刊ポスト』39巻7号、小学館、2007年2月9日、35-36頁。
  22. ^ “首相、松岡前農水相自殺になお硬い表情”. MSN産経ニュース. (2007年5月29日). オリジナルの2007年11月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071107121423/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/070529/crm0705291200025-n1.htm 2022年10月4日閲覧。 
  23. ^ “首相は松岡農相死亡に任命責任表明、臨時代理に若林環境相”. ロイター. (2007年5月28日). https://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-26162820070528 2007年9月5日閲覧。 
  24. ^ “鈴木宗男氏、松岡利勝農相との最後の会話を激白”. アメーバニュース. (2007年5月29日). http://news.ameba.jp/2007/05/4932.php 2007年5月29日閲覧。 


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