松尾芭蕉 家系

松尾芭蕉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 06:29 UTC 版)

家系

芭蕉の家系は、伊賀の有力国人だった福地氏流松尾氏とされる。福地氏は柘植三方[注釈 1]の一氏で、平宗清の子孫を称していた。

天正伊賀の乱の時、福地氏当主・福地伊予守宗隆は織田方に寝返った。この功で宗隆は所領経営の継続を許された。しかし、のちに諸豪族の恨みを買って屋敷を襲われ、駿河へ出奔したという。

その他

忌日である10月12日(現在は新暦で実施される)は、桃青忌・時雨忌・翁忌などと呼ばれる。時雨旧暦十月の異称であり、芭蕉が好んで詠んだ句材でもあった。例えば、猿蓑の発句「初時雨猿も小蓑を欲しげ也」などがある。

松島やああ松島や松島や」は、かつては芭蕉の作とされてきたが記録には残されておらず、近年この句は江戸時代後期の狂歌師・田原坊の作ではないかと考えられている[36]

芭蕉の終焉地は、御堂筋の拡幅工事のあおりで取り壊された。現在は石碑が大阪市中央区久太郎町3丁目5付近の御堂筋の本線と側道間のグリーンベルトに建てられている。またすぐ近くの真宗大谷派難波別院(南御堂)の境内にも辞世の句碑がある。

芭蕉忍者説

45歳にして『おくのほそ道』の約450里(1768キロメートル)に及ぶ旅程を踏破した芭蕉について、江戸時代当時のこの年齢の人としては大変な健脚であるとする見方が生じ[37]、さらにその出自に注目して、芭蕉は伊賀者(忍者)として藤堂家に仕えた無足人(準士分)であるとする説や母が伊賀忍者の百地氏と関連があるとする言説が唱えられ[38]、『おくのほそ道』には江戸幕府の命を受けた芭蕉が隠密として東北諸藩の様子を調査するという裏の目的が隠されているとする解釈も現れた[39]

芭蕉忍者説を検証した三重大学准教授の吉丸雄哉(国際忍者学会所属)は、芭蕉の身分についてはすでに父の代で農民となっているため伊賀者ではなく[39]、母も百地氏とは関連がないと指摘し[38]、『おくのほそ道』の行程についても『曾良旅日記』の記述から分析した結果、芭蕉が一日に歩いた距離は長くても当時の平均的男性のそれより3割増しという程度で一般人と変わらず、大変な健脚だから忍者とする見方は成立しないと述べている[37][38]。また、芭蕉はその死後半世紀にして神格化が進み逸話が多く創作されたが、速歩や隠形などの忍術を用いたエピソードは見当たらない点も重視すべきと注意を促している[37]

吉丸は、芭蕉忍者説が広まった過程も調査しており、その初出は昭和41年(1966年)に松本清張樋口清之が発表した共著『東京の旅』(光文社)で、以降は文芸評論家の尾崎秀樹が芭蕉の母の血筋も取り上げながら同説を幾度も唱えたことが確認できるとし[40]、昭和45年(1970年)の斎藤栄による推理小説『奧の細道殺人事件』(光文社)や昭和63年(1988年)〜平成元年(1989年)の連続テレビ時代劇『隠密・奥の細道』(テレビ東京)といったフィクションも手伝う形で、昭和戦後の忍者ブームと組み合わさって人口に膾炙したと考察する[39]。吉丸は、芭蕉忍者説は結論ありきで反証可能性がなく[38]、「証明できない幽霊のような存在」[39]、「芭蕉にとっても忍者・忍術にとっても益のない発想である」[38]と厳しい評価を下している。ただし、『おくのほそ道』の同行者である曾良こそが忍者であるとする説に対しては、証拠がないものの蓋然性はあるとする[39][41]

日本以外での芭蕉像など

  • ウクライナの中学2年生の教科書には、2ページにわたって松尾芭蕉のことが書かれている[42]
  • Sierra社のゲーム、「Swat 2」には、「バショー」と名乗り、英語のおかしな俳句を読むテロ組織の黒幕が登場する。
  • W.C.フラナガン名義の小林信彦の著作『ちはやふる 奥の細道』では上記の芭蕉隠密説に基づいた記述が見られる。ただし、旅の目的が佐渡金山の爆破であったり、それに水戸藩の隠密が絡んでいたりなど、史実とは全く関係のない独創的な記述が主である。
  • ロバート・クレイスの著作『モンキーズ・レインコート ロスの探偵エルヴィス・コール』(The Monkey's Raincoat) のタイトルは芭蕉の句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」や蕉門の発句・連句集『猿蓑』に由来する。
  • 芭蕉の句の1つ、"花の雲 鐘は上野か浅草か"の英訳である"The clouds of flowers, Where is the bell from, Ueno or Asakusa?"を来日経験のない英語圏在住者に読ませると人の死を悼む葬式の情景をうたった句と解されたとする記述がある[43]

著作


注釈

  1. ^ 「つげさんぽう」と読む。日置氏、北村氏、福地氏から成る。平宗清の子孫を称したが、仮冒とされる。
  2. ^ 「芭蕉七部集」の正式名は「俳諧七部集」。

出典

  1. ^ 佐藤編(2011)、p.248-249、松尾芭蕉関係年表
  2. ^ a b 阿部(1986)、p.235-241 略年譜、p.1-34 誕生と身辺・郷党の秀才
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 佐藤編(2011)、p.30-34、芭蕉の生涯 伊賀上野時代(寛永~寛文期)
  4. ^ 高橋(1993)、p.303 略年譜、p.4-9 松尾忠右衛門宗房の寛文時代
  5. ^ 東明雅、芭蕉の恋句、岩波新書黄版91、岩波書店1997年、p.37参照及び引用
  6. ^ 東聖子 『蕉風俳諧における〈季語 ・季題〉の研究』(明治書院、2003年)、ISBN 4-625-44300-8
  7. ^ 佐藤編(2011)、p.247、あとがき
  8. ^ 東明雅、芭蕉の恋句、岩波新書黄版91、岩波書店1997年、p.1参照及び引用
  9. ^ a b 北出楯夫. “【俳聖 松尾芭蕉】第1章 若き日の芭蕉”. 伊賀タウン情報YOU. 2016年6月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年6月12日閲覧。 “上柘植村説は芭蕉の没後84年を経た安永7年(1778年)に、蓑笠庵梨一の『奥の細道菅菰抄』に「祖翁ハ伊賀国柘植郷の産にして...」と書かれたのが始まり。その後いくつかの伝記に引用されることになるが、その根拠は乏しい。”
  10. ^ a b c d e f 饗庭(2001)、p.16-21、1.芭蕉、伊賀上野の頃
  11. ^ a b c d e f g h i j 佐藤編(2011)、p.34-37、芭蕉の生涯 江戸下向(延宝期)
  12. ^ 饗庭(2001)、p.30-42、3.談林風と江戸下向
  13. ^ a b c d e f 佐藤編(2011)、p.38-41、芭蕉の生涯 深川移居(延宝末~天和期)
  14. ^ a b c d 饗庭(2001)、p.43-54、4.隠者への道
  15. ^ a b c d e f g 佐藤編(2011)、p.14-17、俳諧の歴史と芭蕉 芭蕉における貞門・談林・天和調
  16. ^ ミュージアム都留(2000)pp.114-117。
  17. ^ 松尾芭蕉ゆかりの地 江東おでかけ情報局、2020年9月21日閲覧
  18. ^ a b c d e 佐藤編(2011)、p.41-44、芭蕉の生涯 『野ざらし紀行』の旅
  19. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.44-47、芭蕉の生涯 草庵生活と『鹿島詣』『笈の小文』『更科紀行』の旅
  20. ^ a b c d 佐藤編(2011)、p.47-48、芭蕉の生涯 『おくのほそ道』の旅
  21. ^ a b c d e f g 佐藤編(2011)、p.49-50、芭蕉の生涯 『猿蓑』の成立
  22. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.50-52、芭蕉の生涯 『おくのほそ道』の成立と「かるみ」への志向
  23. ^ a b c d e f g 佐藤編(2011)、p.52-54、芭蕉の生涯 最後の旅へ
  24. ^ a b 饗庭(2001)、p.206-216、17.晩年の芭蕉
  25. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.61-66、蕉門を彩る人々 最初期から没後まで蕉門であり続けた人々
  26. ^ a b c d e 佐藤編(2011)、p.66-71、蕉門を彩る人々 晩年に入門し「俳諧の心」を受け継いだ人々
  27. ^ a b 佐藤編(2011)、p.72-73、蕉門を彩る人々 『猿蓑』を編集した対照的な二人
  28. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.74、蕉門を彩る人々 おわりに
  29. ^ a b c d 佐藤編(2011)、p.190-192、芭蕉と蕉門の俳論 芭蕉と俳論
  30. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.17-18、俳諧の歴史と芭蕉 芭蕉発句の成果
  31. ^ a b 佐藤編(2011)、p.216-223、芭蕉と蕉門の俳論 芭蕉と「かるみ」‐『別座舗』の場合
  32. ^ 饗庭(2001)、p.217-252、18.芭蕉の芸術論
  33. ^ a b 佐藤編(2011)、p.223-226、芭蕉と芭門の俳論 元禄俳諧における名句
  34. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.192-195、芭蕉と芭門の俳論 俳諧文芸の本質・俳諧精神論‐「俗語を正す」「風雅の誠」
  35. ^ a b c 佐藤編(2011)、p.195-198、芭蕉と芭門の俳論 対象把握の方法‐物我一如と本情論
  36. ^ レファレンス共同データベース”. 国立国会図書館. 2019年12月9日閲覧。
  37. ^ a b c 芭蕉の脚力普通だった - 『読売新聞』2018年12月19日、2021年3月4日閲覧。
  38. ^ a b c d e 第4回「芭蕉忍者説の傾向と対策」(後期) - 三重大学人文学部・人文社会科学研究科、2021年3月4日閲覧。
  39. ^ a b c d e 「芭蕉忍者説」を検証 三重大・吉丸准教授が起源など解説 - 『産経新聞』2017年1月29日、2021年3月4日閲覧。
  40. ^ 芭蕉忍者説尾崎広める - 『読売新聞』2018年4月11日、2021年3月5日閲覧。
  41. ^ (エッセイ)百地家系図の「芭蕉」に関する記述について (吉丸雄哉) - 国際忍者研究センター、2021年3月4日閲覧。
  42. ^ NHK衛星ハイビジョン2009年1月11日16:00『地球特派員スペシャル』にて岡本行夫ウクライナから持ち帰った中学2年生の教科書を示して。
  43. ^ 大谷泰照監修、堀内克明監修、朝尾幸次郎ほか編 『社会人のための英語百科』 大修館書店、2002年3月、181頁。






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