東国 東国の概要

東国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 14:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
現代の関東地方天武天皇以降の「坂東」、鎌倉時代以降の「関東」は、おおよそ同じ地域を指す。

漢字を用い始めて間もない時代の用字には「吾嬬」「吾妻」「我姫」「阿豆麻」があった[4]。その後も定義としては曖昧さを多分に含む語として推移する。

天武天皇の頃(飛鳥時代)から東海道諸国を「アヅマ」「アヅマノクニ(東国)」と呼ぶようになり[5]、それまでの「アヅマ」のうち[6]足柄峠・碓氷峠の坂の東を「坂東(ばんどう)」と呼び始めて[5][6]奈良時代初頭ごろまでに定着した[4](※なお、奈良時代における『関東』という語は三関以東を指し、中部地方を含んでいた[5]。『関東』が今の関東地方を指すようになるのは鎌倉時代以降[6])。奈良時代の防人を出す諸国は東国からと決められており、万葉集東歌あづまうた)や防人歌は当時の「アヅマノクニ(東国)」に帰するものである。

音読み東国(とうごく)ともいうが、こちらは畿内から見て東の諸国を指し、西国(さいごく)と対義である[7]

なお、坂東と区別して東北地方蝦夷(えみし)あるいは陸奥(みちのく)と呼ばれるようになった。

概要

「日本」という国号が定められる前、「ヤマト」がそのまま国全体を指す言葉として使われていた当時――7世紀中葉以前の古代日本においては、現在の東北地方北部はまだその領域に入っておらず、東北地方南部から新潟県中越下越地方及び九州南部は未だ完全に掌握できていない辺境であり、ヤマトの支配領域は関東地方北陸地方から九州北部までであった。つまり、「アヅマ」とは、「ヤマト」の東側――特にその中心であった奈良盆地周辺より東にある地域を漠然と指した言葉であったと考えられている(ただし、初めから「アヅマ」を東の意味で用いていたものなのか、それとも元々は別の語源に由来する「アヅマ」と呼ばれる地名もしくは地域が存在しておりそれがヤマトの東方にあったために、後から東もしくは東方全体を指す意味が付け加えられたものなのか、については明らかではない)。

「アヅマ」や「アヅマノクニ」という語は元から漠然としたもので、確かな定義をもって用いられてきたわけではないため、時代が進むにつれてそれらを指す地理的範囲について様々な考え方が生じたのである。

東下り

東下り/東下(あづまくだり)とは、近世以前の日本社会における地方移動に関する用語の一つで、首都)からの方・地方(東国)に行くこと、または、京の都平安京)から坂東(関東地方の古称)に行くこと[8]東下(とうか)ともいう[9]


注釈

  1. ^ 弥生時代における「東日本」も、文化的にも学術的にも流動的かつ曖昧さを排除できない地域名であり、統一的見解でもって範囲を示すことはできない。
  2. ^ 「足柄坂本」で坂の神を下し、坂に登り「吾妻はや」とのたわったので、「その国を号けて阿豆麻と謂う」とされている。
  3. ^ 四月癸卯条に「坂東九国軍三万人をして騎射を教習し、軍陳を試練せしむ」とある。この「坂東九国」は、坂東八国(相模・上総・下総・常陸・上野・武蔵・下野・安房)に陸奥国を含んだ総称。

出典

  1. ^ a b 平凡社百科事典マイペディア』. “東国”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  2. ^ a b 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “東国”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  3. ^ a b 日立デジタル平凡社世界大百科事典』第2版. “あづま”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  4. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』. “東国”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  5. ^ a b c d 旺文社『旺文社日本史事典』. “東国”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  6. ^ a b c d 平凡社『百科事典マイペディア』. “坂東”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  7. ^ とうごく【東国】”. 学研全訳古語辞典. ウェブリオ株式会社. 2020年5月24日閲覧。
  8. ^ a b 東下り”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  9. ^ a b 東下”. コトバンク. 2020年5月24日閲覧。
  10. ^ a b 松村明監修『大辞林』三省堂(1999年)
  11. ^ 『日本書紀』景行天皇40年是歳条
  12. ^ 松村明監修『大辞泉』小学館(1998年)
  13. ^ 『日本書紀』巻二二推古天皇九年(六〇一)九月戊子八
  14. ^ 『日本書紀』巻二六斉明天皇六年(六六〇)十月
  15. ^ 『日本書紀』巻二七天智天皇四年(六六五)二月是月
  16. ^ 『日本書紀』巻二七天智天皇四年(六六五)三月是月
  17. ^ 『日本書紀』天智天皇五年是冬
  18. ^ 『日本書紀』巻二七天智天皇八年(六六九)是歳
  19. ^ 『日本書紀』巻二九天武天皇四年(六七五)十月丙戌十六
  20. ^ 『日本書紀』天武天皇十三年五月甲子
  21. ^ 『日本書紀』巻三〇持統天皇即位前紀朱鳥元年(六八六)十月丙申廿九
  22. ^ 『日本書紀』持統天皇元年三月己卯
  23. ^ 『日本書紀』持統天皇元年三月丙戌
  24. ^ 『日本書紀』持統天皇元年四月癸卯
  25. ^ 『日本書紀』持統天皇二年五月乙丑
  26. ^ 『日本書紀』持統天皇三年四月庚寅
  27. ^ 『日本書紀』持統天皇四年二月壬申
  28. ^ 『日本書紀』持統天皇四年八月乙卯
  29. ^ 『続日本紀』霊亀元年七月丙午
  30. ^ 『続日本紀』霊亀二年五月辛卯
  31. ^ 『続日本紀』天平五年六月丁酉
  32. ^ 『続日本紀』天平宝字二年八月癸亥
  33. ^ 『続日本紀』巻廿一天平宝字二年(七五八)十月丁卯廿八: 美濃國席田郡大領外正七位上子人。中衛无位吾志等言。子人等六世祖父乎留和斯知。自賀羅國慕化來朝。當時未練風俗。不著姓字。望隨國号。蒙賜姓字。賜姓賀羅造。
  34. ^ 『続日本紀』天平宝字四年四月戊午
  35. ^ 『続日本紀』巻廿二天平宝字五年(七六一)正月乙未九
  36. ^ 『続日本紀』天平神護二年五月壬戌
  37. ^ 『続日本紀』巻卅六宝亀十一年(七八十)五月甲戌十一
  38. ^ 『続日本紀』巻卅九延暦七年(七八八)九月丁未乙巳朔三、『続日本後紀』巻五承和三年(八三六)閏五月乙酉十七: 乙酉。美濃國人主殿寮少属美見造貞繼。改本居貫附左京六條二坊。其先百濟國人也。
  39. ^ 『続日本紀』巻四十延暦八年(七八九)五月庚午廿九
  40. ^ 『日本後紀』巻五延暦十六年(七九七)三月癸卯十七
  41. ^ 『日本後紀』延暦十八年十二月甲戌
  42. ^ 『日本後紀』弘仁五年八月丙寅
  43. ^ 『日本紀略』弘仁十一年二月丙戌
  44. ^ 『日本後紀』巻卅二逸文(『類聚国史』一五九口分田)天長元年五月癸未
  45. ^ 『続日本後紀』巻二天長十年(八三三)六月己巳十四
  46. ^ 『続日本後紀』巻十三承和十年(八四三)十二月乙夘朔:出羽國河邊郡百姓外從五位下勳八等奈良己智豊繼等五人。賜姓大瀧宿祢。其先百濟國人也。
  47. ^ 『三代実録』貞観十二年九月十五日甲子


「東国」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

東国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東国のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS