東北本線 歴史

東北本線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 14:32 UTC 版)

歴史

概略

東北本線の建設計画は、明治初期に東京以北の鉄道敷設を主張する高島嘉右衛門の意を受けた右大臣岩倉具視が、当時イギリス留学中の蜂須賀茂韶および鍋島直大に諮り、1871年(明治4年)に「東京より奥州青森に至る鉄道」と「東京より越後新潟に至る鉄道」の必要性が政府に提言されたことに始まる。翌年にはこれに賛同した徳川慶勝華族による鉄道建設運動が始まり、国家予算に頼らない私設鉄道建設の機運高まる1880年(明治13年)、華族のみならず士族平民にわたる人々の賛同を得て、以下のような全国への鉄道を建設することを目的とする、日本初の私鉄日本鉄道会社」が設立された[5]

  1. 東京 - 高崎間の鉄道と、この区間から分岐して奥州青森に至る鉄道
  2. 高崎より中山道を経て敦賀に至り、東西両京を連絡する鉄道
  3. 中山道から分岐し新潟を経て羽州に至る鉄道
  4. 九州豊前大里 - 小倉 - 長崎間の鉄道と、この区間から分岐し肥後に至る鉄道

この第一番目の計画の背景として、明治新政府北海道では1869年(明治2年)に開拓使を設置して開拓を進め、東北地方では1878年(明治11年)の土木7大プロジェクトなどで開発を推し進めており、それに必要な資材を輸送するために早急な鉄道建設が必要と考えていたことや、東北の物産を関東に運搬しさらに横浜港に接続する鉄道が望まれていたこと等が挙げられている。実際にはこの計画は上野駅 - 前橋駅(内藤分停車場)間と大宮駅 - 青森駅間の線路として建設、実現化された。当初、これらの路線は東京 - 高崎間が第一区線、第一区線の途上駅 - 宇都宮 - 白河間が第二区線、白河 - 仙台間が第三区線、仙台 - 盛岡間が第四区線、盛岡 - 青森間が第五区線とされ、この順番で建設が進められた。

第一区線はもともと京浜線(新橋 - 横浜間の鉄道)の間にある品川から山手を経て赤羽、川口と経る経路が計画されたが、起伏地の多いこの区間の建設には技術的に時間がかかることが想定されたため、まずは上野を起点とし赤羽に至る経路で建設することとなった[5]1883年(明治16年)7月28日、日本初の「民営鉄道」として上野駅 - 熊谷駅間が開業した。開業時の開設駅は上野駅(・王子駅)・浦和駅(・上尾駅鴻巣駅・熊谷駅)で、現在は中距離列車の停車しない王子駅も含まれていた一方、大宮には駅が設置されなかった。翌1884年(明治17年)に高崎駅、前橋駅まで延長され、第一区線は全通した。高崎まで開通した同年6月25日には、明治天皇臨席のもと上野駅で開通式が行われ、この際に明治天皇は上野 - 高崎間を往復乗車した。

一方で、第二区線の敷設経路についてもいくつかの案(熊谷、大宮、岩槻分岐案)が提示されていた。当時、現栃木県域の実業家等は養蚕業および製糸業の中心地である両毛地区(現在の桐生市足利市佐野市付近)を経由して第二区線を建設することを求めて日本鉄道会社に出資し、また政府も養蚕・製糸業を殖産業に位置づけていたため、これを経る熊谷分岐案が最有力と見られていた。一方、もともと第一区線と第二 - 五区線は東京から個別の線路とすべきとの考えを持っていた当時の鉄道局長井上勝は、政府諮問に対し、第一区線を最短経路の赤羽 - 浦和 - 岩槻と敷き、第二区線は岩槻で分岐する岩槻分岐案を答申したアメリカ人鉄道技師クロフォードの意見、また第一区線を赤羽 - 浦和 - 大宮と敷き、第二区線は大宮で分岐する大宮分岐案を答申したイギリス人鉄道技術者ボイルの意見も含め、「足利方面には支線敷設が妥当」とする上申書を工部卿佐々木高行に提出、宇都宮以北への最短ルートである大宮分岐案または岩槻分岐案が残り、最終的には井上勝の判断によって、平坦地を通り建設費用も格段に安く日本陸軍も支持していた大宮分岐案が採用された。この決定により、上野駅 - 前橋駅間の日本鉄道第一区線の大宮に大宮駅が開設され、この大宮駅を分岐点として第二区線が建設されることとなった[5]

第二区線の建設は急ピッチで進められ、まず、1885年(明治18年)7月に大宮駅 - 宇都宮駅間の営業が開始され、途中には蓮田久喜栗橋古河小山石橋の各駅(停車場)が設置された。当時利根川の架橋が完了しておらず、この区間には渡船が運行され、栗橋駅 - 古河駅間の現在の利根川畔には中田仮停車場が設けられて利根川鉄橋の開通まで運用された。開通式は上野駅と宇都宮駅で行われ、当日は宮内卿伊藤博文、鉄道局長井上勝、東京府知事渡辺洪基が上野駅 - 宇都宮駅間を往復し、栃木県知事樺山資雄は一行を中田仮停車場にて出迎えた[5]。また利根川鉄橋の開通時には明治天皇が上野駅 - 栗橋駅間を往復して利根川架橋を賞賛した。

以後、第二区線の残り区間および第三・第四・第五区線は引き続き段階的に那須、郡山、塩竈、一関、盛岡、青森へと延伸されていった。第三区線の北半分の区間においては、1882年(明治15年)11月30日福島から仙台区(現・仙台市)を経て石巻湾仙台湾)の野蒜築港に至る経路で測量が認可された[27]。しかし、野蒜築港が1884年(明治17年)9月15日台風で損壊して機能不全に陥ったため、1886年(明治19年)より松島湾(仙台湾)の塩釜港で建設資材の陸揚げが開始された[27]。このため第三区線の北半分の区間は、仙台駅を過ぎて塩竈駅(後の塩釜線塩釜埠頭駅。現在の塩釜駅とは異なる)まで至る経路で1887年(明治20年)12月に開通した。盛岡駅までの第四区線は、野蒜築港の挫折を受けて野蒜を経由しない経路になったため、仙台駅 - 塩竈駅間の途中にある岩切駅から分岐して松島丘陵を越えて北上する経路で建設された。盛岡駅 - 青森駅間の第五区線も1891年(明治24年)9月に開通して上野駅 - 青森駅間全通となった(直通は1日1往復。片道約26時間半。運賃下等4円54銭)。

当線の上野駅 - 青森駅間の営業距離は新橋から東海道本線を経て山陽鉄道(現・JR山陽本線岡山駅を過ぎた辺りまでとほぼ等しいが、山陽鉄道が倉敷まで開業したのが当線開通と同年の4月であったことを踏まえると、東京から北と西にほぼ等しい速度で鉄道が敷設されていったことが分かる。

1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』第3集奥州・磐城線編では、東北本線と常磐線の開通を以下のように祝って歌っている[28]

40番「勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に むかしは陸路廿日(はつか)道 今は鉄道一昼夜
63番「むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奥(みちのく)の はてまでゆきて時の間に かえる事こそめでたけれ
64番「いわえ人々鉄道の ひらけし時に逢える身を 上野の山もひびくまで 鉄道唱歌の声立てて

当時、当線は日本鉄道奥州線と言われており、現在の東北本線の名称となったのは日本鉄道が国有化された後の1909年(明治42年)のことである[5]

また、当線の東京近郊区間には上野駅 - 大宮駅間を中心に三等車のみの近距離区間列車が複数設定され、現在の京浜東北線(東北本線電車線)が赤羽駅以南区間で運行開始されるまで、首都圏近距離区間輸送も担っていた[29]。この京浜東北線開業後の1929年昭和4年)6月、日暮里駅から北東に分岐し貝塚操車場まで伸びていた回送線を赤羽駅まで延伸したうえで貝塚操車場を廃止、同所に尾久駅を設けて列車線とすることで、鶯谷駅・田端駅・王子駅を経由していた中・長距離列車と近距離電車線を相互に独立した形で運行させることが可能となり、同年6月20日より尾久駅経由の運輸が開始された[18]

第二次世界大戦中は戦時体制で運行本数は極限まで減らされたが、戦後はGHQの意図によって東京駅 - 上野駅間に東北本線の中・長距離列車が乗り入れ、青函連絡船函館本線室蘭本線等と一体化した東京 - 北海道間旅客輸送も行われた。さらに高度経済成長に伴う鉄道の高速化事業に乗り、当線も電化複線化が進み、東京から宇都宮駅を経て栃木県の観光地(日光・那須方面)間を結ぶ中距離優等列車が当時最新型の157系「日光型」を使用して運行されたほか、当線の全線電化・複線化が完了した1968年(昭和43年)10月には「ヨンサントオ」と通称される白紙ダイヤ改正が実施され、これ以降東北本線にも485系電車や583系電車・455系電車・165系電車を用いた特急・急行列車が大増発された。

東北新幹線開業後は、長距離優等列車は新幹線経由で運行されることとなり、線路容量に余裕が生じた在来線では中距離普通列車が増発された。また、津軽海峡海底部に建設された青函トンネルの開通後は当線を経由して東京と北海道を結ぶ寝台特急列車や貨物列車が設定されるようになるという変化も起きた。1990年平成2年)3月10日には、上野駅 - (日暮里駅) - 尾久駅 - 赤羽駅 - 黒磯駅間に「宇都宮線」の愛称が制定され、鉄道利用者がこの区間を「東北本線」や「東北線」と呼ぶことは少なくなった。

2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線 盛岡駅 - 八戸駅間が開業した際、当線の盛岡駅 - 目時駅間はIGRいわて銀河鉄道に、目時駅 - 八戸駅間は青い森鉄道(施設保有は青森県)に経営移管され、当線の本線は東京駅 - 盛岡駅間と八戸駅 - 青森駅間の2つに分かれることとなった。その後、2010年(平成22年)12月4日に東北新幹線 八戸駅 - 新青森駅間が開業して全通し、当線の八戸駅 - 青森駅間は青い森鉄道(施設保有は青森県)に経営移管された。以降は、本線の正式な区間としては東京駅 - 盛岡駅間となり、一般的に「東北本線」の名称が用いられるのは黒磯駅 - 盛岡駅間となっている。

年表

日本鉄道

鉄道院 - 運輸通信省

  • 1906年明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化。
  • 1907年(明治40年)11月1日:一ノ戸駅を一戸駅に、三ノ戸駅を三戸駅に改称。
  • 1908年(明治41年)
  • 1909年(明治42年)
  • 1910年(明治43年)
  • 1911年(明治44年)
  • 1912年(明治45年/大正元年)
    • 7月11日鶯谷駅開業。鶯谷 - 日暮里間電車線複線化し6線化。
    • 11月1日:大原信号所を駅に変更して与野駅開業。
  • 1913年(大正2年)
    • 3月20日:利府 - (旧)松島間に赤沼信号所開設。
    • 4月:小山 - 宇都宮間複線化。
  • 1914年(大正3年)
    • 3月20日:上野 - 鶯谷間の電車線複線化し、6線化。
    • 6月25日:黒磯 - 黒田原間に高久信号所開設。
    • 12月1日:長岡駅を伊達駅に改称。
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)
  • 1917年(大正6年)
  • 1918年(大正7年)
    • 5月15日:蕨 - 浦和間に小谷場信号所開設。
    • 8月16日:(旧)松島 - 鹿島台間に幡谷信号所開設。
    • 11月1日:厨川駅開業。越河 - 白石間に中目信号所、沼宮内 - 奥中山間に御堂信号所開設。
  • 1919年(大正8年)
    • 3月1日:中央本線の一部として東京 - 神田間開業。直流電化。神田駅開業。
    • 4月5日:黒沢尻(現・北上) - 花巻間に村崎野信号所開設。
    • 10月12日:久田野駅開業。
  • 1920年(大正9年)
    • 2月15日:仙台 - 苦竹信号所間複線化。
    • 3月10日:黒磯 - 黒田原間経路変更。黒田原駅移転。
    • 4月23日:苦竹信号所 - 岩切間複線化。
    • 10月10日:白坂 - 白河間経路変更。白河駅移転。
    • 11月1日:黒田原 - 白坂間経路変更。豊原駅移転。
    • 12月2日:氏家 - 片岡間に蒲須坂信号所開設。
  • 1921年(大正10年)
    • 4月5日:日和田 - 本宮間に五百川信号所開設。
    • 6月1日:福岡駅を北福岡駅に改称。
    • 10月1日:蕨 - 浦和間の小谷場信号所廃止。
  • 1922年(大正11年)
    • 3月5日:栗橋 - 中田信号所間複線化。
    • 4月1日:信号所を信号場に改称。
    • 5月20日:金ケ崎 - 黒沢尻間に三ヶ尻信号場開設。
    • 6月5日:藤田 - 越河間に貝田信号場開設。
    • 7月15日:花巻 - 石鳥谷間に二枚橋信号場開設。
    • 8月15日:下田 - 古間木間に木ノ下信号場開設。
    • 11月10日:狩場沢 - 小湊間に清水川信号場開設。
    • 12月5日:長町 - 仙台間複線化。
  • 1923年(大正12年)
  • 1924年(大正13年)
  • 1925年(大正14年)
    • 4月1日:豊原駅を下野豊原駅に改称。
    • 11月1日:神田 - 秋葉原間開業、秋葉原 - 上野間3線化、神田 - 上野間直流電化・旅客営業開始。御徒町駅開業。東北本線の起点を東京駅に変更。
  • 1926年(大正15年/昭和元年)
    • 10月10日:日暮里駅から分岐する貝塚操車場を開設。
    • 10月25日:浦町 - 青森間複線化。浦町 - 青森間に青森操車場開設。
    • 11月5日:尻内 - 下田間に轟信号場開設。
  • 1927年(昭和2年)
    • 6月10日:久喜 - 栗橋間に桜田信号場開設。
    • 11月:上野 - 日暮里間に回送線を1線増設し7線化。
    • 12月20日:貨物支線 王子 - 須賀間、王子 - 下十条(現・北王子)間開業。田端 - 王子間に貨物線を1線増設し3線化。
  • 1928年(昭和3年)
    • 2月1日:田端 - 赤羽間が直流電化。田端 - 王子間に電車線を2線増設し5線化、王子 - 赤羽間に電車線を2線増設し複々線化。
    • 4月1日:東京 - 上野間に列車線が複線・直流電化で開通。本来の起点に列車線が到達する。
    • 4月8日山ノ目駅開業。
    • 11月25日:折居信号場を駅に変更して陸中折居駅開業。
  • 1929年(昭和4年)
    • 2月25日船岡駅開業。
    • 6月20日:日暮里 - 尾久 - 赤羽間が複線で開通、貝塚操車場を廃止し同所に尾久駅開業。王子 - 赤羽間に貨物線を2線増設し6線化。
    • 12月15日:赤羽 - 蕨間に貨物線を2線増設し複々線化。
  • 1931年(昭和6年)
    • 4月10日:上野 - 日暮里間の回送線を複線化し8線化。日暮里 - 尾久間に回送線を2線増設し複々線化。
    • 7月15日:貨物支線下十条駅を北王子駅に改称。
    • 8月1日:下十条駅(現・東十条駅)開業。
    • 10月30日:笹川駅を安積永盛駅に改称。
    • 12月1日:蕨 - 与野間に貨物線を2線増設し複々線化。
  • 1932年(昭和7年)
    • 5月1日:大宮 - 蓮田間の砂信号場、久喜 - 栗橋間の桜田信号場、栗橋 - 古河間の中田信号場廃止。
    • 7月15日:与野 - 大宮間に貨物線を2線増設し複々線化。
    • 7月25日:苦竹信号所を駅に変更して東仙台駅開業。
    • 9月1日:赤羽 - 大宮間直流電化。
    • 11月20日:二枚橋信号場を駅に変更して二枚橋駅(現・花巻空港駅)開業。
    • 12月26日:幡谷信号場を駅に変更して品井沼駅開業。
  • 1933年(昭和8年)
  • 1934年(昭和9年)
    • 2月1日:川口駅を岩手川口駅に改称。
    • 2月15日:川口町駅を川口駅に改称。
    • 6月1日:尻内 - 古間木(現・三沢)間でガソリンカーを運転開始[32]
    • 12月1日:福島 - 松川間でガソリンカーを運転開始[32]
  • 1936年(昭和11年)
  • 1937年(昭和12年)2月1日:三ヶ尻信号場を駅に変更して六原駅開業。
  • 1939年(昭和14年)10月1日:西平内駅開業。
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月1日:有壁 - 一ノ関間に真柴信号場開設。
    • 7月20日:瀬峰 - 新田間に梅ケ沢信号場開設。
    • 10月1日:滝沢 - 好摩間に渋民信号場、奥中山 - 小繋間に西岳信号場開設。
  • 1944年(昭和19年)
    • 2月1日:石越 - 花泉間に油島信号場開設。
    • 5月1日:塩竈線 多賀城前駅を陸前山王駅に改称。
    • 6月15日:貨物支線 浪打 - 堤川間開業[33]
    • 8月1日:古間木 - 沼崎間に小川原信号場開設。
    • 10月1日:花泉 - 有壁間に清水原信号場開設。
    • 10月11日:轟信号場を駅に変更して陸奥市川駅開業。白坂 - 白河間に磐城西郷信号場、日詰 - 矢幅間に古館信号場、矢幅 - 仙北町間に中通信号場、厨川 - 滝沢間に長根信号場、御堂信号場 - 奥中山間に吉谷地信号場、小繋 - 小鳥谷間に滝見信号場開設。
    • 11月11日:行人塚駅、三百人町駅、小田原東丁駅廃止。
    • 11月15日:陸前山王 - 品井沼間開業(海線・当初は貨物営業のみ)。塩竈線 岩切 - 陸前山王間を複線化し、東北本線に編入。新松島信号場、北塩釜信号場開設。
    • 12月:新田 - 石越間に畑岡信号場開設。
  • 1945年(昭和20年)8月15日:平泉 - 前沢間に衣川信号場開設。
  • 1946年(昭和21年)10月20日:貨物支線の浪打 - 堤川間休止[34]
  • 1947年(昭和22年)9月15日:カスリーン台風による豪雨で各地に被害。栗橋駅 - 古河駅間で利根川の増水、蒲須坂駅 - 野崎駅で四か所が冠水、仙台駅 - 岩切駅間で道床流失および浸水、利府駅 - 赤沼駅間で道床流失、松山町駅付近浸水、小牛田駅付近で道床流失、瀬峰駅 - 梅ヶ沢駅間で土砂崩壊、平泉付近で衣川堤防決壊による冠水など被害甚大[新聞 2]
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月24日:野内駅近くで野内川鉄橋で23両編成の貨物列車が脱線。機関車と貨車20両が川に転落して乗員2人死亡、1人重傷、[35]
    • 8月1日:下野豊原駅を豊原駅に改称。
    • 10月1日:目時信号場を駅に変更して目時駅開業。
    • 12月15日:五百川信号場を駅に変更して五百川駅開業。
    • 12月19日:杉田信号場を駅に変更して杉田駅開業。
  • 1949年(昭和24年)3月1日:古館信号場を駅に変更して古館駅開業。

日本国有鉄道

  • 1949年昭和24年)
    • 8月17日:松川 - 金谷川間で、上り列車が突如脱線転覆。乗員など3名死亡。現在も原因は「謎」とされ、『松川事件』と呼ばれている。
    • 9月15日:御堂信号場 - 奥中山間の吉谷地信号場廃止。
  • 1950年(昭和25年)
    • 3月25日:栗橋 - 古河間に中田仮信号場開設。
    • 7月14日:瀬峰駅構内で急行貨物列車が安全側線に進入して脱線転覆。機関助手が負傷[新聞 3]
    • 9月1日:中通信号場を駅に変更して岩手飯岡駅開業。
    • 10月1日:利府 - (旧)松島間の赤沼信号場、新田 - 石越間の畑岡信号場廃止。
    • 11月1日:村崎野信号場を駅に変更して村崎野駅開業。
    • 12月1日:渋民信号場を駅に変更して渋民駅開業。
    • 12月14日:清水原信号所構内で青森駅発上野駅行の急行二〇二列車が安全側線に進入して脱線転覆。重軽傷者37人[新聞 4]
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日:村崎野 - 花巻間に飯豊信号場開設。
    • 12月4日:黒沢尻 - 村崎野間複線化。
  • 1952年(昭和27年)
    • 6月10日:貝田信号場を駅に変更して貝田駅開業。
    • 9月26日:栗橋 - 古河間の中田仮信号場廃止。
    • 11月5日:村崎野 - 花巻間複線化。
    • 11月16日:村崎野 - 花巻間の飯豊信号場廃止。
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)
  • 1955年(昭和30年)
    • 7月1日:清水原信号場を駅に変更して清水原駅開業。
    • 9月1日:新田 - 石越間複線化。
  • 1956年(昭和31年)
    • 7月9日:陸前山王 - 品井沼間(海線)を旅客列車の主要ルートに変更。塩釜駅開業。新松島信号場を駅に変更して新松島駅(現・松島駅)開業。
    • 10月2日:水沢 - 金ケ崎間複線化。
    • 10月8日:御堂信号場 - 奥中山間複線化。
    • 10月22日:品井沼 - 鹿島台間複線化[新聞 5]
    • 11月19日:東京 - 田端間に電車線2線を増設し、東京 - 上野間が6線化、上野 - 日暮里間が10線化、日暮里 - 田端間が6線化。
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月1日:下十条駅を東十条駅に改称。
    • 9月27日:鹿島台 - 小牛田間複線化[新聞 6]
    • 9月28日:有壁 - 一ノ関間複線化[新聞 6]。真柴信号場廃止。
    • 10月1日:乙供 - 千曳間に石文信号場開設。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月14日:大宮 - 宇都宮間直流電化。
    • 9月4日:金ケ崎 - 六原間複線化。
    • 9月12日:前沢 - 水沢間複線化。
    • 9月24日:瀬峰 - 梅ケ沢間複線化。
    • 9月25日:六原 - 北上間、梅ケ沢 - 新田間複線化。
    • 12月15日:宇都宮 - 宝積寺間直流電化。
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月7日:磐城西郷信号場を駅に変更して磐城西郷駅(現・新白河駅)開業。
    • 5月22日:宝積寺 - 黒磯間直流電化。
    • 7月1日:黒磯 - 白河間交流電化。
    • 10月1日:沼崎駅を上北町駅に改称。
    • 12月12日:宇都宮 - 岡本間複線化。
  • 1960年(昭和35年)
    • 3月1日:白河 - 福島間交流電化。
    • 10月1日:鏡石 - 須賀川間複線化。貨物支線 長町 - 東仙台間開業。
    • 10月20日:片岡 - 矢板間複線化。
    • 10月31日:西那須野 - 東那須野間複線化。
    • 11月1日:盛岡 - 厨川間に青山信号場開設。
    • 11月22日:安積永盛 - 郡山間複線化。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)
    • 1月31日:東那須野 - 黒磯間複線化。
    • 3月19日:宝積寺 - 氏家間複線化。
    • 4月5日:永井川信号場を駅に変更して南福島駅開業。
    • 4月11日:陸前山王 - 塩釜間複線化。
    • 4月15日:塩釜 - 新松島間複線化。北塩竈信号場廃止。
    • 4月20日:(旧)松島 - 品井沼間(山線)廃止。新松島 - 品井沼間複線化。
    • 6月7日:野崎 - 西那須野間複線化。
    • 7月1日:利府 - 松島(旧)間廃止。新松島駅を松島駅に改称。愛宕駅開業。
    • 7月26日:花巻 - 二枚橋間複線化。
    • 9月26日:本宮 - 杉田間複線化。
    • 10月20日:須賀川 - 安積永盛間複線化。
    • 11月30日:白河 - 久田野間複線化。
    • 12月7日:五百川 - 本宮間複線化。
    • 12月10日:石越 - 油島間複線化。北福岡 - 金田一間に斗米信号場開設。
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月5日:矢吹 - 鏡石間複線化。
    • 2月16日野木駅開業。
    • 3月5日:清水原 - 有壁間複線化。
    • 3月8日:泉崎 - 矢吹間複線化。
    • 3月20日:花泉 - 清水原間複線化。
    • 3月25日:久田野 - 泉崎間複線化。
    • 5月25日:増田駅を名取駅に、陸前中田駅を南仙台駅に改称。
    • 8月10日:油島 - 花泉間複線化。
    • 8月21日:二枚橋 - 石鳥谷間複線化。
    • 9月20日:山ノ目 - 平泉間複線化。
    • 9月23日:磐城西郷 - 白河間複線化。
    • 9月24日:仙北町 - 盛岡間複線化。
    • 9月26日:日和田 - 五百川間複線化。
    • 9月27日:石鳥谷 - 日詰間複線化。
    • 9月28日:白坂 - 磐城西郷間複線化。
    • 12月10日:一ノ関 - 山ノ目間複線化。
  • 1964年(昭和39年)
    • 2月3日:二本松 - 安達間複線化。
    • 3月14日:豊原 - 白坂間複線化。
    • 3月17日:杉田 - 二本松間複線化。
    • 3月20日:東大宮駅開業。
    • 5月20日:岩手飯岡 - 仙北町間複線化。
    • 5月29日:日詰 - 古館間複線化。
    • 6月5日:古館 - 矢幅間複線化。
    • 6月20日:氏家 - 蒲須坂間複線化。
    • 6月30日:矢幅 - 岩手飯岡間複線化。
    • 7月20日:高久信号場 - 黒田原間複線化。
    • 8月31日:黒磯 - 高久信号場間複線化。
    • 9月1日:高久信号場を駅に変更して高久駅開業。
    • 9月3日:蒲須坂 - 片岡間複線化。
    • 9月15日:黒田原 - 豊原間複線化。
    • 9月19日:越河 - 中目信号場間複線化。
    • 9月22日:松川 - 金谷川間複線化。
    • 9月25日:矢板 - 野崎間複線化。
    • 9月28日:安達 - 松川間複線化。
    • 12月8日:盛岡 - 青山信号場間複線化。
  • 1965年(昭和40年)
    • 6月30日:尻内 - 陸奥市川間複線化。
    • 7月29日:槻木 - 岩沼間複線化。
    • 8月4日:青山信号場 - 厨川間複線化。青山信号場廃止。
    • 9月21日:渋民 - 好摩間複線化。
    • 9月22日:藤田 - 貝田間複線化。
    • 9月24日:北白川 - 大河原間複線化。
    • 9月25日:一戸 - 鳥越信号場間複線化。鳥越信号場開設。
    • 9月27日:小繋 - 滝見信号場間複線化。
    • 9月28日:福島 - 瀬上間複線化。
    • 9月29日:西平内 - 土屋信号場間複線化。土屋信号場開設。
    • 10月1日:仙台 - 盛岡間、長町 - 宮城野 - 東仙台間交流電化。
    • 12月14日:西岳信号場 - 小繋間複線化。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月21日:平泉 - 前沢間複線化。衣川信号場廃止。
    • 7月27日:浅虫 - 野内間、集中豪雨により土砂崩れ多数発生。長期運転見合わせ。8月22日復旧。
    • 7月30日:大河原 - 船岡間複線化[36]
    • 9月20日:東京起点642.910km地点(北高岩 - 尻内間) - 尻内間複線化[37]
    • 9月22日:石文信号場 - 千曳間、東京起点694.970km地点(千曳 - 野辺地間) - 野辺地間複線化。
    • 9月24日:土屋信号場 - 浅虫間複線化。土屋信号場廃止。
    • 9月26日:奥中山 - 西岳信号場間複線化。西岳信号場廃止[38]
    • 9月27日:梅内信号場 - 三戸間複線化[39]。梅内信号場開設。
    • 9月28日:中目信号場 - 東白石間複線化[40]。中目信号場廃止。
    • 10月1日:斗米信号場を駅に変更して斗米駅開業。
  • 1967年(昭和42年)
    • 2月27日:貝田 - 越河間複線化[41]
    • 7月25日:滝見信号場 - 小鳥谷間複線化[42]。滝見信号場廃止。
    • 7月30日:三沢 - 姉沼信号場間複線化[43]。姉沼信号場開設。
    • 8月12日:東白石 - 北白川間複線化[44]
    • 8月29日:桑折 - 藤田間複線化[45]
    • 9月13日:伊達 - 桑折間複線化[46]
    • 9月15日:岩手川口 - 沼宮内間複線化[47]。滝沢駅移転。
    • 9月25日:三沢 - 向山間の複線工事現場で、隣接する使用中の本線を巻き込み路盤が崩壊。通りかかった急行貨物列車の11両が脱線転覆した。同区間の不通が続いたため、優等列車については花輪線、北上線を利用した迂回運転が行われた[新聞 7]
    • 9月26日:船岡 - 槻木間複線化[48]
    • 9月27日:東京起点597.031km地点(小鳥谷 - 一戸間) - 一戸間間複線化[49]
    • 9月28日:瀬上 - 伊達間複線化[48]
    • 9月29日:滝沢 - 渋民間複線化[50]
    • 10月1日:与野 - 大宮間に電車線を2線増設し6線化[51][新聞 8]
    • 12月14日:金田一 - 目時間複線化[52]。目時駅移転。
    • 12月16日:浅虫 - 野内間複線化[53]
  • 1968年(昭和43年)
    • 4月25日:厨川 - 滝沢間複線化。長根信号場廃止。
    • 4月28日:三戸 - 諏訪ノ平間複線化。
    • 5月16日:剣吉 - 苫米地間複線化。なお、同日9時48分頃に発生した十勝沖地震により、大きな被害が発生。27日には復旧したが、ダイヤがほぼ正常に戻ったのは、全線複線化完成後の8月6日だった。この間、特急はつかり」は花輪線に、急行列車は北上線にそれぞれ迂回する措置が採られた[54]
    • 5月20日:北高岩 - 東京起点642.910 km地点(北高岩 - 尻内間)複線化。
    • 6月4日:沼宮内 - 御堂間複線化。
    • 6月9日:清水川 - 小湊間複線化。
    • 6月11日:鳥越信号場 - 北福岡間複線化。鳥越信号場廃止。
    • 6月17日:好摩 - 岩手川口間複線化。
    • 6月21日:北福岡 - 金田一間複線化。
    • 7月2日:小湊 - 西平内間複線化。
    • 7月8日:野辺地 - 清水川間複線化[55]
    • 7月10日:苫米地 - 北高岩間複線化。
    • 7月12日:小鳥谷 - 一戸間複線化。
    • 7月15日:諏訪ノ平 - 剣吉間複線化。
    • 7月20日:目時 - 梅内信号場間複線化。梅内信号場廃止。
    • 7月21日:野内 - 青森間経路変更。新線上に東青森駅開業。旧線上の浪打駅、浦町駅廃止。
    • 7月23日:上北町 - 乙供間複線化。
    • 7月29日:下田 - 三沢間複線化。
    • 7月31日:陸奥市川 - 下田間複線化。
    • 8月3日:姉沼信号場 - 上北町間複線化。姉沼信号場廃止。
    • 8月5日:乙供 - 石文信号場間複線化、(新)千曳 - 東京起点694.970 km地点(千曳 - 野辺地間)間を複線の新線に切替え、東京 - 青森間全線複線化完成。千曳駅移転。石文信号場廃止。なお、旧線の千曳(西千曳と改称) - 野辺地間は南部縦貫鉄道に貸与し、同鉄道の起点は(旧)千曳駅から野辺地駅へ変更となった。
    • 8月22日:盛岡 - 青森間が交流電化。東京 - 青森間全線電化完成。
    • 9月25日:赤羽 - 与野間に電車線を2線増設し6線化[新聞 9]。これに伴い、埼玉県内の川口 - 大宮間で完全立体交差化が完成し、同区間の全踏切を除去[† 14]
    • 10月1日:ダイヤ改正(通称「ヨンサントオ」)が実施され、本線の全線(東京 - 青森間)の最高速度が120 km/hに引き上げ。優等列車の到達時間が大幅に短縮された。
  • 1969年(昭和44年)7月19日:3時59分、松島 - 塩釜間で、一ノ関発長町行貨物6650列車(現車25両、牽引機ED75 132)が脱線。
  • 1970年(昭和45年)12月1日:北尻内信号場を駅に変更して八戸貨物駅開業。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1972年(昭和47年)12月18日: 貨物支線 長町 - 宮城野間複線化[56]
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月16日:貨物支線 宮城野 - 東仙台間複線化[57]
    • 4月1日:東京電車特定区間を東京近郊区間に改め、当線では東京 - 大宮間から東京 - 小山間に拡大。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1975年(昭和50年)1月31日:秋葉原 - 田端操間の貨物営業廃止。
  • 1976年(昭和51年)8月2日:盛岡 - 青森間CTC化。
  • 1977年(昭和52年)3月1日:郡山操車場を駅に変更して(貨)郡山貨物ターミナル駅開業。
  • 1978年(昭和53年)
    • 5月12日:古河 - 栗橋間で上り特急ひばり4号が脱線。重軽傷者8人。温度が上昇してロングレールがゆがんだことが原因(ロングレールによる同種の事故は国内初)[新聞 10]
    • 6月1日:瀬上駅を東福島駅に改称。
    • 7月:石越 - 盛岡間CTC化。
    • 8月3日:仙台地区に通勤用417系交直流電車が初登場。仙台 - 白石間に1日1往復の運転開始。
    • 10月2日:岩切 - 利府間が交流電化[58]北上操車場開業。
  • 1981年(昭和56年)4月15日:(貨)東鷲宮駅開業。
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月24日:古河駅付近高架化。
    • 12月1日:白河 - 石越間、岩切 - 利府間CTC化。
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)11月1日:北上操車場廃止。浅虫駅を浅虫温泉駅に改称。矢田前駅小柳駅開業。
  • 1987年(昭和62年)

民営化以降

  • 1987年昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道が承継。貨物支線 田端操 - 北王子間のみ日本貨物鉄道が承継。
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月13日:黒磯以南の普通列車において、新宿駅池袋駅発着列車の運行を開始(浦和駅は通過)。二枚橋駅を花巻空港駅に改称。
    • 8月29日:六原 - 北上間を走行中の貨物列車が、大雨による路盤流出のため、機関車などが脱線・横転。運転見合わせとなる。
  • 1989年平成元年)
    • 3月11日:岩切 - 利府間の一部列車でワンマン化[59]
    • 5月20日:上野 - 尾久間にATS-Pを導入[新聞 11]
  • 1990年(平成2年)3月10日:上野 - (日暮里) - 尾久 - 赤羽 - 黒磯間で宇都宮線の愛称を使用開始。
  • 1993年(平成5年)10月3日:尾久 - 蓮田間にATS-Pを導入[60]
  • 1995年(平成7年)
    • 3月24日:小牛田 - 盛岡間の一部列車でワンマン化[59]
    • 12月1日:黒磯 - 郡山間の一部列車でワンマン化[61]
  • 1996年(平成8年)
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
    • 6月1日:東京近郊区間を小山までから宇都宮まで拡大。
    • 7月1日:黒磯 - 石越間で新PRC、CTC使用開始。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月11日:八戸 - 青森間の最高速度を従来の120 km/hから130 km/hに引き上げ[63]。優等列車の所要時間が10分短縮された。
    • 4月1日:さいたま新都心駅開業[64](貨物線にはホームがないため、新宿駅・池袋駅発着の列車は通過)。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)12月1日:東北新幹線八戸延伸に伴い、盛岡 - 目時間を第三セクターのIGRいわて銀河鉄道に、目時 - 八戸間を第三セクターの青い森鉄道(施設保有は青森県)に経営移管。東北本線の営業キロは631.3 km(支線含まず)となり、山陰本線に次ぎ日本の在来線で2番目に長い路線となる。
  • 2003年(平成15年):白石 - 小牛田間、岩切 - 利府間でICカード乗車券「Suica」サービス開始。
  • 2004年(平成16年)
    • 10月16日:東京近郊区間およびICカード乗車券「Suica」首都圏エリアを宇都宮までから黒磯まで拡大。
    • 12月19日:宇都宮線 上野 - 古河間でATOS使用開始。
    • この年、浦和駅の高架化工事開始。
  • 2005年(平成17年)10月16日:野木 - 那須塩原間でATOS使用開始。
  • 2006年(平成18年)9月18日:長町駅付近2.5 km(名取川から広瀬川まで)を高架化。
  • 2007年(平成19年)3月18日仙台空港線との相互直通運転開始。太子堂駅開業。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月14日:矢吹 - 白石間でICカード乗車券「Suica」サービス開始。
    • 11月27日:新幹線開業後の経営移管を前提とした八戸 - 青森間の鉄道事業廃止届を国土交通省に提出[報道 5]
  • 2010年(平成22年)12月4日:東北新幹線新青森延伸に伴い、八戸 - 青森間を第三セクターの青い森鉄道(施設保有は青森県)に経営移管。東北本線の営業キロは535.3 km(支線含まず)の路線となり、山陰本線、東海道本線に次ぎ日本の在来線で3番目に長い路線となる。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日東北地方太平洋沖地震の発生により全線にわたり不通。仙台空港線との相互直通運転が休止。
    • 3月12日:田端操駅を田端信号場駅に、宮城野駅を仙台貨物ターミナル駅に改称。東京 - 宇都宮間が運転再開。
    • 3月15日:花巻 - 盛岡間が運転再開。
    • 3月16日:宇都宮 - 黒磯間が運転再開。
    • 3月17日:北上 - 花巻間が運転再開。
    • 3月20日:一ノ関 - 北上間が運転再開。
    • 3月29日:郡山 - 本宮間が運転再開。
    • 3月31日:仙台 - 岩切間が運転再開。
    • 4月2日:安積永盛 - 郡山間、名取 - 仙台間が運転再開。
    • 4月3日:岩沼 - 名取間が運転再開。
    • 4月5日:本宮 - 福島間、岩切 - 松島間、岩切 - 利府間が運転再開。
    • 4月6日:花泉 - 一ノ関間が運転再開。
    • 4月7日:福島 - 岩沼間が運転再開。同日の夜遅くに発生した東北地方太平洋沖地震の余震の影響により、黒磯以北が再度不通となる。
    • 4月9日:安積永盛 - 本宮間、北上 - 盛岡間が運転再開。
    • 4月10日:本宮 - 福島間が運転再開。
    • 4月11日:水沢 - 北上間が運転再開。
    • 4月12日:福島 - 仙台間が運転再開。
    • 4月15日:一ノ関 - 水沢間が運転再開。
    • 4月17日:黒磯 - 安積永盛間、長町 - 仙台貨物ターミナル間が運転再開。
    • 4月21日:仙台 - 一ノ関間、仙台貨物ターミナル - 東仙台間、岩切 - 利府間が運転再開し全線で運転再開。
    • 7月23日:仙台空港線との相互直通運転が再開。
    • 9月21日台風15号が上陸する。白石 - 仙台間が大きな被害を受け、運休。
    • 9月25日:白石 - 仙台間で朝夕の列車の運転が再開。
    • 9月27日:白石 - 仙台間で日中の列車の運転が再開。
    • 10月1日:仙台空港線 仙台空港駅までの相互直通運転を再開。
  • 2013年(平成25年)3月16日:浦和駅の高架化工事完了。湘南新宿ラインが浦和駅への停車を開始。
  • 2014年(平成26年)
    • 4月1日:矢吹 - 平泉間と岩切 - 利府間が新設の仙台近郊区間となり、一ノ関駅と平泉駅でICカード乗車券「Suica」サービス開始。
    • 7月1日:日本貨物鉄道の貨物支線 田端信号場 - 北王子間が廃止[報道 6]
  • 2015年(平成27年)
  • 2016年(平成28年)10月1日:東京電車特定区間で駅ナンバリングを設定。路線記号は、東京 - (日暮里) - 尾久 - 赤羽 - 大宮間(宇都宮線)が「JU」、東京 - 田端間(山手線)が「JY」、東京 - 大宮間(京浜東北線)が「JK」、東京 - 神田間(中央線快速電車)が「JC」、上野 - 日暮里間(常磐線快速電車)が「JJ」、赤羽 - 大宮間(貨物線)が「JS」、赤羽 - 武蔵浦和 - 大宮間(埼京線)が「JA」。
  • 2017年(平成29年)
  • 2018年(平成30年)1月1日 - 1月3日:早朝の那須塩原駅 - 新白河駅間の列車、深夜の矢板駅 - 白河駅間の列車(1日・2日のみ)を運休し、黒磯駅構内を完全直流化。同駅盛岡方にデッドセクションを設け、地上切替から車上切替に変更[報道 9]
  • 2019年令和元年)10月12日台風19号の影響により、以下の区間で被害を受ける。
    • 矢板 - 野崎間の箒川橋りょうおよび西那須野 - 那須塩原間の蛇尾川橋りょうで、護床工が変状[報道 10]
    • 安積永盛駅 - 須賀川間で盛土・バラスト流出[報道 11]
    • 瀬峰 - 梅ケ沢間で土砂流入[報道 11]
  • 2020年(令和2年)3月14日:黒磯 - 新白河間(一部白河まで)の列車をE531系電車5両編成でのワンマン運転に統一し[報道 12]、キハ110系気動車は同年3月13日の運用をもって撤退。
  • 2023年(令和5年)
    • 5月27日:北上 - 盛岡間でICカード「Suica」サービス開始[報道 13]
    • 10月19日:黒磯駅でATOSの使用を開始。
  • 2024年(令和6年)
    • 1月23日:東北新幹線の架線支障の影響による運休の救済のため、東京発仙台行きの臨時普通列車が運行[67]。東北新幹線の停車駅[† 15]と黒磯駅に停車。
    • 3月16日:北上駅 - 盛岡駅間のワンマン列車における後乗り前降りを廃止。

優等列車の沿革


注釈

  1. ^ a b 駅案内等で直通先の路線名をそのまま使用しているもの(東京駅 - 田端駅間の山手線安積永盛駅 - 郡山駅間の水郡線など)は除く。
  2. ^ 狭義においては東京駅 - 上野駅間の路線系統名であるが、東北本線(宇都宮線)系統の列車は、本線の宇都宮駅まで走行するため、広義においては東京駅 - 尾久駅 - 宇都宮駅間となる。
  3. ^ 電車線、すなわち山手線(ただし、東京駅 - 田端駅間のみで専用線を走行)・京浜東北線が走る区間
  4. ^ 列車線、本来の東北本線の列車(現在の宇都宮線)が走る区間
  5. ^ 国鉄時代からの「線路名称」及びJR発足以降の「JR線路名称公告」による場合。なお、国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』及び国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された「事業基本計画」では全線を東北本線とは別の路線として記載している[3]
  6. ^ a b c d 正式には山手線は品川駅 - 新宿駅 - 田端駅間の路線であり、京浜東北線は大宮駅 - 東京駅 - 横浜駅間の電車線の通称、埼京線は大崎駅 - 池袋駅 - 赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間の通称である。また中央本線・常磐線の正式な起点はそれぞれ神田駅日暮里駅である。東京駅 - 大宮駅間の山手線・京浜東北線・中央線・常磐線の線路、赤羽駅 - 大宮駅間の埼京線の線路はすべて東北本線に含まれている。
  7. ^ 先行列車は固定閉塞で捕捉するが、自列車は閉塞単位で減速・停止するのではなく、先行列車のいる閉塞の手前で停止するように制御される。JR東日本では同項第3号による方式と合わせて「ATC方式」と呼称している。
  8. ^ いわゆる移動閉塞方式。JR東日本では同項第2号による方式と合わせて「ATC方式」と呼称している。
  9. ^ しかし、並行在来線は、東京駅 - 上野駅 - 盛岡駅間については東北本線として、盛岡駅 - 目時駅間はIGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線、目時駅 - 青森駅間は青い森鉄道青い森鉄道線として現存しており、区間によっては直通列車がなく乗り継ぎが必要となるものの、新幹線を使わず在来線のみでも長距離移動が可能。
  10. ^ 上野7時57分(土休日8時00分)発だと2015年6月時点で仙台14時13分着、2018年3月改正時点で13時55分着となり、むしろ所要時間が短縮され6時間を切った例もある[21]
  11. ^ 他に平日には通勤快速が運転されていたが、2021年3月13日のダイヤ改正をもって終了。
  12. ^ a b 気動車(キハ110系)の運用は2020年3月14日のダイヤ改正をもって終了。
  13. ^ 正式には松島駅までが本線走行区間の扱いだが、仙石東北ラインの列車は松島駅に停車しない。
  14. ^ さいたま車両センター出入口に設置されている京浜東北線南行を横断する私道上の踏切を除く。
  15. ^ 東京駅、上野駅、大宮駅、小山駅、宇都宮駅、那須塩原駅、新白河駅、郡山駅、福島駅、白石蔵王駅、仙台駅
  16. ^ 正式な起点は好摩駅だが、列車はすべていわて銀河鉄道線経由で盛岡駅へ乗り入れる。

出典

  1. ^ a b c 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1998年(JTB発行)
  2. ^ 国土交通省鉄道局監修『平成二十六年度 鉄道要覧』電気車研究会・鉄道図書刊行会 p.21
  3. ^ 国土交通省鉄道局監修 『鉄道要覧』各年度版「東日本旅客鉄道株式会社 東北新幹線」掲載頁 電気車研究会・鉄道図書刊行会
  4. ^ 国土交通省資料 鉄道:我が国の鉄道貨物輸送『鉄道貨物輸送へのモーダルシフト』
  5. ^ a b c d e f g 大町雅美著『郷愁の野州鉄道 -栃木県鉄道秘話-』(随想社刊)
  6. ^ 鉄道唱歌 第三集 『奥州線・磐城線編』
  7. ^ 大日本帝国 陸地測量部 明治25年測図「喜連川」
  8. ^ 日本鉄道株式会社 明治三十四年年報』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ a b c d e 大蔵省印刷局 [編] (1909年). “鉄道院告示第54号 官報 1909年10月12日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立国会図書館. p. 305. 2024年3月10日閲覧。
  10. ^ a b c 「線名索引」『国鉄監修 交通公社の時刻表』各年各号、日本交通公社出版事務局、東北線掲載頁。 
  11. ^ a b c 「線名索引」『時刻表』各年各号、日本国有鉄道(謹呈版も含む)、東北線掲載頁。 
  12. ^ 原口隆行著、宮脇俊三編 『時刻表でたどる鉄道史』 明治42年1909年の項 1998年(JTB発行)
  13. ^ 『とちぎ20世紀 下巻』下野新聞とちぎ20世紀取材班編、2001年(下野新聞社発行)
  14. ^ 東日本旅客鉄道 「2010年度 会社要覧」
  15. ^ 原口隆行著『時刻表でたどる特急・急行史』(JTB発行)
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