東北地方太平洋沖地震
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過去の地震・想定地震との比較
地震調査委員会の想定
この地震の震源となった三陸沖は、フォッサマグナより東側の日本(東北日本孤)を乗せている北アメリカプレート(オホーツクプレート)に対して、太平洋の広範囲を乗せている太平洋プレートが年間約8 cmの速さで東南東から押し寄せ、青森県から千葉県にかけての沖合にある日本海溝を境にして東北地方・関東地方の下に沈み込んでいる[108]。太平洋プレートが沈み込んでいるこの付近には、M7を超えるような海溝型地震の震源域が多数存在しており、本地震発生前の段階で地震調査委員会ではこの地域を以下の8つの領域に区切ってその発生間隔や確率を評価していた[109][110]。
日本海溝の海溝型地震の発生評価[111] (2011年1月1日、地震調査委員会) |
東北地方太平洋沖地震による破壊の程度 (4月11日発表)[112] |
発生評価 [113] (2012年1月1日) | ||||
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領域 (上掲の想定震源域画像参照) |
M | 30年以内の 発生確率 |
M | 30年以内の 発生確率 | ||
三陸沖北部 | 固有地震 | M8.0前後 | 0.5 - 10% | - | M8.0前後、 Mt8.2前後 |
0.7 - 10% |
固有地震以外 | M7.1 - 7.6 | 90%程度 | M7.1 - 7.6 | 90%程度 | ||
三陸沖中部 | - | - | 震源域にも含まれる | - | - | |
宮城県沖 |
固有地震 | M7.4前後 | 99% | 震源域にも含まれる | M7.4前後 | 不明 |
固有地震以外 | M7.0 - 7.3 | 60%程度 | ||||
(宮城県沖と三陸沖南部海溝寄りの連動) | M8.0前後 | - | - | |||
すべり量が大きい ※本震の震源域 | ||||||
三陸沖南部 海溝寄り |
固有地震 | M7.7前後 | 80 - 90% | M7.9程度 | ほぼ0% | |
固有地震以外 | M7.2 - 7.6 | 50%程度 | ||||
福島県沖 | M7.4前後が 複数回連続 |
7%程度以下 | 震源域にも含まれる | M7.4前後が 複数回連続 |
10%程度 | |
茨城県沖 | 固有地震 | M6.7 - 7.2 | 90%程度以上 | 震源域にも含まれる ※M7.6の最大余震の震源域 |
M6.9 - 7.6 | 70%程度 |
固有地震以外 | M6.7 - 7.2 | 90%程度か それ以上 | ||||
房総沖[注 16] | - | - | - | - | - | |
三陸沖北部から房総沖の海溝寄り | 津波地震 | M8.2前後 | 20%程度 | 一部すべり量が大きい | Mt8.6 - 9.0 | 30%程度 |
正断層型 | M8.2前後 | 4 - 7% | M8.2前後、 Mt8.3前後 |
4 - 7% | ||
東北地方太平洋沖型の地震 | - | - | Mw8.4 - 9.0 | ほぼ0% |
このうち「宮城県沖地震」の領域は30年以内にM7.4前後の地震が99%で発生するという評価がなされていた上、平成17年の地震によってそのアスペリティの一部(3つのうち1つ)が破壊された、つまり宮城県沖地震は平成17年(2005年)に部分的に再来したと考えられ、残りの2つのアスペリティは近いうちに破壊されて地震を起こすと考えられていた[114][注 17]。
断層の破壊が最初に始まった(震源)「三陸沖南部海溝寄り」やその海溝側にあたる「三陸沖から房総沖の海溝寄り」の中部で20 mを超える非常に大きな断層運動が発生したのをはじめ、この地震の南北500 km・東西200 kmにおよぶ震源域は、「三陸沖中部」、「宮城県沖」、「福島県沖」、「茨城県沖」の計6つの領域に及んでいた。破壊は牡鹿半島沖の震源から南北へ連鎖的に進んでいったが、北米プレートの下に沈み込んだフィリピン海プレートの北東端が地殻破壊の南下を食い止め、「房総沖」の北隣の「茨城県沖」で止まった[115]。また、北側では1994年三陸はるか沖地震あるいは1968年十勝沖地震(「三陸沖北部」に該当する)の震源域南端付近で止まっている[116]。このような広い震源域を持つM9の巨大地震は、従来想定されていなかった。
想定に入れられなかった過去の巨大地震
この地震の震源域は、869年(貞観11年)に宮城から福島にかけての太平洋沖で発生したM8.4(産業技術総合研究所による)の貞観地震の推定震源域と類似しており、地震発生直後よりこの再来である可能性が指摘された[117][118]。貞観地震は以前より文献記録によって知られていたものの、2000年代になって津波堆積物の調査によって石巻・東松島で海岸から3 km内陸まで遡上、仙台で同2 km、名取・岩沼で同4 km、亘理・山元で同2 kmと大規模な津波を伴う巨大地震であったことが明らかになった。堆積物の広域調査から同様の巨大地震は紀元前390年頃、430年頃、貞観11年(869年)、1500年頃と過去4回発生しており、再来間隔は450 - 800年程度と推定する報告があった[119]。また、東北学院大学の地質調査により、約2千年前の弥生時代にも津波が発生しており、本地震で発生した津波浸水域と同程度の浸水域が仙台平野では発生していた可能性があることが地震後報道された[120]。これらのことから、東北地方太平洋沖地震発生後に海溝型地震の長期評価見直しを進めた政府の地震調査委員会は2011年11月24日、津波堆積物の調査結果を反映して、紀元前4 - 3世紀頃、4 - 5世紀頃、869年の貞観地震、15世紀頃[注 18]、今回の地震、合わせて都合5回、三陸から房総にかけて約600年周期で海溝型地震が発生していると認定し、次回の地震規模はM8.3 - 9.0としている[113][121]。なお、869年貞観地震は日本海溝深部、1896年明治三陸地震は日本海溝浅部の、お互い隣接する細長い震源領域の地震と考えられており、本地震は「貞観地震と明治三陸地震が同時発生した」と見る研究者もいる[34]。
2011年4月13日、東北大学の当地震の緊急報告会[122]で、東北アジア研究センター教授の平川新は、江戸時代に整備された宿場町が、今回の地震で津波被害を受けていないことを指摘。「慶長16年(1611年)に発生した慶長三陸地震では、当地震と同等規模の津波浸水域が発生したとされ、その経験を基に宿場・街道などが整備された」、「明治時代以降の土地利用で津波経験の記憶を喪失した」との報告を行った[123]。また、同報告会では、貞観地震で発生した津波よりも本地震で発生した津波の方が大規模だったとの報告も行われている[124]。
石橋克彦は「日本三代実録」の記録を基に、今回の地震が貞観地震より大規模なもので震源域が南に延びていたかもしれないと推定している。理由は、貞観地震では京都(今回震度3[注 19])や関東(今回震度4 - 5)の地震記事がない[注 20]というものである[125]。
岩手県大槌町では岩手県や大槌町の調査により、本地震による津波の浸水範囲は、明治三陸地震による津波の浸水範囲とほぼ同程度だったことが判明している[126]。同年5月15日にこれが発表されるまで町側は津波の規模や被害を想定外としていたが、実際には本地震から過去115年前にも同規模の津波が襲来したことが明らかになり、改めて三陸沿岸一帯が「津波常襲地帯」であることが浮き彫りになった[126]。
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