東側諸国 概要

東側諸国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 08:13 UTC 版)

概要

広義の東側諸国。赤が共産主義陣営、茶色が東側寄り、または同盟国

「東側諸国」はソビエトに主導された軍事同盟・ワルシャワ条約機構の加盟国や、社会主義国による国際間経済組織・経済相互援助会議(コメコン)の加盟国の別名としても使われた。

名称の由来は、米ソがヨーロッパを東西に二分したうち、地理的に近かった東欧側をソ連が解放者の衛星国として勢力圏に置いたことにある。米国マーシャル・プランにより西側諸国を経済的支配に置いたことを警戒したソ連は、東欧諸国にマーシャル・プランのボイコットを呼びかけ、対抗して経済相互援助会議を創設し、東西両陣営の対立は先鋭化した。ソ連に「解放」された国々では、ソビエト連邦共産党のように共産党一党独裁体制を樹立。計画経済秘密警察強制収容所などソ連型社会主義を模した政治体制が各国で作られ、厳しい言論統制が行われた。

また、東ヨーロッパのみではなく、東アジアでは中華人民共和国北朝鮮モンゴルを始め、ベトナムラオスカンボジアといったインドシナも東側陣営に組み込まれていた。北東アフリカでもエジプトエチオピアスーダンソマリアリビアなどが東側の同盟国であった。西アジアでは南イエメンイラクシリアが東側に近かった。アメリカ大陸キューバもそうであり、このように第三世界諸国の中にも東側寄りの国が多くあった。

ソ連の軍事勢力圏

東側諸国が形成された目的は、ソ連の軍事的保護であり、これらの諸国は、ソ連にとって西側との「緩衝地帯」だった[1]1955年ワルシャワ条約締結により、東側ブロックの軍事的連携が成文化された[1]。こうして、東側の国々はしばしば軍事力を通じて、ソ連の勢力圏に留め置かれた。

ユーゴスラビアが1948年のコミンフォルム会議で追放されると、スターリンは、東側ブロックの統一とイデオロギー的結合が損なわれることを恐れ、東側諸国全体で、秘密警察による拷問、見せしめ裁判などの粛清が行われた[1]

スターリン死後の、非スターリン化は東側諸国の不安を引き起こし、1953年の東ドイツでの抗議活動、1956年ポーランドでのポズナン暴動ハンガリー革命が起こったが、ソ連は軍隊を派遣し、武力で鎮圧した[1]

ハンガリーは共産主義政権を倒し(ハンガリー動乱)、より民主的でモスクワから独立した国家運営の道を模索しようとしたが、1956年にソ連軍に侵攻された。

ポーランドの指導部はヴワディスワフ・ゴムウカを第一書記に選出しようとしたが、ゴムウカの選出をやめさせるようにとのソ連軍による最後通告を受けた[4]

チェコスロヴァキアは1968年プラハの春の自由化の後、ソ連軍に侵攻された(チェコ事件)。チェコスロヴァキア侵攻以降、ブロック諸国の離脱を恐れたソ連は、ブレジネフ・ドクトリンというソ連が東側諸国の政府に対する許容する限界を指定し、これを超えた場合は、軍事介入を行うものとして公式に成文化された[1]

しかし1980年代後半、ミハイル・ゴルバチョフの率いるソ連は次第に東側諸国への内政干渉を行わないようになった。ブレジネフ・ドクトリンの廃止とシナトラ・ドクトリンとして知られる新思考外交は、東欧に劇的な影響を及ぼした。東側諸国の共産主義政権は1989年の夏から冬までの間に次々と崩壊し(東欧革命)、東側は終焉を迎えた[1]

東欧革命以前でも、ワルシャワ条約機構の全ての国が常に集団で行動したわけではない。1968年、ニコラエ・チャウシェスクはソ連によるチェコスロヴァキア侵攻を非難し、ルーマニアは侵攻に加わらなかった。それ以降ルーマニアはソ連とは一線を画した独自の道を歩むことになる。


  1. ^ a b c d e f g h i j Kulik, Rebecca M.. "Eastern bloc". Encyclopedia Britannica, 26 Sep. 2022, https://www.britannica.com/topic/Eastern-bloc. Accessed 24 November 2023.
  2. ^ a b c d e f フリードリッヒ=クリスチャン・シュレーダー、岡野光雄訳「西側と東側の法制度の比較についての方法と問題点」比較法学22巻1号、1988年9月20日、p.167-192.早稲田大学比較法研究所
  3. ^ The collapse of the Communist bloc,The Centre virtuel de la connaissance sur l’Europe (CVCE),2023年11月26日閲覧
  4. ^ [1]


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