東アジア共同体 共同体設立への問題点

東アジア共同体

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共同体設立への問題点

日中・日韓の政治的対立

日本は米国と約150年の交流を持ち、明治維新日露戦争八カ国連合軍第一次世界大戦連合国)、シベリア出兵など近代の日本の歴史上、様々な場面で日米は軍事的に友好関係があった他、関東大震災では震災後、米国が最も日本に巨額の人道支援や資金援助を行なったなど、軍事だけでなく、困難な時代でも友好であった。

しかし、太平洋戦争第二次世界大戦)など一時的に関係が悪化した時期はあったものの、幾多の厳しい試練の時を乗り越えながら概ね良好な関係を保ってきた。一方で、中華人民共和国(中国)・大韓民国(韓国)とは10世紀以上の交流があるにもかかわらず、現在においてもその関係は決して芳しいとは言えない状況にある。

中国について言えば、改革開放で中国が超大国化するまでは日中間には太い人脈があり、両国の首脳が何ら支障なく会談できるような機会があった。ところが日中国交回復30周年に当たる2002年に両国首脳の相互訪問が実現しなかった事や、2004年3月の尖閣諸島上陸問題、同年5月の東シナ海における海底油田の開発問題、2005年4月の中国各地での反日デモに象徴されるように、領土係争や歴史認識に基づく反日感情は根強いものがある。

また、韓国についても2002年のサッカー・ワールドカップの共同開催や韓国国内における日本文化の開放など、反日感情に改善の兆しが見られ、また2003年に就任したノアラも当初は「いつまでも過去の足枷に囚われているわけにはいかない」、「過去を直視し、不幸な過去を教訓に、新たな未来に向け進むべき」としていたが、竹島問題日本海呼称問題などに関する国内世論を背景に反日路線へと転換しており、2005年6月や2006年10月の日韓首脳会談では過去の歴史に対して反省を求めることを重点課題として、これからの日韓関係や東アジア共同体など21世紀において日本と韓国が歩むべき道ついて、際立った議論の進展は無かった。しかし、2022年には韓国で親日派と言われる尹錫悦が大統領になったことから日韓関係が急速に改善した。

中国・韓国はこれらの「政治的対立」の根底には歴史認識問題や教科書、靖国参拝といった問題があると主張しており、この問題を巡っては、中国や韓国は未だに日本に対し感情的な溝を持ち、それが相互信頼や共同体意識の構築を阻害している現状がある。両国政府は日本を歴史を理由に敵視する教育や日本文化に対する規制をおこない、反日感情が浸透している。こと天安門事件以後の中国においては愛国教育が盛んに行われるようになり若い世代ほど反日感情は根強い。また、2010年代以降は日本国内でも中国・韓国人の排除を目的とした市民運動やデモ行進(俗に言うヘイトスピーチ)も活発化しており、両国間の対立は年を追うごとに悪化している。

日本でも、とりわけ中国の軍事力や経済力に対し脅威を抱き、敵視する空気がある。バブル崩壊後から長期的に経済停滞をしている自国に比べ、20年以上も高成長を続ける中国はやがて日本を追い抜き、日本に悪感情を持った非民主的な軍事超大国が隣に誕生するという悪夢への抵抗感によるものである(中国脅威論)。しかしながら、中国のWTO加盟による貿易自由化の促進や内需の拡大により日本では自動車や電子部品の輸出額が増加し、2005年の日本の対中輸出はWTO加盟前の2000年に比べて約170%増加した事や、中国では沿海部を中心に4億人規模の巨大市場が存在し日本企業にとっては大きなビジネスチャンスとなっている事は事実であり、1997年に発表された世界銀行のレポート『2020年の中国』によれば、中国のWTO加盟による世界各国の年間受益に関して、日本は中国に次ぐ2番目の受益国になるものと予測されている。 また、国内に不安定要因を多数抱える中国は、安定した持続的発展のために、日本をはじめとする世界各国の協力を現在でも必要としている。事実、地域間格差[36] を是正するための策である西部大開発は日本のODAの対象となっている。 もし中国政府が社会問題の解決・処理を誤れば、日本企業にとって痛手となるだけでなく、日本や東アジアの安定にも深刻な影響を与える事が懸念されており、東アジアの安定・発展には中国の台頭が必要不可欠なものとする見方が強い。

外務省では日中間における相互不信について、両国では現在、“共通の経済的利益”はあっても、民主主義や市場主義、人権尊重など“共通の価値観”を持たない事を原因として挙げている。

EU統合の際にその進展の原動力となったのは、二度の大戦の歴史を超え協力関係を構築したフランスドイツであった。国民性や思考方法の相違から融和が困難とされた両国であるが、中長期的な視野に立った上で互いに国益を優先し、フランスの政治力とドイツの経済力を用いて欧州の発展と安定に貢献してきたのである。 日本と中韓、また中国と韓国は、それぞれ歴史認識の隔たりが大きく、この点が"二つの全体主義ナチズム共産主義)との闘い"という共通の歴史観を持っているヨーロッパ諸国とは異なる。 共通の価値観を持たず、政治的環境もフランス・ドイツと大きく異なる日中・日韓において、真剣に関係の改善に取り組む事は容易ではない。その過程では両国とも国内世論と相手国の双方への配慮が不可欠であり、現実に課題は山積している。

これに対してOECD事務次長などを歴任した谷口誠の主張は、「日米間の交流の歴史は150年そこそこであるのに対し、日中間には2000年を越える交流の歴史がある。日本の文化、言語、思想、生活習慣、食べ物、日常のマナーなど、現在の日本人の生活一般を見れば、日本人はまぎれもなくアジア人である。アジアの一員たる日本人が、『東アジア共同体』を構築しようとするとき、『日米間の共通の価値観』を、あたかも『アジア的価値観』より優れたものであるかのように押し付けたところで、中国のみならず他のアジア諸国にも受け入れられず、日本は孤立するであろう。日本はアジアの多様性を生かし、『アジア的価値観』を基盤とした『東アジア共同体』の構築を目指すべきである。それはEUよりもゆるやかで寛容な、アジアの土壌にあったものになるであろう」となっている。

日米と中国の主導権争い

2002年1月、シンガポールで発表された小泉首相による東アジア・コミュニティ構想は一種のスローガンとも言われるが、この構想でも、対米関係を意識してその枠組みを中国主導のASEAN+3に限定したくないとの外交的配慮が働いており、日本は豪州とニュージーランドへ参加を呼び掛けていた。

アジア太平洋経済協力(APEC)の重要性を訴える米国も、1990年代初頭に浮上した東アジア経済グループ(EAEG)構想や東アジア経済協議体(EAEC)構想に反対した[37] だけでなく、2004年8月にはコリン・パウエル国務長官が「ASEAN+3の枠組みの必要性については未だ納得していない」と発言するなど、東アジアにおける地域化については非常に敏感になっていた事を窺わせている。

2005年2月の日米安全保障協議委員会共同発表[38] は「地域メカニズムの開放性、包含性及び透明性の重要さを強調しつつ、様々な形態の地域協力の発展を歓迎する」とした。この共同発表に関して、東アジア共同体評議会有識者議員を務める神保謙は、[39]「これは明らかに、東アジア共同体構想というものが開放性を担保した上で推進していくということであれば、これをアメリカは歓迎する用意があるということの理解に達したんだということについて、いわゆる国務省・国防総省と、日本側のカウンターパートがそのような理解に達しているということを示したものだと、外務省地域政策課が発言した」と語っている。

東アジア共同体に反対する米国と、それに追随する日本のこれら一連の動きは、米国を中心とする西側諸国の東アジアにおける政治・経済・安全保障上のプレゼンスの維持と、21世紀においてアジアの軍事大国としてその存在感を一層増す事がほぼ確実と見られる中国の、東アジアにおけるリーダーシップ確立阻止を目的としたものとの指摘がある。

現在の日米と中国との政治的対立は、前述の日中関係をより複雑にさせるものであり、それに因る日中のみならず東アジア諸国の関係への影響も無視できない。実際、ASEANとのFTA交渉に向けた動きでは、域内他国間のFTAによる対中包囲網を警戒した中国と、中国・ASEAN自由貿易協定による日本の影響力低下を懸念する日本とが、半ば競争気味にFTA締結に向けて動き出した感が否めない。

研究プロジェクト『日中韓3カ国の競争力比較共同研究』で、日中韓によるFTAによって3カ国全ての経済成長率が押し上げられるとの予測も踏まえ、ASEAN+3あるいは日中韓という枠組みでのFTAを検討する方が賢明であるとの声がある[40]

2011年、米韓自由貿易協定締結および野田政権の米国主導TPPへの参加表明で、アジアおよび環太平洋諸国経済圏構想の情勢は大きく動き始めた。これまで米国やインドを除外するASEAN+3を主張していた中国も、米国やインドを含めるASEAN+6構想を無視できなくなってきたとする見方が強い。いずれにしても、世界第3位経済規模を有し貿易額も大きい日本は、米国と中国の両陣営から経済圏構想への参加を求められている状況であるが、国内政治の混迷からアジア経済圏構想におけるリーダーシップを取れる状況にはない。

日本国内における諸問題

地域共同体の成立のためには「ヒト」「モノ」「カネ」の移動に対する自由化が必要不可欠である。 しかし現状においては、日中韓の間でそれらの移動に対する自由化の道は遠い。

日本政府は、

  • 開かれた地域主義 ASEAN+3を基礎としながらも、機能的アプローチを通じてインド、豪州、ニュージーランド、米国等とも連携するいわゆるASEAN+6を指向する。
  • 機能的アプローチ 地域の多様性を鑑み、当面は、FTA/EPAや、金融(チェンマイ・イニシアティブなど)、国境を越える問題等の地域協力を優先させる。
  • 普遍的価値の尊重 複数政党制民主主義、市場経済(WTOルールの遵守など)、人権の尊重。

を基本的立場としている[41]。2006年に首相に就任した安倍晋三はアジアの成長を取り込むべくアジア・ゲートウェイ構想を掲げており[42][43][44][45]、域内各国との連携を一層強めていく事を示唆している。

また、有識者などによる東アジア共同体評議会(会長:中曽根康弘元首相)の創設など官民レベルでの議論も活発になってきており、その是非を問わず様々な意見が交わされている。多くの推進派[46] がいる一方、労働者移入による社会的コスト、米国との関係悪化、かつて日本が提唱した大東亜共栄圏の復活、中台関係への悪影響を懸念する声や、NAFTAへの加盟により価値観の近い米国などと共同体を形成すべきとする意見があるなど、慎重論・反対論も根強い。

農業の貿易自由化は日本の農家にとっては死活問題となる。

このような中で、とりわけこの問題に敏感になっているのは農業関連の従事者や組織である。 FTAの過程において構造改革を迫られる事が確実視される農業などの分野ではFTAに関して反対の声が非常に根強い。豪州とのEPA交渉の際の農業関係者の反応[47] がそれを如実に表している。特にコメ砂糖乳製品は、その生産に携わる農業従事者が就業人口のわずか4.3%に当たる約270万人にもかかわらず、5大政治品目と呼ばれ聖域視される。これらは豪州とのEPAにより発生する年約7900億円もの農業分野への損害(農林水産省試算)、自然・環境・文化保全など農業の多面的機能、食料安全保障といった観点から、日本の農業の保護を持続すべきとするものである。 しかしこのような保護主義がその目的にとって最適な政策とする事を疑問視する声もある。農業保護は日本の経済成長の足枷になっている一面もあり、現実に、農業保護のためにこれまで日本の消費者は約10.8兆円の負担(日本政府試算)を強いられてきた。急速な高齢化によって労働と資本の投入量が減少していく日本の経済環境の現状を考慮すれば、過剰な保護政策の結果として非効率が蔓延した農業分野の構造改革は不可避であると指摘される。 農業自由化により増加するであろう失業者に対する何らかの支援策は欠かせないが、価格支持政策[48] の撤廃に加え、耕作地合併による生産性の改善などを求めていく事で、結果的には消費者や納税者の負担を軽減する事ができる。また自由化に関しても、相当期間のタイムテーブルを用意した上で、競争力のある分野から自由化を進め、徐々に競争力の劣る分野へも移行するというような段階的なアプローチが重要になってくる。 食料自給率の維持は国家の重要課題であるが、それは農業の担い手の確保や、農地拡大による生産性の向上などを通じて実現されるべきとする意見もあり、それらの人々は、むしろ経済連携協定を通して、凶作時の食料の融通を多くの国と約束しておくといった中長期的な観点からの視点の必要性を訴えている。

また、農業問題と共にしばしばFTAによる弊害として取り上げられるのが、労働市場の開放(いわゆる“ヒトの移動”)である。フィリピンとの2国間FTAからもわかる[49] ように、日本国内では外国人労働者の受け入れに対する反対の声が根強い。人数制限や入国後の管理が困難な事、外国人犯罪の増加に因る社会問題の発生を懸念してのものである。

一方で、少子高齢化の進む日本では、労働人口の減少により消費市場も縮小する事が予測される。やがて来るこの現実を直視し、外国人労働者受け入れによって日本経済を持続的に成長させていくための対策を考える事も求められている。統計では2004年の時点で、日本と欧米の労働市場を比較すると、外国人就業者の比率は米国15%、ドイツ12%、フランス11%、英国10%となっているのに対し、日本は約1.5%と突出して低い。統計上では労働市場に関して言えば日本はまだ鎖国状態に近い事が窺えるが、現実は異なる。現時点で日本には約200万人の外国人が居住しており、半数以上が正式な就労入国査証は未取得ながらも就業していると推定されている。留学や就学、研修などの名目で入国し、いわゆる単純労働に就いている。日本国内でも業種によっては外国人の労働力に大きく依存している。 この建前と現実の深刻な乖離の実態を踏まえ、専門的な知識を持つ高度人材・単純労働者の別け隔てなく、日本社会がどのように外国人を受け入れ、教育体制の整備などを通してどのような多文化共生の風土を築き上げていくのかについて、議論の必要性を説く声もある。 日本政府はタイなどが求める[50] 単純労働者受け入れの制度化には慎重であるが、経済財政諮問会議も2006年の「骨太の方針」で検討課題に挙げているように、経済界には積極的な対応を望む声がある。既に流入している外国人労働者と共生可能な社会を創る事は、将来、本格的に外国人を受け入れる際の基盤整備にも繋がる。

2007年は、日本の労働市場開放の先駆けとして、準高度人材である看護師や介護士が初めて日本にやって来る。日本の成長に貢献する可能性のある人材に対する認識を改め、入国に関する規制の緩和や労働先としての魅力を高めていく事も重要な課題の1つである。既に研究者・科学者ITエンジニアなど高度な人材では世界各国で争奪戦が始まっているという現状も踏まえ、自由で活気に溢れる労働環境の整備や外国人に開かれた社会の構築など、総合的な戦略が問われる事になる。

2009年5月に民主党代表となった鳩山由紀夫は、演説や寄稿文などで「日米安保条約は外交の要」としながらも、友愛精神に基づいた「東アジア共同体」を提唱した。内容としては日本・中国・韓国を中心とした東アジアが集団安全保障体制を構築し、通貨の統一も実現すべきだ、とするものであるが、鳩山は「東アジア地域の安定を図るため、米国の軍に機能すべきだと思うが、(同時に)政治的・経済的にも影響力を行使し続けるのには、できる限り歯止めをかけたい」(『Voice』2009年9月号)と主張しており、米国の影響力を徐々に減らしていくべきという趣旨の主張をし[51]、自らが政権を取った場合、東アジアの集団安全保障体制の構築や通貨の統一を積極的に進めていくと表明していた[52]。しかしこれには、欧米の専門家からは領有権問題や経済格差などの要因から実現困難性が指摘され、また「オバマ政権は、論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう」「米政府の担当者が日本をアジアの中心に考えなくなり、G7の首脳らにも同意が得られないとしている。」などと相次いで批判がなされた。同時に日本国内からは、農業は保護政策を掲げながら自己矛盾もしているなどと批判された[53][54]詳細は友愛外交を参照)。

2010年9月10日、鳩山由紀夫前首相は、東アジア共同体構想に「ロシアも視野に入れる発想が求められている」と述べている[55]


  1. ^ ベラ・バラッサは地域統合をそのレベルによって、域内関税が撤廃された自由貿易地域、域外関税が共通化された関税同盟資本労働の移動が自由化された共同市場、租税措置・各種規制・経済政策が共通化された経済同盟、予算制度や通貨措置が一本化された完全経済同盟の5つに分類している。
  2. ^ 東南アジア諸国と中国は、1997年から継続されてきたASEAN+3を東アジア共同体達成の主要な手段と考えてきた。2005年の第9回ASEAN+3首脳会議で採択されたクアラルンプール宣言において、ASEAN+3を「東アジア共同体達成をするための主要な手段」と明記したのに対して、2日後に同じくマレーシアクアラルンプールで開催された第1回東アジアサミットでは、東アジアサミットを「共同体の形成に重要な役割を果たしうる」と位置づけた。
  3. ^ 2005年1月21日、第162国会施政方針演説
  4. ^ 2009年9月9日
  5. ^ 地理的区分としてのアジアについてさえ、殆ど合意が存在しないという現状で、政治的に意味のある「地域」としての「東アジア」を考えることは難しく、一般に西アジア中央アジア南アジア、東アジア(北東アジア・東南アジア)として区分されるアジアであっても、言語圏、宗教圏、政治圏といった枠組みで考える際にその範囲は実にあやふやなものとなる。
  6. ^ 東南アジア諸国連合 (ASEAN) が1999年に現在の10カ国体制になって以降、この10カ国の領域を東南アジアと定義付けるのは、域内外を問わず多くの人にとって納得のいく状況である。
  7. ^ 現在では広義の東アジアとして、北はモンゴル、西はパキスタンまでの北東・東南・南アジアまでを東アジアとして捉える動きも出始めている。
  8. ^ 目で見るASEAN -ASEAN経済統計基礎資料-』外務省アジア大洋州局地域政策課、平成29年8月
  9. ^ 1990年代にASEANに加盟した4ヵ国の総称。カンボジア(Cambodia)、ラオス(Laos)、ミャンマー(Myanmar)、ベトナム(Vietnam)の頭文字を取ったもので、後発ASEAN諸国に当たる。
  10. ^ 東南アジアに対し、いかなる干渉からも自由、平和、中立的な地帯を設立するため、1971年クアラルンプール宣言として採択されたもの。
  11. ^ 1976年2月のバリにおける首脳会議で署名・発表された宣言。加盟国国民の平和、進歩、繁栄および福祉の促進に努力し、経済や社会、文化、政治などの分野におけるASEANの成果の定着化と協力の拡大を目指した。2003年10月にはこれに続く第二ASEAN協和宣言も署名された。
  12. ^ 国連憲章に基づく、域内諸国間における平和的な関係を維持・管理するための国際的合意。1992年の国連総会で承認された。現在11カ国が加盟。
  13. ^ アジア太平洋地域における政治・安全保障分野を対象とする全域的な対話のフォーラム。安全保障問題について議論するアジア太平洋地域における唯一の政府間フォーラムで、ASEANを中核としていることが特徴として挙げられる。現在の参加国は、ASEAN・日本・中国・韓国・豪州・ニュージーランド・インド・モンゴルパキスタンパプアニューギニア東ティモール北朝鮮・米国・カナダロシア・EU。
  14. ^ 欧州委員会が1994年7月に作成し、その後EUとしての対アジア政策の基本文書となった報告書。世界経済の成長原動力としてのアジアに注目し、政治対話の促進や市場開放の要求など、政治・経済協力を網羅する包括的なアプローチの必要性を強調している。
  15. ^ 日本とASEANの首脳の対話の緊密化、地球規模の問題への共同取り組み、多角的な文化協力の3つを柱とする内容であった。
  16. ^ 政治権力者が血縁者などに対して意図的に経済所の利権を配分し、それにより経済を発展させる手法の事。縁故主義とも。
  17. ^ 円借款・輸銀融資など実体経済回復のための中長期の資金支援と、経済改革過程の短期資金需要に備える短期の資金支援に加え、保証・利子補給などを目的にアジア通貨危機支援基金をアジア開発銀行(ADB)に創設したもの。
  18. ^ 東アジアの中長期ビジョンを考える有識者からなるグループ。EAVGの報告・提言を政府レベルの東アジア・スタディ・グループ(EASG)が検討し、ASEAN+3首脳会議で報告される。これまで具体的には、東アジア共同体の設立を目指す事や、ASEAN+3を東アジア・サミットに移行させる事を提案した。
  19. ^ 中国とASEANの企業政府機関、投資関係者らが一堂に会し、各国および各企業の紹介や製品展示をしている。広西チワン族自治区南寧で毎年開催。同時にASEANビジネス・投資サミットも開催する。
  20. ^ 2004年の中国ASEAN首脳会議で発表された、中国とASEANとの2009年までの協力計画。またこの会議では併せて「中国ASEAN包括的経済協力枠組み合意の貨物貿易に関する合意」「中国ASEAN紛争解決システム合意」「中国ASEAN運輸協力了解覚書」にも調印している。
  21. ^ GATTの目標は、公正で無差別の原則に沿って国際貿易を拡大させる事であり、基本原則として自由・無差別な最恵国待遇(MFN)を掲げている。
  22. ^ ODAを活用して開発に取り組んできた東アジア諸国が、それまでの開発経験を振り返る事で今後の一層の開発を達成するために行う意見交換会。内容は閣僚共同声明として発出され、これにより東アジアにおける新しい開発課題とその方向性についての認識を共有し、域内諸国が一体となって開発問題に取り組む意志を表明する。参加者は、ASEAN+3の外務大臣と開発担当大臣。
  23. ^ 将来の日本とASEANとの関係の基本的方向性の指針となる、歴史的文書。過去30年の、日本・ASEAN関係を回顧した上で、新時代における日本・ASEAN関係発展のために、協力関係の共通の基本原則と価値観、行動のための共通戦略、実施のための措置、の3点に合意した。正式名称は「新千年期における躍動的で永続的な日本とASEANのパートナーシップのための東京宣言」。
  24. ^ 日本とASEAN諸国との協力関係の指針となる「日本・ASEAN東京宣言」に基づき、近い将来実施する100以上の具体的措置をまとめた計画。過去に築かれた関係を基礎としつつ、首脳間のイニシアティブの下、様々な分野における具体的協力案件の着実な進展を通じて、日本とASEANとの一層の関係強化と、東アジア及び国際社会全体の安定及び繁栄に貢献する主体として協働するもの。包括的経済連携・金融通貨協力の強化、経済発展及び繁栄のための基礎の強化、政治及び安全保障面での協力・パートナーシップの強化、人材育成、交流、社会文化協力の促進、東アジア協力の深化、地球規模問題への対処における協力という、6つのポイントを軸に行動するとしている。
  25. ^ 最終的にはフィリピンのセブで開催。
  26. ^ その枠組みがASEANに拡大された場合には経済的効果は一層大きくなるとの報告がなされている
  27. ^ 韓-日 역사 인식 바꾸자 MBCNEWS 20100102
  28. ^ GATTにおける各国の多角的貿易交渉の事。
  29. ^ 金子芳樹「マハティールの政治哲学とEAEC構想 (特集 〔大東文化大学 国際比較政治研究所 第10回シンポジウム〕 ASEAN体験の継承と東アジア共同体) -- (第2セッション:ASEAN体験の継承と東アジア共同体)」『国際比較政治研究』(15)、2006年3月、41頁
  30. ^ 香川孝三・金子由芳『法整備支援論―制度構築の国際協力入門』ミネルヴァ書房 (2007/04)
  31. ^ a b 内閣官房「東アジア共同体構想に関する今後の取組について」(平成22年6月)
  32. ^ 通貨スワップ(一時的に外貨を必要とする国が売り戻し条件付きで自国通貨で外貨を購入する事)とレポ(保有する外国国債を買い戻し条件付きで売却して外貨を入手する事)によって、通貨危機の再発防止に寄与するものと期待される。
  33. ^ 現在の国連アジア太平洋経済社会委員会。
  34. ^ ACUは、アジア域内の貿易促進を目指し、国際取引の支払いを米ドルに依存せず、多角的に決済できるようにするもの。加盟国が赤字であっても決済メカニズムが有効に働くようになっており、その決済はアジア通貨単位で行われる事になっていた。ACUをさらに発展させたものがAPUである。米ドル圏との関係を維持する事を目指した日本の大蔵省が反対したため共に東アジアで成立する事はなかったが、もし成立していたならば、東アジアの資本市場のインフラは整備され、アジア通貨危機を回避する事ができたかもしれないと言われる。
  35. ^ アジア共通通貨導入の是非を評価した14研究のうち、ASEAN+3を最適と結論付けている研究は1つも無い。とりわけ、ASEAN新規加盟5カ国が懸念材料となっており、1研究(Bayoumi, Eichengreen and Mauro(2000年))を除く13研究が5カ国を最適通貨圏から省いている。
  36. ^ 1985年に1.85:1であった都市と農村との所得格差は次第に顕著になり、2002年には3.30:1にまで拡大している(出典:『中国統計適用』2002年版・2003年版)。国民1人当たりのGDP値が800-1,000ドルの国では一般に1:1.7が平均値となっており、中国は格差が非常に拡大している事がわかる。ジニ係数で見れば1988年の0.382から1994年に0.434、2000年0.458へと上昇し、社会が公平な状態である0.3-0.4、警戒状態を差明日0.4-0.6、社会的な動乱が発生してもおかしくない0.6-のうち、既に警戒水準にまで達している。
  37. ^ 米国側の見解として、EAEG構想については、1991年3月にマイケル・アマコスト駐日大使が「1989年末に結成したAPEC閣僚会議の活動を阻害する」と批判し、EAEC構想については同年11月に訪日したジェームズ・ベーカー国務長官が「EAECは太平洋に線を引き日米を分断する構想で、絶対に認められない」と語っている。
  38. ^ 2005年2月19日
  39. ^ 2008年10月15日に開催された東アジア共同体評議会の第29回政策本会議において
  40. ^ 有識者の一人[誰?]は、"このままでは日本は東アジアでの地域統合に向けたプロセスから取り残され、孤立する事は確実な情勢だ。この最悪のシナリオを回避するためにも、日本が中核となって発展していく地域統合の重要性を認識し、不変ではない日中・日米・米中関係を含む世界情勢の変化を見据え、それに対応した日本の自主的かつ多角的な外交が必要となってくる。21世紀の世界経済における三極構造のなかで、米国や欧州との協調を保ちつつアジアに軸足を置いた対中・対アジア政策の展開が不可欠であり、その先にある東アジア共同体構想は米国の東アジアへの関与と日米関係をさらに発展させるものと構想されなければならない。EUの安定した秩序形成によって発展した米欧関係のように、東アジア地域の形成と両立する秩序構想によって米アジア関係が発展するようなプロセスが重要となってくる。"と警笛を鳴らす。
  41. ^ 外務省「東アジア共同体に係る我が国の考え方」平成18年11月
  42. ^ 第165回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説平成18年9月29日2006年の所信表明演説で安倍晋三は、「ヒト・モノ・カネ・文化・情報の流れにおいて、日本がアジアと世界の架け橋となる「アジア・ゲートウェイ構想」を推進すると述べ、日本を拠点として、ヒト・モノ・カネといった資本の移動の自由化を進める構想であるアジア・ゲートウェイ構想を提唱・推進した。
  43. ^ 首相官邸『アジアゲートウェイ構想の概要』 平成19年5月16日 (PDF)
  44. ^ 首相官邸『アジア・ゲートウェイ構想の概要』-平成19年5月16日
  45. ^ 首相官邸『世界経済とのさらなる統合 ?経済連携をバネに日本を拠点に世界へ』
  46. ^ 「東アジア共同体」推進を朝日新聞(東アジア共同体評議会)、2005年6月2日。
  47. ^ 豪州とのEPA交渉の開始が決まった後に、農産物の輸入増加を嫌う日本の農家が抗議デモを実施し、2006年11月に予定されていたこの交渉が悪天候により延期されると、農業関係者は「神風が吹いた」と歓喜の声を上げた。
  48. ^ 市場価格に対し、政府が直接・間接に介入する事で上限あるいは下限を設けて価格を一定の範囲に制限する政策。
  49. ^ 現在、フィリピンとの2国間FTAにおいて看護師介護士の受け入れ問題が注目を集めている。年間に約2万人もの看護師・介護士を世界中に送り出しているフィリピンは、海外から本国への送金を貴重な外貨獲得源としており、日本に対しても労働者の受け入れを要求してきた。 しかしながら外国人の看護師・介護士の受け入れに対しては、日本国内では賛否両論がある。賛成派がこれからの少子高齢化社会と現在の看護師・介護士の不足を理由に海外からの人材の必要性を主張するのに対し、日本人看護師・介護士をはじめとする多くの反対派は、人命に関わる仕事である医療サービス分野では、言語の壁で意志の完全な疎通が難しい外国人に任せられないと反論している。また、安価な外国人労働者流入に伴う日本人の労働条件の低下を懸念する声もある。フィリピンからの労働力受け入れについてはこれらの声も考慮し、2006年9月のFTA調印では、日本での国家資格取得(つまり日本で資格を再取得する事)と一定以上の日本語能力を条件に受け入れる事が盛り込まれた。
  50. ^ タイ政府は日本とのFTA交渉において、準専門的職種である介護士調理師に加え、正式な資格を要しない単純労働者に当たる家事補助者やベビーシッターなどの受け入れも求めている。
  51. ^ 2009年8月27日ニューヨークタイムズ
  52. ^ 2009年8月17日 朝鮮日報
  53. ^ 鳩山代表に欧米から反発噴出 「東アジア共同体」に「友愛」 2009年8月31日Jcastニュース
  54. ^ 民主党の「東アジア共同体」構想の経済的影響 2009年9月4日サーチナ
  55. ^ 2010年6月15日に発足した民主党の衆参両院議員による「東アジア共同体議員連盟」の会長である鳩山由紀夫は、2010年9月10日、ロシア北西部ヤロスラブリで開催された「世界政策フォーラム」で講演し、東アジア共同体構想に「ロシアも視野に入れる発想が求められている。(メドベージェフ大統領が「ロシアをアジア・太平洋地域に統合させていくとの方針を示している」との見方を指摘した上で)日本とロシアが手を組んで、ベトナムなど東南アジアの国々の開発に協力するような新しい発想で広範な地域に渡る協力関係の構築が必要だ」と述べている。





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