杭州 杭州の概要

杭州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 15:50 UTC 版)

中国地名の変遷
建置 589年
使用状況 杭州市
南北朝呉州
杭州
余杭郡
杭州
余杭郡
杭州
五代西府(呉越)
北宋/杭州府
南宋/臨安府
杭州路
杭州府
杭州府
中華民国銭塘道
杭州市
現代杭州市

隋代

589年開皇9年)、呉州より杭州が分割設置された。607年大業3年)、郡制施行に伴い杭州は余杭郡と改称され、下部に7県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
呉州 余杭郡
銭唐郡 呉郡 呉興郡 銭唐県 富陽県
於潜県 塩官県
余杭県 武康県
臨安県
銭唐県 新城県
富陽県 於潜県
塩官県 海塩県 余杭県 武康県
臨安県

唐代

621年武徳4年)、李子通を平定すると、余杭郡は杭州と改められた。742年天宝元年)、杭州は余杭郡と改称され、江南東道に属した。758年乾元元年)、余杭郡は杭州と改称され、浙江西道節度使の管轄に置かれた。唐代の杭州は南北を連絡する運河か流れ、貨物の集散地とし発展、貞観年間(627年-649年)には人口が15万人であったものが、開元年間(713年-741年)には58万人を数え、広州揚州と並ぶ経済の中心となった。

また822年長慶2年)には白居易が杭州刺史として赴任、西湖の大規模水利事業を行っている。

杭州の管轄県は以下の8県

五代十国時代

五代十国時代には呉越が成立し杭州はその国都とされ西府(西都)と称された。

呉越国での西府管轄県は以下の通り

宋代

北宋

北宋が成立すると杭州は両浙路の路治が設置され、1107年大観元年)には杭州府に昇格した。当時は20万戸を数える江南地区最大の都市となっていた。1089年元祐4年)には蘇軾が杭州知州に任じられ、西湖の浚渫事業、水利事業を行っている。

杭州府の管轄県は以下の9県

南宋

南宋になると杭州はその全盛期を迎える。1129年建炎3年)、行宮が杭州に置かれると杭州府は臨安府と改称され、1138年紹興8年)には正式な遷都が行われ、杭州は南宋の政治・経済の中心地となった。また都城の防衛のために城壁の拡張工事が行われている。国都となった臨安府の人口は急増し、咸淳年間(1265年-1274年)には124万人にまで増加している。

臨安府の管轄県は以下の9県

元代

1276年至元13年)、南宋を滅ぼした元代は両浙都督府(後に江浙行省に移管)を設置、1278年(至元15年)に杭州路総管府が設置され杭州路と称されるようになった。下部行政区に関しては宋代のものを沿襲、塩官県が海寧州に改編されるなど小規模な異動にとどまっている。

1335年後至元元年)、杭州城内で大規模な火災が発生し15,755軒を消失し、元末に杭州城は大規模な再建事業が実施された。1358年至正18年)、張士誠による杭州城再建が行われ、周囲64,020尺、高さ30尺、厚さ40尺というそれまでの規模を上回る杭州城を再建された。

杭州路の管轄州県は以下の1州・8県




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