李グウ 慰霊碑

李グウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/20 06:53 UTC 版)

慰霊碑

原爆で死亡した朝鮮人を悼み、韓国人原爆犠牲者慰霊碑1970年4月10日に建設された。慰霊碑の場所は李が発見された本川橋の西詰めに建立された。その後、朝鮮総聯民団が慰霊碑の「韓国人」という表現を「朝鮮人」にすべきと揉めたが、最終的に「韓国人」と書かれた慰霊碑が平和公園内(かつての慈仙寺跡地付近)に移設された。

ギャラリー

栄典


注釈

  1. ^ 朴泳孝はもともと駙馬(王婿)であり、賛珠は極めて高貴な出自である。公妃として勲二等宝冠章[7]を経て、勲一等宝冠章に昇綬[8]

出典

  1. ^ 金乙漢 (2010-08-15). 조선의 마지막 황태자 영친왕. 페이퍼로드. p. 58. ISBN 978-89-92920-45-2 
  2. ^ a b 三井兵治 編 『朋友(ポンユウ)』東京新進堂、1922年、167頁。 NDLJP:970239/139
  3. ^ 『官報』第3916号「宮廷録事」、大正14年9月11日(NDLJP:2956065/3
  4. ^ わが武寮 1982 p.584-585
  5. ^ 『官報』第1766号「彙報」、昭和7年11月17日(NDLJP:2958237/5
  6. ^ 昭和10年宮内省告示第11号、(『官報』第1766号、昭和10年5月4日)(NDLJP:2958977
  7. ^ 『官報』第2498号「敍任及辭令」(昭和10年5月4日)(NDLJP:2958977/4
  8. ^ 官報』第5509号「叙任及辞令」昭和20年5月28日。p.219
  9. ^ 昭和20年宮内省告示第20号、(『官報』第5574号、昭和20年8月11日)(NDLJP:2962075/3
  10. ^ 昭和20年宮内省告示第21号、(『官報』第5574号、昭和20年8月11日)(NDLJP:2962075/3
  11. ^ a b c 『官報』第5574号「宮廷録事」、昭和20年8月11日(NDLJP:2962075/3
  12. ^ 昭和20年宮内省告示第22号、(『官報』第5592号、昭和20年9月1日)(NDLJP:2962094/7
  13. ^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」1929年10月28日。p.672
  14. ^ 『官報』第2043号「叙任及辞令」1933年10月21日。p.497
  15. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  16. ^ 『官報』第5048号「叙任及辞令」1943年11月9日。p.197


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