杉沢台遺跡 杉沢台遺跡の概要

杉沢台遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 17:23 UTC 版)

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杉沢台遺跡
杉沢台遺跡の位置


概要

日本海から3.3km、米代川下流域にあたる標高約35mの東雲台地北側とその斜面にかけて形成されており、米代川支流である竹生川に接した場所にある(JR五能線北能代駅東方約1km)。縄文前期を中心とする大規模な集落跡であり、範囲は35000m2に及ぶ。1980年秋田県教育委員会により4672m2の範囲で発掘調査と平成15年からの能代市教育委員会による発掘調査が行われた結果多数の遺構が確認され、この二度の調査により縄文時代、弥生時代平安時代の遺構・遺跡が発掘され[2]、また史跡周辺にも集落が広がっていることがわかった。

2018年にはこの地で出土した縄文前期の磨製石斧が、北海道日高地方の「アオトラ石」であると判明した。

長経31~16メートルの大型住居跡4棟をふくむ竪穴住居跡が44基、食料を保存するフラスコ状土坑(貯蔵穴)が109基検出されている。フラスコ状の貯蔵穴は底経と高さが2m程度のものが多く、そこに貝殻が捨てられていたものがあった。円筒下層式土器を出土する。

なかでも台地の最も高い場所にある、小判型で長径が31m、面積222平方メートルもある日本最大級の超大型住居が注目された。この大型住居は中央を境に柱の並び方が違い、何らかの役割の違いがあったのではないかと推定されている。また柱穴の重複関係から少なくとも3回は立て替えが行われたと考えられている。

集落の中心部に大型住居が位置するなど、この遺跡は、当時の人々の生活様式を知る上で多きな手掛かりとなる遺跡である。

能代市内では数少ない弥生時代の杉沢野遺跡が杉沢台遺跡の南に位置しており、周囲には金ヶ沢など製鉄を連想させる地名がある。

杉沢台遺跡は1981年(昭和56年)9月3日、3714.79m2が国の史跡に指定された[3]

出土品

石器類は石錘石匙が多い。網漁に用いられる石錘は2個の切目を持った切目石錘が多く、石匙は縦型のものが多い。

出土した縄文土器は筒形の円筒下層式土器であり、内面に焦げがあるなど煮炊きに使われた形跡があった。

縄文前期の磨製石斧2点が出土しており、この石斧は北海道日高地方だけにある緑色岩の一種「アオトラ石」で作られたものであることが鑑定で判明した。当時の交易の手掛かりになるとされる[4]。また近隣の能代市朴瀬にある古館1遺跡でもアオトラ石の塊が発見された。こちらは加工の跡がありこの地方では交易によって入手した石材で石斧を作っていた可能性がある。

参考文献

  • 『能代市埋蔵文化財調査報告書第17集 杉沢台遺跡』

関連項目


座標: 北緯40度15分19秒 東経140度03分04秒 / 北緯40.255306度 東経140.051028度 / 40.255306; 140.051028




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