本田邦久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/08 06:11 UTC 版)
経歴
石川県金沢市出身、14歳で橋本宇太郎に入門。1961年入段。1969年名人戦リーグ入り。1973年九段。1975年に関西棋院第一位決定戦の決勝で大山国夫を破って初優勝。1984年にNHK杯戦の決勝で、武宮正樹を破って優勝。
優勢な時の手堅さを「コンクリート」と称されたこともある。1989年の世界囲碁選手権富士通杯予選の上村邦夫八段戦では、先番41手まで中押し勝ちし、これは歴代2位の短手数記録。
若手時代のあだなは「ポンタ」だった[1]。
2020年6月15日に引退、通算1181勝667敗2分[2]。
タイトル歴
- NHK杯戦 1984年
- 関西棋院第一位決定戦 1975、76、97、2001年
その他の棋歴
国内棋戦
- プロ十傑戦 10位 1969年
- NHK杯戦 準優勝 1998年
- リコー杯ペア碁選手権戦 優勝 1998、99年(ともに青木喜久代とペア)
- 山陽特別二番碁 2002年 0-2 羽根直樹
- 棋聖戦リーグ 3期、名人戦リーグ 7期、本因坊戦リーグ 1期
国際棋戦
- 日中囲碁決戦
- CSK杯囲碁アジア対抗戦
- 2002年 0-2(×朴永訓、×王磊)
著作
- 『楽しい詰め碁入門 中級編』山海堂 1985年
(2002年に『中級者の詰碁入門』に改題)
- 『ヨセの強化トレーニング』マイナビ 2012年
(別冊月刊碁学の同題本の再版)
参考文献
外部リンク
- ^ 「現代の名局 橋本宇太郎2」(誠文堂新光社)P.135
- ^ 本田九段が引退(朝日新聞)
- 1 本田邦久とは
- 2 本田邦久の概要
固有名詞の分類
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