末續慎吾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/24 15:42 UTC 版)
経歴
熊本市立西原中学校、九州学院高等学校[2]、東海大学を経て、ミズノに入社。社内留学で東海大学大学院修了。現在は熊本陸上競技協会所属。
小学校時代に全国小学生陸上競技交流大会に出場し、同じ学年の池田久美子に走幅跳の記録上、負け(池田は5m19、末續は4m85)、走幅跳を競技しなくなる[3]。中学時代は、九州大会で100m2位に入った。
高校時代、国体の100mで2度優勝した。高1の時の県大会では、4種目[4] の後に顧問が止めたのにマイルリレーのアンカーを務め、走りきったあと倒れた。高3のインターハイの2週間前に体育の授業でバスケットボールの最中に体育館の窓ガラスにかかとを突っ込み15針を縫う怪我をするが出場し、100mでは決勝まで進出したものの8位[5]、優勝候補の200mでは25秒となり予選落ちした。
大学在学中に両親の離婚や、父との死別など不幸が重なり、陸上競技を続けることが経済的に困難となるが、2000年シドニーオリンピック代表入りし、陸連強化指定選手となり競技を続ける。なおそれまでは、食事が玉ねぎ一個だけであったり、練習時間を確保するため、深夜3時まで居酒屋の皿洗いのアルバイトをする等、苦境を乗り越えた末にオリンピック代表を勝ち取った。
2003年の世界陸上パリ大会では、8月29日の男子200m走決勝に進出し、20秒38で3位となった[6]。当時のフランス地元テレビ放送で「 Il est formidable, ce type. (すごい奴だ) 」と紹介され、銅メダルを獲得して高野と泣きながら抱き合う映像がフランス国内でも放映された[7](しかし男子4x100mリレーは足の故障発生により欠場)。同年10月8日には、3人目となる熊本県民栄誉賞を受賞した[8]。
2004年8月のアテネオリンピックは、前年世界陸上で銅メダルを獲得した200mを回避し、男子100mに専念するも、2次予選敗退に終わった。男子4x100mリレー決勝では第2走者を担当、惜しくも4位入賞で五輪メダル獲得にあと一歩届かなかった。
2007年世界陸上選手権での4×100mリレー決勝サブトラックでは、「朝原(宣治)さんにメダルを!」と発言した。この時も第2走者を務め、38秒03のアジア新記録をマークしながらも5位入賞に留まり、朝原と共に1年後の北京オリンピックで、再度メダル獲得に向けての再挑戦の意向を示していた。
2008年8月22日の北京オリンピック男子4x100mリレー決勝では第2走者として激走[注 2]、オリンピックにおける日本男子トラック種目で史上最高位の3位に入り、日本代表としても陸上競技のリレー種目では歴代初めてとなる悲願の銅メダルを獲得。その後、このレースで金メダルを獲得していたジャマイカチームのネスタ・カーターがドーピングの検体の再検査で禁止薬物の陽性反応を示したため、2017年に銀メダルに繰り上げとなっている[9]。 2008年10月以降は、疲労を理由に無期限休養を宣言。
2011年10月、3年ぶりにレースに復帰した[10]。
2012年、ロンドン五輪代表選考会でもある日本選手権への参加を目指し、5月19日の東日本実業団で出場したが、標準記録を切れずロンドン五輪出場の可能性は途絶えた。10月の国体では熊本県代表に選ばれ400mリレーでチームのアンカーとして予選と準決勝を走った[11]。
2013年、4月13日の熊本県選手権100mに出場し、江里口匡史に次ぐ2位に入った[12]。5月の東日本実業団100mでは去年に続き決勝に進出したが、準決勝で右脚を痛めたために決勝は棄権した[13]。9月の全日本実業団100mでは10秒54のシーズンベストをマークして5位[14]。10月の国体400mリレーでは昨年に続き熊本県代表のアンカーを務め、4位入賞を果たした。
2014年、4月19日の東京選手権100mに出場。利き足の右足を前に置くスタートではなく、左足を前に置いてスタートするという新しい走り方で挑み、準決勝で敗退した[15]。5月の東日本実業団100mは3年連続の決勝進出を果たして4位。6月の日本選手権は参加標準記録Aを切れなかったため、出場は叶わなかった。
2015年3月31日付でミズノを退社し[16]、4月1日よりプロの陸上選手として活動している[17]。
2016年4月1日付で星槎大学の特任准教授に就任した[18]。
2018年より自身の走ることに対する世界観を表現した「EAGLERUN」を起ち上げ、選手を続けながら指導やメディア出演などの活動を行っている。
注釈
出典
- ^ 末続のいとこ、千葉の松本が先発濃厚 - ゲキサカ 2008年3月7日掲載
- ^ “おしらせ 祭り九学会 復興祈念カレンダーを学院に贈呈”. 九州学院HOME (2016年12月26日). 2021年6月29日閲覧。
- ^ 読売新聞 (2013年11月13日). “箱根駅伝90回記念シンポジウム 第1部 末續慎吾トークショー”. 2013年11月17日閲覧。
- ^ 100m、200m、走幅跳、4×100mリレー。
- ^ 西日本新聞. “九州アマ列伝30 九州学院高 末続慎吾”. 2005年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月21日閲覧。
- ^ iaaf.org - World Championships in Athletics 2003 - Results 200 Metres M Final
- ^ 2003.08 Monde 200m M (capell,patton,suetsugu,fredericks) - YouTube(フランス語)
- ^ “末續慎吾選手(ミズノ)県民栄誉賞授与式の模様(2003-10-8)”. 熊本県体育協会. 2012年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月26日閲覧。
- ^ “男子400リレーのジャマイカ失格=日本は銀に繰り上がり-北京五輪ドーピング再検”. 時事通信. (2017年1月26日). オリジナルの2017年2月2日時点におけるアーカイブ。 2017年1月26日閲覧。
- ^ 末続が3年ぶりレース復帰 ロンドン五輪へ競技本格化 - 共同通信、2011年10月4日
- ^ 末續慎吾、再始動からの1年 - スポーツナビ、2012年10月30日
- ^ 末続 今季初レースで2位「3本走るのが目標だった」 スポニチ Sponichi Annex (2013-4-13) 2014年7月17日閲覧。
- ^ 福島200mV、末続100m棄権/陸上 日刊スポーツ nikkansports.com (2013-5-18). 2014年7月17日閲覧。
- ^ 2013年1月~2013年9月の試合結果一覧 ミズノ公式サイト (2013-9-22). 2014年7月16日閲覧。
- ^ 【陸上】末続、今季初レース「逆足発進」で10秒87 スポーツ放置 (2014-4-20). 2014年7月17日閲覧。
- ^ “末続慎吾がミズノ退社 4月から熊本陸協所属に”. 朝日新聞 (2015年3月20日). 2015年3月31日閲覧。
- ^ “アスリート紹介・末續慎吾(陸上競技)”. 株式会社チームアスリート. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “末続慎吾が星槎大の特任准教授に 現役も続行”. 日刊スポーツ (2016年4月6日). 2016年4月30日閲覧。
- ^ 小山裕史『奇跡のトレーニング』2004年講談社ISBN 4-06-212217-0
- ^ 高岡英夫の2003年7月公開論文
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