木枯し紋次郎 木枯し紋次郎の概要

木枯し紋次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/14 07:04 UTC 版)

紋次郎の生地上州新田郡三日月村のモデルとなった群馬県太田市藪塚町には、木枯し紋次郎の碑、テーマパーク「三日月村」があり、1998年には紋次郎記念館「かかわりーな」が開設された。

木枯し紋次郎の碑(太田市)

小説版

執筆と人気

1969年に『小説現代』編集長となった大村彦次郎は、1960年代からの中間小説誌の競争激化に応じた新しい企画の一つに、股旅小説の見直しとして『俺たちに明日はない』などのアメリカン・ニューシネマのような「ハードタッチな手法や感覚」を持ち込むことを考え、何人かの作家に意図を説明し、「新・股旅小説」と銘打って、柴田錬三郎「本邦博徒伝」を皮切りに伊藤桂一多岐川恭結城昌治菊村到三好徹青山光二らの作品を掲載した。1970年4月号掲載の笹沢左保の初めての時代小説「見返り峠の落日」が「スピーディーな文体、ニヒルな主人公、どんでん返しのある推理仕立て」で読者から好評となり、第1回小説現代ゴールデン読者賞を受賞、大村が吉村昭宅に行った際には津村節子にも褒められたという。タイトルに「峠」のつく峠シリーズ5篇を書き、続いて同一主人公のシリーズとして、1971年3月号の「斜面花は散った」で渡世人の紋次郎が登場し、それ以降このシリーズを毎号掲載した。「木枯し」という呼び名は、竹の楊枝をくわえて吹き鳴らす音から付けたものだった。[2][3] また5作目(1971年7月)「水神祭に死を呼んだ」で紋次郎は初めて「あっしは面倒なことに、関わりを持ちたくねえんでございます」という言葉を発している。

1973年6月までに第1期30話が書かれ、紋次郎が生死不明の状態で終了する。1975年3月から1978年3月まで第2期25話が連載。 唯一の長編『奥州路・七日の疾走』(1978年)の新聞連載の後、『新・木枯し紋次郎 舞って散った峠花』(1988年)が書かれ、続いて1984年11月から1988年7月までの連載が『新・木枯し紋次郎 舞って散った峠花』として単行本化された。1993年にフジテレビ開局35周年記念作品として制作されたドラマ『帰って来た木枯し紋次郎』が映画として劇場公開され、これは笹沢左保原案のオリジナルストーリーだったが、1995年2月から『小説新潮』で『帰ってきた木枯し紋次郎』シリーズが連載された。紋次郎は前作から10年を経て38歳という設定で、体力は衰え、思慮分別がついてきた人間として描かれ、また中山道板鼻宿に住み着いた姿で登場する。[4]

紋次郎の人気について尾崎秀樹は、股旅小説はもともと社会からの阻害者を描いているところに、現代人の持つ疎外感を「ハード・ボイルドを一度くぐり抜けた眼でとらえなおしているカッコよさにあるのではないか」と評し[5]、また井上俊は「かかわりのないこと」と言いながら事件に関わっていく「言行不一致」の中に「地縁的・血縁的な結びつき、あるいはそれを原型とする身うち集団を超えた、個人対個人のつながり」への願望があると分析している[6]。笹沢自身は「生活苦と消費文化という対極的な時代の天保昭和にも四つほどの共通点があるのではないか。それが読者の興味を惹くのではないだろうか。すなわち、政治不信、金権主義、明確な生きがいの欠如、漠然とした不安である」と述べている[7]

ストーリー

紋次郎は三日月村の貧しい農家の六男に生まれ、間引きされそうになったところを12歳上の姉お光の機転で助けられた。お光は嫁入り先で22歳で急死し、紋次郎は10歳で家を飛び出して放浪して生きるようになる。渡世人として名を知られるようになり、また自分で削る長さ五寸の長楊枝をいつもくわえており、息を吐く時に微妙な音がして、その楊枝を口から吹き矢のように飛ばす技も持っている。幼馴染の兄弟分に騙されて、身代わりとなって三宅島島流しになっていた紋次郎が島抜けをはかるところで「赦免花は散った」は始まる。その後、天保の飢饉で庶民が苦しむ中で、中山道東海道の宿場町で厄介ごとに巻き込まれていく。各話の最後の場面で、紋次郎が楊枝を何かに吹き刺すのがお約束でもあった。

作品では、天保から幕末にかけての時代に、渡世人・やくざの発生する要因までを描くことで、リアルな渡世人像を提示している。また笹沢左保の特質である孤独と人間不信の念が、義理人情では済まされないやくざ社会の反目や裏切り、結末のどんでん返しとして現れていると言える[8]。笹沢自身は「僕が考えたのはマカロニ・ウェスタンの時代を書こうということでした。フランコ・ネロのようなニヒルなカッコ良さ、クールで孤独な男です」と語っている[9]

「帰って来た」シリーズで笹沢は、精神的に成長した紋次郎を描きたかったとインタビューで語っており、また情景描写には終戦後すぐの頃に上州で過ごした経験を元にしているとも語っている[10]

出版リスト

(作品リストは笹沢左保#時代小説参照)

光文社文庫版(1997-98年)
  • 『木枯し紋次郎(一)赦免花は散った』
  • 『木枯し紋次郎(二)女人講の闇を裂く』
  • 『木枯し紋次郎(三)六地蔵の影を斬る』
  • 『木枯し紋次郎(四)無縁仏に明日を見た』
  • 『木枯し紋次郎(五)夜泣き石は霧に濡れた』
  • 『木枯し紋次郎(六)上州新田郡三日月村』
  • 『木枯し紋次郎(七)木枯らしは三度吹く』
  • 『木枯し紋次郎(八)命は一度捨てるもの』
  • 『木枯し紋次郎(九)三途の川は独りで渡れ』
  • 『木枯し紋次郎(十)虚空に賭けた賽一つ』
  • 『木枯し紋次郎(十一)お百度に心で詫びた紋次郎』
  • 『木枯し紋次郎(十二)奥州路・七日の疾走』
  • 『木枯し紋次郎(十三)人斬りに紋日は暮れた』
  • 『木枯し紋次郎(十四)女の向こうは一本道』
  • 『木枯し紋次郎(十五)さらば峠の紋次郎』
新潮文庫版(1997-2001年)
  • 『帰ってきた木枯し紋次郎』
  • 『帰ってきた紋次郎 同じく人殺し』
  • 『帰ってきた紋次郎 かどわかし』
  • 『帰ってきた紋次郎 さらば手鞠唄』
  • 『帰って来た紋次郎 悪女を斬るとき』
  • 『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』

映像化と経緯

テレビ局が制作費を調達[注釈 1]して下請けの制作会社に支給する「自主制作作品」とは異なり、放送枠を買った広告代理店が制作費を調達して制作会社に支給する「持ち込み制作作品」[11]で、広告代理店は電通、制作は電通の関連企業であるC.A.Lに一任された。

1971年の春頃、既にシリーズ監修と演出に決定していた市川崑からの要請で、電通ラジオ・テレビ局企画室・プロデューサーの松前洋一が、部下の坂梨港[注釈 2]大映東京宣伝部出身)を通じて、大映京都撮影所の美術監督だった西岡善信に本作への協力を打診した。この打診には、市川が古巣の大映京都で撮りたいと希望していたことと、大映本社の倒産危機、という切迫した状況でも制作可能か?という確認の意味も含まれていた。乞われるままに西岡が上京してみると制作準備はかなり進行しており、フジテレビジョンで『浮世絵 女ねずみ小僧』の後番組として、放送枠が「土曜日22時30分開始の1時間枠」であることやC.A.Lの制作、中村敦夫の主演も決定済みだった。市川は、大映京都撮影所の協力も決定したオールスタッフ打ち合わせの席で「好きに遊んでくれ(自分たちのやりたいようにやれ)」と激励し、当時20代から30代の若手がほとんどだった各パートを奮い立たせる[12][13]。しかし、第1部の2話分を撮り終えた1971年11月21日に大映が倒産。管財人による大映京都撮影所の差し押さえで、制作中断の危機に遭う。制作に参加した93人の大映京都撮影所スタッフ(大映の契約スタッフ)は、倒産した会社から給与も支払われず、早朝から深夜まで仕事を続行。「完成まで、仕事をさせて下さい。私たちに残っているのは活動屋根性だけです」という世間の常識を超えた西岡の訴えに根負けして、管財人は撮影所の差し押さえを1か月間延期する。その間の年明け早々には東映の紹介で、地元のレンタルスタジオだった日本京映撮影所で制作を継続。西岡たちは別資本の新会社「映像京都」も設立し、映像京都には、森一生三隅研次安田公義池広一夫井上昭ら10人の監督や、美術の内藤昭、撮影の宮川一夫森田富士郎、照明の中岡源権、録音の大谷巌以外にも、中村努や徳田良雄などの大映社員が参加した[14]

番組は「市川崑劇場」と銘打たれ、1972年の元日に放送開始された。市川は監修と、第1部の第1話から3話、18話の演出(監督)を務めている。

原作者の笹沢は元来、紋次郎は田宮二郎をモデルにイメージしていたが[15]、「主役は新人で」という市川の意向により、元・俳優座の若手実力派で、準主役級の俳優として活躍していながら、一般的な知名度は必ずしも高くはなかった、中村敦夫が紋次郎役に抜擢された。

劇中で、紋次郎が口にする決め台詞「あっしには関わりのないことでござんす」が流行語になった。しかし、テレビ版は「あっしにゃぁ関わりのねぇこって…」と答えるのが定番で、紋次郎の台詞の「ねぇ」が「ない」に替わり さらに、無宿の渡世人という設定から語尾に「…ござんす」が付けられ、誤って流布したものである。菅原文太主演の東映版では「…ござんす」となっており、結果として、東映版の決め台詞が普及したことになる。

主題歌「だれかが風の中で」は、市川の妻で、市川監督作品のほぼ全てに関わった脚本家の和田夏十が作詞し、フォークバンド「六文銭」を率いるフォークシンガー小室等が作曲した。その力強く希望に満ちた歌詞と、西部劇のテーマ曲を思わせるような軽快なメロディーは[16]上條恒彦の歌声と相まって、時代劇には似つかわしくないものだったが、その新鮮さが幅広い支持を得ることになり、結果的に1972年だけで、シングル23万枚を売り上げる、同年度屈指の大ヒット曲となった。

本作品は、これまでの股旅物の主流であった「義理人情に厚く腕に覚えのある旅の博徒(無宿人)が、旅先の街を牛耳る地回りや役人らを次々に倒し、善良な市井の人々を救い、立ち去っていく」といった定番スタイルを排し、他人との関わりを極力避け、己の腕一本で生きようとする紋次郎のニヒルなスタイルと、主演の中村敦夫のクールな佇まいが見事にマッチした。22時30分開始というゴールデンタイムから外れた時間帯にもかかわらず、第1シーズンでは毎週の視聴率が30パーセントを超え、最高視聴率が38パーセントを記録する大人気番組になった[17]殺陣師の美山晋八は、それまでの時代劇にありがちだったスタイリッシュな殺陣を捨て、ひたすら走り抜ける紋次郎など、博徒の喧嘩も想定した殺陣を独自に考案した。当時の博徒が銘のある刀を持つことなどありえず、刀の手入れをすることもないため、通常時代劇に見られる「相手が斬りかかってきた時に、刀で受ける」などの行為は自分の刀が折れてしまうので行わず、また、正式な剣術を身につけていないため、刀は斬るというより、振り回しながら叩きつけたり、剣先で突き刺すといった目的で使われるなど、リアリティを重視した擬斗がシリーズ全編を通して展開されている。主演の中村敦夫が途中でアキレス腱を切る事故に見舞われたが、その後のスタンドインを大林丈史阿藤海が務めることで制作は続行された[18]

ノンクレジットで参加したフジテレビジョン編成部の金子満プロデューサーは、過去にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーでアシスタント・プロデューサーも担当した経験から「テレビで血を見せると絶対に茶の間から拒否され、ヒットしない」という信念を持っており、第1話の試写でも市川崑が演出した凄惨なアクション シーンに「これでは受け取れません」と、毅然とした態度でNGを告げて周りを仰天させる。テレビ番組における金子の持論に対し、市川も「そういう方針もあるよね。ようし、それでいこう」と理解することで、金子は「血はともかく、映像は素晴らしいものだった」と当時を回願する[18]。近年の金子はシナリオ制作に必要なリマインダー[19]の存在も指摘しており、「喧嘩の仕方や衣裳、食事もヤクザらしいリアリティを持たせて描き、最初と最後には情緒たっぷりのナレーションを毎回、同じ時間に同じ場所で流す」本作品ならではの特色をポジティブ・リマインダー、「絶対に血のアップを撮らせない」特色をネガティブ・リマインダーと命名した。後者のネガティブ・リマインダーを守れなかった後の作品は、フジテレビ版より人気を得られなかったと分析している[20]

1977年には『新・木枯し紋次郎』(全26話)が製作され、東京12チャンネルで放映された。中村敦夫は主演だけでなく、やしきたかじんが歌う主題歌「焼けた道」(作曲:猪俣公章)の作詞も手がけたが、ヒットには至らなかった。本作の紋次郎の決め台詞は「あっしには言い訳なんざ、ござんせん」だったが、これも前作ほどの話題とはならなかった。

1993年には、中村敦夫主演で映画『帰って来た木枯し紋次郎』が東宝配給で制作された。こちらは従来の中村敦夫主演のテレビ版の続編であり、このために原作者の笹沢左保が新たにシノプシスを書き下ろし(小説としては発表されていない)、監督も市川崑が務めた。主題歌も、テレビ版の『だれかが風の中で』が使われている。この作品は紋次郎の台詞が、東映版に準じた「あっしには関わりのねぇことでござんす」となっている。フジテレビ系列で、後にテレビ放映された。

1990年には岩城滉一2009年には江口洋介の主演で、単発のスペシャル ドラマが製作された。


注釈

  1. ^ スポンサーからの広告料でも足りない制作費は、テレビ局が負担。
  2. ^ 電通の企画プロデューサーとして、『一休さん』『まんがことわざ事典』『まんが日本史 (日本テレビ)』『松本清張作家活動40年記念ドラマ』などのアニメ作品や数々のドラマ作品を手がけた。
  3. ^ 紋次郎の設定はほぼ原作に準じているが、唯一、口に咥えている楊枝は見栄えを考え、かなり長く設定されている。
  4. ^ バックのカラオケはいずれも、1番のものを使用。
  5. ^ 主演の中村に勧められ、同話冒頭に「通りすがりの忠七を呼び止め、同行を依頼する三下の渡世人」役で、素顔で出演している。NGを連発した経験から、これ以降、テレビドラマの出演は無い。
  6. ^ 本編9枚組+特典ディスク。

出典

  1. ^ 縄田一男「解説」(『木枯らし紋次郎(一)斜面花は散った』光文社文庫、1997年)
  2. ^ 笹沢左保「あとがき 紋次郎とぼくの長い長い旅」(『木枯し紋次郎 人斬りに紋ひは暮れた』光文社文庫 1998年
  3. ^ 大村彦次郎『文壇うたかた物語』ちくま文庫、2007年(第7章 笹沢左保の「木枯し紋次郎」)
  4. ^ 縄田一夫「解説」(『帰って来た木枯し紋次郎』新潮文庫 1997年)
  5. ^ 尾崎秀樹『殺しの美学 チャンバラ剣豪伝』旺文社文庫 1985年
  6. ^ 井上俊『死にがいの喪失』筑摩書房、1973年
  7. ^ 笹沢左保「無宿人に現代人の”分身”を見た」(『月刊現代』1971年10月号
  8. ^ 縄田一男、永田哲朗『図説 時代小説のヒーローたち』河出書房新社、2000年
  9. ^ 吉原敦子『あの本にもう一度-ベストセラーとその著者たち』文藝春秋、1996年
  10. ^ 清原康正「解説」(『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』新潮文庫 2001年)
  11. ^ 『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁
  12. ^ 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(著:能村庸一、発行:東京新聞出版局)179 - 180頁
  13. ^ シリーズ・広告人インタビュー2012 <第7回>松前洋一氏”. (早稲田大学)土屋礼子ゼミジャーナル. 2013年10月31日閲覧。
  14. ^ 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』183 - 184頁
  15. ^ ただ一人の主役、紋次郎のキャスティング”. 木枯し紋次郎の風景・・・上州長脇差のダンディズム (2007年5月22日). 2014年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
  16. ^ 「小室等が語る主題歌『だれかが風の中で』誕生秘話」”. WEBサライ小学館) (2009年9月24日). 2014年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
  17. ^ 『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁
  18. ^ a b 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』185頁
  19. ^ 『コンテンツを面白くする シナリオライティングの黄金則』(著:金子満、発売:株式会社ボーンデジタル)226頁からの記述によれば、英語のReminderとは「思い出させるもの」という意味を指す。著者の金子は視聴から長い時間を経ても、その映像コンテンツを思い起こさせる印象的な筋立てや描写などを「リマインダー」と定義している。
  20. ^ 『コンテンツを面白くする シナリオ ライティングの黄金則』234 - 235頁
  21. ^ a b 中村敦夫が語る、“木枯し紋次郎の時代”とは”. WEBサライ小学館) (2009年9月15日). 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
  22. ^ a b c 北國新聞』1972年12月16日付朝刊、テレビ欄。
  23. ^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。
  24. ^ キネマ旬報/www.kinenote.com/main/public/cinema/person.aspx?person_id=105766
  25. ^ 本編予告編に映像あり
  26. ^ “九月配収の概要”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1973年1月1日) 
  27. ^ “大作挑戦の布陣が目立つ邦画四社の九月以降態勢 東宝八月以降番組”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1974年8月17日) 






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