木村庄之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/21 02:36 UTC 版)
大阪行司
代 | 備考 | 履歴 |
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木村兵丸 | (大坂相撲) | |
木村錦太夫 | 大坂相撲の行司岩井正朝の弟子 | 木村金八→信之助 |
2代木村正直 | 大坂相撲の名行司木村越後(初代正直、8代玉之助)の弟子 | 木村藤吾 |
木村金吾 |
木村庄之助の記録
代 | 記録 |
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6代 | 江戸相撲の現存最古の番付が発行された当時の庄之助。木村庄之助正武を名乗り、以来幕末までの歴代の諱は「正武」と称した。 |
7代 | 在位最年長(29年)。珍しい左利きで軍配を持つ。 |
8代 | 2代木村瀬平を襲名。1827年に先祖書を幕府に提出。 |
9代 | 引退後に復帰して10代庄之助として再勤。 |
13代 | 年寄・木村松翁を襲名。 |
15代 | 年寄・木村松翁を襲名。 |
16代 | 初めて木村・式守両家を名乗る。晩年は中風症のため手が震え「ブル庄」の異名をとった。 |
17代 | 初めて式守伊之助より継承。差し違いの責任を取り廃業(「概要」の項参照)。 |
18代 | 17代目の突然の廃業、12代伊之助の引退が重なり、伊之助を経ず襲名。能筆で「顔触れ」は名人級と評される。 |
20代 | 唯一「松翁」の名誉尊号を番付上に冠した。 |
21代 | 12代立田川を襲名。玉之助(当時は立行司)襲名からわずか2年半余りで庄之助襲名。 |
22代 | 木村庄之助として行司停年制初の停年退職。稀にみる長寿(104歳で死去)。 |
23代 | 式守伊之助を経験せず襲名。稀にみる長寿(96歳で死去)。 |
24代 | 停年後は神官職となる。 |
25代 | ストライキ主導と差し違いの責任を取り廃業。(詳しくはこちらを参照)。 |
27代 | 史上最年少の51歳で襲名。在位最多場所(79場所)1185番を裁く。稀にみる長寿(97歳で死去)。 |
28代 | 平成の名行司。 |
32代 | 在位1場所は行司定年制実施後では最短。 |
38代 | 41代伊之助を襲名していた当時、庄之助は空位であったが、差し違えや転落などのハプニングが多かった影響で5年間伊之助に留まる。 停年退職直前の1月場所に当たる2024年1月場所で庄之助襲名。 |
木村庄之助として裁いた時代についての記録
代 | 記録 |
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16代 | 「梅・常陸時代」全盛期の名行司。 |
20代 | 「双葉山時代」全盛期を裁いた名行司。 |
22代 | 「栃・若時代」全盛期を裁く。 |
23代 | 「柏・鵬時代」初期を裁く。 |
24代 | 「柏・鵬時代」全盛期の名勝負を裁く。 |
25代 | 「柏・鵬時代」後期から「北・玉時代」を裁く。 |
26代 | 「輪・湖時代」初期を裁く。 |
27代 | 「輪・湖時代」全盛期から「千代の富士時代」を裁く。 |
28代 | 「曙・貴時代」初期を裁く。 |
29代 | 四横綱(曙、貴乃花、3代若乃花、武蔵丸)時代を裁く。 |
脚注
木村庄之助と同じ種類の言葉
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