書経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 05:22 UTC 版)
注釈
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『書経』に付けられた注釈としては、以下の例がある。
- 『尚書』孔安国伝
- 先述したように、偽作されたもの。
- 『尚書』鄭玄注
- 亡佚。他書に引用からされた文章から復元されたものがある。
- 『尚書正義』
- 『書集伝』
- 『尚書後案』
- 『尚書今古文注疏』
- 『古文尚書撰異』
- 清の段玉裁撰。
近年の再発見
2008年7月、清華大学は2000枚あまりの戦国時代の竹簡を得た。これは実業家の趙偉国が海外から購入して清華大学に寄贈したもので、「清華簡」と呼ばれる。専門家の鑑定によれば、この竹簡は戦国時代中期から晩期(今から2300-2400年前)の楚のものである。清華簡には『尚書』の多くの篇が含まれており、焚書坑儒以前の写本である。その中のあるものは現行の『尚書』にも存在する篇だが(「金縢」「康誥」「顧命」など)、その文言には多くの差異があり [36] 、篇題が異なっているものもある。さらに多いのは今まで知られなかった佚篇で、たとえば『尚書』の名篇「傅説之命」は先秦の文献が引用している「説命」と一致し、現行の偽古文「説命」とはまったく異なる [37] 。
2009年4月現在、清華簡はその1⁄3が初歩的な解読を終えている。2009年までに内容が発表されたものは2種類で、「保訓」と周の武王の時代の楽詩である。「保訓」にはもと題がついておらず、専門家によって本文内容をもとに題がつけられた。内容は周の文王が臨終の際にその子の発(武王)に述べた遺言である。楽詩は周の武王が文王の宗廟で「飲至」の典礼を行うに際し、酒を飲むときにうたう歌で、『楽経』の原文の疑いがある。
今までに整理された清華簡のうち、古代の『尚書』の佚篇の疑いのあるものには「尹至」「尹誥」「説命」「程寤」「保訓」「金縢」「皇門」「祭公」「厚父」「封許之命」がある。うち「厚父」の中の一段である「天降下民、作之君、作之師、惟曰其助上帝寵之」は『孟子』に『書』からの引用として引かれている。しかし、『偽古文尚書』ではこの文を「周書・泰誓」に含めてしまっている[38]。
日本との関係
書経が日本に伝来した年代は明らかではないが、継体天皇の時代に五経博士の段楊爾・高安茂が相次いで来朝したという記録があるため、この際伝来したものといわれる[2]。
日本の元号
「昭和」や「平成」といった日本の元号は、『書経』の中の言葉に典拠がある。「昭和」は『書経』堯典「百姓昭明、協和万邦」に由来し、「平成」は『書経』大禹謨「地平天成」に由来する。但し、『書経』大禹謨は偽作の篇であり、「地平天成」の語はもともと『春秋左氏伝』に基づく言葉である[39]。
日本の国宝
- 古文尚書巻第六[40] - 1巻/紙本墨書/縦26.0cm 全長328.0cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東京国立博物館蔵
- 古文尚書巻第三、第五、第十二 - 1巻/紙本墨書/縦26.7cm 全長1138cm/紙背『元秘抄』/7世紀(唐時代)/東洋文庫蔵
これらは同系の写本であり、広橋家が所蔵していた広橋本の一つである。唐の太宗李世民(在位626年 - 649年)の諱を避けていないため、それ以前の伝本をもとに写本したと考えられる。
所々隷書体が使われており、前述の「隷古定尚書」と考えられている。他の唐鈔本や敦煌本に比べて隷書が使われている箇所が多く、現存する最古の鈔本とされている。なお紙背には高辻長成の『元秘抄』が室町時代に書写されている。
南宋刊本のいわゆる越州八行本。淳熙(1174年 - 1189年)前後の両浙東路茶塩司刻本。
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