昨日のつづき 昨日のつづきの概要

昨日のつづき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/13 09:15 UTC 版)


注釈

  1. ^ 大橋巨泉は前年の開局前夜祭に於いて原型になった番組が放送されたとしている。
  2. ^ 前田は2年後の1973年にも夜のヒットスタジオでの「共産党バンザイ事件」を巡り、番組の司会を降板している。
  3. ^ 小谷正一1953年東京都千代田区有楽町1丁目の蚕糸会館ビル 6階にラジオ・テレビ局の公開番組用の賃貸ホールとして開設した。「ビデオホール」とも通称されていた。近隣のよみうりホール1957年開設)と混同される事が多いが全くの別物である。
  4. ^ 当時、開局したばかりのラジオ関東は自社のスタジオを所有していなかったため、収録から番組制作までを東京ヴィデオ・ホールで全て行っていた。昼間のスケジュールは各放送局の公開番組の収録に当てられる為、非公開の当番組は夜中の時間帯が割り当てられていた。

出典

  1. ^ a b 2010年10月23日「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」での大橋巨泉の発言より。[出典無効]
  2. ^ a b c 「永六輔 ラジオとその草創期を語る」『笑芸人 Vol.14』、26頁、白夜書房、2004年。
  3. ^ 「放送デスクメモ」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第49号、日本マスコミ市民会議、1971年6月1日、57 - 58頁、NDLJP:3463710/30 
  4. ^ 「“消された"テレビ番組――マスコミの現実とこれからのたたかい / 田英夫」『社会主義』第234号、協同文化社、1971年6月1日、66 - 71頁、NDLJP:1415658/35 
  5. ^ 「「ラジオ関東」で起きた“社長告訴”の背景 / 匿名希望」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第65号、日本マスコミ市民会議、1972年10月1日、20頁、NDLJP:3463726/12 
  6. ^ 中原弓彦「死体置場の片隅から」 『ヒッチコック・マガジン』1960年12月号、宝石社。
  7. ^ 「永六輔 ラジオとその草創期を語る」『笑芸人 Vol.14』、27頁、白夜書房、2004年。
  8. ^ a b 今週の遺言 第136回「巨泉・前武」ではなく「前武・巨泉」が正しい 彼は話術の天才であった(2016年7月24日時点のアーカイブ)」KYOSEN.com 2011年9月03日号、2016年7月23日閲覧。
  9. ^ 高田文夫「私の芸能さんぽ」第3回『小説現代』2017年1月号。


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