明治三陸地震 被害

明治三陸地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 08:08 UTC 版)

被害

日本国内[17][19][20]
行方不明者が少ない理由について、震災後当初は宮城県の一部や青森県では検死を行い、死者数と行方不明者数を別々に記録し発表していたが、「生存者が少ない状況で煩雑な検死作業をしていられなかった」というなかで「検死を重視していなかった」などの社会背景により、「行方不明者」という概念はなくなり、死亡とみなされる者はすべて「溺死」あるいは「死亡」として扱われた[21]
  • 人的被害
    • 死者・行方不明者合計:2万1959人(北海道:6人、青森県:343人、岩手県:1万8158人、宮城県:3,452人)
      • 死者:2万1915人
      • 行方不明者:44人
    • 負傷者:4,398人
  • 物的被害
    • 家屋流失:9,878戸
    • 家屋全壊:1,844戸
    • 船舶流失:6,930隻
    • その他:家畜堤防橋梁・山林・農作物・道路などの流失・損壊。
日本国外
日本国外への余波」の節を参照のこと。

メカニズム

明治三陸地震は、震度が小さいにもかかわらず巨大な津波が発生し2万人を超える犠牲者が出た。これは、この地震が巨大な力(マグニチュード8.2- 8.5)を持ちながら、ゆっくりと動く地震であったためである[22]。最近の研究では、このとき、北アメリカプレート太平洋プレートが幅50km、長さ210kmにわたって12 - 13mずれ動いたことが分かってきた[23]。太平洋プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量に溜まっており、それが数分にわたってゆっくり動いたと推定される。その独特の動きが激しく揺れる地震波よりもはるかに大きなエネルギーを海水に与えたと考えられる[22]。また、地震動の周期自体も比較的長く、地震動の大きさのわりに人間にはあまり大きく感じられない、数秒周期の揺れが卓越していた。このため、震度が2 - 3程度と小さく、危機感が高まりにくかったと考えられる。

この地震により震源域の海水は64km3が海面より持上げられ、強大な津波を発生したと推定されている[24][25]

2011年に発生した東北地方太平洋沖地震では地震波の解析によりプレート境界において、陸地側の深部における高周波地震動を伴う断層の滑りと、海溝側の浅部におけるダイナミックオーバーシュートと呼ばれる低周波地震動を伴う蓄積量を越える滑りが交互に発生したと推定されている。このうち、強大な津波を発生させたのは海溝側の浅部の滑りであり、明治三陸地震では海溝側の浅部における滑りのみが発生したものと理解される[26][27]

日本では後年、明治三陸地震や1946年アリューシャン地震のような地震発生時の地殻変動が通常の地震に比べて急激ではなくゆっくりと長時間続く地震を「ゆっくり地震」、それにより地震動が小さいにもかかわらず大きな津波を発生させることのある地震を「津波地震」と言うようになった[24][28]

規模

震度分布に基づき、河角廣はMK = 5.4としてマグニチュード M = 7.6を与えていた(M = 4.85 + 0.5 MK[29])。また、周期約20秒の地震波に基づく表面波マグニチュード (Ms) は7.2[30] - 7.4[31]、あるいはMs 7.9[28]と推定されていた。

震源断層モデルからモーメントマグニチュード (Mw)地震モーメントM0 = 5.9×1021N・m[32] (Mw = 8.4)、あるいはM0 = 6.3×1021N・m[28] (Mw = 8.5)、と推定され、津波マグニチュード (Mt) は日本近海の津波遡上高から8.2、また日本国外に波及した津波の規模から8.6にも達するとの推定もある[31][33]


注釈

  1. ^ a b 綾里崎の項も参照。
  2. ^ 震度分布に基づいて長らくマグニチュード7.6とされてきたが、津波の大きさを考慮して数値が改められた(『理科年表 平成18年』)。
  3. ^ a b 津波の遡上高とは、陸を駆け上って到達した高さ。
  4. ^ 船越湾の項も参照。
  5. ^ 重茂半島の項も参照。
  6. ^ 釜石湾の項も参照。
  7. ^ 綾里漁港”. 2011年5月26日閲覧。
  8. ^ この記録は、2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による津波で最大溯上高40.1mを記録したことにより、更新されている。出典:現地調査結果”. 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ (2012年1月14日). 2012年2月9日閲覧。
  9. ^ 田野畑村#津波石も参照。
  10. ^ 技術三室” (PDF). (公式ウェブサイト). 東京大学地震研究所. 2011年5月22日閲覧。:錦絵瓦版『明治丙申三陸大海嘯之實況』等の画像資料等あり。
  11. ^ 特集:津波を知る”. 広報誌『なるふる』(公式ウェブサイト). 日本地震学会 (1999年3月). 2011年5月26日閲覧。:錦絵瓦版『明治丙申三陸大海嘯之實況』の画像資料あり。

出典

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  2. ^ a b c 中央気象台 地震報告原簿明治廿九年六月十五日
  3. ^ a b 大森(1901)
  4. ^ a b 米地文夫, 今泉芳邦「地名「三陸地方」の起源に関する地理学的ならびに社会学的問題 : 地名「三陸」をめぐる社会科教育論(第1報)」『岩手大学教育学部研究年報』第54巻第1号、岩手大学教育学部、1994年、131-144頁、doi:10.15113/00011572ISSN 0367-7370NAID 1100001091382021年12月13日閲覧 
  5. ^ 北原糸子他 座談会(後編)「災害の歴史から何を学び、どう向き合うか 災害列島に生きた人々」/ 保立道久・成田龍一監修、北島糸子他著『津波、噴火、、、日本列島地震の2000年史』 朝日新聞出版 2013年 110-111ページ
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  8. ^ 谷岡 『月刊地球』 Vol.25
  9. ^ 力武(1994)
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  11. ^ 明治廿九年六月十五日海嘯槪況報告 岩手縣宮古測候所 驗震時報第7巻第二號(昭和八年八月) pp.363-370 (PDF)
  12. ^ “宮古の津波遡上38.9メートル 明治三陸超える”. 岩手日報(ウェブサイト) (岩手日報社). (2011年4月16日). http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110416_3 2011年4月19日閲覧。 
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  14. ^ 三好(1984)
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  30. ^ 阿部勝征、日本付近に発生した津波の規模(1498年-2006年)
  31. ^ a b 阿部勝征(1988)、「津波マグニチュードによる日本付近の地震津波の定量化」『東京大学地震研究所彙報』 1988年 63巻 3号 p.289-303.hdl:2261/13019, 東京大学地震研究所
  32. ^ 相田勇(1977)、「三陸沖の古い津波のシミュレーション」『地震研究所彙報』 1977年 52号 p.71-101, hdl:2261/12623, NAID 120000871427
  33. ^ 安部 『月刊地球』 Vol.25
  34. ^ a b c 2011年 東北地方太平洋沖地震 過去に起きた大きな地震の余震と誘発地震”. (公式ウェブサイト). 東京大学地震研究所 広報アウトリーチ室 (2011年4月). 2012年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月26日閲覧。






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