日食
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日食の一覧
文化
- 天岩戸
- 天狗 (中国) - 月と太陽を食べて日食と月食を起こす、9つの太陽を撃ち落とした羿の飼っていた猟犬。嫦娥の残した薬を舐めて巨大化・狂暴化し嫦娥を追いかけて天に上った。天狗食日(月)を止めさせるため地上では爆竹や銅鑼や太鼓を打ち鳴らすこととしている。
脚注
参考文献
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- 小沢賢二『中国天文学史研究』汲古書院、2010年2月。ISBN 978-4-7629-2872-7。OCLC 587064654。
- 小沢賢二『春秋の暦法と戦国の暦法』、(第4章)頁。
- 斉田博『おはなし天文学3 地球の雲状衛星』地人書館、1975年。
- 斎藤国治、小沢賢二『中国古代の天文記録の検証』雄山閣、1992。ISBN 4-639-01112-1。
- 斉藤国治『星の古記録』岩波書店〈岩波新書 黄版 207〉、1982年10月20日。ISBN 4-00-420207-8。OCLC 833378540。
- Ian Ridpath 編、岡村定矩 監訳 訳『オックスフォード天文学辞典』(初版第1刷)朝倉書店〈オックスフォード辞典シリーズ〉、2003年11月28日。ISBN 978-4-254-15017-9。OCLC 123053781。
- 原著の新装版:Ridpath, Ian (2018) (英語). A dictionary of astronomy. Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-1918-5119-3. OCLC 1078186411. 別題:Oxford dictionary of astronomy.
- 『金環日食2012』株式会社アストロアーツ、2013年。
- 『戦国楚簡研究2007』(第45号)大阪大学中国学会〈『中国研究集刊』別冊〉、2007年12月28日。ISSN 09162232。 NCID AN10163337 。
- 国立天文台 編『理科年表 平成26年』(第87冊 机上版)丸善出版、2013年11月26日。OCLC 939447899。
- 谷田貝豊彦 ほか 編『光の百科事典』丸善出版、2011年。ISBN 978-4-621-08463-2。
関連項目
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注釈
- ^ 実際には月の平均視直径は31分、太陽は32分で、太陽がわずかに大きいが、肉眼では判別できない。
- ^ もちろん、実際は地球が太陽の周りを1年で公転しているのであるが、日食の原理を理解するためには、視点を変え、太陽が天球の上を動いていると考えるとわかりやすい。
- ^ 360度÷365.2422日≒1度/日
- ^ 360度÷27. 32日≒13度/日
- ^ 29.5306日×12≒354日
- ^ 月が近地点にあれば大きく見えて白道上を早く移動し、地球が遠日点にあれば太陽は小さく見えて黄道上をゆっくり動く、等。
- ^ 現実には月や地球は他の惑星などの摂動を受け、運行は複雑なものになるが、ここでは考慮しない。
- ^ 「天文学者」と表記した書籍もあるが、当時の中国には現在のような天文学者という職種は無かった。実際には、暦の作成のために天体観測をする官僚である。
- ^ 胤征の『尚書』の「乃季秋月朔,「辰弗集于房,瞽奏鼓,嗇夫馳,庶人走。」羲和尸厥官,罔聞知,昏迷于天象,以干先王之誅。」[3]を指す。『史記』「中康」に見える「帝中康時,羲、和湎淫,廢時亂日。胤往征之,作胤征。」[4]、また『今本竹書紀年』の「秋九月庚戌朔,日有食之。命胤侯帥師征羲和。」[5]も同じ出来事を指すと考えられている。この他、『春秋左氏傳』に見える「故夏書曰.辰不集于房.瞽奏鼓.嗇夫馳.庶人走.此月朔之謂也.當夏四月.是謂孟夏.」[6]は時期が異なるが関連すると考えられている。
- ^ [7][8]、その他による。従来の研究では三統暦などをもとに中康の在位を紀元前2100年頃と推測し、この時期の秋の日食から比定されたが、皆既日食が起きなかったもの、皆既日食は起きたが長安では見られなかったものなどであり、『書経』の記述に完全に一致するものは見つかっていない。「胤征」はいわゆる偽古文尚書の一篇であるのでこの記述が信頼できないという見方もある。近年の研究では、斎藤国治と小沢賢二の共同研究のように、中康の在位期間を見直して紀元前1900年頃に比定するものがある[9]。
- ^ 『春秋左氏伝』に類似した内容の記事が昭公26年(516年)の条に載せられているが、桓公ではなく景公のこととされ、かつ公が恐れたのは彗星とされている。だが、魯国の記録とされている『春秋』経本文には、対応する彗星に関する記事は無いこと(短時間かつ地域が限定される日食と違い、彗星ならば数日間にわたって地球上の広範な地域で観測可能である)、そもそも「彗星」という呼称は戦国時代以後に発生したもので当該記事以外の『左氏伝』の記事では春秋時代当時の呼称である「星孛」で統一されていることから、『左氏伝』の記事は元は桓公と日食の話であったものが戦国時代以後に景公と彗星の話として誤って混入された可能性が高いとされる。また、小沢賢二は戦国時代に日食予報が行われるようになったことで日食に対する見方が変化したことも日食→彗星への変化の一因としている[10]。
- ^ 『源平盛衰記』には、「天にわかに曇り日の光も見えず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失って」とある。
- ^ 同じく理科年表によれば、中国ではメトン周期を「章法」と呼び、紀元前4世紀版頃に独立して発見した[2]。
- ^ ここで扱っている数値は煩雑を避けるため丸めてあるので、ある数値とその倍数が細部で一致しない。一例として、1朔望月はより正確には29.530589日であり、その223倍は6585.321347日となる[2]。
- ^ 3サロス周期をギリシャ語でエクセリグモス(exeligmos)と呼ぶ。
- ^ 2150年、2168年、2186年、2204年、2222年の5回。
- ^ 皆既日食の場合のみでなく、金環日食の場合でも、減光フィルターなどを通して見られる。
- ^ ダイヤモンドリングの語の初出は1925年1月24日の日食で皆既中心食の南限界線がニューヨーク市を通った時で、この食を見た市民が「ダイヤモンドの指輪(ダイヤモンドリング)のようだ」と言ったのが新聞に取り上げられたものである[13]。
- ^ ラーフは仏教の釈迦の息子の名・ラーフラ(Rāhula。漢訳、羅睺羅、らごら)にも用いられたことで知られる。ただし、ラーフラについては別の説もある。古代のインド語では「ラーフ」はナーガ(竜)の頭、「ケートゥ」は尻尾をも意味した。そしてシャカの一族のトーテムは、他ならぬナーガであった。このことからラーフラとは古代インドの言い回しで「竜の頭」を意味したと考えられ、「ナーガの頭になる者」が生まれたことを歓喜した釈迦が名づけたという説である。根拠は古来インドでは一族の跡継ぎがなければ出家することはできず出家を願っていた釈迦には息子の誕生はまたとない吉報であること、また釈迦の父・浄飯王もこの命名を喜んでいることである。
出典
- ^ a b オックスフォード天文学辞典 2003, p. 304.
- ^ a b c d 理科年表 2013.
- ^ (中国語) 尚書/胤征, ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語) 史記/卷002#中康, ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語) 今本竹書紀年/夏紀#五年_2, ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語) 春秋左氏傳/昭公#昭公十七年, ウィキソースより閲覧。
- ^ 斉田 1975, pp. 19–31.
- ^ 斉藤 1982, pp. 44–47.
- ^ 斉田 & 小沢 1975.
- ^ 小沢 2010b.
- ^ “スコープ2012:21日に金環日食 源平水島合戦、勝敗分けた天文知識 日食予測、平家が勝利 /岡山”. 毎日新聞. (2012年5月19日)[リンク切れ]
- ^ “江戸時代の金環日食観測は”. NHK. (2012年5月19日)
- ^ 『金環日食2012』 株式会社アストロアーツ 2013年
- ^ Dyson, F.W.; Eddington, A.S.; Davidson, C.R. (1920). “A Determination of the Deflection of Light by the Sun's Gravitational Field, from Observations Made at the Solar eclipse of May 29, 1919”. Phil. Trans. Roy. Soc. A 220 (571–81): 291–333. Bibcode: 1920RSPTA.220..291D. doi:10.1098/rsta.1920.0009. オリジナルのNovember 3, 2020時点におけるアーカイブ。 2019年8月27日閲覧。.
- ^ 日食観察用グラスの使用に当たっての注意喚起 消費者庁
- ^ “Five Tips from NASA for Photographing the Total Solar Eclipse on Aug. 21” (英語). NASA (2017年8月10日). 2020年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月21日閲覧。
- ^ a b 日本天文協議会、日本眼科学会、日本眼科医会、2012「別紙 2012年5月21日(月曜日) 日食を安全に観察するために」『平成24年5月21日の日食の観察における幼児・児童・生徒の安全確保に係る注意事項について(平成24年4月18日文部科学省研究開発局参事官(宇宙航空政策担当)付事務連絡)』2012年2月
- ^ Gray, S. L.; Harrison, R. G. (2012). “Diagnosing eclipse-induced wind changes”. Proceedings of the Royal Society 468 (2143): 1839–1850. Bibcode: 2012RSPSA.468.1839G. doi:10.1098/rspa.2012.0007. オリジナルの2015-03-04時点におけるアーカイブ。 2015年3月4日閲覧。.
- ^ Dave Mosher (2012年3月29日). “日食の影、局所的な風に影響”. ナショナル ジオグラフィック. 2024年4月14日閲覧。
- ^ “Solar Eclipse 2015 – Impact Analysis” (pdf) (英語). European Network of Transmission System Operators for Electricity (2015年2月19日). 2017年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月4日閲覧。
- ^ “Curve of potential power loss” (英語). ing.dk. 2020年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月4日閲覧。
- ^ 光の百科事典、pp.577,580-593(著者: 柴田清孝)
- ^ Dravins, Dainis. “Flying Shadows” (英語). Lund Observatory. 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月15日閲覧。
- ^ J. L. Codona (1986). “The Scintillation Theory of Eclipse Shadow Bands” (英語). Astronomy and Astrophysics 164 (2): 415–27. Bibcode: 1986A&A...164..415C. ISSN 0004-6361.
- ^ Young, Alex. “How Eclipses Work” (英語). NASA. 2017年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月21日閲覧。
- ^ Adam Hartstone-Rose; Edwin Dickinson; Lisa M. Paciulli et al.. “Total Eclipse of the Zoo: Animal Behavior during a Total Solar Eclipse” (英語). Animals 10 (4): 587. doi:10.3390/ani10040587.
- ^ 中国・日本の古代日食から推測される地球慣性能率の変動
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