日本沈没 1973年の映画

日本沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 23:20 UTC 版)

1973年の映画

日本沈没
監督
脚本 橋本忍
製作
出演者
音楽 佐藤勝
撮影
編集 池田美千子
製作会社
配給 東宝[17][18]
公開
上映時間 140分[18][16][注釈 12]
製作国 日本
言語 日本語
製作費 5億円[出典 3]
興行収入 約40億円[9]
配給収入 16億4,000万円[出典 4]
テンプレートを表示

東宝映画東宝映像の製作、東宝の配給で1973年昭和48年)12月29日より正月映画として公開された[出典 5]

映画化の企画は東宝プロデューサーの田中友幸によって小説の刊行前から進められており[24][注釈 13]、「映画化のあと、TBSでテレビドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはテレビドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。

監督は黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎が、脚本は同じく黒澤作品に参加していた橋本忍がそれぞれ担当した[4]。製作期間は約4か月と短かったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は16億4,000万円(1974年邦画部門配給収入1位)[25]を挙げる大ヒットを記録した[出典 6]。また、中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた[9]。本作品の成功で、森谷司郎は『八甲田山』などの大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝も本作品に続く形で『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『東京湾炎上』(1975年)までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[出典 7]

アメリカ合衆国では、1975年にロジャー・コーマンニューワールド・ピクチャーズにより『Tidal Wave』のタイトルで公開された[28][29]ハリウッド俳優を使った追加撮影も行われたが、オリジナルより大幅に短縮されている[29]。アメリカでは100万ドルの配給収入を挙げた[30]

上映時の特殊効果

一部の上映館では大型のスピーカーを使い、地震のシーンに合わせた揺れを再現し、実際の揺れを想像させる効果を体感した映画ファンも多い。[要出典]

出演者(1973年の映画)

以下の順番は本編クレジットに準拠。

(以下はクレジットなし)

(以下は海外版のみ)

  • 原作者の小松自身も、冒頭で小野寺と吉村が打ち合わせをするシーンでカメオ出演している[4][32]
  • 竹内均は東大退官後に自ら創刊した科学雑誌『Newton』掲載[要文献特定詳細情報]の自伝において、「迫真の演技である、として皆にからかわれた」と書いている。また、DVD版の特典映像には、小松と竹内の対談の模様が収録されている。
  • 夏八木演じる結城の名前は『恒久』(本編43分04秒)
  • 内閣調査室「邦枝」の名前は『康雄』(本編40分45秒)
  • 防衛庁・メカニック「片岡」の名前は『潔』(同上)
  • 幸長助教授の名前は「信彦」ではなく『秀彦』(同上)

スタッフ(1973年の映画)

参照[17][18][9]

テロップ非表示であるが、作中でマントル対流などを再現するアニメーションは月岡貞夫が作画を担当していたことが、後年に明かされている[35]

特別スタッフ(1973年の映画)

特撮

本作品で特技監督を務めた中野昭慶は、東宝特撮映画では円谷英二有川貞昌に続く3代目の同役職に就任した[36][37][注釈 22]。本作品では建物の倒壊に建築工学を考慮するなど、科学的に裏付けされた描写を重視しており、従来の怪獣映画などのような特撮のイメージを払拭ふっしょくしている[32][注釈 23]。制作費のうち、特撮には2億5千万円が費やされた[22]

俯瞰ふかんした日本列島のセットでは、従来の特撮で海の表現に用いられていた寒天に代わり、青い染料を溶かしたディストメイトを用いている[出典 11]。ディストメイトは、接着剤としてだけでなく食品や化粧品などにも用いられていた化学合成製品の糊であり、カビが生えたり、ネズミが食べてしまうなどの苦労があったという[38]

東宝第7スタジオに建てられた富士山のセットは[注釈 24]、スタジオの外から望遠カメラで撮影し、空気感を再現している[38][32]。頂上の雪は、白い粉を撒いて再現している[38]

倒壊する日本家屋のミニチュアは、ディテールを表現するため、壊れる描写からの逆算で1/10スケールで作られた[36]。都市のミニチュアには、『モスラ』(1960年)で制作されたものなど過去の造形物も総動員された[39]。振動にはコンピュータ制御による工業用のバイブレータが用いられた[39][19]

コンビナートの爆破シーンでは、炎がステージの天井を焦がしている[40][41]。特殊効果の渡辺忠昭は、爆発が小さいと中野が指摘したため、ナパームを3倍に増やしてリテイクした結果であったと語っている[41]。特撮助監督の田淵吉男は、自身が渡辺にガソリンの量を多くするよう指示したのが原因であったと述べている[40]。また、渡辺は、本作品以降中野は火を好むようになったと証言している[41]

泥乱流の描写は、本物の泥や富士山で採取した砂のほか、絵の具、顔料、煙など多数の素材を組み合わせて表現している[42]。撮影も7種類の手法をモンタージュしている[42]

隅田川の洪水シーンは、操演の松本光司の提案により一発撮りで行われた[39]。倒壊する永代橋は、松本自身がミニチュアを手で押している[39]

原作者の小松は、本映画の唯一の不満点として、潜水艦が進む海底が明るすぎることを挙げている[5]

特撮班助監督を務めた川北紘一は、本作品がヒットしてもゴジラシリーズの予算が増えたということはなく、東宝本社は本作品が特撮の力で成功したという認識ではなかったと述懐している[43]

ゴジラ対メカゴジラ』では、本作品のコンビナート爆破シーンの映像やミニチュアを流用しており、美術助手の好村直行は流用を前提にコンビナートのシーンが設けられたと証言している[44]

関連ソフト(1973年の映画)

  • 映像ソフト
    • 日本沈没(レーザーディスク)(1993年9月1日、東宝 TLL-2206[45]
    • 日本沈没(VHS)(1994年8月1日、東宝 TG-4535S[45]
    • 日本沈没(DVD)(2003年9月25日、東宝 TDV-2731D)
    • 日本沈没 東宝特撮Blu-rayセレクション(Blu-ray Disc)(2009年11月20日、東宝 TBR-19210D)
    • 日本沈没 東宝特撮映画DVDコレクション 第6号 2010年1/5号(DVD付き分冊百科)(2009年12月8日、デアゴスティーニ・ジャパン TTD-06N)
    • 日本沈没 期間限定プライス版(DVD)(2013年8月2日、東宝 TDV-23335D)
    • 日本沈没 東宝DVD名作セレクション(DVD)(2015年8月19日、東宝 TDV-25261D)
    • 日本沈没 公開50年記念 4K リマスター数量限定愛蔵版(Blu-ray Disc)(2023年12月20日、東宝 TBR-33269D)
  • CD
    • 日本沈没〈J-CINE サントラコレクション〉(1996年10月2日、VAP VPCD-81172)

外部リンク(1973年の映画)


注釈

  1. ^ 悲観的な未来予測をおこなったローマクラブの「成長の限界」が、前年の1972年に発表されている。なお、小松は日本万国博覧会においてテーマ館サブプロデューサーを務めていた。
  2. ^ 上田誠也(当時東京大学教授、地球物理学)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松左京との対談において、「あれならうちのマスター論文ぐらいにはなるかな、なんて思っておったんですがね」と発言している[11]
  3. ^ 作中では「日本海溝」とされているが、正確には伊豆・小笠原海溝である。
  4. ^ 原作発表当時の表現。2011年以降は「死火山でなければすべて活火山」と解釈されている。
  5. ^ a b 原作本編でも、最後の大爆発後に日本列島の完全消滅を確認する記述は不詳にされている。『日本沈没 第二部』によれば、北陸地方白山の一部と見られる部分(白山岩)が岩礁化して海面上から露出しており、日本政府はこれを根拠に旧日本列島海域における日本の国家主権の存続を主張している。
  6. ^ 1970年代初め、伊丹空港に代わる「関西新空港」の立地については神戸沖・泉州沖を含めて複数の候補があり、泉州沖とする答申が出されたのは本書刊行と同じ1973年であった。
  7. ^ 現代ならスーパーコンピュータ(スパコン)とするべき箇所だが、Cray-1の誕生以前で、スパコンという概念がまだない。
  8. ^ ただし、1974年ドラマ版では「Danger」のDであると説明されている(第4話「海の崩れる時」)。
  9. ^ 作中に登場する構成国は、タンザニア、アメリカ、ソ連、マルタ、イギリス、ドイツ(本作発表当時は東西に分断されていたが、単に「ドイツ」とのみ記載されている)、フランス、インドネシア、ヨルダン、バングラデシュ、カナダ、オーストラリア。
  10. ^ 小説中ではフルネームは登場しない。
  11. ^ 第5章第7節で2か所、野党第3党の党首と経済団体の会長からそれぞれ「緒形」と呼びかけられる場面がある。
  12. ^ 資料によっては、「144分」[17][13]、「2時間」[14]と記述している。
  13. ^ 田中は原作の新聞広告を見て、小松に連絡をとったという[5]。田中と小松は以前から交流があり、小松は自身が携わっていた雑誌『S-Fマガジン』で東宝から賞金を出してもらっていたことに対する恩義もあったことを述べている[5]
  14. ^ 東宝公式サイト映画資料室では、田所雄介博士と記述している[17]
  15. ^ 東宝公式サイト映画資料室では、結城達也と記述している[17]
  16. ^ 東宝公式サイト映画資料室では、吉村秀夫と記述している[17]
  17. ^ 東宝公式サイト映画資料室では、幸長信彦助教授と記述している[17]
  18. ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、隊員と記述している[9]
  19. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』ではD1本部委員[31]、書籍『東宝特撮映画大全集』では本部委員の学者と記述している[9]
  20. ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、指揮官と記述している[9]
  21. ^ 東宝公式サイト映画資料室では、中田浩一郎と記述している[17]
  22. ^ 「円谷以外で初めて」とする書籍[32]もあるが誤り。
  23. ^ 中野は、東宝特撮がこれまで培ってきた技術がどこまでリアリティに迫れるかという、自身にとって一つの実験であったと述べている[36]
  24. ^ スケールは、書籍『東宝特撮映画全史』では「約300分の1」[38]、書籍『東宝特撮映画大全集』では「1200分の1」[32]と記述している。
  25. ^ 後に田所博士の調査で沈没は1年以内と判明。
  26. ^ 旧作と原作では渡老人が有識者を招集し、富士山麓にこもらせ日本救済策を練ったシーンが存在したが本作品ではまったく描写されていない。複数の有識者による検討で「何もしない方がいい」という極論も提示されたことは山本首相のセリフによって示されるのみである。
  27. ^ 原作では震災から約半年後の地盤沈降下で襲った梅雨の集中豪雨による。なお、1974年のテレビドラマ版でも東京での震災と沈没は終盤のシーンに該当するが、その段階で全住民の退避には至っていない。
  28. ^ 実際には東京消防庁ハイパーレスキューに女性隊員は存在しない。女性職員については、毒劇物などに係る災害活動への従事制限があるためである。
  29. ^ 1974年のテレビドラマ版第24回で小野寺が似たような状況に陥っているが間一髪で救出されている。
  30. ^ 1973年のラジオ版では田所教授役で出演していた。
  31. ^ 写真のみ。写真は映画用に新たに撮り下ろした。
  32. ^ 劇場パンフレットでクレジットが確認できる。
  33. ^ a b c 特技監督
  34. ^ 出港した彼が戻るころ、既に故国は失われた後だという田所のセリフで締め括られた。
  35. ^ チリ大地震の調査で日本を留守にしているという台詞がある。
  36. ^ 第2話のみノンクレジット。
  37. ^ 第1話、第16話はノンクレジット。
  38. ^ 第13話、第20話はノンクレジット。
  39. ^ 第20話のみノンクレジット。
  40. ^ 第16話のみノンクレジット。
  41. ^ オープニング・クレジットでは「あしたの愛」と表記された。また、第14回のサブタイトルとしても使用された。
  42. ^ 第5話予告以降(一部を除く)。
  43. ^ 第9話にクレジットされている。
  44. ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。
  45. ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。映画では野崎特使。
  46. ^ 年始の特番の放送2日前(1月1日)には令和6年能登半島地震の本震が発生したが、予定どおり放送された。
  47. ^ 元は本放送当時に今井科学から発売されていたプラモデルキット。
  48. ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、大映の倒産により実現しなかったと記述している[22]
  49. ^ 1998年に松竹では奥山家の解任騒動という内紛が尾を引き、映画製作ができる状態ではなかったとも言われている。
  50. ^ 後日、篠原から中田首相への報告によって、白山の山頂部分そのままではなく「異変」によって崩落した跡が岩礁化したものであることが判明する。
  51. ^ 石坂浩二の本名は「武藤兵吉」。
  52. ^ 下の名前は三島由紀夫が元ネタと思われる。

出典

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