日本大家論集
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参考文献
- 浅岡邦雄「原秀成「近代の法とメディア――博文館が手本にした一九世紀の欧米」に対する批判的検証」『日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要』第27巻、201-214頁、2003年3月 。
- 浅岡邦雄「「版権条例」「版権法」における雑誌の権利」『〈著者〉の出版史――権利と報酬をめぐる近代』森話社、2009年12月11日、24-48頁。ISBN 978-4-86405-004-3。
- 浅岡邦雄「博文館『日本大家論集』の虚実」『中京大学図書館学紀要』第32号、中京大学図書館、1-30頁、2011年5月31日。ISSN 0389-0120。
- 小川菊松『出版興亡五十年』誠文堂新光社、1953年8月5日。
- 坪谷善四郎『博文館五十年史』博文館、1937年6月15日。
- 星新一『明治・父・アメリカ』新潮社〈新潮文庫〉、1978年8月25日。ISBN 4-10-109817-4。
- 宮武外骨『明治奇聞』 2巻、半狂堂、1925年3月、18-19頁。NDLJP:932244。
注釈
- ^ 少数ではあるが、出版条例に基づく版権を取得していた雑誌も存在した[17]。
- ^ 西村茂樹「中論」、杉浦重剛「理学研究ノ必要」、尾崎行雄「史学研究ノ必要ヲ論ズ」、カーギル・ジ・ノット「本年八月ノ日蝕皆既ヲ説テ太陽ノ構造ニ及ブ」の4本のうち、西村・杉浦・尾崎の各論文が転載された[18]。
- ^ たとえば、1886年(明治19年)に『時事新報』に連載され、同年に刊行された福澤諭吉立案・中上川彦次郎筆記『男女交際論』は、正規の版のほかに4種類の無断出版が確認されているが、初出が新聞であったために初出紙からの無断翻刻と見なされ、偽版(版権侵害)として訴えることができなかった[21]。
- ^ 版権条例の立法作業は『日本大家論集』の創刊よりも前から進められており、『日本大家論集』の無断転載問題を受けて同条例が制定されたわけではない[24]。
出典
- ^ 浅岡 2011, p. 7.
- ^ 坪谷 1937, p. 8.
- ^ 浅岡 2011, pp. 19–20.
- ^ 浅岡 2003, pp. 207–208.
- ^ 浅岡 2009, pp. 31–34.
- ^ 浅岡 2011, pp. 20–22.
- ^ 坪谷 1937, pp. 17–18.
- ^ a b 坪谷 1937, p. 10.
- ^ 浅岡 2003, pp. 202–204.
- ^ 浅岡 2011, pp. 15–16.
- ^ 浅岡 2011, pp. 22–23.
- ^ 坪谷 1937, p. 13.
- ^ 浅岡 2011, pp. 5–8.
- ^ 浅岡 2011, pp. 3–5.
- ^ 浅岡 2009, pp. 25–26.
- ^ a b 浅岡 2011, pp. 9–10.
- ^ 浅岡 2009, pp. 28–31.
- ^ 浅岡 2011, p. 17.
- ^ 浅岡 2011, pp. 16–17.
- ^ 浅岡 2011, pp. 12–15, 23–24.
- ^ 浅岡 2009, pp. 37–39.
- ^ 出版条例(明治20年12月29日勅令第76号)。
- ^ 版権条例(明治20年12月29日勅令第77号)。
- ^ 浅岡 2009, pp. 34–35.
- ^ 浅岡 2011, pp. 10–11, 27.
- ^ 浅岡 2003, p. 212.
- ^ 浅岡 2011, p. 27.
- ^ 浅岡 2003, pp. 209–212.
- ^ 浅岡 2003, pp. 212–213.
- ^ 浅岡 2011, pp. 25–27.
- ^ 坪谷 1937, pp. 80, 82.
- ^ 浅岡 2011, pp. 27–28.
- ^ 坪谷 1937, p. 93.
- ^ 版権法(明治26年4月14日法律第16号)。
- ^ 浅岡 2009.
- ^ 『二十五年間の文人の社会的地位の進歩』:新字新仮名 - 青空文庫
- ^ 星 1978, pp. 45–46.
- ^ 浅岡 2011, pp. 16–18.
- ^ 宮武 1925, pp. 18-19.
- ^ 小川 1953, pp. 12–13.
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