日本共産党スパイ査問事件 日本共産党スパイ査問事件の概要

日本共産党スパイ査問事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 23:36 UTC 版)

両者は「日本共産党にもぐりこんだ特別高等警察のスパイ」として査問とよばれるリンチにかけられたものだと裁判では認定された[2]。戦前の治安維持法の下で行われた裁判であったが、復権処置に対して例外規定の『監禁致死、死体遺棄、銃砲火薬類取締法施行規則違反』に該当していた為、本来ならば復権処置は行われないはずだが、GHQから司法省に対し指示があり、SCAPINポツダム命令などに基づく超憲法的な特別な指示により、公民権回復の措置がとられ、検察により「復権証明書」が出された。ただし確定判決が取り消されたわけではない。


注釈

  1. ^ 日本共産党リンチ殺人事件日共リンチ殺人事件スパイ査問事件スパイリンチ事件リンチ共産党事件などと呼ばれることがある。昭和51年10月5日の参議院予算委員会では呼び名について公明党小平芳平から質問があり、稻葉修法務大臣の回答により「共産党リンチ事件」として扱われた。質問者であった小平芳平も質問中は「共産党リンチ事件」の名称を使用している。当時総理であった三木武夫は、自民党内の総務会では「共産党リンチ殺人事件」と呼ばれていたとしている。一方、当時の共産党は「スパイ調査問題」の名称を用いた。また、衆議院会議録情報 第078回国会 法務委員会 第1号 昭和51年10月8日 安原美穂法務省刑事局長の答弁で宮本顕治らに係る治安維持法等被告事件と表現されており、単に治安維持法等被告事件とよばれる場合もある。
  2. ^ 宮本顕治「スパイ挑発との闘争-1933年の一記録-」(『月刊読売』1946年3月号「“赤色リンチ事件”の真相」に掲載され、その後『宮本顕治公判記録』に収録)では「小畑の死因を、最初の鑑定書は、脳震迫であるとしたが、事実、かれが暴れだした時、なにびとも脳震迫をひきおこすような打撃を加えていないのである。そうして再鑑定書は、脳震迫とみなすような重大な損傷は身体のどこにもないこと、むしろショック死(ショックの定義についてはショックを参照)と推定すべきであるとした。そして、裁判所もついにこの事件を殺人および殺人未遂事件として捏造することが不可能となった」としている。
  3. ^ 日本共産党中央委員会幹部会委員長不破哲三は、2000年7月20日の「日本共産党創立78周年記念講演会 日本共産党の歴史と綱領を語る」において、復権証明書に「要するになかったことにしようということが書かれたわけであります」と説明している。
  4. ^ スパイ査問事件に連座した袴田は、戦後、共産党内で宮本の無罪と非転向を宣伝して宮本から信頼され、宮本の権力が確立されるにつれ、党内で昇進を遂げていった[19]
  5. ^ 袴田の暴露が真実を公表したものか、単なる誹謗中傷なのかは評価の分かれるところであるが、証言によって宮本が受けた打撃は甚大なものであった[19]
  6. ^ 戦後入党した兵本によれば、「小畑なんてスパイだ。あんな奴は殺ってもかまわない」という党員も多かったという[28]

出典

  1. ^ a b c d e f 昭和51年1月30日、衆議院予算委員会稻葉修法務大臣答弁
  2. ^ a b c d e 昭和51年1月30日、衆議院予算委員会安原美穂政府委員答弁
  3. ^ 異分子の摘発は党幹部の指揮『東京朝日新聞』昭和9年1月17日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p539 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 「日本共産党の研究」立花隆
  5. ^ 党員小畑の遺体を発見『東京朝日新聞』昭和9年1月16日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p538-539 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 昭和51年10月1日 衆議院予算委員会
  7. ^ 昭和51年10月5日、参議院予算委員会 稻葉修法務大臣答弁
  8. ^ a b c d e f 「スパイ査問事件と復権問題の真実」『文化評論』臨時増刊、1976年4月、新日本出版社、p.77
  9. ^ a b 『日本共産党の研究(二)』p.224
  10. ^ 1940年4月18日公判・冒頭陳述。所収、「スパイ査問事件と復権問題の真実」『文化評論』1976年4月臨時増刊号。
  11. ^ 中野文庫 - 大赦令
  12. ^ 中野文庫 - 政治犯人等ノ資格回復ニ関スル件(昭和20年勅令第730号)
  13. ^ SCAPIN-458: RESTORATION OF ELECTORAL RIGHTS TO RELEASED POLITICAL PRISONERS 1945/12/19”. Japan Search. 2022年1月30日閲覧。
  14. ^ 昭和二十年勅令第五百四十二號「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ニ基ク政治犯人等ノ資格囘復ニ關スル件(Wikisource)
  15. ^ a b 昭和51年05月19日 衆議院法務委員会
  16. ^ 不破哲三日本共産党創立78周年記念講演会 日本共産党の歴史と綱領を語る2000年7月20日
  17. ^ 衆議院会議録情報 第077回国会 予算委員会 第3号 昭和51年1月30日 共産党 不破哲三の質問
  18. ^ 民社党教宣局『歴史を偽造する日本共産党―リンチ事件をめぐる9つの嘘』、1976年10月、pp.68-69
  19. ^ a b c d e f g h i j 兵本(2008)pp.407-408
  20. ^ 『宮本顕治公判記録』新日本出版社 ISBN 4-406-00408-4
  21. ^ 1976年2月2日の成田知己委員長談話また、当時のしんぶん赤旗に一部を除いてほぼ全文掲載された。「資料日本社会党四十年史」 ASIN B000J6Q07M 所収
  22. ^ 『昨日の同志宮本顕治へ』 新潮社、1978年11月
  23. ^ 「日共リンチ殺人事件言論裁判 日共、判決目前でダウン 『宮本リンチ殺人事件』の事実認定恐れ取り下げる」思想新聞、1989年1月5日
  24. ^ 『日本共産党の七十年 党史年表』(1994)p.254, p.353
  25. ^ 『日本共産党の七十年 下』(1994)p.75
  26. ^ 第112回国会 予算委員会 第7号議事録
  27. ^ 『日本共産党の七十年 党史年表』(1994)p.345
  28. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「hyoumoto375」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  29. ^ a b 兵本(2008)pp.388-390
  30. ^ a b 兵本(2008)pp.396-403


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