日本テレビ放送網 沿革

日本テレビ放送網

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:29 UTC 版)

沿革

1950年代

  • 1951年
    • 8月13日 カール・ムント上院議員が「日本全土に総合通信網を民間資本で建設する」と発表[注 4][6][7]
    • 9月4日 正力松太郎、日本テレビ放送網設立構想を発表[注 4]
    • 10月2日 日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請。
  • 1952年
    • 7月31日 NHKに先んじて、日本で最初のテレビ放送予備免許を取得。
    • 10月15日 創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出。
    • 10月28日 会社設立(資本金2億5千万円)。設立資金は正力からの要請を受けた池田勇人大蔵大臣が、財界人に声をかけ資金を調達した[8][9][10]
  • 1953年
    • 4月15日 資本金を5億円に増資。
    • 8月17日 名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請(後に却下)。
    • 8月18日 街頭テレビ受像機を関東一円(都内29か所、周辺部13か所)に設置。
    • 8月20日 試験電波を発射。
    • 8月27日 テレビ放送本免許を取得。
    • 8月28日 午前10時から「テストパターン」を流し[11]、午前11時20分、『鳩の休日』の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日)。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの放送機材を米国からの輸入に頼っていたため納入が間に合わず、機材をほぼ国産品で揃えたNHKに先行された。日本で初めてとなるテレビCM精工舎提供)を放送。
    • 8月29日 プロ野球巨人 - 阪神戦(後楽園球場)を民放テレビ局として初中継。
    • 8月31日 民放テレビ局として初のテレビドラマ『NTV劇場・私は約束を守った』放送。
    • 9月4日 民放テレビ局として初の連続ドラマ『パック町を行く』放送開始。
    • 10月27日 プロボクシング世界選手権白井義男 - テリー・アレン戦を中継。街頭テレビ熱高まる。
    • 11月15日 民放テレビ局として初めて中央競馬のテレビ中継となる秋の天皇賞東京競馬場)を放送[12]
    • 11月27日 民放テレビ局として初めて地方競馬のテレビ中継(船橋競馬場)を行う[注 5]
  • 1954年
    • 2月19日 『力道山木村政彦シャープ兄弟プロレス実況』をNHKと同時に3日間にわたって放送。新橋駅西口の街頭テレビに連日2万人以上が詰めかけたため、日本のテレビ初期の看板番組にまでなる。以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こる。
    • 春 日本テレビの協力により、日本で初めてのテレビカー京成電鉄1600形1500形で運転開始。京成電鉄のテレビカー車内では日本テレビの番組を放映していた。
    • 10月4日 ニュース番組『きょうの出来事』放送開始(2006年9月29日終了)。
  • 1955年
  • 1956年
  • 1957年
    • 3月17日 『ミユキ野球教室』放送開始(1990年3月終了)。
    • 4月18日 カラーテレビ放送の免許を申請。
    • 10月24日 - 10月27日 日本初のプロゴルフトーナメント試合テレビ実況生中継を行う。(カナダ・カップ 於:霞ヶ関カンツリー倶楽部
    • 12月27日 カラーテレビ実験局本免許を取得。
    • 12月28日 カラーテレビ実験局開局(民放初)。
  • 1958年
    • 4月1日 資本金を10億円に増資。
    • 8月28日 開局5周年。番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる。
    • 10月1日 (株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に。
    • 12月 米RCA社からアンペックス方式の2インチVTRが導入され、単発ドラマシリーズ『雑草の歌』の一編で使用された。これが同局初のVTRドラマとなる。
    • 初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組『手品教室』が始まる。
    • 12月25日 東海テレビ放送(THK)が開局。中部日本放送から番組ネットワークを引き継ぐ。
  • 1959年
    • 3月28日 ネットワークニュース番組『日本テレニュース』スタート。
    • 4月10日 皇太子明仁親王結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、21時から特番『このよき日』でカラーで放送した。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された。
    • 4月15日 日本初のカラーテレビドラマ『ヤシカゴールデン劇場・赤い陣羽織』放送。
    • 9月15日 同局の株式がマスコミ業界としては初めて東京証券取引所に上場する。
    • 10月24日 毎日放送(MBS)[14]日本シリーズ中継を共同制作する。
    • 11月中旬 米RCA社から、日本で初めて2インチの放送用カラーVTRを購入する(値段は当時で約3千数百万円であった)。
    • 12月3日 日本初のカラーVTR放送『ペリー・コモ・ショー』(Perry Como's Kraft Music Hall)(米NBCからダビングされたカラービデオテープを再生)放映。また、局内のスタジオにて、日本初のカラーVTRを使った収録を開始。
    • 12月5日 2日前に、日本国内のスタジオにおける初のカラーVTR収録を行ったドキュメンタリードラマ番組『シャープクライマックス 人生はドラマだ』第9回「ダニエル建・井上」放送。

1960年代

  • 1960年
    • 6月 テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用。
    • 9月10日 カラーテレビ本放送開始(NHK、ラジオ東京(KRT)と共に東京地区では初)。当日、記念番組が4時間に渡って放送される。
  • 1961年
    • 1月8日 大相撲初場所で初のカラー中継放送を開始。
    • 6月4日 『シャボン玉ホリデー』放送開始(1972年10月1日終了)。
  • 1962年
    • フランス国営放送(RTF)と番組交換協定締結。朝6時台から深夜12時まで切れ目のない全日放送体制が完成。
    • 4月1日 名古屋放送(NBN、現在の名古屋テレビ放送)が開局。東海テレビ放送からネットワークを引き継ぐ。
  • 1963年
  • 1964年
    • 9月30日 テレビ西日本がネットワークから離脱。これにより福岡地区の日本テレビ系番組の大半がRKB毎日放送[15] に移動する(1969年3月31日まで)。
    • 10月10日 東京オリンピック開催。これに関する自社制作におけるカラー放送を強化する。
  • 1964年 多摩丘陵よみうりランド内にカラー公開スタジオ「NTVスタジオ」が完成。
  • 1965年
  • 1966年
    • 世界初、カラーのスポットコマーシャル(日立製作所提供)の放送が開始される。
    • 4月1日 NNN(日本ニュースネットワーク)発足。
    • 5月15日 『笑点』放送開始。
    • 7月1日 ザ・ビートルズの日本武道館来日公演番組『ザ・ビートルズ日本公演』をカラーで独占中継(VTR録画)し、視聴率は56パーセントに達した[注 7]
  • 1967年
    • ニューヨーク支局を開設。アメリカ・NBC内に特設スタジオを設置し、衛星中継による海外ニュースを放送。
    • 7月21日 福井近夫が社長に就任。
  • 1968年
    • 4月 新宿区に独自の送信所を兼ねた日本最大のテレビ塔建設を発表。(後に計画は中止に)
    • 西本館竣工。
    • 8月28日、開局15周年。
    • 9月30日 『お昼のワイドショー』放送開始。
  • 1969年
    • 4月1日 中京テレビ放送(CTV)、福岡放送(FBS)他全国各地に開局したアナログUHF局とネットワークを組む。福岡放送はRKB毎日放送からネットワークを引き継ぎ、4年半ぶりに福岡地区での日本テレビ系マストバイ局が復活した。
    • 10月9日 午前3時50分[16]、当時の会長、正力松太郎が死去。
    • 10月11日 大蔵省の指摘により粉飾決算が発覚。過去数年分の有価証券報告書を訂正。
    • 12月1日 資本金を24億円に増資。
    • コンピュータ導入(第1世代APM)で本格的な番組運行自動化を開始。

1970年代

日本テレビ放送網 1978年制定シンボルマーク•社章
旧麹町分室解体工事時に露出したシンボルマークの巨大レリーフ
  • 1978年
    • 1月 開局25周年に伴い、統一シンボルマーク社章を制定。民間放送局シンボルマークを制定するのは初めてである。1977年12月以前は、「NTV」ロゴを丸で囲った物であったが、このシンボルマークは、日本テレビの『日』と地球をメルカトル図法的にデザイン化した物である。従来の「日本テレビ」のロゴの前にも、このシンボルマークが付けられていた(放送では1992年夏頃まで[注 9]、社の封筒では2003年夏頃まで使用されていた〈1992年以降は「なんだろう」のマスコットと一緒に〉。電子化以前の株券に使用されていたが、現在は社債のみに使用されている)。
    • 4月1日 無償新株式(1:0.1)発行。資本金が45億1000万円となる。
    • 8月26日 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』スタート(以後、毎年8月に行われる)。西本館竣工。
    • 8月28日 開局25周年。
    • 9月22日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の予備免許を取得[19]
    • 9月28日 テレビジョンの音声多重放送の実用化試験局の本免許を、放送局として初めて取得。取得直後の午前10時01分、『ミセス&ミセス』の番組内で、世界初の音声多重放送実用化試験放送を開始[19][20][21]。この日から、後楽園球場の巨人戦もステレオ放送になる(この日は対広島戦であった)。
    • 10月6日 水谷豊主演のテレビドラマ熱中時代』(第1シリーズ)放送開始。
  • 1979年

1980年代

  • 1980年
    • 2月9日 緊急警報放送の実験放送を開始。
    • VTRカメラが初めてエベレストに登る。この登山のドキュメンタリー番組『生と死に賭けた36時間・これがチョモランマだ!』が高い評価を呼び、文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門で優秀賞を獲得。
    • 6月29日 高木盛久が社長に就任。
    • 7月5日 水谷豊主演のテレビドラマ『熱中時代』(第2シリーズ)放送開始。
    • 10月 北本館竣工。麹町Gスタジオ、Kスタジオなどが完成。
  • 1982年12月 テレビ音声多重放送の本放送を開始。
  • 1983年
    • 8月28日 開局30周年を機に正力松太郎会長の遺訓の中から社訓・信条を制定。
    • 9月7日 テレビジョン同期放送の実験放送を開始。
    • 12月31日 『全国高等学校クイズ選手権』スタート(以後1985年まで毎年2回、1986年より毎年1回行われる)。
  • 1984年 民放業界最大の規模のコンピュータグラフィックスシステムを完成。参議院選挙、衆議院総選挙などの報道で稼動。
  • 1985年
    • 1月24日 資本金を70億8560万円に増資。
    • 5月20日 無償新株式(1:0.1)発行。
    • 11月29日 文字多重放送の本放送を開始。
    • 日本テレビニューヨークスタジオ開設、生放送スタート。
  • 1986年 日本テレビ初のミュージカル「アニー」スタート。
  • 1987年
  • 1988年
    • クリアビジョン放送実験局免許取得。
    • 5月5日 エベレスト(チョモランマ)山頂から世界初の生中継を実施し、成功。日本中にこの模様が中継された(開局35周年記念企画『チョモランマがそこにある!』)。
    • 5月20日 無償新株式(1:0.04)発行。
    • 8月28日 開局35周年。
    • 10月3日 日本テレビ製作の長寿アニメ番組『それいけ!アンパンマン』放送開始。
  • 1989年

1990年代

  • 1992年
    • 8月 開局40周年を機に宮崎駿デザイン・スタジオジブリ制作によるマスコットキャラクター「なんだろう」が誕生。「なんだろう」の使用期間は当初は1年間の予定だったが、日本テレビのシンボルマークとして、企業ロゴが変わった現在でも使用されている[注 10]
    • 11月6日 SNGデジタル伝送実験局免許取得。氏家齊一郎が社長に就任。
  • 1993年
    • 8月28日 開局40周年。
  • 1994年
    • アール・エフ・ラジオ日本の株式を取得し、持分法適用関連会社とする。
    • 11月24日 アナログハイビジョン実用化試験局免許取得(BS9チャンネル、アナログハイビジョン実験専用のNHKと民放の合同チャンネル)。第1回『流転の海』ほかを放送。
    • 12月21日 日本テレビ郵便爆弾事件発生。
  • 1995年
    • 1月2日 視聴率年間三冠王獲得(1994年)。
    • 7月13日 ワイドクリアビジョン本放送開始。
    • インターネットに日本テレビ公式webページ(http://www.ntv.co.jp/)を開設。
  • 1996年
    • 4月3日 CSデジタル放送「CS★日テレ」の委託放送業務認定取得、同年8月28日に放送開始。
    • 報道局にNNNニュースチャンネルを設置。「情報番組倫理ガイドライン」完成。
  • 1997年
    • 2月24日 CSデジタル放送(トライアルサービス)委託放送業務認定取得。
    • 3月2日 民放初全日視聴率100週連続トップ獲得。
    • NCN(日本テレビケーブルニュース)の24時間化に際し、チャンネル名を「NNN24」(NTV NONSTOP NEWS24)と改称(2005年12月1日に日テレNEWS24と名称変更)。
  • 1998年
    • 照明業務と電源・空調の運用業務を関連会社2社に業務移管。NNN24が本放送を開始。技術展「NAB’98」で国際優秀賞を受賞。BS準備室の新設、ビーエス日本創立総会が開かれる。
    • 6月 29か月連続月間四冠王民放新記録達成。
    • 8月28日 開局45周年。
  • 1999年 キャンペーン「日テレ営業中」がJR東日本ポスターグランプリ’99・駅サインボード部門《金賞》受賞。視聴者と直接意見の交流、「日テレ式フォーラム」開催(民放初の試み)。小林與三次本社取締役会長が死去。

2000年代

  • 2000年
    • 汐留新社屋建設工事地鎮祭。インターネット事業会社「フォアキャスト・コミュニケーションズ」設立。日本データ放送株式会社(略称NDB・BSの940ch)設立。視聴者と直接意見の交流、日テレ「フォーラム2」開催、視聴者とテレビの信頼回復を目指す。CS準備室開設。NTT-ME、NTT東日本とともに、テレビ番組アニメなどの映像コンテンツをインターネット上で流通させるための市場、B-Bat構想を発表[23]。高木盛久本社最高顧問・元社長が死去。
    • 12月1日 午前11時、系列のBSデジタル放送「BS日テレ」(デジタルBS4ch)放送開始。
    • 12月16日 ライブハウス・SHIBUYA-AXオープン。
  • 2001年 株式会社シーエス日本創立総会開催、21世紀型高機能放送発進。創業以来の大機構改革構想発表、CEO・COO制の導入、取締役会、執行役員会の二本柱で新しい経営体制の下、新世紀の活動をスタート。氏家齊一郎代表取締役社長が代表取締役会長兼グループCEO、間部耕苹専務取締役が代表取締役副会長兼グループEO、萩原敏雄専務取締役が代表取締役社長兼COOにそれぞれ昇格。BS日テレ新聞広告が読売広告大賞で金賞受賞。「NNNニュースダッシュ」のリアルタイム字幕放送を開始(BS日テレは2004年10月から)。
  • 2001年
    • 9月28日『ズームイン!!朝!』終了 (後番組は 『ズームイン!!SUPER』)。
    • 9月30日 開局以来、同局の放送開始、終了または1日の起点時間に放送する『鳩の休日』を諸事情により休止。
  • 2002年3月 シーエス日本が東経110度CSデジタル放送を開始。
  • 2003年
    • 4月 新本社ビル「日本テレビタワー」竣工。
日テレロゴ(2003年から2012年)[注 11]
    • 7月 CIを導入。通称名を「日本テレビ」「NTV」から「日テレ」「NIPPON TELEVISION」へと変更。ロゴマークも「なんだろう」を継承しながら、デザインを一新した。略称「NTV」の国内での使用も中止し[注 12]、国内での対外愛称は「日テレ」に統一した[注 13]
    • 8月 汐留に本社移転。
    • 8月28日 開局50周年。
    • 10月25日 同局プロデューサーによる視聴率不正操作が発覚。翌月18日、取締役会において代表取締役3名の自主的降格および自主的役員報酬返上が承認される。これにより氏家齊一郎会長がグループCEO辞任、間部耕苹副会長がグループEO辞任・代表取締役社長へ降格、萩原敏雄社長が代表取締役副社長へ降格。
    • 12月1日 午前11時、地上デジタルテレビジョン放送を開始。
    • 12月 10年連続視聴率四冠王達成。
  • 2004年
    • 2月29日 開局50年を機に放送センター・本社スタジオ機能が汐留に移転。地上デジタルテレビジョン放送・BSデジタル・CSデジタルを問わず全ての放送メディアにおいて、生放送のほとんど全ての番組がハイビジョン制作になる。同時にCS放送「NNN24」についてもハイビジョン制作率を大幅に拡大[注 14]。NNN24のハイビジョン制作の映像は、地上デジタル放送とBS日テレで見る事ができる。同時にアナログ・デジタル統合マスター(NEC製)の運用を開始。なお、汐留新社屋移転後も麹町の旧社屋は麹町分室として継続運用される。これにより、番組の送出マスターは地上波が汐留新社屋、BS・CSの衛星放送は麹町分室からの送出体制となった。汐留からの最初の番組は、午前5時25分の「24時間テレビリポート」[注 15]
    • 11月5日 読売新聞グループ本社マスコミ集中排除原則により、歴史的に第三者名義で実質保有してきた日本テレビ株につき、有価証券報告書を同グループ名義へと訂正、同社株は一時「監理ポスト」に割り当てられた(同年11月22日まで)。
  • 2005年
    • 6月29日 間部耕苹代表取締役社長が代表取締役相談役に、久保伸太郎が代表取締役社長に就任。
    • 10月27日深夜 インターネットを利用したビデオ・オン・デマンドサイト「第2日本テレビ」がオープン。
    • 2005年12月1日 「NNN24」を「日テレNEWS24」に名称変更。
  • 2006年
    • 3月1日「G+ SPORTS&NEWS」を「日テレG+」に名称変更(ロゴマークは変更なし)。
    • 4月1日 地上デジタルワンセグの本放送を開始。
    • 4月3日 サービスエリアである関東地区内の報道取材がほとんどハイビジョン化される。
    • 4月12日 ポッドキャスティングでの動画配信に参入。
    • 9月29日 全民放中の最長寿番組『NNNきょうの出来事』が終了し、52年の歴史に幕。(後番組は『NEWS ZERO』)
  • 2007年4月2日 日本テレビの制作子会社4社の事業再編を実施、統括持株会社日テレ・グループ・ホールディングス」と技術・制作・イベント・美術の4事業会社によるグループ体制を開始。
  • 2008年
    • 4月1日 2001年9月30日まで、同局の放送開始、終了又は1日の起点時間に放送していた『鳩の休日』が、CG使用の15秒ショートバージョンで新たに復活する(地上波デジタル用はハイビジョン制作として初登場する)。
    • 8月28日 開局55周年。
  • 2009年
  • 2009年

2010年代

  • 2010年
    • 3月11日 放送衛星(BS)によるセーフティーネットに基づく、地上デジタル放送難視聴地域向けの補完サイマル放送(BS294)を5年間の期間限定で開局
    • 4月1日 台湾の旺旺集団(大手メディアグループ)、中国電視(CTV、地上波テレビ局)、中天電視(CTI、ケーブルテレビ局)と包括的な協力協定を締結。
    • 4月5日 地上デジタル放送の完全移行を前提に、生放送の情報・報道番組を除く全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される。
    • 7月5日 生放送の情報・報道番組を含めた全ての番組がアナログ放送においてレターボックス化される(完全レターボックス化)。
    • 8月21日 巨人戦中継史上初となる3Dハイビジョン放送をCS放送「スカチャン3D 169」にてノースクランブルで行う[注 16]
    • 10月19日 中国国営新華通信社と放送分野での相互協力を目的とした協力協定を締結。
    • 12月1日 ビデオ・オン・デマンド事業「日テレオンデマンド」配信開始。
  • 2011年
    • 2月18日 アニメーション制作会社マッドハウスによる第三者割当増資の全額約10億円を引き受け、連結子会社化した。
    • 3月10日 中天電視との台湾での合弁会社「黒剣電視節目製作(黒剣テレビ番組制作)」設立について合意し、合弁基本契約書に調印した(6月に営業開始)。
    • 3月11日 東日本大震災の発災に伴い、11日14:57から14日4:00まで一切CMを放送しなかった。
    • 3月28日 当時の会長、氏家齊一郎が死去。
    • 3月31日 『ズームイン!!SUPER』が終了(直接の後継番組は 『ZIP!』)。『ズームイン!!朝!』から数えて32年の歴史に幕を閉じた(土曜版の姉妹番組『ズームイン!!サタデー』のみ継続)。
    • 6月29日 大久保好男が社長に就任。
    • 7月24日 正午にアナログ放送を終了。11:45から特別番組『シューイチPRESENTSテレビ60年「これまで」「これから」カウントダウン』を放送した。23:58からは『鳩の休日』の特別版を放送し、23:59にアナログ放送停波、デジタル放送に完全移行した。
    • 8月15日 創業家一族の正力亨元取締役が死去。
    • 10月3日 デジタル放送化に伴い、地上波放送と日テレNEWS24(同日4:00以降)における編成上全ての番組をステレオ放送(一部はモノステレオ放送)に変更した[注 17]
  • 2012年
    • 1月2日 2003年以来8年ぶりとなる視聴率年間三冠王獲得(2011年)。
    • 3月29日 認定放送持株会社体制に移行すると発表[24][25]
    • 4月26日 「日本テレビ分割準備株式会社」設立[26]
    • 9月18日 総務大臣による放送持株会社設立の認定を受ける。
    • 10月1日 商号を「日本テレビホールディングス株式会社」に変更すると共に、会社分割を行い「(新)日本テレビ放送網株式会社(日本テレビ分割準備より商号変更)」を発足。
  • 2013年
    • 1月1日 開局60周年キャンペーンがスタート。ロゴマークを「0テレ」に変更。
    • 1月13日 上記に伴い、画面右上のロゴの透かし(ウォーターマーク)並びに地上デジタル放送の放送局アイコンを変更。
    • 2月1日・2月2日 テレビ放送開始60年を記念して、NHKとのコラボレーション番組『TV60 NHK×日テレ 60番勝負』『TV60 日テレ×NHK 60番勝負』が放送された。2月1日深夜はNHK総合テレビ、2月2日深夜は日本テレビ系列30局で放送され、中居正広SMAP)が共同MCを務めた。
    • 5月5日 松井秀喜の引退セレモニー、長嶋茂雄と松井秀喜の国民栄誉賞授与式、始球式の模様を東京ドームから独占生中継した。
    • 5月31日 午前9時から東京スカイツリーからの送信を開始。
    • 8月28日 開局60周年を迎えた。
    • 12月9日 放送局アイコン(白抜きに黒文字)とウォーターマーク(「0テレ」の下に「NIPP0N TV」)の一部表記を変更。
  • 2014年
  • 2015年
    • 3月31日 正午をもってBSセーフティーネットによる難視聴地域向け補完サイマル放送終了。
    • 4月27日 過去最高となる13週連続三冠王を達成(1月26日 - 4月26日)。
    • 6月15日 20週連続三冠王を達成(1月26日 - 6月14日)。
  • 2016年
    • 9月5日 民放歴代1位となる全日帯143週連続トップを記録した。
    • 11月28日 同局最高記録となる21週連続三冠王を達成した。
    • 12月1日 インターネットイニシアティブと合弁で動画配信プラットフォーム提供会社JOCDNを設立[29]
    • 12月19日 年間47回目となる週間視聴率三冠王を獲得し、民放新記録を達成した。
  • 2017年
    • 1月2日 2016年において年間49回目となる週間視聴率三冠王を記録した。
    • 3月6日 民放歴代新記録となる35週連続週間視聴率三冠王を獲得した。
    • 11月6日 全日帯視聴率において204週連続視聴率トップを記録した。
  • 2018年
    • 1月1日 提供クレジットとウォーターマークの表記を開局65周年仕様(共に「0テレ」の下に「65th Anniversary」)に変更。
    • 7月30日 在京民放歴代新記録となる56ヶ月連続月間視聴率三冠王を達成した。
    • 8月15日 YouTube内チャンネル「テレビバ」開設。
    • 8月28日 開局65周年。
    • 9月22日 テレビ放送開始65年を記念した「NHK×日テレコラボデー」を実施した。 
    • 10月1日 在京民放歴代新記録となる58か月連続月間視聴率三冠王、63か月連続月間全日視聴率三冠王を達成した。同日より、前述のYouTubeチャンネルを発展させて、無料短編動画中心配信サービス「テレビバ」を開始[30]。配信先は「日テレTADA」「チルテレ」他計8箇所(YouTubeを含む残る三箇所では、アニメ専用チャンネルと分割している為、計6箇所になる)。
  • 2019年
    • 1月29日 麹町分室隣接地に建設された新スタジオ棟「日本テレビ番町スタジオ」が稼働開始。これに伴い旧来の麹町分室のスタジオは完全に運用を終了し、順次解体される。

2020年代

  • 2020年
    • 10月3日 動画配信アプリ「TVer」にて、地上波プライムタイムに放送されている日本テレビ系列番組のネット同時配信サービス「日テレ系ライブ配信」のトライアル運用開始(同年12月30日まで)[31]
    • 10月4日 全番組の提供クレジットから黒い縁+白テロップ表記を撤廃(※一部企業を除く)し、各社提供・ローカルセールスを含めてカラー表記に統一。系列局もカラー表記に統一させた(読売テレビは翌2021年4月1日から)。
    • 12月21日 「日本テレビ番町スタジオ」完成。
  • 2021年
    • 4月1日 「日テレNEWS24」「日テレジータス」の運営を、従前から「日テレプラス」を運営してきたCS日本に移管・一本化。
    • 10月2日 同日19時から「日テレ系ライブ配信」の正式サービスを開始した。民放5系列局の中で同時配信を常時実施するのは初めてとなった[32][33]

社史・記念誌

日本テレビでは、以下の2冊を発行している(2020年3月時点)。

  • 大衆とともに25年(日本テレビ放送網株式会社・編)1978年8月発行、全2冊、沿革史、写真集。
  • テレビ夢50年(日本テレビ50年史編集室・編)2004年3月発行、全9冊、経営編、データ編、番組編1 - 6、DVD-ROM編。

注釈

  1. ^ 「日テレ」の略称はそれ以前から内部的に使われており、各局の番組で出演者が日本テレビを指す言葉の中に「日テレ」を使うこともあった。しかし、ベテラン社員の中ではキャンペーンコピーに使われるまで「蔑称」という認識があったという。対外向けへ公式に「日テレ」を使うようになったのはこの頃からである。
  2. ^ 2003年10月1日より。それまでは「ANB」が使用されていた。
  3. ^ 約50年前に制作されたPRソング「日本テレビの唄」(モノクロ、カラー版あり)では歌詞に「日本テレビ」が多数出てくるが、全ての読み方が「にほんテレビ」であった。また曲名の読み方が「にほんテレビのうた」であり、昔から使われていたことがわかる。
  4. ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIAに正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞村山長挙毎日新聞本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 9784062161244, Page238,241)
  5. ^ その関係で、船橋競馬場では、社盃である「日本テレビ盃」が、9月下旬から10月上旬に開催されている。ダートグレード競走特集 - 船橋競馬場ホームページ
  6. ^ 此の時の開票速報の放送時間は投票日当日の午後9時25分から午後11時30分までと、投票日翌日の午前8時から午後6時まで。票数と当確・当選は新聞大手3社からの情報を基にして行われ、スタジオに用意された手書きの候補者名札とハンコで押した候補者得票数が張られたボードをテレビカメラで撮影して行った。
  7. ^ 日本テレビは同年6月30日と7月1日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、「ビートルズ#日本公演」を参照のこと。
  8. ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映するために、放送権を6億円で購入したとされる(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4062122227)。
  9. ^ 製作著作クレジットでは背景の格子模様が無いことも多かった。これと併用して関東ローカルなどではブラウン管を象った枠の中に「4」のロゴと社名ロゴタイプの組み合わせもシンボルマーク登場以前から使われていた。こちらも「なんだろう」の登場を機に廃止している。
  10. ^ 当初は緑色の体に黒色の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年07月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。
  11. ^ 青森放送で放送される「ZIP!FRIDAY」の最後に流れる翌週月曜日の「ZIP!」の予告でのロゴは、※2019年現在もこのロゴが使われる。また、ジャイアンツ球場のレフトポール際のフェンスに描かれているロゴも、※2021年9月時点で、このロゴである。
  12. ^ ただし、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに貼られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴを表記している。
  13. ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年1月1日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は、「55」部分は)に変更された。これは、2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年3月までの限定使用となった。ただし、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。※2008年8月26日の野球中継放送で確認済み。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも、前代のままである。※日テレG+で中継された、2014年の巨人イースタン中継から
  14. ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
  15. ^ 最初の生放送番組は、午前6時45分の「NNNニュースサンデー」。
  16. ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
  17. ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし『24時間テレビ』内のドラマ企画はモノラル二重音声放送のままであったが、2017年よりステレオ二重音声放送に変わった。
  18. ^ 日本テレビ以外に「放送網」の字が入る放送事業者は、系列局のテレビ新潟放送網とケーブルテレビ局の香川テレビ放送網程度。
  19. ^ 放送収入がフジテレビの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日本テレビは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。
  20. ^ 年間売上高がフジテレビの2014年度:310,012百万円→2015年度:289,708百万円に対し、日本テレビは2014年度:290,460百万円→2015年度:307,077百万円となり逆転した。
  21. ^ かつては土曜12時台や平日16時台に再放送枠を設けていた。
  22. ^ 後にフジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも東京都交通局運営の都営地下鉄日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。情報提供元はジェイアール東日本企画である。私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
  23. ^ 設置当初は、読売テレビ本社(当時は大阪市北区岩井町)内に支社(当時は大阪支社)が置かれていた。(出典:『民間放送十年史』第2部の各社史録378頁「日本テレビ放送網」)
  24. ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が最初となる。
  25. ^ 2020年1月期以降、2クールおきに読売テレビが制作を担当している。
  26. ^ 2021年現在、地上波の大手民放テレビ局5社の中では、唯一の全話を通しての通常放送になっている。
  27. ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
  28. ^ 月-金曜版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
  29. ^ 調布市議時代は自民党所属、その後みんなの党維新の党民進党を経て現在は無所属。
  30. ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。
  31. ^ この代からCMの最後3秒に番組出演者や映画キャストがフレーズを言うようになった(途中で廃止され、2020年現在はその前の12秒とは別の番宣を3秒入れている)。
  32. ^ CMの最後5秒に番組出演者や映画キャストが「〇〇も日テレ営業中!」とフレーズを言っていた。これを生かして『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』で浜田雅功罰ゲームを行ったことがある。
  33. ^ 理由は当時、沖縄はアメリカの統治下だったため、番組の購入は認めるものの資本はしないという条件だったためである。

出典

  1. ^ a b c d e f 日本テレビ放送網株式会社 第9期決算公告
  2. ^ 日テレの人気番組がアジアでも毎日視聴可能に! エンタテインメントチャンネル「GEM」 香港、タイ、インドネシア、カンボジアで10月1日放送開始!”. 日本テレビ放送網株式会社(2015年9月10日作成). 2019年6月2日閲覧。
  3. ^ 日テレの人気番組がアメリカでも視聴可能に!NIPPON TV Channel 始動!!”. 日本テレビ放送網株式会社(2019年5月29日作成). 2019年6月2日閲覧。
  4. ^ 戸部田誠『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』p.170
  5. ^ 国税庁法人番号公表サイト”. www.houjin-bangou.nta.go.jp. 2021年10月10日閲覧。
  6. ^ Research Aid:Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts
  7. ^ 『日本テレビとCIA』関連年表
  8. ^ 佐野眞一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀文藝春秋、1994年、446-447頁。ISBN 978-4-16-349460-9
  9. ^ ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー 日本の闇を侵蝕する5つの戦争』講談社、2010年、241頁。ISBN 978-4-06-216124-4
  10. ^ 有馬哲夫『日本テレビとCIA ー発掘された『正力ファイル』新潮社、2006年、248頁。ISBN 4-10-302231-0
  11. ^ 「大衆とともに25年沿革史」(日テレ社史)に記載の当日のタイムテーブルから参照。
  12. ^ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、72頁。 
  13. ^ “62年前はほぼ手作業!衆院選“開票速報””. 日テレNEWS24. (2017年10月13日). http://www.news24.jp/articles/2017/10/13/07375006.html 2018年3月3日閲覧。 
  14. ^ ちなみに、毎日放送(MBS)のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送のチャンネルは日本テレビと同じ「4」だが、この当時のMBSは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)系列だった。
  15. ^ RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様「4」だが、RKBはTBS系列である。
  16. ^ 『大衆とともに25年 沿革史』(日テレ社史)「第3章 激動期の日本テレビ放送網」195頁「9.正力会長の急逝」より。
  17. ^ 1982年12月26日放送分まで司会を担当。
  18. ^ テレビ夢50年 データ編 148ページ 日本テレビ放送網 2004年発行
  19. ^ a b 読売新聞読売新聞社、1978年9月23日付朝刊・1978年9月28日付夕刊。 
  20. ^ 毎日新聞毎日新聞社、1978年9月28日付朝刊・夕刊。 
  21. ^ 中日新聞中日新聞社、1978年9月28日付夕刊。 
  22. ^ 社団法人日本ケーブルテレビ連盟 (2005年6月). “年表 ― 昭和61年~平成15年”. 日本のケーブルテレビ発展史. p. 205. 2019年12月16日閲覧。
  23. ^ ブロードバンド時代にふさわしいコンテンツ流通市場 「B-BAT(ビーバット)」の創設について NTT東日本2000年7月3日
  24. ^ 日テレが10月に持ち株会社に移行 グループ経営を強化,産経新聞,2012年03月29日
  25. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本などの認定放送持株会社への移行(会社分割、簡易株式交換及び商号変更)による経営統合に関する基本合意書の締結並びに日本テレビ放送網株式会社の子会社(分割準備会社)の設立についてのお知らせ
  26. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本の 認定放送持株会社体制への移行に関する統合契約、吸収分割契約及び株式交換契約の締結 についてのお知らせ 7ページ
  27. ^ 株式会社タツノコプロの子会社化
  28. ^ Huluの日本市場向け事業を継承し定額制動画配信に参入
  29. ^ 日テレとIIJ、動画配信プラットフォームの合弁会社設立。民放各局にも出資募る,AV Watch,2016年12月1日
  30. ^ 日テレ 新ショート動画配信サービス「テレビバ」日テレTADA、チルテレの他、YouTube、Yahoo! JAPAN、GYAO!など、様々なプラットフォームで視聴可能に!
  31. ^ 【日本テレビ・読売テレビ・中京テレビ】TVerで地上波プライムタイムのライブ配信にトライアル10月3日(土)よる7時スタート!”. 日本テレビ放送網株式会社・讀賣テレビ放送株式会社・中京テレビ放送株式会社 (2020年9月17日). 2020年9月17日閲覧。
  32. ^ 日テレ、ネットに「同時配信」…10月2日午後7時から”. 読売新聞 (2021年9月17日). 2021年9月17日閲覧。
  33. ^ 日テレが10月から同時配信開始へ”. 産経新聞 (2021年9月17日). 2021年9月17日閲覧。
  34. ^ 読売新聞1968年11月2日朝刊
  35. ^ 「巨怪伝・下」p366
  36. ^ 朝日新聞1969年7月3日朝刊
  37. ^ 朝日新聞出版「AERA」2012年7月16日号
  38. ^ 朝日新聞1969年7月12日朝刊
  39. ^ 読売新聞1969年7月19日朝刊
  40. ^ 日本テレビ系列のネットワーク26社すべてが、「2000年の年間+年度視聴率三冠王」達成の快挙!!!!(日本テレビ公式サイト)2019年12月21日閲覧
  41. ^ 日テレがフジを抜いて民放テレビ局売上トップ - 2015年度キー局決算発表マイナビニュース)2015年5月13日閲覧
  42. ^ 『NTV火曜9時 アクションドラマの世界 「大都会」から「プロハンター」まで』(2015年、DU BOOKS)20頁
  43. ^ ニッテレ・サービサー よくあるご質問
  44. ^ a b c アナアナ変更実施前は25ch
  45. ^ a b アナアナ変更実施前は53ch
  46. ^ アナアナ変更実施前は26ch
  47. ^ 今年も設置完了!屋上からの紅葉がテレビでも見れちゃう! | 水上高原のゆかいな仲間たち
  48. ^ 沖縄テレビ30年の歩み(1990年刊行)より。
  49. ^ ついに沖縄だけに・・・ 大みそかに見られない!「ガキ使・絶対に笑ってはいけない」”. 沖縄タイムス(2017年12月28日作成). 2020年1月3日閲覧。
  50. ^ 日テレ系人気の情報・報道番組が7番組沖縄で放送開始!! - 沖縄ケーブルネットワーク、2019年8月1日閲覧
  51. ^ 沖縄ケーブルネットワーク、きょうから日テレを生放送「ZIP!」「ヒルナンデス」ニュース番組中心に - 琉球新報WebNews、2019年8月1日閲覧
  52. ^ 民放で日テレだけが地上波プライムタイムの番組をネット同時配信する狙い”. 週刊新潮 (2020年10月13日). 2020年10月13日閲覧。






日本テレビ放送網と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本テレビ放送網」の関連用語

日本テレビ放送網のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本テレビ放送網のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日本テレビ放送網 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2021 GRAS Group, Inc.RSS