日本の書道史 奈良時代

日本の書道史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 16:33 UTC 版)

奈良時代

楽毅論』(部分)
光明皇后臨

元明天皇が都を平城京に定めてからの時代で、中国では中唐の時代にあたる。遣唐使をはじめ、唐との交通が盛んになり多くの中国文化が伝わった。特に聖武天皇天平年間は奈良文化の最盛期であり、書道の発展が著しかった。この時代の書風は、六朝風の外に、晋唐の書風が書かれ、王羲之の書法が学ばれた。光明皇后による王羲之の『楽毅論』の臨書が有名で正倉院に現存する。なお『万葉集』では「羲之」や「大王」を「テシ」と読ませており、この時代、王羲之が手師すなわち能書の代名詞であったことが分かる。

写経の盛行

聖武天皇は仏教を尊信し、奈良の東大寺などを建立し、国家事業としての仏教興隆を図った。これに伴い写経が盛行し、写経所を設けて写経生を養成し、写経体が生まれるに至る。この時代の写経の遺品は東大寺戒壇院に伝来した『賢愚経』(けんぐきょう、伝聖武天皇宸翰)をはじめ数多く現存する。

書道教育

律令制度下の教育機関である大学寮に書博士という役職が設置され、のちに「書道」と呼ばれる学科が形成されたが、早い段階で衰退している。

この時代に書名のあった人物

この時代の筆跡

筆跡名 筆者 年代 書体、書風 現所在
多胡碑 不明 711年 楷書、鄭道昭 群馬県多野郡
長屋王発願大般若経(和銅経) 6,7人の写経生 712年 楷書、 太平寺、見性庵、常明寺、根津美術館ほか諸家分蔵
太安万侶墓誌 不明 723年 楷書 文化庁奈良県立橿原考古学研究所保管)
金井沢碑 不明 726年 隷書 群馬県高崎市
長屋王発願大般若経(神亀経) 張上福 728年 楷書、初唐風 根津美術館、東京国立博物館など
絵因果経 不明 729年 - 748年 楷書 東京芸術大学上品蓮台寺醍醐寺ほか
小治田安万侶墓誌 不明 729年 楷書 東京国立博物館
雑集 聖武天皇 731年 楷書、褚遂良風・王羲之 正倉院
聖武天皇勅願一切経 治部卿門部王 734年 楷書、唐風 檀王法林寺ほか
賢愚経(大聖武) 伝聖武天皇 740年以後 楷書、六朝風 東大寺ほか
光明皇后発願一切経(五月一日願経) 不明 740年 隋唐風 正倉院ほか
紫紙金字金光明最勝王経(国分寺経) 不明 741年 楷書 奈良国立博物館高野山龍光院ほか
楽毅論 光明皇后 744年 楷書、王羲之風(臨書) 正倉院
杜家立成雑書要略 光明皇后 不詳 行書、王羲之風 正倉院
紺紙銀字華厳経(二月堂焼経) 不明 745年ごろ 楷書、初唐風 東大寺ほか
韓藍花歌切 不明 751年ごろ 行書(万葉仮名) 正倉院
写経所食口帳断簡 不明 8世紀ごろ 行書 フォッグ美術館
東大寺献物帳 不明 756年 - 758年 楷書 正倉院
法隆寺献物帳 不明 756年 楷書 東京国立博物館
正倉院万葉仮名文書2通 不明 762年以前 行草(万葉仮名) 正倉院
多賀城碑 不明 762年 楷書、六朝風 宮城県多賀城市
石川年足墓誌 不明 762年 楷書 個人蔵
称徳天皇勅願一切経(神護景雲経) 不明 768年 楷書 正倉院ほか
仏足跡歌碑 不明 770年ごろ 楷書(万葉仮名) 薬師寺

  1. ^ 東野治之 pp..190-203
  2. ^ 鈴木翠軒 p.90
  3. ^ 千字文』は周興嗣(470年 - 521年)によって作られたものなので、285年に伝来したというのは矛盾する。
  4. ^ 大島正二『漢字伝来』P.5
  5. ^ 名児耶明(決定版 日本書道史) p.20
  6. ^ 大東文化大学 p.6
  7. ^ 鈴木晴彦 p.19
  8. ^ 伊藤滋 p.24
  9. ^ 二玄社書道辞典 p.229
  10. ^ 飯島春敬 p.280
  11. ^ 木村卜堂 p.4
  12. ^ 二玄社書道辞典 p.102
  13. ^ 六人部克典 p.21
  14. ^ 魚住和晃 pp..50-51
  15. ^ 書学書道史学会 p.276
  16. ^ 春名好重 pp..116-117
  17. ^ 伊藤滋 p.15
  18. ^ 森岡隆『図説 かなの成り立ち事典』P.190の要約
  19. ^ 「ン」を除くいろは47音に、濁音20音(ガ行・ザ行・ダ行・バ行)を加えて67音、ヤ行の「エ」(ye)で68音、またキ・ケ・コ・ソ・ト・ノ・ヒ・ヘ・ミ・メ・ヨ・ロとその濁音ギ・ゲ・ゴ・ゾ・ド・ビ・ベの19音が2音に使い分けられていたので87音になる。
  20. ^ 古事記』や『万葉集』巻第五では「モ」も2音に使い分けられており、これを含めると88音になる。
  21. ^ キ・ケ・コ・ソ・ト・ノ・ヒ・ヘ・ミ・メ・ヨ・ロ・ギ・ゲ・ゴ・ゾ・ド・ビ・ベ・(モ)の各音は2音に使い分けられていたが、今日、これら各音の使い分けを甲類・乙類と呼ぶ。
  22. ^ 奈良時代に87音あった音の数は、9世紀前半には70音(コ・ゴの乙類とヤ行の「エ」だけが残る)に、10世紀前半には68音(ヤ行の「エ」だけが残る)に減少し、そして10世紀後半には67音になった。
  23. ^ このうち各人が使用する字母は100字から200字ぐらいであった
  24. ^ 『手』とは文字の意
  25. ^ 江守 PP..121-122
  26. ^ 鈴木翠軒・伊東参州『新説和漢書道史』P.140
  27. ^ a b 六朝書道論』(井土霊山中村不折共訳)の巻末付録「明治年代の書風」(日下部鳴鶴)の要約
  28. ^ はじめ書道展に対して東京府美術館は借館に同意しなかった。書を芸術とは認めなかったのである。豊道春海はこの館の寄贈者である佐藤慶太郎を訪ねて九州まで行って説得し、ついに美術館進出を果たした。
  29. ^ 1947年(昭和22年)豊道春海が請願し可決された。
  30. ^ 書2011 「西高東低」がもたらす課題 - 2011年5月5日付読売新聞朝刊13版25面。





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