日本のタクシー 歴史

日本のタクシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 00:53 UTC 版)

歴史

1912年明治45年)7月10日東京市麹町区有楽町(現東京都千代田区有楽町)にタクシー自働車株式会社が設立され[4]、同年8月15日から本社前でT型フォードを6台使用して旅客営業を開始した。これが日本における、自動車を使用したタクシーの最初の営業であった[5]

このタクシーは料金メーターを搭載して「辻待ち自動車」と呼ばれており、上野駅新橋駅を拠点に営業していた。料金は最初の1マイルが60、以後0.5マイル毎に10銭増しであり、人力車に倣って夜間・雨雪時の割増運賃も設定されていた[5]。その後、1914年大正3年)には東京駅が開業したことにより、同社によって東京駅でも営業が行われた。その後タクシーは全国に普及するが、当初は料金体系がバラバラで苦情が多かったことから、1924年(大正13年)大阪市内を1均一で走るタクシーが登場した。これを円タクと称する。円タクは、2年後、東京市にも登場した。実際は範囲内短距離であれば運転手と交渉し、80 - 90銭にまけさせた、事例も見られた。業務で頻繁に乗る常連には20銭から50銭といった極端に安い料金で運行する例も見られた[6]

1930年代のタクシーの乗務員には、運転手のほか助手が存在していた。助手の本来の役割は乗客の乗降を手助けするサービスを行うことが目的であったが、タクシー事業者にとっては客の勧誘や料金の誤魔化し防止、用心棒の役割も果たす存在であった。この頃、都内に昼間見られる流しのタクシーの例では、1/3の程度割合で助手が乗車していたが、利用者にとっては運転には関係のない助手は雲助を連想させる存在であり、時には不快感を抱かせることもあった。1936年(昭和11年)、警視庁とタクシー事業者による帝都交通統制委員会では助手の廃止が議題とされた。業者や交通課が廃止に賛成する意見出す一方、刑事部は自動車強盗に対する防犯の立場から反対を採った[7]

満州事変から第一次上海事変へと日中関係が混迷を深める中、石油会社が値上げを発表するなど、東京市内のタクシーは混乱を深めていき、1938年(昭和13年)には車両、部品、燃料など物資統制の重圧から、警視庁は全てのタクシー営業を法人格を持つ者に限ること(最低基準車両50両)とし、175社へ集約統合を行った。その後、メーター制も復活し、初乗り2キロ30銭、1キロごとに10銭となった。

戦時体制が整うにつれ、1937年(昭和12年)には、石油資源の確保のため、タクシーの流し営業が禁じられた。 ガソリンの節約を目的に代用燃料への転換も進められ、ついには1941年(昭和16年)9月11日からタクシーの営業許可は代用燃料車にのみに出されることとなった[8]。この頃にはガソリンも自由に購入できなくなっていたこと[9]、同日からは代用燃料車の料金をメーター表示額の倍とすることが決定した[10] ことから、石炭(コークスを含む)や木炭を使用した自動車への改装が加速した[11]

第二次世界大戦の戦況が厳しくなった1944年(昭和19年)には、決戦非常措置要綱に基づき重要用務に対する緊急配車以外禁止となり、一般人が利用する従来の円タクは廃止された[12]。 終戦後、東京都内で焼け残ったタクシーは、1,565台だけであった[13]

1950年代後半以降、モータリゼーションの発達により、大都市圏を中心に「神風タクシー」と呼ばれる粗暴運転、乗車拒否、不当運賃請求(雲助タクシー)などが問題となり、交通事故も多発し、白タクも横行した[14]。それらを抑制する目的で個人タクシー制度が生まれ、1959年(昭和34年)に東京で初認可、1960年(昭和35年)には関西でも個人タクシーが認可されると、法人タクシーと個人タクシーが競合した[14]1970年(昭和45年)には、タクシー業務適正化臨時措置法が施行され、東京圏・大阪圏ではタクシー運転手を登録制とし、東京大阪タクシー近代化センターが設置された。

1992年(平成4年)6月19日に、第3次臨時行政改革推進審議会が「国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する第3次答申」により、国民生活に関連の深い分野での経済的規制の緩和を求めたことを受け、運輸政策審議会は、「今後のタクシー事業のあり方について」(平成5年5月11日答申第14号)を答申した。これを受けて、運輸省では、運賃・料金の多様化、需給調整の運用の緩和等に取り組むこととし、1995年(平成7年)3月に実施された東京地区の運賃改定は、遠距離割引運賃、ワゴン配車・時間指定予約料金、時間制運賃などが、1995年12月に実施された大阪地区の運賃改定は、定額運賃前払割引、ノーマイカーデー割引などが設定され、需要の喚起、利用者ニーズに即したメニューの多様化が図られた。

規制緩和推進計画で、運賃・料金の多様化、需給調整の運用の緩和、事業区域の段階的拡大等が盛り込まれたことを受け、運賃・料金の多様化については、タクシー事業の特性に応じ、一層の経営効率化インセンティブ付与、サービス向上、利用者の利益保護等の観点から、設定方式のあり方等について検討を行うこととした。

需給調整については、1993年(平成5年)10月より、東京地区において一定幅の中で増減車を弾力的に認める制度が導入されていたが、需給調整の透明化を図るとともに、当該事業区域の需給状況が、あらかじめ示された一定範囲を超える供給過剰である場合を除き、免許等の処分を行うよう、より弾力的な処分を行うこととした。事業区域については、事業の効率化を図る観点から、地域の実情を踏まえ、段階的に統合・拡大を図ることとした[15][16]

1996年(平成8年)12月16日に行政改革委員会より「規制緩和の推進に関する意見(第2次)-創意で造る新たな日本」が公表され、

今後は、量的規制である需給調整規制を廃止し、これと併せて、タクシー運転手の資格要件の規制、事業者の資質の確保・向上のための具体的方策を講ずることとし、そのための体制の整備を図るべきである。このような方向への転換のためのスケジュールを明確にすべきである。これらの措置については、サービス改善効果を見守りつつ、段階的に進めることとし、当面は、需給調整規制の基準の客観化、数値化、透明化を徹底して図るべきである。また、その際、あらかじめ需給の計算結果を明示した上で、あらかじめ示された一定範囲を超える供給過剰である場合を除き、申請に応じて増車、参入を認めるシステムを確立して、それにより運営を行うべきである。また、事業区域規制については、当面、事業区域数をほぼ半減させることを目標として統合を進め、最低車両台数規制については、最大60両となっている車両数を最大10両に縮減する規制緩和措置を、内容に応じ速やかに行うべきである。  さらに、価格規制については、利用者にとって選択しやすい内容とするとともに、できる限り事業者の自主性が尊重される多様な運賃水準の設定が可能となるようにすべきであり、当面はゾーン制により緩和を図ることとし、将来的には上限価格制に移行すべきである。

との意見がなされた。

運輸省では、これを受けて「タクシー運賃制度研究会」を設置し、当該研究会での結論を踏まえて、1997年(平成9年)度から10 %の幅の中であれば、自由に運賃の設定を認める「ゾーン制運賃」を導入するとともに、初乗距離を短縮(2 kmを1 km)する運賃を認めることとした。事業区域の拡大は、1996年時点で1911あった事業区域を統合し、3年間でほぼ半減させる措置を講じたほか、最低保有車両数の基準については、例えば東京で60両の基準を10両に引き下げる等の見直しを行った。

需給調整規制の廃止については運輸政策審議会自動車部会で審議することとした。こうした状況を踏まえつつ、1997年(平成9年)12月4日に行政改革会議最終意見が公表され、「運輸政策審議会の審議については、迅速化を図り、委員会意見の趣旨に沿った結論をできるだけ早期に得ることを求める。また、需給調整基準やゾーン運賃幅のさらなる緩和を検討すべきである。」との意見がなされた。

1999年(平成11年)4月9日に運輸政策審議会自動車部会は、「タクシーの活性化と発展を目指して ~タクシーの需給調整規制廃止に向けて必要となる環境整備方策等について~」(平成11年4月9日答申第16号)を答申し[17]、参入に関しては、これまでの需給調整規制を前提とした免許制に代え、輸送の安全の確保、安定的なサービス提供及び利用者保護に関し一定以上の能力を有するか否かを審査し、これらの要件を満たす者には、参入を認める許可制とすることとされた。

この答申を受けて、2002年(平成14年)2月1日に道路運送法・タクシー業務適正化臨時措置法の一部が改正施行され、事業はこれまでの免許制から許可制とし、事業者の車両数増減も届出のみで自由に可能になった(いわゆる「タクシー規制緩和」とはこれらの法改正を指す)。これにより大都市では新規参入事業者が増加している反面、既存の中小事業者は地方・大都市の別を問わず、マイカーの普及や公共交通網の拡充、社会事情の変化などによる乗客の減少に加え、業務の性質そのものが収入を増やせず支出を減らせないため、構造的な業績不良に陥り、経営の苦しいところが多い。売り上げを上げるため労働者に過大な負担がかかるようになってきていることも問題視されている。同時に「タクシー業務適正化臨時措置法」は恒久法化され『タクシー業務適正化特別措置法』となり、タクシー近代化センターも「タクシーセンター」に改称された。

2008年(平成20年)5月2日にタクシー業務適正化特別措置法施行令が改正され(2002年の規制緩和に対して再規制と俗称する)、東京・大阪地区のほか、全国11の大都市が指定地域となっている。

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