日本における死刑 死刑の量刑基準

日本における死刑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 10:00 UTC 版)

死刑の量刑基準

日本において死刑判決を宣告する際には、永山則夫連続射殺事件で最高裁(昭和58年7月8日判決)が示した死刑適用基準の判例に従う。この基準は、永山基準と呼ばれ、第1次上告審判決では基準として以下の9項目が提示されている。

  1. 犯罪の性質
  2. 犯行の動機
  3. 犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性
  4. 結果の重大性、特に殺害された被害者の数
  5. 遺族の被害感情
  6. 社会的影響
  7. 犯人の年齢
  8. 前科
  9. 犯行後の情状

犯行の動機

  • 金銭がらみの計画的な殺人保険金目的あるいは債務逃れの殺人など、金銭がらみの計画的な殺人の場合、被害者が1人だけでも死刑になる場合がある。特に身代金目的誘拐殺人の場合、誘拐直後に被害者を殺害することを事前に計画していたか、誘拐後短時間、あるいは身代金要求前に被害者を殺害した場合、被害者が1人でもほとんど死刑が選択されている(後述[注釈 1]。殺人が計画的でなくても、動機が金銭がらみの場合、被害者が複数なら死刑、1人でも無期懲役といった厳刑になる場合が多い。
  • 心神喪失あるいは心神耗弱者の行為:被害者4人以上でも新宿西口バス放火事件(死者6人)や深川通り魔殺人事件(死者4人)、西成区覚醒剤中毒者7人殺傷事件(死者4人)では、「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」という刑法39条に拠って、加害者の犯行時は心神耗弱であったことが認められ、法律上の刑の減軽として刑法68条1号の規定により、無期懲役の判決が確定している(ただし、麻薬覚醒剤アルコールなどで「故意」または「過失」で心神喪失に陥ったと認められた場合、刑法39条の規定は適用されない。詳しくは「原因において自由な行為」を参照。)。
  • 一家心中:大量殺人であっても一家心中を企てて生き残った親については極めて軽微な刑が科される事例があり[注釈 2]、中には心神喪失を理由に不起訴処分になった事例もある。ただし、岩手県種市町妻子5人殺害事件(1989年)では第一審で無理心中と認定されて無期懲役判決が言い渡されたものの、控訴審では無理心中とは認められず逆転死刑判決(破棄自判)が言い渡されている[1]
  • 親が子供を殺害した場合:「行きすぎた親権の乱用」と解釈されることが多く、殺人罪ではなく傷害致死罪の適用となる場合もあり、死刑にならない場合が多い。子供に障害がある場合には、殺害された子供には責任がないにもかかわらず、「懲役3年、執行猶予5年」のような執行猶予になるケースも散見される。また同様に寝たきりの者を介護していた親族が殺害した場合には、情状酌量によって起訴猶予される場合がある。
計画的犯行でなかった事件で死刑判決が出なかった例
  • 江東マンション神隠し殺人事件では、検察も被害者遺族の処罰感情や過去に被害者が1人でも死刑判決が出た事例を挙げ、死刑を求めたが、一審・二審ともそれを退け無期懲役が言い渡され確定した。二審の東京高裁は、検察の被害者が1人の死刑判決の事例に対し、「残虐性の程度や被告の犯罪傾向の深さなどに違いがあり、同様に死刑を選択すべきとの根拠にならない」と述べた[2]。「殺害を最初から意図していなかったこと」「証拠隠滅で遺体をバラバラにしたのは殺害後であったこと」「被告人の性格は異様であったとしても、逮捕歴がなかった」ことから、刑事法学者からは裁判官が死刑判決が出しにくい事件だったと指摘されている[3]
共犯者の強い支配の下に置かれていたために複数人の殺害を実行したにもかかわらず死刑とならなかった例
  • 北九州監禁殺人事件では、首謀者の男X(死刑確定)の指示に従い6人の殺害と1人の傷害致死を実行した女性Yについて、第一審の福岡地裁小倉支部は死刑としたものの、第二審の福岡高裁は首謀者である男の強い支配の下に置かれ追従的に関与したに過ぎないとして無期懲役とし、最高裁も「首謀者から虐待を受け続けた結果、犯行に加担した点などを考慮すると、死刑にするほかないとは断定しがたい」としてこの判断を維持した[4]
  • 尼崎事件では、主犯女X(逮捕後自殺)の強い支配に置かれ2名又は3名の殺害を実行したとされた被告に対し、2名を殺害した男性Vに懲役15年(求刑懲役20年)・男性Sに懲役17年(求刑懲役25年)、3名を殺害した女性Pと男性Qと男性Rにそれぞれ懲役21年(求刑懲役30年)・D家次女に懲役23年(求刑懲役30年)、3名を殺害し1名を死に致した男性Tに求刑通りの無期懲役をそれぞれ言い渡した。

結果の重大性

殺害された被害者の数との関係

死刑もその他の刑罰と同様、罪刑法定主義に則った明快な基準の必要性が法曹界で議論されてきた。従来は、どの程度の罪状に対して死刑を適用するか、罪状による適用範囲の重複はあるが、最高裁はおおむね以下のような判例を示していた。

  • 3人以上殺害した場合は、死刑の可能性が高い。あくまでも「可能性」であり「被害者が何人で死刑が確定する」という基準はない。
  • 2人殺害した場合は総合的に判断し、死刑か無期刑有期刑か量刑判断が決まる。
  • 1人殺害した場合は、無期刑や有期刑の可能性が高いが、身代金目的誘拐殺人など、殺害の計画性が高く、動機に酌量の余地がない場合には死刑が選択される場合もある。また、殺人の前科がある場合は1人殺害でも死刑判決が出る可能性が高い。

これに前述の永山基準をはじめ、情状酌量の余地、主犯かどうか、反省の有無、再犯の可能性、更生の見込みといったものを考慮にいれて実際の量刑が決まる。

また、運用は時代背景とともに変遷がある。警察庁法務省の統計によれば第二次世界大戦後の殺人認知件数は1954年の3081件、人口10万人中の殺人率3.49件をピークに、単年度の増減はあっても長期的には減少傾向であり、2022年は史上最少の853件、人口10万人中0.68件を記録した[5]。死刑判決と死刑の執行も単年度の増減はあっても長期的には減少傾向である[6][7]

なお、2012年7月23日に最高裁判所司法研修所が出した「裁判員裁判の量刑評議の在り方についての研究報告書」によると、裁判官が下した過去30年間の裁判例を調査した上で、「死亡した被害者数と死刑判決にはかなりの相関関係があり、死刑宣告に当たっての最も大きな要素は被害者数」であると結論付け、永山基準については「単に考慮要素を指摘しているだけで、基準とはいい難い」と指摘している[8]

死刑を適用するかしないかの量刑判断において、殺害人数は重要な要素であるが、殺害人数で機械的に決まるわけではなく、殺人の動機・目的、殺害に至る状況・形態、裁判における被告人の言動なども総合的に考慮されて量刑判断されるので、殺害人数は量刑判断の要素の一つであり、殺害人数だけが量刑判断の決定要因ではない。略取・誘拐、強盗、強姦、強制わいせつ、放火、テロの結果として被害者を殺害した場合は、殺害人数が1人でも死刑判決になった事例はある。

組織犯罪の場合、5.15事件、2.26事件、連合赤軍事件、東アジア反日武装戦線の連続企業爆破事件、オウム真理教が起こした事件などのように、多数の被害者を殺害した共同正犯として裁かれた場合、首謀者、指導者、指揮命令者、実行者、補助者、協力者など、犯行グループの中での立場により、量刑判断は死刑、無期刑、有期刑に分かれる。

被害者が1人で死刑が確定した事例

犯行の残虐性・社会的重大性

「犯行態様が極めて残虐であり、共に同等の責任を負うべきである」として共犯2人が死刑になる場合(例:北九州市病院長殺害事件)もある。

2004年に死刑判決が確定した警察庁広域重要指定118号事件では犠牲者2人に対し犯行グループ6人のうち3人(死刑求刑は5人)の死刑が確定しており、犠牲者数よりも多い人数の被告人に対して死刑が宣告されるケースも見られつつある。

戦前に発生した最悪級の殺人事件であるが東京市電運転手連続殺傷事件(死者7人、負傷者10人)でも無期懲役が判決されている。また、地下鉄サリン事件の実行犯である林郁夫は担当車両で2人を殺害したが、自首が情状酌量の要素として認められたためか、死刑ではなく無期懲役を求刑され、求刑通りの判決となっている(サリンを製造しただけで殺害実行や事前謀議には一切関わっていない土谷正実や地下鉄サリン事件の散布実行犯として担当車両で1人の死者も出さなかった横山真人が死刑判決を受ける中で、林郁夫は地下鉄サリン事件の散布実行犯としては唯一死刑を免れている)。刑事裁判では犠牲者数だけで機械的に死刑が適用されるわけではなく、判例に依拠しつつ犯罪の性質も含めて総合的に判断している。

犯人の年齢

未成年の死刑

少年法51条1項および児童の権利に関する条約37条(a)により、18歳未満の年齢で犯罪行為を行った少年に対しては死刑に処することができない(死刑相当の場合は無期懲役が下される)と規定されている。日本の少年法では18歳未満の者には死刑に替えて無期刑を科することになっている[10]

犯行時に未成年であっても18歳以上であれば判例に刑事件であれ死刑判決になる可能性はある。第二次世界大戦終結以後の日本で、犯行時に未成年だった被告人に対する死刑判決は確認されているだけで42人存在する。そのうちの一人は再審で無罪になり、日本国憲法の発効と、それにともなって改正された刑法と刑事訴訟法が発効した1949年以前の判例で、犯行時17歳で死刑判決を受けた3人は、刑事訴訟法の改正で無期に減刑され、1949年の改正刑事訴訟法発効以後に3人が恩赦で減刑され、前記以外の35人は死刑囚として処遇された、または、処遇されている。

犯行時18・19歳の死刑判決の事例

高年齢の死刑

上記の通り、死刑を適用できる年齢の下限は18歳以上と規定されているが、年齢の上限については明文化されていない。

日本では高齢や身体機能の低下などを理由とした死刑囚への恩赦や、執行の猶予が決定されたことはなく、実際に2001年に名張毒ぶどう酒事件の死刑囚が75歳の時に胃がんになって手術したときも刑の執行停止は行われていない。80歳以上で獄死した死刑囚も存在する。

それに対し懲役など自由刑受刑者の場合は「年齢70年以上であるとき」(刑事訴訟法482条2項)には検察官の指揮によって「自由刑の裁量的執行停止」(刑事訴訟法482条)ができる。実例として江津事件などがある。

現在(2018年時点)、戦後最高齢での死刑執行は2006年12月に執行された77歳(秋山兄弟事件の死刑囚)である。また、これと同時に75歳(今市4人殺傷事件の死刑囚)の刑も執行されている。この75歳の死刑囚は遺言で、身体の衰えによって立つこともままならない状態であったと述べており[11]、看守に両脇を抱えられる形で処刑されている[12]。なお、それまでの戦後最高齢は生涯で10人を殺害した古谷惣吉の71歳(1985年5月31日執行)であった。

高齢死刑囚の事例として、他に以下のものがある。

  • 2016年3月にも75歳の死刑囚(大阪連続バラバラ殺人事件のK)の死刑が執行された[13]
  • 死刑の言い渡しであるが、一審であるが78歳の男性に死刑判決が出されたことがある。これは1989年に発生した熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件の実行犯に対するものである。保険金目当ての首謀者からの依頼で放火したものであるが、13年後の2002年に事件の真相が判明し逮捕されたが、実行犯が殺人罪で懲役20年で服役し仮出所中の犯行であったため死刑が言い渡されたものである。ただし2006年に首謀者が無期懲役なのに死刑というのは均衡を失するうえに82歳と高齢であるとして無期懲役に減軽されている[14]
  • 帝銀事件平沢貞通は、逮捕時が56歳で、死刑が確定したのは63歳の時であったが、冤罪の可能性が強く指摘された事件であり、死刑執行が諸般の事情で延ばされていた。実際に死刑の執行が法務大臣の決裁直前までいった事が複数あり、最後に死刑執行が上申されたのは平沢82歳の1974年11月であったという。ただし当時の法務大臣浜野清吾が決裁を渋ったことで見送られたという[15]。その後は平沢の死刑執行の可能性はなくなったといえ、1978年7月に当時の法務大臣瀬戸山三男は「86歳になっている人をいまさら(執行に)ひきだすのは大変なことだ」と消極的な姿勢を示しており[16]、平沢が獄死する日を待っていたと推測されている。
  • 2011年3月に、72歳だった2003年9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で91歳女性を、73歳だった2004年12月に岡山県井原市で蕎麦屋店主の76歳男性を強盗目的で殺害した男に、戦後最高齢での死刑確定となる79歳で死刑判決が確定した。高齢者による同じ高齢者を殺害したものであった。二審で逆転死刑が言い渡された。なお、この死刑囚は死刑が執行されないまま2016年2月に84歳で病死している[17]

前科

仮釈放中の無期懲役受刑者による強盗殺人事件について福山市独居老婦人殺害事件で最高裁は1999年12月10日に「別の強盗殺人罪で仮釈放中に再び強盗殺人を犯したケースは死刑が相当」であるとして、累犯による刑加重であるとして下級審が下した無期懲役判決を破棄し、高裁で差し戻して死刑の適用を求める判決を出している。

また無期懲役ではないが殺人の前科があり、その後強姦した女性が告訴した事を逆恨みした結果殺人を犯した者について、死刑が確定して4年後に処刑されている(詳細は「JT女性社員逆恨み殺人事件」に記す)。

遺族の被害感情・処罰感情

被害者の遺族の処罰感情は量刑判断では考慮されない。例えば、2親等以内の家族がいない、または、3親等以内の親族もいない人を標的に選んで殺害した場合、処罰感情を述べる家族がいないからという理由で、不起訴、無罪、判例より軽い量刑判断をされることはない。

多額の財産を保有していて、身寄りのない・天涯孤独の老人を標的にして、殺害して金銭や財産を奪った事例では、殺害された被害者に代わって処罰感情を述べる家族は存在しないが、それを理由に検察が不起訴にすることも裁判で判例より軽い求刑をすることもなく、それを理由に裁判所が無罪判決や判例より軽い判決をすることはない。

また、殺害された被害者の家族が裁判で、加害者に対する死刑を強く要求しても、裁判所が被害者の家族の要求をそのまま受け入れて死刑判決をするわけではなく、判例に照らして死刑相当の事件でなければ、死刑判決にはならない。

「被害者遺族が極刑を求めるのは当然」というステレオタイプで語られる場合が多いが、実際のところは極刑を求めない被害者遺族も一定数存在する(松本サリン事件の被害者である河野義行など)。

日本では、殺人犯が被害者の親族である割合が、45 - 54%である。また、既遂の場合は51 - 61%、未遂は42 - 53%であった。さらに既遂の割合は、減少傾向にあり、2022年は約32.4%で、2013年の約38.8%に比べて減っており、2019年以降は30.0-35.0%の間で推移している[18]。親子心中や被介護者殺害を殺人罪として立件すれば、もっと増えることになる。被害者と加害者を共に親族とする者の場合、極刑を求めることはあまりないようである[19]

犯行後の情状

  • 公判における態度公判のなかで被告人が反省の弁を述べなかったり、犯罪の共謀者と罪のなすり付け合いをしている場合も死刑判決が出るケースが多い。人違いバラバラ殺人事件では控訴審で証人を刺したことで逆転死刑となった。

求刑

「裁判所は検察官の求刑に拘束されない」とあるため、懲役刑などの場合は検察官の求刑よりも重い刑の判決を出すこともできるが、無期懲役以下の求刑に対して求刑超え死刑判決は1957年を最後に出ていない。







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